科学は、データを重視し、実験や観察等によって積み上げたデータを素に分析し、一定の法則性や事実を見いだす営みと言える。
それ故、データの扱いには慎重になり、データーの変化が意味のあるものか、単なるノイズなのかの分別は極めて重要になる。
当然他分野の人間が科学の内容について、データによらず印象論で語られることを非常に嫌う。
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次のツイートは、Kという東北大理学部で数学専攻の助教のものらしい。
これにはびっくりした。>出生数、5年ぶり増加…推計100万8000人 : 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/20151231-OYT1T50108.html?from=tw …
引用【厚労省は出生数が増えた理由について、「雇用情勢の改善や保育施設の増加が影響した可能性がある」と指摘】
まともな政策が重要ということ。 |
内容は先日取り上げたものであるが、100万人オーダーの出生数に対して推計で4000人増加に転じたことを受けて政策の影響だと印象づける記事で、K助教は新聞記事をそのまま受け取り、わずか0.4%の変化、しかもトレンドには全く変化が見られないノイズレベルのものを政策の影響と評価してしまっている。科学者として論外である。
一応ノイズレベルの変化であること、婚姻は9000組も減っていることを指摘しておいたが反応はなかった。

影響の過大評価は言うまでもなく政権べったりの読売新聞のもので、この研究者はデータを検討せず記事を鵜呑みにするだけでなく、記事の意図を全く検討しないと言う、二重の間違いを犯している。
さらにこのツイートを某Kというサイエンスライターが何の検討もしないままリツイートし拡散している。
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K助教は、経済関係にも興味が及んでいるらしく、自分のHPにクルーグマン関係の情報をまとめている。要するにリフレ派にシンパシーを持っているらしい。このバイアスが安倍政権の政策を無検討のまま持ち上げる行動につながっているのかも知れない。
Kサイエンスライターは、日頃は研究不正追及をメインにしている。ここでは単に名前だけで信用してK助教のツイートを大量にリツイートしただけらしい。
どちらにしてもサイエンスの人間らしからぬ行動と言ってもいい。
(なお、数学は論理学であって、自然現象を扱う自然科学一般とはかなり毛色が違う。現実と論理が矛盾していれば自然科学一般にとっては大問題だが、数学では論理に矛盾がないことが大切なので現実には興味がないらしい)
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サイエンスの人間が、自分の研究分野、というより科学の分野を離れると、とたんに科学の鉄則であるデータの検討をしなくなって、あやふやな伝聞情報だけで断定的に印象論を語る場面に出くわすことが時折ある。
科学を離れるととたんに脇が甘くなるのは何故だろう。
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以前、高校生物の教育課程が大きく変更され、メンデルの法則を高校で扱わなくなると言う報道がなされたとき、ツイッターでは研究者から批判めいたツイートが多くなされた。メンデルの法則学習必要論を唱えるものばかりだった。
しかし、実態は以前から中学校へメンデルの法則の学習が移行しており、中学で扱わない独立の法則のみ高校の4単位の生物で扱うものに変更したと言うことだった。
メンデルの法則必要論はまったくのピント外れだったわけである。自分で何も調べず記事を鵜呑みにした結果であった。
ちょっと冷静になれば、遺伝学の祖と言えるメンデルの業績に全く触れずに遺伝学には入れるわけがないと気付く。
いくらメンデルの3法則のうち普遍的なものは一つだけだとか、研究データそのものに疑義があるとかがあっても、データ分析という手法をはじめて生物学に取り入れたメンデルの功績は評価されるべきものであり、中学校でもその部分を重視して扱う。
ツイッターの特質として、脊髄反射的にツイートに反応しやすいことがあるが、科学者が軒並みその罠にはまったのは見ていて悲しいものがあった。
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追記:
K助教のクルーグマン関係のリンク。
現実と論理が乖離しても気にしない、いかにも数学の人という感じだが、リフレ派への傾倒ぶりがよく分かる。
一方で先日のクルーグマンの
「Rethinking Japan」という、NYタイムスに載せたアベノミクスは失敗だったとする寄稿(翻訳はここ)にはかけらも触れようとしない。
過ちを認められない研究者は、真の研究者にあらず。
Posted at 2016/01/06 10:33:43 | |
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