2016年01月10日
最近、Facebookをあまり見ない。
たくさんの元教え子達の今を知ることができる貴重なツールではあったけれど、「大人」な知りあいが増えた結果、どんどんタイムラインに流れる内容の質が悪化しているのだ。
「元教え子」と「大人」の圧倒的な違いは、前者が自分たちの今を他人の目を意識して投稿するのに対して、後者は他人にはどうでもいい個人的なことや他人の書いたもの(記事や知りあいの投稿)をコメントも付けずにシェア、あるいはデマレベルのシェアや投稿をすることが多いことにある。
「大人」が自ら発信するものの大半は、「何を食べた」とか、「どこに行った」とか、「自分の子が何をした」とか、他人にとってはどうでもいいことばかり。そんなものばかり見せられても仕方がない。
元教え子達の投稿の方が、他人の目を意識してよくまとまっていることが多い。単なる個人ネタを垂れ流さない……それが他人に嫌われることがよく分かっているからだろう。
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「大人」の「シェア」や「いいね」はまさに大人の事情で行っているものが多く、それが内容の厳選と反対の方向に行きやすく、タイムラインの質を低くする原因になっているように見える。
また、権威盲信も「大人」に多い。特定の権威の投稿を垂れ流しのようにシェアされるとたまらない。内容が取るに足らないものであったりすると、なんでこんなものを読まされなければならないのかと腹すら立ってくる。
元新聞社論説委員の「友達」(リアルな知りあい)などもいるが、自分で書いているものはともかく、「いいね」や「シェア」の中身は首をかしげざるを得ないものも結構ある。本人が書いているものなら突っ込みようがあるが、他人の投稿のシェアには突っ込みようがない。
FBでは、「いいね」や「シェア」してもコメントをつけないという人も多く、本人が何を考えているのかがわからなくなり、ますますタイムラインの価値が低くなる。
突っ込みを受けるとちゃんと対応せず逃げるような人もいる。だったら最初から無責任な投稿をしなければいいのに。
結局FBは現実世界の人間関係のネット版でしかないので、現実の人間関係で覚える不満はそのままFBにも持ちこまれる。
ツイッターがフォロー先を厳選し、多様性があり質の高いタイムラインを作り上げられるのと対照的だ。質の高いタイムラインを確保できれば、ツイッターは情報入手手段としては極めて優れている。
FBは現実の人間関係を中心に構築せざるを得ないため、厳選できず、質の低い情報が流れるタイムラインになりやすい。
FBがコミュニケーション手段として最適化されているので、それ以外の使い方には向かないと結論せざるを得ない。おまけに、個人の情報をFBに書き込めば、FB社を通じて抜かれ放題である。だからプライバシーにかかわる情報は、非公開であってもあまり書き込んだり登録したくくない。
自分にとってのFBの利用価値は、元教え子達や縁遠くなっている知りあいの動向を知る以外に、あまりなさそうだ。
Posted at 2016/01/10 08:34:22 | |
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