• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

Yuh_Fazioliのブログ一覧

2016年01月30日 イイね!

算数教育は現実の生活からスタートするものなのだろう【微改訂】


 物理の公式も、もちろん数学的に交換可能であって入れ替えても表す意味は変わらないことが多い。

 人間の認識や扱いやすさの都合で一定の順で表す公式を決めているに過ぎない。数学の公式も日本人がある程度共有している順序があるはず。文字はアルファベット順にすることが多いとか、変数はx、y、zをつかうとか,人間らしいルールが見えるはずだ。

 数学的には全く意味が無いルールであるのは言うまでもない。定数なり変数なりは区別さえつけばいいし、順序も問わない。どんな形に変形してあっても数学的には意味は同じ。
 それでも普通はシンプルでルールに沿い、扱いやすい形を公式として扱う。

 人間にとって扱いやすいと言うことにすぎないが、人間だから扱いやすくしたいということがまたある。

 そんな事実は無いと主張するなら、現在日本で出版されている教科書や書籍、論文等において、二次方程式の解の公式のバリエーションを示して欲しい。

 ほとんどの場合、使う文字も順番も分数の形になっていることも同じで、おまけに2つの式を合体した形で表すことも共通していることだろう。本来数学的には多様な形にできるはずにもかかわらず。

 だいたい文字そのものも演算子も、人間が了解しやすくするために作ったもの。数学の概念そのものとはかけらも関係のない記号に過ぎない。われわれが10進数を使うのも、単にわれわれの手の指が10本だったと言うことに過ぎない。

 掛け算の概念と記号の「×」は本来関係ないものだが、人間の都合でひも付けしたにすぎない。

 概念を人間の認識できる形の中に置く営みがあって今がある。

 数学概念を人間独特の認識を経ずに獲得した者は神をのぞいていないだろう。

(もっとも旧約聖書においては人間は神を真似て作ったことになっているので、神も人間のような認識手段をとっているのかもしれないが)


 **

 算数教育は、子供たちが新たな概念を発見し拡張させていくことを手助けすることを目指しているはずだ。最初からすべての概念を発見することはできない。自分の理解を徐々に広げていく。
 子どもによってペースが違っても段階を踏んでいくのは当然のことだろう。何も算数に限った話ではない。子供たちは多くのことを経験することで徐々にこの広い世界を「発見」していくのだ。



 一部の人たちは子供たちがはじめて掛け算の概念を学ぶ段階から交換可能であることを扱えと主張しているのかも知れないけれど、それがどうやったら可能になるのかを提案しているのだろうか。

 変えるか変えないかが問題だった安保法制と違い、これは今のものがダメというなら代替案でよりよい方法を競うべきケース。さまざまなことを考慮して成り立っている(それで算数の概念を身につけ、国際的にも高い成績を収めてきた)現在の算数教育をただ否定するだけではどうしようもない。
 よりよい方法があるのであればそれを提案すべき。

 はじめて掛け算を学ぶ段階で、

・単に手続きを覚えさせるのではなく、掛け算の概念を身につけさせる。
・交換法則を最初からとり入れる。
・日本語の文章で多数の数字が入っているものから正確に計算に必要な数値を抜き出して立式するところまでいけることが必須。

 ぜひこれらを満たす方法を提案してもらいたいものだ。


 **

 ネットで話題になったのは、特に順序に関する取り決めがないと思われる問題で、掛け算の数字を入れ替えたら×にされたケースであったように思う。本当にそうだったのかどうかは分からないが、そう思える情報だからこそ反発が大きかったようだ。

 だが、文章などから「かけられる量×かける量」といった一定の順序で式を組み立てる初歩のトレーニング自体を否定している人がどれぐらいいるのだろう。

 おそらく日本人のほとんどがこのやり方で掛け算を学び、掛け算の概念を習得してきた。そこになにか数学上の概念を獲得を失敗させてきたという実績でもあるのだろうか。

 掛け算に順序はないから算数教育で順序を教えてはならないという声が聞こえるのだが、そこでは数学の概念の獲得に成功している者が、獲得最中のものに最初から全能を要求しているような気がするのだが、気のせいだろうか。


 実際の現場の指導でどこまで可能かは分からないが、個別の概念の獲得状況に合わせてどんどん先に進んでも構わない。もしそれを否定する教育が行われていると言うことがあれば(現場で算数教育を理解しないまま指導してい教員がいないとも限らない)、その教員の問題ではないかと思う。

 算数教育の歴史の中で、掛け算順序問題は長く議論されてきた。今に始まった問題ではない。


 おそらく、単に手続きを覚えさせることでも掛け算の操作自体は習得できる。これは当然交換法則込みでできる。掛け算の九九を覚えること自体は実際ほとんどの子ができるのと同様にだ。

 しかし、初学者が数字の操作手続きを記憶することと、掛け算の概念を獲得できるかどうかは話が別だろう。概念の獲得をうまくやれるかどうかがカギになる。

 暗算の達人が高度な数学を扱えるとは限らないのと似た話だ。暗算は手続きそのものであって、数学の概念とは関係なく身につけられる。


 単なる手続きの暗記ではない、いい方法を提案して欲しいものだ。


 **

 個人的には面積の取り扱いは掛け算の概念を作る上でやりやすそうなのだけれど、掛け算では面積だけではなく個別の物体も取り扱えなければいけない。現実の取り扱いはほとんどがこちらだからだ。

 何個の何倍という取り扱いができないと、現実の掛け算の取り扱いに差し支えるだろう。

 小学生が極めて早い段階で60進法を学ぶのと同じく、発達の状態だけでなく現実の要請もあり、なにを優先して学ぶかを考える必要もある。

 要は、子供たちがいる現実世界に、どうやって数学の概念を取り入れていくかという話であって、最初から現実と関係のなく論理だけを学ばせることはかなり困難だという話だ。

 算数教育において、日本語での語順に沿った立式も含め、現実を無視して概念獲得できるというのなら、是非そう言う教授法を開発し実践して欲しいものだ。



 人間が数字や文字、演算子、グラフなど人間に理解しやすい形にするツールを用いて数学概念をとらえている以上、数学概念だけですべてを取り扱うことは不可能だ。

 人間に分かりやすい形で数学概念をとらえていくステップをどう考えたらいいか、数学概念万能と思っている人たちが自分たちも人間特有の認識法を通じて数学概念を獲得し、今も利用していることに気付けば、少しは考えやすくなるのではないだろうか



 もし人間を超越することができれば文字もグラフも使わずに数学概念だけですべてを処理できるかも知れない。そう言う存在になればもはや算数教育に介入しようなどと考えることはなくなるだろう。
 美しい論理だけの世界を堪能する存在になるのだろう。


 **

 一部では、日本語の語順は入れ替え可能だから一定の式に当てはめさせるのはおかしいという主張をしている人もいるようだけれど、【公式】にあてはめるという操作に該当するということで了解できないのだろうか。

 仮に一つの語順に沿った順序を決めて立式すると。これが公式に相当する。

 その公式は【何個のもの】を【何倍する】という順序で扱う。

 実際のものの操作や日本語の文章の中から、それぞれにあてはまるものを選び出せば公式への当てはめが完成する。

 そう言う作業から、掛け算の「何倍」という概念の具体的操作を身につけていく。

 一つの順序を仮に決めるという前提なら日本語の語順が入れ替え可能だと言うことは全く関係がない。もちろん英語の語順に沿うことも可能だが、そうする必然性は全くない。

 **

 現実は数学のように一定順序で取り扱う慣習はないと主張しているようだけれど、現実の「現実」はある程度順序を決めて取り扱いやすいやり方で扱っていることが多い。

 領収書の明細などのように、会計の世界で一般的に慣れ親しんだ順序は確かに存在するし、物を買うときにお金のことを考えれば、1個100円のチョコレートを2つ買うと考えるのが普通だろう。
 思考言語のシンプルな形で考えるのが普通だろう。

 仮にいつも入れ替えた形で思考しているとすればそれはその人にとっての決まった語順だ。

 件の数学者はランダムであるという主張のようだから、語順も一定していないと証明する必要がある。

 もし現実世界では一定の順序で計算することがないと主張するのであれば、まずは事例を多く集めることから出発すべきだろう。

 きちんとデータとして積み上げて、そこから傾向の有無を言うべきだ。

 数学概念では交換可能であるからと言って、勝手に現実世界に計算順序が存在しないなどと決めつけることは許されない。

 少なくとも私は会計関係では明確に順序が決まっていることを大手文具会社の製品や大手会計ソフト、領収書サービス、行政のフォーマットから示して見せた。レシートが一見ばらばらに見えても、スペースの節約のために必要でない情報を印字しないだけで、一般的な領収書明細フォーマットに沿っていることを示した。

 きちんとデータで示さなければ単なる思いこみに過ぎない。
 ましてや自分で証明をしていないことを思いこみと指摘され、証拠もなく事実で無いと決めつけ謝罪を要求するなどもってのほかである。さらには証拠を見せられても知らん顔とは。
 店頭でたまに見かける

「1個400円、3個で1000円でお得!」

みたいなポップも、ごく素直な計算順序に沿っている。1個400円が3個で1200円と計算させて、それより安いことを了解させ、お値打ち感を感じさせている。

 これに反するような事例をどれだけ集められるのか、是非やってみて欲しい。

 **

 反原発の人たちが、陰謀論や科学的根拠のない思いこみをまき散らしていたけれど(震度とマグニチュードの区別もつかない作家が、ある場所での震度が別の地震より小さかったから東日本太平洋沖地震のマグニチュードが9.0などあり得ないという主張をしていたりもした)、そうしたものを見て、根拠がいかに大切かが多くの人が理解しているはずだ。

 何か一定の主張をするのであれば、人を納得させられるだけのデータが必要。

 サイエンスの人たちは常にこれを一生懸命やって来た。

 早野先生達の福島での仕事は、まさにデータで証明する仕事だ。
 もちろん、影響がなかったことを証明するためではなく、影響があったかなかったかという客観的なデータをとることこそが目的だ。最初から何らかのバイアスに基づいていたらサイエンスの客観性が失われる。

 そうしたものものなく、「現実には順序のある計算はない」という証明していない仮構を前提にして人をより分け(この時点で算数教育の人間はシャットアウトだろう)、その特定の価値観を持つ人間だけで議論をしても最初から極端な話にしかならないのは目に見えている。

 最初から同じ価値観の人間だけを集め、他の価値観を矮小化し排除しているので、自分たちと違う主張を理解する気がないようにしか見えない。

 STAP細胞はあります、の世界そのものだろう。


 **

 この件はこれ以上扱わないつもりだ。どう扱っても算数教育ではない話になってしまう。

 所詮無名の人間の個人的な落書きなので、内容が自分の考えとあわなかったとしても適当に受け流して欲しい。


関連エントリー
https://minkara.carview.co.jp/userid/441462/blog/37256089/



追記:

 最近の算数掛け算順序問題には、明らかに2種のとらえ方があるらしい。

 一つは、最近ネットで話題になった、「立式順が指定されていないにもかかわらず、掛け算の数値を入れ替えたら×にされた」という、正解を間違いとして扱われることへの怒り。

 二つ目は、一つめをきっかけにし、そもそも算数教育が掛け算に順序があるものとして取り扱うこと自体がおかしいと主張するもの。


 一つ目については、算数指導を理解していない現場の教員の問題か、そもそも立式順が指定されているにも関わらず従っていないために×にされたことを一面的に伝えたための誤解である可能性がある。

 二つ目については、古くからの掛け算順序問題と独立して発生し、少し前からある、現実の掛け算の取り扱いには順序はない、日本語は語順の入れ替え可能なので一つの形に立式するのはおかしい等と主張に同調している様子がある。しかし、そもそもの前提に疑問があり、大きな勢力になっているわけではなさそうだ。ネットでの声はでかいか現実世界には実効性がないらしい。



 この二つは同一視されやすいが、明確に区別した方が良さそうだ。

 一つ目は状況が明確になれば比較的容易に解決するだろう。

 二つ目は算数教育における「仮に一つの形で立式するトレーニング」そのものを否定しているように見え、従来の掛け算順序問題(出題に解釈の余地があるから順番は一定にならない)とも主張が異なるようにも見える。仮構を前提としていることからもまともな議論になりそうもなく、そのサイドからは飽きるまで攻撃が続きそうだ(ただしネットで。だから何の実効性もない)。






追記:

 算数掛け算問題の関連エントリーの中で紹介させて頂いたわさっきさんから、記事に対する突っ込みや補足等々を頂いたので、本件に関心をお持ちの方は是非ご覧頂きたい。

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20160201/1454277814


Posted at 2016/01/30 21:14:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2016年01月30日 イイね!

最近鼻血がよく出る


 最近鼻血がよく出る。

 と言っても、垂れるほどではない。

 最近鼻炎気味なのだが、冬場の乾燥で鼻腔内分泌物が固まり、それが鼻の粘膜を傷つけてじわじわと鼻血が出ているようだ。

 ちなみに、当地の放射線量は自前のガイガーカウンターで0.06mSv/h程度。なんの関係もない。


 放射線被曝による出血というと、JCO東海村臨界事故の大内さんの壮絶な最期を思い浮かべざるを得ない。
 被曝によって皮膚が再生能を失い、最初はちょっとした傷程度ですぐ治るかのように見えたところから、やがて皮膚が剥がれ落ち、血液がしみ出てくると言う状態に至っていた。

 強い放射線を浴びれば遺伝子の損傷のために細胞分裂ができなくなり、体中の皮膚が脱落して出血するのだ。

 大内さんは多臓器不全で83日の戦いを終えられた。

 今回の事故でこんな強い線量を浴びるなど、ちょっと考えられないし、もし浴びていたら普通に生活などできない。

 鼻血のあとは全身症状が現れると煽った向きがいて、恐怖が拡大したのだろう。鼻血は分かりやすいし、多くの人が経験するので、「ここにも影響が!」と言いたい反原発派には都合がよかったのだろう。

 低線量被曝での鼻血についてはいろいろなトリッキーな解釈も行われたようだけれど、鼻血以上の何らかの障害が出た例はあるのだろうか。ないのならそれで問題はなさそうに思えるが。

 **

 健康そうな人が真顔で鼻血は被曝のせいだと主張していると、大内さんの最後を見てもらいたくなる。

http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/a4ff2290232f8573e9d639dda089c729
(NHK動画あり)

http://oriharu.net/gabana_n/genpatu/jco-oouti-sikyo.htm


 
Posted at 2016/01/30 13:38:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2016年01月30日 イイね!

別に論争に参加するつもりはないのだが【一部改訂】


 小学校算数の掛け算順序問題について感想をツイッターに書いていたら、例の数学者がまた絡んできて、勝手に論争に参加していることにされて辟易した。

 自分宛てでも@があるわけでも何でも無く、ハッシュタグがついているわけでもない個人のつぶやきになんでここまでこだわるのかよく分からないが、自分にはそんな論争に参加するつもりは全くない。

 その数学者はこの問題にかなりこだわっているようだが、現実に小学校算数の指導書に何が書いてあるのかを把握していないらしい。件の数学者は教科書指導書は「一般の人にはアクセスできない情報」と言うが、教科書取り次ぎの書店に頼めば購入できる(いまは学校関係者以外には売らないとしているところがあるらしい。教育実習には証明が必要とも。その場合でも大学教員なら研究目的で購入は可能ではないか)。大学生協でも可能かもしれない。

 指導書にアクセスできないなどと言うところを見ると、掛け算の順序を強制する行きすぎた指導が

・教員個人によるものなのか。
・研修などを通じたある程度の広がりのあるものなのか。
・教科書の指導書レベルで指導を求められているのか。
・教科書で明確に扱っていて、文科省の検定レベルでの指導なのか。

 このどのレベルなのかきちんと把握できていないのかも知れない。

 そもそもツイッターで拡散された一方的/一面的な情報であるのかどうかの検討はすんでいるのだろうか。
 
 **


[5×3] 「かけ算の順序」はニセ科学だと思っている人向けツアー
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20121003/1349199256

 このエントリーは、多くの情報を取り上げていて、【数学の常識】を算数指導にそのまま取り入れよよというような極端な議論とは一線を画している。

 いろいろと参考になる。

 日本語と英語では順序が逆になるが、何に何をかけたのか、という計算の意味をとらえさせることは掛け算という演算の理解には必要なものではないか。初期の概念作りのために行っていることは、数学の常識を必ずしも満たさないかも知れないが仕方が無いだろう。
 掛け算の順番に意味が無いと主張する人たちは,どう指導すれば掛け算の概念を身につけさせられると想定しているのだろうか。

 交換法則が成り立つことと、何に何をかけたのかを考えることは違うだろう。

 6本ずつ3人に鉛筆を渡すには、鉛筆は全部で何本必要か。

 計算は6×3でも3×6でも同じだが、6本の3倍が必要だと日本語では考えるので、それをその順番で式にすれば6×3になる。それだけのことだが、日本語を元に立式するのも、日本語が複雑に成る程難しくなる。倒置法で表現されると幼い子どもは訳が分からなくなるかも知れない。【何を何倍する】という順で考えるとき、文章に出てきた順ではないことを理解してもらわなければならない。
 特に計算に必要の無い情報までまぎれているときは、【何を何倍】を手がかりに考えるのは有効だろう。
 記憶している式や単位を手がかりに物理量の組み立てを考えるのと同じと言えばいいのかもhしれない。

5kgは5×1000×gを表す。

注:順序が決まっているものの例示。「k」は「g」に対する接頭語であり、必ず単位の前に置くことになっている。逆に書いたり別の場所に置くことはルールとして許されない(交換してはならない)。意味としては上記の通り。5×(1000×g)と表すと、ルール込みの意味が分かりやすいか? 

速さ[m/s]=加速度[m/s^2]×時間[s]は、速さは加速度に加速する時間を掛けたもの。

距離[m]=速さ[m/s]×時間[s]は、進む距離はある速さにその速度で時間をかけたもの。

F[N] = m[kg] × a[m/s^2]は ある力の大きさはある質量の物体にある加速度を加えたときのもの。

 掛け算の順番を入れ替えても計算上は問題ないが、あえて式を上のような形で取り扱うことが多い。

 物理では物体を中心として考えるので、質量mに対して力や加速度を加えるという発想の立式をするのだろう。

 e=mc^2

 有名な特殊相対性理論のこの式をあえてe=c^2×mと書くことはほとんどない。ベクトル量でも何でも無いので交換可能であるにも関わらず。


 自然科学では現実を相手にし、時間はわれわれの次元では常に流れ続けるものとしてこれを基準に考えることが多い。グラフで表すときは横軸、x軸に設定するのが普通だ。
 数学的にも、もともと運動計算のために運動方程式や微積分が開発されたこともあって時間軸の設定はx軸に充てることを考えるだろうが、純粋に数学として考えれば時間に相当する変数は単なるパラメーターなのでx軸にしなくても構わないだろう。式から値を導ければいいのでどこの軸に充てようが関係がないはずだ。
 そもそもグラフ自体が変化等を人間に認識しやすい形にしたものであって、数学的に意味があるわけではない(図形は図形としてまた別に扱うが、視覚のない知的生命体がいたら、何か別の認知手段で同種の概念を取り扱うのだろう)。

 実際の計算では順序は問わないが、頭を整理するには知っている式に当てはめるのが考えやすいし単位の組み立て順に考えるのがわかりやすい。割り算でも、たとえば速さ[m/s]=距離[m]/時間[s]は単位の組み立てそのままだ。

 【何を何倍する】という指針を元に式を組み立てるのと同じだろう。

 数学と物理が違うのは、数学は論理だけの世界だが、物理は現実の現象を考える。現実の世界では【何】を【どうした】というような人間の思考や扱いやすさに沿って扱うのが普通だ。

 6= 1/2 ×12 と 6=12/2 は数学的には同じ意味だが、12個のものを二人で分けたと考えたときにわざわざ前者の立式をするのは思考の順に反しているし、立式の手間も計算の手間も増える。後者を考える方が自然だろう。現実の人間の思考に順番があるのに、数学的に交換可能だから順番は無意味だという主張があるとすれば現実の人間というものを無視している。

 子どもの概念形成は現実、身近なことからスタートするのは当然だ。

 **

 おそらく、足し算に順序を強調することに意味があるとは思わないが(授業研究レベルではそう言う考えの基に実践している例があるらしいが、過剰な法則化の危惧を抱く)、掛け算では概念をはぐぐむ段階では立式の際の順序を考えることは必要に思う。

 概念は少しずつ拡張するのが常道だろう。最初から何もかもは無理だ。

 交換法則は後に学ぶ。生徒の理解に応じてそれをはやく扱っても構わないが、掛け算を理解していない段階でどっちでもOKと言っていては、概念ではなく単に手続きを教え込むことにならないのだろうか。もしそうならないうまいやりかたがあるのなら、是非広めるべきだ。

 まあこのあたりは今始まった議論ではなく長い歴史がある。自分はあえて参加したいとは思わない。なので感想を述べるにとどめる。

 掛け算の概念を身につけ、さらに交換法則を理解している者に、何の条件もつけずに順序を強制するのはおかしいとだけ言っておく。これはすべての人に共有できるだろう。
 これが現場で行われているかどうかだけが問題だと思っている。

 **

 人間、意味が分からない、自分にあてはまらない批判を知らない人間からされても、「なんのこっちゃ?」で終わってしまう。今回も全くの外野から訳の分からない人格攻撃みたいなツイートが投げられたが、まさに「なんのこっちゃ?」である。

 自分にあてはまらないことを言われているなら相手しなければいい。おそらくそう言う相手とは理解し合うことは困難だ。ツイッターなら関わり合いになりたくない場合通知を止める方法やブロックという手段もある。いきなり自分宛てに罵倒するようなツイートが来たら即ブロックでも構わない。自分宛てでなければ無視すればいい。

 件の数学者は私がフォローしている人がリツイートすることがあるので、関わり合いになりたくないから通知を禁止した。おかしなものが目に入るから、それを指摘したくなる。最初から目に入れなければいい。

 また、ツイッターは基本的に情報収集に使っているので、自分のアクションに絡む通知はすべてオフにした。

 そして、ツイッターで余計な発言をすると、変なトラブルに巻き込まれがちなので今後発言は慎もうと思う。

 最近はリツイートの必要もないのではないかと思い始めている。なにしろ情報収集用の自分アカウントにフォロワーはないに等しいのだから。

 記録のために「いいね」を押すぐらいだろう。


関連エントリー

https://minkara.carview.co.jp/userid/441462/blog/37253505/



追記:

 算数掛け算問題の関連エントリーの中で紹介させて頂いたわさっきさんから、記事に対する突っ込みや補足等々を頂いたので、本件に関心をお持ちの方は是非ご覧頂きたい。

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20160201/1454277814

Posted at 2016/01/30 08:51:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2016年01月29日 イイね!

請求書のフォーマット【一部改訂】


 とある数学者の方が、ネット上で話題になっている

小学校算数のかけ算順序強制問題

(たとえば日本語の順のように単価×数量になってないと丸にならないとする指導)

について、「この問題に違和感を感じるのはわれわれの生活の中に「かけ算に順番がある」として扱う慣習が無いから」だという。

 「レシートにも決まった形式がないから見てみろ」という。

 これには大変引っかかった。完全な思いこみである。

 一般に、日本語で「100円のものが5個で合計500円」という言い方になじんでいるので、単価×数量という順序は分かりやすい。小遣い帳ではそのように書くことも多いかも知れない。人間の認知は、ストーリー性がある方が高まる。

 一方、請求書等を調べると、大手のものはことごとく

品名 数量 単価 合計額


になっていて、商習慣としてそのように並べることになっているらしい。



 Yahooショッピングのサイトでアピカ、コクヨ、日本法令のものが見つかったのでそれを上に示す。他のメーカーのものは私が見た範囲にはなかった。


 会計ソフト大手 弥生


 常滑市のフォーマット

 makeleaps(領収書等のサービス大手)

 Web上のエクセルのテンプレートでは単価 数量の順もあるが、誰が製作したか分からないもので、一般性がない。個人等の解説では逆のものも見られるが、大手は明らかに数量 単価の順で一般的なフォーマットとしか考えられない。

 明らかに一般的なフォーマットが存在するし、帳簿をつける人間も、フォーマットが決まっている方がいいに決まっている。簿記の世界はフォーマットの世界だ。

 簡易な領収書である機械式レシートも基本はこのフォーマットに準じるが、一つのものは数量単価とも省略、複数のものは数量単価共載せるか、単価を省略して数量 合計額の順。

 以前、レシートをPCに転記していたことがあるが、その時単価×数量の順ではなくその逆か単価省略になっているなと思ったことがあった。

 件の数学者はわれわれの生活の中で掛け算の順序に慣習はないと言ったが、大手の請求書のフォーマットについては立派な慣習だろう。簿記では一般的な順序なのではないだろうか。

 要するに、件の数学者は思いこみで慣習はないと言っているに過ぎなかったようだ。

 人間にとっては当たり前の話で、思考言語の文章の順に沿った立式の方が筋道を考えやすいし、一定のフォーマットがあった方が分かりやすい。

 おそらく文章の順で立式する指導が過剰に法則化され、指導が行き過ぎてしまったのが、小学校算数のかけ算順序強制問題であるのだろう。
 後者は会計効率を考えれば一定のフォーマットにするのは当然だろう。


 現実の世界、実務の世界ではわかりやすさなり効率が優先する。数学的にいくら順序に意味が無いと言ったところで、そんな話を持ちこまれても困惑するだけである。

 小学校の算数指導は、はじめて現実の世界と論理の世界のすりあわせを行うものになるのだろう。まずは分かりやすい形で立式指導するのは当然のことだ。その後に順序は人間にとってのわかりやすさのためであって、数学的には意味が無いと理解すればいい。何しろ、相手は掛け算とは何かもよく理解していないのだ。
 条件に対して手続きだけを教え込んで【掛け算教育】というわけにも行かない。意味理解があってはじめて目的を達する。子どもが理解しやすい文章から立式すると言うことが必要になる。

 面積の求め方には本来順番性はないが、式を覚えるために順番が使われる。掛け算をマスターした後で面積を扱うと思うので、丸暗記したがる子どもには誤解が無いような指導が必要。面積は順番に意味が無いことが分かりやすい。しかし、掛け算の最初で扱うのは可能かどうか。日常を考えればものを数えるやり方がなじみ深いのだろう。ものを扱う場合、【何倍】という考え方がどうしても必要になる。

 もちろん、交換法則を理解している場合、文章の通りに立式せよという条件がない限り、かけ算に順番を強制するのは明らかに間違っている。そうした指導が実際に行われているのであれば、そこにこそ問題がある。


 かけ算順序強制問題の本質は,数学的には順序に意味は無いと言うことに過ぎないのだが、数学者の発言は現実にも順序に意味が無いと決めつけてしまったところに問題がある。

 本人がレシートを見ろと言うが、会計に関しては明らかに順序に慣習がある。しかし、この指摘についてはコメントがない。

 これを事実ととらえていないのか、あえて都合の悪い事実を見ないのか。

追記:
 その後も現実の計算には教科書にあるような計算の順番はないと明言している。処置なし。
追記ここまで

Posted at 2016/01/29 18:32:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2016年01月29日 イイね!

やっぱりモバイルPCならLet's Noteが至上


 古いLet's Note T5がさすがに古くて遅すぎ、無線が壊れたことを機会にLet's Note NX1の中古を手に入れた。

 新品なら20万円ほどのものが中古では価格がこなれていて、能力的には十分なものがある。

 持ち歩くにはこれを超えるノートPCを知らない。

 軽量・コンパクトで長時間のバッテリー運用ができる。すでに伝統となっている円形のホイールパッドもスクロールを素早くでき、よくできている。

 私は自分ではほとんどThinkPadとLet's Noteしか買ったことがない。

 ThinkPadはほぼ固定で使うことが前提のA4モデルはよいが、持ち運びが前提のB5モデルではLet's Noteに勝る部分が見つけられない。

 逆にA4モデルのLet's Noteを買う理由はないのだが。

 と言うわけで、ThinkPadとLet's Noteを明確に棲み分けさせて、非常に快適にPCを活用できている。


 できれば録音にも軽いLet's Noteを使いたいなあと思いつつ、まだ踏み切れない。それほど使用頻度が高いわけではなく、ほとんど出番がないサブ機のThinkPad T60あたりを録音専用機にしてしまう方がいいのだろうなあとも考えている。

 もっとも、録音は、最近はZoomなどの録音専用機のほうが便利かもしれないのだが。

Posted at 2016/01/29 11:56:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | PC/UMPC/Smart Phone | 日記

プロフィール

「梅雨、日本周辺にしかない独特の気候なのだ。おかげで日本人は紫外線の影響を受けにくくなっているし。悪いことばかりではない。」
何シテル?   06/15 10:04
愛車 黄色いピアッツァのHP http://piazza.ciao.jp/piazza_web/index.html ↑プロバイダーを変更して再開! ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2016/1 >>

      1 2
34 5 6 7 89
10 11 1213 1415 16
17 18 19 2021 22 23
24 25 2627 28 29 30
31      

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

YUHの気ままなままに 
カテゴリ:ブログ
2018/01/31 06:12:14
 
常識はずれのPIAZZA達の隠れ家 
カテゴリ:Piazza
2012/11/17 07:31:43
 
須関裕子のブログ 
カテゴリ:Music
2011/02/26 18:38:37
 

愛車一覧

スバル アルシオーネSVX スバル アルシオーネSVX
 はじめてのSVXは追突事故によって、わずか1年半で乗り換えることになってしまいました。 ...
いすゞ ピアッツァ いすゞ ピアッツァ
 社会人になりはじめて手に入れた車です。 PIAZZA XE Handling by L ...
BMW 3シリーズ セダン BMW 3シリーズ セダン
実家最後(予定)の車。 私がメンテナンスしてます。 →私が相続し維持することにしました ...
その他 その他 その他 その他
写真の置き場です。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation