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Yuh_Fazioliのブログ一覧

2025年09月21日 イイね!

幕張新都心に早稲田大学が来なかったわけ

 私の居住地である千葉市の幕張新都心は、昭和40年代に埋め立てられた湾岸地区のうち、幕張エリア(海浜ニュータウン幕張A地区)が住宅地から商業地区を含む副都心としての開発に変更されていった中で造成された住宅地区である。

 幕張新都心は商業地区と住宅地区の他に、文教地区が設定され、県立幕張三校を皮切りに、放送大学などいくつかの学校が開校・開学していった。

1980 幕張三校③
1981 衛生短大②
1983 渋谷幕張高等学校・昭和学院秀英高等学校①
1984 若葉看護②
1985 放送大学②
1987 神田外語大①
1996 幕張総合高校③
(丸文字の数字はそれぞれ若葉地区の丁目に対応)

 この文教地区に、早稲田大学を誘致していたという話を聞いていたが、結局それは実現せず、バブル崩壊と都心回帰志向、少子化などの条件もあり、文教地区としての整備が困難となり、住宅用地への転換を図ったのだ。

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 それが現在の若葉住宅地区で、次々とタワマンが建ち、私が住む幕張ベイタウンの高さ規制を超える高さであるため、京葉線の線路を挟んで幕張ベイタウンを見下ろす状況になっている。足下には幕張ベイタウンのテナント群では実現できない商業施設があり、併せて整備されている商業区画にはスーパーや外食店、100均なども入っている為、ベイタウン住民も利用している。
 だが、この地区に限らずタワマンは将来の修繕が充分行い続けられるかに疑問があり、やがてスラム化する怖れもある。その点では、中層を中心とし、景観でブランドを形成している幕張ベイタウンとは異なる。

***

 話を戻し早稲田大学の誘致だが、失敗した跡地に渋谷幕張高等学校と昭和秀英高等学校(共に若葉1丁目)ができたという説が一部では唱えられていた。この説は主に同校出身者の間で語り継がれている様子がある。

 一方、住宅地に転用された若葉三丁目が早稲田大学を誘致していた場所だとベイタウン住民は聞いている。上の地図が掲載されている日経の記事にもそのような記述がある。

 誘致失敗前からある幕張三校が同じ地区の別区画に幕張総合高校として統合されたためその跡地がアジア経済研究所、インターナショナルスクールになり、同じ区画の南側は何故か学校でも研究施設でもないちょっと経路の違うJA共済研修施設(共済の事業内容に関する研修をしているらしい)が建っている。バブル崩壊後購入希望が少ない中、手をあげてもらえただけでもありがたかったのだろう。研究施設らしくアジ研図書館は一般に公開されているがJA施設は一般と接点がない。
 私も、これら以外の若葉三丁目の空き地が早稲田大学誘致を目指していた土地と考えていた。

***

 現在ネットにある資料を紐解くと、いくらかのことが分かってくる。

① 神田外語大学の記事 

 この記事中では元々幕張の地に神田外語学院が外国語大学の開設を目指してたが、千葉県が早稲田大学を誘致していたため相手にされず、誘致失敗後の83年に購入に至った経緯が書かれている。
 この記事では若葉1丁目に誘致していたかのような書かれようになっていて、81年に渋谷教育学園幕張高等学校が若葉1丁目の高等学校用地の募集に応じたことが知られており、それ以前から1丁目には進学校を誘致する計画があったと考えられるので、この地が早稲田大誘致の対象だったとは考えにくい。
 また、神田外語大学の敷地(約138,000 m2)は渋幕秀英をあわせた程度の大きさであるが、早稲田大学の拡張に使うにしてはやや狭いとも考えられる。
 参考までに、早稲田大学の所沢キャンパスは367,634 m2である。

② 早稲田側の動きに関する論文

存在しない大学史
-早稲田大学における幻の学部構想-
山 本 一 生
 これによれば、早稲田大学村井総長時代にキャンパス拡張が計画された。候補地はいくつかあったが最有力として海浜ニュータウン幕張A地区(現在の幕張新都心)が想定され、海洋学部と生涯学習関連施設、医学部関係施設を展開する計画が立てられていたらしい。
 しかし、理事会を経た成案ではなかったため、村井が2期目を終えた後に計画が大幅に書き換えられ、80年11月には所沢に新たなキャンパスを作る計画が発表された。この中で本庄に予定していた農学部と幕張に予定していた海洋学部の計画は消え、これでそれまで進行していた千葉県の早稲田誘致が正式に失敗したわけである。計画の大幅変更に異を唱えようとも相手にされずにいた村井は、所沢の決定を報道で知ったという。

 幕張ではなく所沢になった理由には「都の西北」であるからという冗談みたいなものも聞かれるが、関係者の本音としても一段下にみている東京の東側に行くぐらいなら既に関係がある埼玉で都の西北の所沢の方がいいと言うことはあったかもしれない。

 実質の理由としては、西武グループから所有の土地の提供を申し出られたためらしい。永続的に鉄道収入が期待できる西武グループとしてのメリットは大きなものがあるのだろう。村井以降の理事会が計画を大幅変更し突如それまでになかった所沢に決めているので、何らかの裏の動きが理事会と西武グループの間にあったのは想像に難くない。それは県企業庁+JR東日本からは得えられないメリットを含んでいたかも知れない。こうして所沢での反対運動を乗り越えてまで、積極的誘致をしていた幕張を蹴ったのである。

 同論文の中では、幕張地区のその後として、海洋学部候補地に渋幕・秀英が開校したと書かれている。神田外語大学が候補地に建てられたとは書かれておらず、別の扱いとなっている。これは神田外語大学側の記述と整合しない。
 わざわざ渋幕開校を取りあげたのは渋幕はその後シンガポール校を設立し2002年に早稲田の係属校になったことから、早稲田と幕張つながりのネタとして取りあげたに過ぎないようだ。このため、私学2校の土地=海洋学部候補地と捉えるのは早計だろう。

 そもそも、著者は千葉県企業庁の資料は一切見ておらず、早稲田側の資料のみ参照している。2019年に書かれた論文であるのに、80年の幕張三校、95年の幕張総合高校、99年のアジア経済研究所、09年の幕張インターナショナルスクールの存在には一切触れていない。おそらく若葉3丁目の存在を知らなかったのだろう。文教地区で誘致できる空き地は1丁目だけと思いこんでいた可能性がある。


③ 誘致は若葉のどこだったのか

 若葉2丁目は衛生短大、若葉看護、放送大学が誘致失敗に先行しているので候補ではない。
 残る1丁目と3丁目だが、正式失敗の80年の翌年に県は2校分の敷地を私立高等学校誘致をして渋幕(81年4月)・秀英が応じているが、開校が83年である。たったの2年で設計・建築を終え学校としての体面をととのえ開校することができるのだろうか。ヒラの専任教員の募集に1年はかかる。それ以前に学校としてのシステム作りをスタートしていないとならない。実務だけなら開校発表から2年で開校できるらしいが、それは事前の準備あってこそだ。水面下では81年より以前に計画は始まっていたものと考えた方が自然だ。

 一方、県は海浜幕張駅前を通るメインストリート、国際大通り沿いから整備を進めていた様子が有り、先行して始まった文教地区では前述の通り若葉2丁目の衛生短大等から開学・開校が進んでいる。放送大学の予算通過は78年なので、2丁目は明確に早稲田誘致とは別に進んでいたのは間違いない。それに並行する形で早稲田大誘致も1丁目から進めていた可能性が充分あり、既に私立高校の計画を進めていたなら神田外語の地が海洋学部の誘致地であった可能性は否定できない。
 しかし、県立の幕張高校を公園をはさんだ3丁目に既に開校しており、こちらには広大な土地があったため、県としてはどちらでもよかったはずだ。
 幕張に医学部設置と関連して病院を作り、生涯学習施設をととのえる計画であったので、1丁目と3丁目のどちらかと言うことであれば3丁目であった可能性が高くなる。
 両方にまたがる可能性もあるが、一つにまとめるのが普通だろう。

 これ以上の資料がないのではっきりしないのだが、おそらく70年代から始まっていた早稲田誘致を最優先し、場所については若葉の何処かというざっくりしたものであったのかも知れない。
 神田外語が購入希望を出しても認めなかったのは、早稲田の件が決着していなかったためらしいが、渋幕・秀英開校の83年にずれ込んだのは、誘致失敗後に即1丁目の計画を大幅変更したにしてはずいぶん遅い。このことからも、私立高校2校の計画は事前に進んでいたのではないかと考えられ、早稲田のためにリザーブしていたいくつかの土地の売却先については改めて計画を練り直したのではないかと考えられる。早稲田決定前に神田外語に好きな土地を取らせるわけには行かなかっただろうことは想像に難くない。

 なお、渋谷教育学園の本家に当たる学校法人は、規模は大きいが上位進学校を擁するものではない。昭和学院も歴史はあるが千葉の中堅に過ぎない。
有力な進学校が千葉市周辺にはあまりない中、国際都市を目指す幕張の地に国際性のある確実な進学校を作りたかったはずだ。県学事課と密接な昭和学院はともかく、経営実態のない他地域の学校法人の人間が手をあげて即決定にはなるとも思えない。80年以前から私立高校を設置する計画を進めていたとしか思えない。

 現神田外語の土地が海洋学部候補地だったとして、誘致失敗後公式に募集を始めたかもしれないが、以前から手をあげていた法人に売却するまでに2〜3年かかっているのはいかにも遅い。
 専門学校の神田外語学院が外語大学を作るという一種の冒険に、県はすぐに応じかねたため時間がかかった可能性はある。他の候補をみてからと考えた可能性は否定できない。
 しかし、高校設置にも慎重であるはずであるので、高校は事前に話が進んでいたし、神田外語の土地が海洋学部誘致対象で、失敗後方向転換したと考えた方が不自然ではない。

 
 千葉県の資料を探してみないと分からないのではあるが、その後の記事や状況から考えると、早稲田を誘致していたのは若葉1丁目と3丁目のどこかであり、具体的にはここと決められる状況ではなかったのではないかと思われる。
 と言うのは、住宅地区に転用されるにあたり早稲田誘致がうまく行かなかったことが取りあげられ、日経の記事にすらなっていることで、3丁目も候補だったことが疑われるのだ。
 もし、明確に場所が決まっていたのであれば、県企業庁は神田外語にもっと早く売っていたはずなのだ。早稲田誘致がかなり有力になっていたものの、具体的な段階になく、規模も決まらない中で、切り売りができない状態にあったのだろうと推察される。

 そんなことで、私は、既に計画が進んでいた若葉2丁目以外の文教地区で、県立幕張三校(幕張東・北・西)と私立2校分の用地以外の土地が対象になっていたのだろうと考えている。


 
Posted at 2025/09/21 16:32:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都市開発 | 日記
2025年09月08日 イイね!

ポッキリ小指の写真【追記あり】

 先日、総合病院の整形外科を紹介されて行ったときに保たされたレントゲン写真のデータ。

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7/26


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9/5


 小指の骨がポッキリだが、これが離れてしまっていると。

 で、CTでよく見てもらえという話だったのだが、総合病院の医師は「様子見でいいんじゃないか」と。

 まだ腫れているが痛みがあるわけでなし。

 明後日、CTと血液検査の結果をみて何かしらの判断がある。



追記;
 写真を合成して分かったが、レントゲンでは離れているように見えるが、骨折部を挟んで骨の位置関係は変わっていない。そのままくっついているようなのだ。

 ただし、何故間が黒く写っているのかが問題。
 この辺りはCTで分かることがあるだろう。


追記:
 CTと血液検査の結果を踏まえた今後の対応を機器に総合病院に行ってきた。

 CTやレントゲンを見た医師は、骨欠損であるので手術を要すると考えていたそうだが、痛みがないと聞くと、骨がつながる可能性がまだあるので1ヶ月様子見にしようとのこと。

 手術というのは基本的に人体に傷を付ける行為であるので、可能なら避けるべきである。なので、現状では妥当な判断であるはずだ。




追記 2025/09/21
 小指の腫れが引いて、小指はしっかりしている。
 総合病院に行って時点でも小指はくっついていた。
 骨欠損は一体何だったのだろう。
Posted at 2025/09/08 23:14:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2025年09月08日 イイね!

ノーリツ給湯器 562エラー その後

 実家のセミオート給湯器は10年を超えて稼働しているが、ここ数年、時々「ふろ自動」で風呂を沸かすと、562エラーを発して止まることがおきていた。

 このエラーはお湯をバスタブに送出できていない際のエラーだが、取水側のつまりでも起こる。要は、湯の流れを検出するセンサーが流れを検出できないと発せられるエラーであるらしい。
 そのため、センサー自体のトラブルである可能性もある訳だ。

***

 実家では、このエラーは必ず起きるわけではなく、続けて起きることもあれば、全くおきないこともある。実に気まぐれに発生している。

 フィルターの詰まりはなく、センサー自体も動いていることを確認している。
 

 こうなると、何かの理由で時々センサーが流れを検知できなくなるとしか考えられない。
 その理由の一つである電気的接触不良はなさそうだ。

 今日は母がデイサービスに行っている間に風呂場のカビ掃除をしていた。
 その時ついでに釜へのお湯の通路も掃除してみたのだが、結構うろうろが出てくる。

 ああ、こいつが犯人か、と思った。

 センサーは水車式で回転することで流れを検知する。

 562エラーが起きる系統は、バスタブへの注湯系統だ。フレッシュなお湯が通る系統であるが、バスタブのお湯がつながっている系統でもある。

 ということは、しばらく注湯動作をやっていない場合、汚れがたまりやすい場所でもあるのだ。

 実家の場合、お湯を張ったまま何日も放置することがほとんどで、特に私が実家に泊まることが多くなるまでは、何日も風呂を沸かさないまま放置されていた。
 そうなると、この系統にかなり汚れがたまりやすかったはずだ。先ほど出てきたうろうろがたまっていても不思議ない。

 これが注湯水量センサーの水車に絡んで動きを悪くしてしまうと、十分な湯がでていないとしてエラーになるだろう。

 私が本格的に実家生活をするようになってからは、エラーを見ていない。
 私が比較的高頻度で風呂を沸かすから、センサーが綺麗に保たれやすいのだろう。


 こう考えることで、気まぐれな562エラーの発生理由が分かったような気がする。


 お湯を張ったまま、お風呂をたまにしか湧かさないでいると、562エラーが発生しますよ?!



 ちなみに、自宅のパーパス製フルオート給湯器はお湯を落とす度にフロ沸かし系統に水を流して洗浄する機能がある。これなら562エラーは起こりにくそうだ。






追記:
 ネットのガス屋の解説で、注湯水量センサーと注湯弁の区別がついていないのがあって、注湯弁(センサー)とか書いてある。もしかしたら一体化させた部品が存在するのかもしれないが、普通、弁は弁、センサーはセンサーだ。
 562エラー発生時の対応に、故障部品として電磁弁と注湯水量センサーが併記されているので、混同している可能性が高そうだ。
 
Posted at 2025/09/08 18:05:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 修理・レストア | 日記
2025年09月08日 イイね!

世代的な問題? 個人的な問題?

 母の面倒を見ていると、いろいろ気になることがある。

 例えば、食事。

 量を減らしても残すことが多い。
 特に1月に退院してからは全く動こうとしないので食事の量が減るのも当然だろう。

 ところが、残したものを後で食べることは絶対にしないのだ。

 食器を台所に下げてもそのままキッチンの上に放置してしまう。

 やがて腐ったりかびが生えたりすると、それを理由に捨てる。

 ラップをして冷蔵庫に入れるように言ってもなかなかやらないし、入れたらそれは彼女にとってなくなったと同義らしい。
 しょっちゅう食べ物を探して冷蔵庫を開けているが、食べ残したものには決して手をつけない。そのまま痛んで食べられなくなる。結果捨てるだけだ。

 この状況に気付いて、極力早期に冷蔵庫にしまい、できるだけ料理の中で使用して消費するか、私が食べて始末している。

***

 そもそも、母の食事あとはとても汚い。
 ご飯粒だらけ、食べ物の残りだらけ。皿や椀だけでなく、箸やスプーン、フォークも汚い。綺麗に食べるという意識がまるでない。

 母の母、私の祖母は食べ物をとても大切に扱った。明治生まれで厳しい時代を生きてきた人だから、無駄なことを嫌う。「食べ物を残すと目が潰れるでえ」というのが口癖のようだった。
 母も戦前生まれだが、1940年なので、戦中の記憶はあまりないらしい。空襲の中、祖母に手を引かれて逃げ回ったのは鮮明に覚えているそうだが。
 高度成長の中でどんどん豊かになってそれを謳歌し、無駄を当たり前に捉えてしまっているのかもしれない。
 そもそもが年の離れた末子で、父母兄2人に溺愛されて育ち、わがままな性分に育っているので、今もそれが明確に現れている。その一つとして食べ物を大切にしない。


 ところが、デイサービスなどではいつも完食しているらしいのだ。

 外面の良さは健在で、家ではわがまま放題にしているわけだ。

 わがまま放題で何もしないでいるから、どんどん体が弱り、認知症が進行しているし、その因果関係については何年も前から口が酸っぱくなるほど言ってきているが全く気にせず、どんどん衰え続けている。自分で自分を積極的に衰えさせているのだ。
 正直バカなんじゃないかと思う。

 複数の所から処方される毎食ごとの薬は、私がケースに集めて入れて飲みやすくしてある。
 その薬入れが視野にあっても目に入れないので自分からは飲まない。そのケースの上にものを積み重ねたりを平気でする。
 ビタミン剤は馬鹿にして飲まない。何故処方されているのか分からなかったが葛根湯が処方され続けていたものの、全く飲んでいなかった。
 以前から薬の選り好みは激しかったようで、母の部屋には大量の薬が残されていた。机の上にのみ残された錠剤が大量に転がっていた。その母が父の薬の選り好み(友人の入れ知恵で飲まない方がいいなどと言われてより分けていた)を非難していたのだからどうなっているのやら。

 母はいつも都合の悪いことからはひたすら逃げ続けている。わがままを言うのは自分の特権とでも思っているようだ。
 実際、自分が退院後何もしようとしていないことの自覚がある。
 (高齢者アパシーで)やる気がしないといっているが、一方でやりたくない意識が大変に強いことが見て取れる。かなり前から入院する度に詐病で引き伸ばしたりすることが多く、昨年の2回の入院でも退院後は何もしないで済むように施設に入るつもりになっていた。
 ずっと自分のことを自分でやることから逃げ回り続けてきたのである。

***

 父は、食べ物はあまり残さなかった。母より少し上で疎開経験があり、貧しい家庭かつ戦中戦後のの苦しい時代に大変な思いをしたのをよく覚えているからなのか、あまり食べ物を無駄にはしなかった。
 育った時代や環境の違いの影響は大きそうだ。

***

 私は母に、出されたものは残してはいけない言われ続けて育った。
 キャベツの千切りと称する極めて食べにくいキャベツの細切れを、ドレッシングも何もなく出されて食べさせられ、何か付けるものといってもマヨネーズぐらいしかなく、マヨネーズをかけるとマヨネーズに細切れがくっついてマヨネーズのキャベツの細切れまぶしになるので、とてもおいしくなく食べにくい。それを無理矢理口に放り込んでいつまでも口に残って飲み込めない。
 そんな地獄のような食事をさせられ続けた。野菜を食べるのが苦痛でしかなかった。

 大学生・社会人になり、外で食事をするようになると、野菜は食べやすくおいしいものだと認識した。家で食べていたものは何だったのだろう。

 ほんの一時期母がイタリア風味のサラダドレッシングを自作していたことがあるが、それをかけた野菜さらだはおいしかった。しかし母はすぐ自作に飽きて、自分は和風ドレッシングや青じそドレッシングばかり買ってきて食べていた。私はそれらが苦手だったので、あいかわらず細切れのキャベツがまとわりついたマヨネーズと格闘するしかなかった。


 また、母はおでんというものを知らなかったのか、おでんを作るというと、コンブでだしを取り、大根、こんにゃく、ちくわを入れて醤油で煮たものを出してきた(テーブルにコンロを出して土鍋で作る)。
 大根が苦くて、ほかは醤油の味しかせず、とてもまずかった。だから、私は【おでん】というものが大嫌いだった。

 大学を卒業してから研究室の人に誘われて、彼が祖父母が住んでいた家の維持のために住んでいる館山の古民家に行った。そこでおでんを皆で作って食べたのだが、恐る恐る口にしたおでんは驚くほどおいしかった。おでんというのはこんなにおいしいものだったのだと初めて知った。具も餅やはんぺんやちくわぶなど、母が作るものでは見たことがないものが入っていて、大いに驚いた。ちくわぶが大きくなっていく過程を始めて見た。


 母の作るものと態度が、私を野菜から遠ざけていたし、おでんを嫌いなものにカテゴライズさせていたわけだ。

 食べ物は残してはならないという強いしつけのせいで、親戚の家に泊まったときには出されたものをすべて残らず平らげて腹痛で苦しみ、親戚を困惑させたりしていた。

 今も食べ物をほとんど残すことはなく、皿もなめたように綺麗にしている(自宅では実際になめるので残飯はほとんど出ないし、皿洗いも手間がかからない)。

***

 そこまでさせた本人である母が、食事あとが汚く、平気で食べ物を残すのがちょっと許せない。時間と手間をかけて作ったものも平気で残し、腐るまで放置するのだからやってられない。

 最近は認知症で、空腹でなくても空腹と感じ、食べ物を探して歩く。
 カップラーメンなど買ってあると、すぐお湯を入れて暫くつつくとテーブルやキッチンに放置。実際は腹が減っていないので、食べられない。
 暫くするとまた腹が減ったと言ってカップラーメンにお湯を注ぎ、暫くつつくとまた放置する。気付くといくつものカップラーメンがキッチンに並んでいる状態になってたりする。

 のびたラーメンなど食べたくないのはわからないでもないが、残したものを食べることは一切考えず捨てることしか考えないので、ひたすら無駄にカップラーメンが消費されていく。
 もったいないので残された伸びたカップラーメンを私が食べているのだが。

 ケアマネさんから、食事を宅配でとることを提案されたが、つついては捨てるを繰り返しているとつたえると、宅配はやめた方がいいということになった。

***

 母は庭に出ると、庭の大葉、山椒の葉や実を摘んでくる。
 時期になると柚子がなるがそれもよく採ってきていた。

 しかし、それらのものはほとんど無駄にされる。
 大葉はそのまま放置されてしなびてゴミ箱行き。
 今も山椒の実がキッチンの上に放置されている。


 昔から、山椒の実や柚子を採ってきてはチャック付きのビニールバッグに入れ冷凍庫に放り込まれてそのままにされてきた。冷凍庫にはそうしたビニールバッグが大量にあって冷気が動く隙がなくなっていた。
 母は冷蔵庫や冷凍庫の管理をしないので、何が入っているかなど全く念頭になく、新たな物を次々と詰め込んできた。常に冷蔵庫はどこもギチギチに詰め込まれていた。

 山椒の葉は冷や奴に使ったりしていたことがあったし、柚子は皮を雑煮に入れたりはしていたが、他では使っていた記憶がない。
 無計画に目についたものをとってきてはゴミ箱か冷凍庫行きになって無駄にされるのだ。
 先日も大量の冷凍柚子を捨てた。冷蔵庫でグズグズになった柚子も捨てた。
 今もいつ入れたか分からない冷凍バナナが冷凍庫にいくつか転がっている。

 昔からこの調子で、それが今も繰り返されている。

 先日は私が育てているミニトマトをとってきて、あげくに生ゴミとして捨てていた。

***

 元々食べ物を粗末にする母が、認知症でますますひどくなっている。

 その母に絶対に食べ物を残さないようにしつけられた自分は、ひたすらイライラするのだ。

Posted at 2025/09/08 08:16:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2025年09月07日 イイね!

ソーラー発電に寄生するかな?

 自宅にいないこともあるが、多くのLiFePO4バッテリーとインバーターを導入したおかげで、ポータブル電源が余っている。

 実家は電気自体がソーラーによるものなので、効率は悪いがポタ電をコンセントから充電してもソーラー由来の電気ということになる。

 今余らしているLiFePO4バッテリーも同様だ。

 充電さえしておけば、緊急時の電源確保に貢献することになる。

 充電電源はソーラーパネルから取らないといけない気になっていたが、何が何でもというわけではないと思うと、少し気が楽になり、応用範囲を広げられる気になる。

 特にポタ電は持ち運べる電源として有用なので、本来の使い方ができるというものだ。

Posted at 2025/09/07 13:46:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ソーラー発電 | 日記

プロフィール

「梅雨、日本周辺にしかない独特の気候なのだ。おかげで日本人は紫外線の影響を受けにくくなっているし。悪いことばかりではない。」
何シテル?   06/15 10:04
愛車 黄色いピアッツァのHP http://piazza.ciao.jp/piazza_web/index.html ↑プロバイダーを変更して再開! ...
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