今日は、岡崎市明見町に残る旧宮崎街道明見坂を歩いてきました。
やって来たのは岡崎市淡渕町にある「男川やな」からやや東のとある場所。
ここが県道37号と旧宮崎街道明見坂の分岐点になります。
県道からちょっと段差を登ると薮の中に道標があります。
「西尾」とか「須田町」とか読み取れます。この面は道標の寄進者が彫られているみたいです。
県道との接続部分は薮が濃いですが、すぐに道跡が明瞭に見えるようになります。
わかりにくいですが、ここは道の分岐点になってます。
右へカーブしていく道跡が明治時代に新たに造られた車道の峠道。正面の道跡は車道開削以前の旧宮崎街道の峠道です。
車道跡をさらに奥へと進んでいきます。
岩壁を削って造られた区間は大きな落石が目立ちます。
険しい地形に石垣を組んで道幅を確保している所が繰り返し現れます。
ようやく峠の切通しが見えてきました。
この場所の右手に車道峠道の開通記念碑が立っています。
「宮崎街道之碑」
碑文を読むと峠の東方にある宮崎地区がこの峠道を開削するに至った経緯を知ることができます。開通は明治25年とあります。
峠の切通しを通り抜けます。
切通しは岩盤を10m以上の深さで掘り込まれており、ここまで歩いてきた区間を含め、車道開削が相当の難工事だったのではないかと想像させます。
峠を越えるとひどい薮になり、道跡を進むのは困難になります
廃道跡を避けて、真下に並行する舗装道へと一気に下り、県道37号の合流地点へと出てきました。
合流地点に残る本宮山道標。
県道37号宮崎橋。昭和4年6月改築とあります。
現県道である「男川やな」から宮崎橋までの川沿いルートは大正年間には開通したようなので、多くの労力と費用を掛けて開削された明見坂の峠道は、20~30年程度でその役目を終えてしまったようです。
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旧宮崎街道明見坂 | 日記
Posted at
2017/07/22 21:07:50