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調布市のKAZのブログ一覧

2005年06月19日 イイね!

スバルマーク(六連星)の ひみつ

スバルマーク(六連星)の ひみつスバルマーク(六連星)の生い立ちに関する話題。

企業のCI(Corporate Identity)が叫ばれるようになって久しいが、富士重工業(株)は昭和33年に初めて自動車を世に送り出した当初から、エンブレムとして スバルマーク(六連星) を採用してきた。六連星は 「むつらぼし」 と読み、枕草子 にも出てきた由緒ある 純日本語 であることは、多くのスバリストに知られているであろう。

市販車(量産車)で初めて「スバル」という名称が用いられたのは、当時の国民車構想に則って開発された スバル360 (1958年(昭和33年)発売)であった。だが、実はそれをさかのぼること3~4年、1954~1955年に完成していた試作車P-1に、当時の富士重工業(株)の社長・北氏が「すばる1500」と命名したのが始まりであるとされている。

手元の資料によると、試作車P-1(すばる1500)はモノコックボディを採用し(注:当時の国産車はトラックのシャシをベースとしており、モノコック構造自体が希有)、ウィッシュボーンタイプの独立懸架、複動式オイルダンパーなど当時の先端技術を駆使して製作された。しかし、当時の企業体力や市場規模などを総合的に勘案した結果、ついに市販化されるに至らなかったことから、関係者の間では幻の名車と呼ばれている。約20台が製作され、その一部が耐久試験車として市内のタクシー会社に渡ったようであるが、詳細は不明とされている。今なお現存するP-1(すばる1500)については、矢島工場内の 「ビジターセンター」 で見ることができる。

少々話がそれてしまったが、スバルマーク(六連星)の話題に戻ろう。

スバルマーク(六連星)の策定にあたっては、実は東京都三鷹市の 東京大学東京天文台 (現:国立天文台)の協力を得て実現したものだという。つまり、こういうことだ。当時の新生・富士重工業(株)は、富士重工業・富士工業・富士自動車工業・大宮富士工業・宇都宮車輌・東京富士産業の 6社が統合 したばかりであり、後の大成成就を願っていた。そこで、存続会社である富士重工業を中心とし、残りの5社がその周りを取り囲むような意匠のマークを作ることになった。それには、すばる星団(プレアデス)の六連星 をモチーフにするのが最適だ。ひときわ明るく輝くアルキオネ(存続会社の富士重工業)を中心に、残り5つの星を他の統合会社に見立てると良い。

・・・ということで、実際の星の配置を可能な限り模してみよう、ということになり、富士重工業(株)・三鷹製作所(現:東京事業所)の担当者が東京大学東京天文台(現:国立天文台)を訪れ、天文学的なアドバイスを受けてデザインを完成させた。つまり、スバルマーク(六連星)は、富士重工業(株)と東京天文台の 合作 だったというのである。

<~スバルマーク(六連星)の内訳~>
◎存続会社:富士重工業を表す星
  (1).おうし座25星(アルキオネ)
◎統合会社:富士工業・富士自動車工業・大宮富士工業・宇都宮車輌・東京富士産業を表す星
  (2).おうし座17星(エレクトラ)
  (3).おうし座19星(タイゲタ)
  (4).おうし座20星(マイア)
  (5).おうし座23星(メローペ)
  (6).おうし座27星(アトラス)
※上記(1)~(6)は、左上の画像内で示される(1)~(6)に一致します。

スバルマーク(六連星)のデザインひとつを取っても、わざわざ 天文学的な根拠 を求め、その成果の上で成り立っていたのだ。クルマ造り以外でも、富士重工業(株)という会社は真面目だったということを表すエピソードだと言えよう。余談だが、アルキオネは後に登場するアルシオーネ、マイアはレオーネのお買い特グレード名で使用された実績がある(アトラスは日産自動車のトラック名になっているが)。

ところでこのスバルマーク(六連星)は、一時期「ダサい」「過去の古くさいイメージを引きずっている」などの理由で 廃された ことがあった。しかし、CI活動の高まりの中で、数年前にリニューアルされて見事に復活を遂げている。また、復活に当たっては、車種によって微妙に大きさなどの造形や背景色が変えられるなど、意外にコストのかかる手の込んだ造りとなっている。先日マイナーチェンジしたばかりのインプレッサ(GD系の年改Fタイプ)のリヤトランクにも、新たに採用されている。

いつの時代にも、スバルマーク(六連星)の存在には 賛否両論 が渦巻いているが、富士重工業(株)製のどの車種にも 共通に採用 する(or していく)ような 確固たる一貫性 があれば、むしろ企業姿勢として歓迎されるべきではないか?と考える。企業が、スバルマーク(六連星)の名にかけて、自信 をもってその製品を 世に送り出す のだ、という 姿勢の現れ として。エンブレムには、企業がその製品を熟成できたと判断できないときには採用されない・・・というくらいの 重み があっても良いのではないか? 個人的には、航空機をイメージしたというフロントマスク(例のスプレッドグリル、通称:ブタ鼻)でムリヤリCIを図るよりも、デザイン的・機能的な制約が少ないぶん、スバルマーク(六連星)の方に力を注いでも良いのでは?と思っている。
2005年06月18日 イイね!

[廃盤] いまここに(レオーネハードトップのうた)

[廃盤] いまここに(レオーネハードトップのうた)廃盤レコードジャケットの話・その3。
何だかマニアックなネタが連日続いて
おりますが、ご容赦願います。m(_ _)m

(参考)
その1 → 「スバ・スバ・スバル(スバル360のうた)」
その2 → 「どこから来たのか おまえと俺(レオーネのうた)」

レオーネのCMソングが、当時のヒット曲歌手・尾崎紀世彦氏の唄によって完成したのは、2005年6月17日付けのブログで述べた通りである。ところが何と、それには続編(第二弾)があったのだ。左上の画像は、そのCMソング第二弾:「いまここに」なるレコードのジャケットである。クーペでデビューしたレオーネにハードトップボディが追加されたのを機に、新たに製作されたCMソングだ。この曲は1973年(昭和48年)のリリースで、作詞は本庄一郎氏、作曲は荒川康男氏、唄は尾崎紀世彦氏、となっている。

だがこのレコードジャケットを眺めていると、不思議な点がいくつか湧いてくる。まず、作曲と唄は前回と同じ布陣だが、作詞者は前作から代えられている。単に前作と同じ作詞家がそろわなかったのか、あるいは新風を吹き込むために刷新したのか・・・。当時のことを知らない私には不明である。

次に不思議な点は、当時は絶大な人気を誇ったであろう(注:私は当時のことを直接知らない世代です)尾崎紀世彦氏が唄を担当しているのに、ジャケットの写真には、全然その姿が現れていないことだ。前作、 「どこから来たのか おまえと俺(レオーネのうた)」 では、驚異の(?)もみあげを披露していた氏であるが、今作では名前がクレジットされているだけで、表紙には何だかよく分からない衣装(>失礼!)を身にまとった女性が全面に写し出されているだけである。しかも、主役?のはずのレオーネの姿がどこにも見あたらない。前作では、あれほどまでに 「♪レオ~ネ~、レぇオぉぉ~ネぇ~!!」 と連呼していたにもかかわらず、である。う~ん・・・。これはどうしたことなのだろうか?確かに、あえて製品(or 商品)を全面には打ち出さない、とするCM手法(その最たるものがティザー手法(じらし広告))は存在するのだが・・・。

念のため、後ほど調べてみたところ、この女性は「鰐淵晴子」さんという方であることだけは判明した・・・が、私には(古くて)良くわからなかった(>失礼)。女優さんなのかな? ただ、歌手でないことは確かなようだ。と言うのも、もしもご本人が歌手であったならば、わざわざ尾崎紀世彦氏が唄うことはないですからね。で、この年(1973年)の世相はというと、関門橋が11月に開通し、主なヒット曲には「神田川/かぐや姫さん」「喝采/ちあきなおみさん」、小説では「日本沈没/小松左京氏」、TV番組では「ひらけ!ポンキッキ」、流行語では「ちょっとだけよ/加藤茶氏」があるという。

その一方、富士重工業(株)の歩みに目をやると、この年(昭和48年)の10月には、昭和48年時点ですでに昭和50年排出ガス規制に先取り適合するSEECシステムを発表するなど、環境対策に力をいれていることが分かる。排出ガス規制を 先取り適合 させることは、当時も今も変わらず技術的・コスト的に厳しい、ハードルの高いチャレンジ目標であったはずだ。その他のイベントとしては、12月に何と群馬県太田市の 矢島工場量産第一号車 が完成した、とある。う~む。矢島工場は1973年(昭和48年)から稼働していたのか。とすると、今年(2005年)ですでに30年以上の歴史を持つ工場ということになる。現在はその敷地内に 「ビジターセンター」 が建設され、毎年7万9千人(2004年度・実績値)が見学に訪れるという人気の観光スポットになりつつある。

ところでこの 「ビジターセンター」 の2階には、富士重工業(株)の 環境への取り組み や事故回避のための最新技術、あるいはドライブトレーン(車輌の駆動部)の説明となる骨格モデルが展示されているというから、SEECシステム(後のSEEC-Tシステム)によって業界の主導的立場を執ってきた同社の企業姿勢は、操業開始時から脈々とこの矢島工場でも受け継がれているのだろう。
2005年06月17日 イイね!

[廃盤] どこから来たのか おまえと俺(レオーネのうた)

[廃盤] どこから来たのか おまえと俺(レオーネのうた)廃盤レコードジャケットの話・その2。
(参考:その1 → 「スバ・スバ・スバル(スバル360のうた)」

昨日のブログ 「スバ・スバ・スバル(スバル360のうた)」 に続いて紹介するのは、レオーネのうた である。タイトルはズバリ、「どこから来たのか おまえと俺」である。すでに一部のスバリストのサイトで紹介されているので、大多数の人々は知らなかったとしても、そういうレコードがかつて存在していたことだけは知っている・・・という人は多少はいるはずだ。

この曲のリリースは1971年(昭和46年)。資料(「スバルの40年」、富士重工業(株)発行)によると、この年の主な出来事には、札幌国際冬季スポーツ大会で笠谷選手がジャンプで優勝、角界では横綱大鵬が引退、などがあり、TV番組では「スター誕生」「仮面ライダー」が流行、そしてヒット曲には「よこはまたそがれ/五木ひろし氏」「また逢う日まで(尾崎紀世彦氏)」があるという。

その一方、富士重工業(株)の動きに目を移すと、この年の9月に第13回日本アルペンラリーでスバル1300Gがクラス優勝している。10月には軽自動車のR-2(※1)に水冷エンジンが追加(※2)。また、後に看板車種となるレオーネも、同10月にまずクーペ1400が新登場となっている。その時のCMソングが、左上の画像に示す「どこから来たのか おまえと俺」というわけだ。作詞は伊藤アキラ氏、作曲・編曲は荒川康男氏、そして唄っているのは、すぐ上で述べた通り、当時ヒット曲「また逢う日まで」を飛ばしていた尾崎紀世彦氏であった。
  (※1):現在の軽自動車R2とは異なり、車名にはハイフン [-] が入る。
  (※2):当時の軽自動車は空冷エンジン搭載モデルが多かった。

曲のタイトル:「どこから来たのか おまえと俺」は、泥臭くてベタながらもインパクトのある題名だと思う。ブログ読者の中には、
  ・・・・「どこから来たのか おまえ」までは良いとして、その後に「俺」
      という言葉が続くのは、一体どういうワケだ?どこの世界に、
      自分に向かって「どこから来たのか 俺」と言うヤツがいるの
      だろう?もしかすると、そいつは 記憶喪失 野郎だったのか?・・・
などという感想をお持ちの方もいるかもしれない。が、それについては、「そういう時代背景だったのだ」と理解するのが良いだろう。CMソングには、その製品(or商品)のコンセプトはもちろん、その時代背景が色濃く反映されることがあると思う。

さて、先日私は幸いにも 「どこから来たのか おまえと俺」 を試聴する機会に恵まれた。その歌詞には 「♪レオ~ネ~、レぇオぉぉ~ネぇ~!!」 と力強く 連呼 されるパートがあって、少々驚かされたというのが素直な感想である。確かに商品名を連呼するCMは数多い。自動車業界でも、ホンダが初代シティをデビューさせたとき、市場導入イベントとしてマッドネス(グループ名)の「シティ・イン・シティ(曲名、原題は IN THE CITY)」をCMソングに起用している。画面でナッティダンス(むかでダンス)を披露したマッドネスは、日本でもその後に「OUR HOUSE」という曲がスマッシュヒットしている。

製品名を連呼したおかげかどうかは定かではないが、自動車メーカーの中にあっては規模の小さな富士重工業(株)が発表したレオーネは、徐々に知名度を増していく。また歴代レオーネも、その後にいくつかの技術的な足取りを自動車史上に残している。私の記憶によると、現在ではスポーティモデルには欠かせない「4輪ディスクブレーキシステム」を最初に量産市販車に導入したのはレオーネであったし、もちろん「ツインキャブ+4WD」「ターボAT+4WD」などグレードに応じたきめ細かな4WDシステムを採用したのもレオーネであったと思う。その他にも、日本初(世界初?)の装備:「後席サイドウィンドウ用デフロスター」もあったと記憶している。

今日では、宣伝文句としての「日本初の~」「世界初の~」といった技術アピール競争はまったく陰を潜(ひそ)めたが、4WD(現在ではAWDと表記)に代表されるレオーネの技術的な 開拓精神 は、レガシィ・インプレッサ・フォレスター、そして今後発売される見込みのトライベッカなど、軽自動車を含むすべての富士重工業(株)の車種に脈々と息づいているように思う。2005年現在の富士重工業(株)は、売上高は良好だが収益率が思わしくなく、業績見通しの度重なる 下方修正 を余儀なくされているようであるが、「どこから来たのか おまえと俺」という言葉は、自動車業界における過去と未来の富士重工業(株) そのものの姿 に、そっくりそのまま当てはまるような気がしている。
2005年06月16日 イイね!

[廃盤] スバ・スバ・スバル(スバル360のうた)

[廃盤] スバ・スバ・スバル(スバル360のうた)廃盤レコードジャケットの話。

<まえがき>
ブログ読者から「時事ネタも切り込んで欲しい」とのご意見をいただきました(2005年6月13日付けブログ: スクープ?! 「レガシィに1500追加」の証拠画像 参照)。これについては今後の方向性の一つとして参考にさせていただきますが、自分の視点が他の方々の考えと結果的に同じに落ち着く場合は、私のブログの 独自性 も薄れることになりますので、わざわざ取り上げる気はないです。他の場合については慎重に検討していこうと思います。

ただし、もともと大衆の目に触れやすい一般的な記事 以外 の情報を書いていきたいという考えが根底にあることと、当面は クルマ関係に限定した ブログを続けるという方針があります。特に後者の 方針 については、すでに 2005年5月31日付けのブログ (ブログ月次報告(2005年05月)) にて明言してある通りですので、ご了承くださいませ。

<スバ・スバ・スバル(スバル360のうた)>
国民車構想に則って開発されたスバル360(富士重工業(株)製)については、現在でも様々なメディアに登場しているが、そのスバル360を題材とした 「スバル360のうた」 なるレコードが存在していたことを知る者は、非常に少ないと思われる。その 「スバル360のうた」 という副題が付けられたレコードのタイトルは、ズバリ 「スバ・スバ・スバル」 である。

まずは左上に示す画像を見て欲しい。まず画像の左部分は、レコードのジャケットである。漫画家・荒木飛呂彦先生の画調(参照 → バオー来訪者JOJOの奇妙な冒険 ) などに慣れた者にとっては、何と評して良いか言葉を選ぶのに少々時間がかかってしまいそうなタッチである。一見すると、新聞の4コマ漫画のような・・・たとえば、鈴木義司先生の 「サンワリ君」 とか加藤芳郎先生の 「まっぴら君」 ・・・のような雰囲気も漂(ただよ)っているようにも感じられるが、良くみるとそれらとは全然タッチが異なる。この絵柄から 「ほのぼのさ」 を感じ取れるか否かは、まるでそれを見る者の心が 「ほのぼの」 しているか否かを、映し出しているようにも感じられる。

ジャケットをよく見ると、中央に登場する主人公?とおぼしき者以外、すべて(全員が)クルマに乗っている。さらによく見ると、そのクルマはスバル360にも見えるのだ。いや、これは明らかにスバル360だろう。リヤタイヤの上(フェンダー)には エアスクープ らしきものが描かれているし、ルーフとリヤウィンドウがサイドに回り込んだデザイン的な特徴も描き込まれている。クルマを運転している者たちはみんな微笑んでおり、スバル360を 所有 ・・・いや、さらに突っ込んで言うと、スバル360を 運転 することの 楽しさ を表現しているのではなかろうか。

ちなみに、画像の右上部分はレコード本体の画像で、レコードと言うよりはソノシートといった感じのものだ。本体にもジャケットと同様の絵柄が印刷されているのだが、どうして半月状の切り欠き?が2ヶ所あるのかについては、私には不明である。

さて、肝心の 「スバ・スバ・スバル」 なる歌についてであるが、何とロシア民謡の替え歌だ。資料によると、1968年(昭和43年)リリース。唄は津田正一氏、作詞は清水勉氏、編曲は来宮洋一氏で、ロシア民謡 「一週間」 をベースとしている。なお 「一週間」 とは、「♪日曜日は市場へ出かけ(~略~)テュリャ テュリャ テュリャ(~略~)、♪月曜日は(~以下同様の繰り返し~)」 という、小学校あたりで習う人の多い?あの歌だ。

替え歌の歌詞については詳細は避けるが(著作権の問題もある)、簡単に言うと、どうやら主人公は 「月曜日に免許を取得し、木曜日には何とガレージ造りを敢行。金曜日には新車が届き、日曜日には2人でツーリングに出かけた」 というストーリーが展開されている(途中の曜日のイベントは省略)。

仮に火曜日に商談をしたとして、ディーラーからの注文書が生産工場に届くのはその後になるはずだ。ところが工場からラインオフされた新車が、その週の金曜日にはディーラーはおろかユーザーの手元にまで届いているのだから、正味の納期は3日間。まさに驚異的な 即納 状態だ。今年(2005年)になって富士重工業(株)が各販社の協力を経て全国展開している 「パートナー21」 制度をもってしても、太刀打ちできないような流通管理状態だと言える。いや、あるいはもしかすると、単に最初からディーラーの 在庫車 だったのかもしれないが。

そんなツッコミ(邪推?)は置いておいて、歌詞の中には「自然に口笛が出る」などという一文もあることから、やはりスバル360を所有して運転することの スバらしさ(≒スバルらしさ) を伝えたかったのだと思う。このブログの読者の皆さんは、ご自分のクルマを運転していて楽しさを感じ取ることがあるでしょうか?あるいは運転を楽しむといった心のゆとり(リラックス加減)をお持ちでしょうか?日々の忙しさに埋没しそうになったときには、左上のレコードジャケットに描かれた世界を思い出してみてくださいね。
2005年06月09日 イイね!

「THE スバル(瓦せんべい風)」 に見るカゲの苦労?

「THE スバル(瓦せんべい風)」 に見るカゲの苦労?自動車関連商品のモデルチェンジに関する話・その3。

(参考:その1「スバルサブレー」編 → こちら。)
(参考:その2「スバル最中&360焼き」編 → こちら。)

昨日(2005年6月8日)のブログでは、自動車関連商品のモデルチェンジについて、スバル最中(もなか)用の焼型の再活用(リサイクル)を例に挙げて述べた。今日はその第三弾・・・焼型はそのままだが包装をアップデートして最新化を図った?・・・と思われる話の紹介である。

「スバル最中(もなか)」、「360(サブロク)焼き」・・・ときたら、次は 「THE スバル(瓦せんべい風味)」 を取り上げないわけにはいかないだろう。どちらも伊勢屋さんの主力商品で、スバリストならば一度は口にしておきたいお土産だ。それでは、早速この「THE スバル(瓦せんべい風味)」の画像を左上に示すので見ていこう。ふむふむ。なるほど。包装のマイナーチェンジで主力車種のイラストが消えて没個性化(>失礼!)してしまった スバルサブレー とは異なり、今なお個性的なBG型レガシィが(現行モデルから2世代ぶんも旧型となってしまったが)その包装にしっかりと描かれている。ここまでは、誰でも見ただけですぐに分かる。

だが、「ちょっと待てよ? 何かが違うような・・・?」 と感じた者は、洞察力に優れるスバリストだろう。個包装から取り出されたせんべいの焼印を良く見て欲しい。これは、どこからどう見てもBC型レガシィにしか見えないのだ。ここで念のために書いておくと、BC型とは初代レガシィのセダンのことだ。だから、「せんべい本体は 初代レガシィセダン だが、その包装イラストは 2代目レガシィワゴン」・・・という、変則的な組み合わせということになる。

せんべい本体に焼印された特徴をよく観察していくと、
  (1)ホイールは6本スポークで、穴部が円形であることから、セダンRSやGT系に
    標準装備されていたターボ用の15インチアルミホイールを模したと思われる。
  (2)ところがボンネット中央には、インタークーラー冷却用の導風ダクトが見あたら
    ないことから、ターボグレードではないと考えられる。
  (3)フロントグリルが後期型の意匠に見える。
  (4)ヘッドライト横のサイドターンレンズが上方向に流れるような「切れ長」の
    デザインに見えることから、マイナーチェンジ後の後期モデルと思われる。

などの特徴を挙げることができる。したがって、上記の特徴から大胆な予想をさせていただくと、これはズバリ、1991(平成3)年6月に登場した 後期セダンVZ type R ではないかと推定されるのだ。いや、そうに違いない。その一方、包装に描かれたレガシィは、ホイールの造形やフォグランプ一体式バンパーのデザインなどから、明らかに BG5A型GT である。

   「中身がBC VZ-Rで、包装がBG5A-GT」・・・(★1)
という組み合わせは、一体どういうことなのだろうか。ここから先は、あくまで私的な推定の域を出ないのだが、こういうことではないのか?つまり、
   「せんべいの焼型は初代レガシィを模して試作された。しかし、それが量産型となった
    ころには、すでに実車のレガシィはモデルチェンジを経て2代目となってしまっていた。
    したがって、大きな型費の必要な変更を避け、比較的フレキシブルにデザイン変更が
    可能な包装のイラスト(印刷)をアップデートすることで、最新化を図り対処した」・・・(★2)
ということなのではないだろうか?

私がこの「THE スバル」の存在を知ったときには、すでに上記(★1)の組み合わせで発売されていたから、最初からそのような組み合わせになっていたのか?あるいは新発売となった当初は、包装も別のイラスト=初代レガシィがあしらわれていたのか? 残念ながら 不明 である。どなたかこのへんの事情をご存じの方がいらっしゃいましたら、参考までに教えていただけると助かります。ただ、私としては最初から(★1)が意図されたのではなく、上記(★2)が現実的な解釈かな、と思っている。

もしもそうだとすると、見た目の最新さやインパクトが 売り上げに直結 してしまうお土産だけに、アップデートを図ったであろう関係者の苦労が忍ばれるのである。こうした苦労のほとんどは表に出ることはなく、カゲ のまま多くの人々に 見過ごされる のかもしれない。だが実車だけでなく、その関連商品の世界でも、モデルチェンジやマイナーチェンジはその後の売り上げを左右する重要なターニングポイントであるのは間違いないだろう。

なお最後に・・・この「THE スバル」の包装の右下には「瓦せんべい風味」との説明書きがあるが、つい最近、神戸市の(株)垂水亀井堂から本物の瓦せんべいが発売されている。この件に関しては、すでに 2005年4月8日付けのブログ( 瓦せんべい・SUBARUバージョン )にて紹介しているので、参考にされたし。

プロフィール

「[整備] #モンキーR [モンキーR改] 路上復帰への道38_パーツリストを参照し、マフラーの分解に成功! の巻 https://minkara.carview.co.jp/userid/132018/car/28696/8267104/note.aspx
何シテル?   06/16 00:00
調布市のKAZ [読み:ちょうふし_の_かず] と申します。 スバル・レヴォーグ(VNHC型)、スバル・エクシーガ(YA5E型)、ホンダ・CBR250Four...

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