昨日7月22日は日本記念日協会が認める『ディスコの日』でした。
1977年の7月22日にアメリカ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が初上映された日で、そこから日本のディスコブームが始まったという事で、DJ OSSHYさんが昨年申請を出されて受理されて、今年で2回目のディスコの日です。
何日か前からBS放送でディスコの日に関する番組が何局かで放送されていて、それをたまたま見て知りました。
昨日はBSでマイケル・ジャクソンさんに関する番組が放送されていて、サタデー・ナイト・フィーバーの後にマイケルさんの『オフ・ザ・ウォール』のアルバムのヒットがあって、その後の『スリラー』の大ヒットで、日本はディスコブームのピークに達しました。
その頃自分はカーオーディオの出張取付の仕事から、やっと小さな店を持てるまでになって、1ヶ月に1度ディスコに行くのが唯一の楽しみでした。
ある日、鹿児島の天文館に新しいディスコが出来たという事で、休みの日に半日かけて鹿児島まで行き、少し踊ってから寝ずに帰るという20代前半ならではの無理な移動で踊りに行きました。
何だか今日行きたい!という強い気持ちが芽生えて、鹿児島のオープンして間の無いディスコに行ったら、何と当時シャネルズからラッツ&スターに改名したばかりのメンバー全員がプライベートで遊びに来ていて、鈴木雅之さんは自分の隣のソファーに座っておわれました。
自分の人生の中で歌手の人の生声に触れたのはそれが最初で、でも生声を頭に刻んで音造りの参考に、なんて事は全く頭に浮かばず、当時はメーカーの市販のネットワークか、マルチアンプでミッドとツイーターを別駆動という時代だったので、完全に猫に小判状態でした。
それからしばらくすると日本ではユーロビートブームとなり、時を同じくして1985年11月にFM山口が放送を始めて、自分は翌1986年から87年の初めまでFM山口で『ディスコ・フリーク』という、ディスコミュージックのノンストップものの企画とDJを1年務めて、その時に「スタジオ用のモニタースピーカーと、カーオーディオのスピーカーの音の違いは何だ!」とショックを受けて、それから普通と違うスタジオ的なサウンドを車の中で目指す様になりました。
今はFM福岡でレギュラー番組を持っていて、それがFM福岡でも流れていますが、自分が喋るのはたった2分の会社のPRですが、『ドライビング・トーンズ ウイズ TOGGYでは、月末の放送のみ会社のPRでは無い話を少し長めに話します。
番組打ち合わせなどで、昭和の時代から番組制作に関わっておられる方から、「そういえばFM山口では昔ディスコのノンストップ物の、当時としては画期的な番組がありましたよね。」という話になって、「実はあの番組は自分が企画して、自分がDJをしていた番組なんですよ。」と答えました。
そんなディスコ人間の井川ですが、今は音楽を聴いてもディスコイベントで踊るという事はありませんが、いつか『ディスコ・フリーク』の復刻版を1回だけでも放送したいと、ひそかに思っています。
Posted at 2019/07/23 11:45:11 |
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