2017年3月18日、19日の両日を使い、福島県いわき市から宮城県岩沼市の間に点在するJR常磐線の廃トンネルを見に行ってきました。
この区間には廃トンネルが22か所あるそうです。残った理由は常磐線の電化工事の際にトンネル規格が狭小ということで、改築されずに放棄されたからです。そのため、現行線トンネルのすぐ隣に煉瓦トンネルが並列して残る状況となっています(それだけ安全と人目に注意がいるわけです。)。
まずは、いわき市内の常磐道PAで休憩しつつ、どのように回っていくか考えます。初めは常磐線四ツ倉駅付近の鞍掛山隧道から順に北へと辿っていこうかと思っていましたが、帰りやすさを考えると一番遠い場所から南下するほうがいいだろうと考え直し、予定していた中では一番北側にあたる南相馬市の南端の廃トンネルまで進むことにします。
常磐道浪江ICで高速を降りて、国道114号で浪江市街地へと向かい、県道120号で常磐線沿いを北上します。道中、復旧や除染のための工事車両、地元の「福島」や「いわき」ナンバーの車、私のような県外ナンバーの車やバイクなど、予想以上に多くの車両が通行しています。
最初にやって来たのは、桃内駅-小高駅間、泉沢、第一耳ヶ谷、第二耳ヶ谷、第三耳ヶ谷と4つのトンネルが連続して残る場所。駐車場所を探して、しばらく付近を往復。ようやく邪魔にならなそうな場所を見つけて、現地へと向かいます。
位置図はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
泉沢隧道です。仙台側はいたって普通の印象を持つ坑門。
ところが、東京側の坑門は、トンネルの形状に合わせて馬蹄形に造られた奇抜なデザイン。唯一無二と言っても差し支えないかもしれません。
第一耳ヶ谷隧道です。こちらも仙台側は地味な坑門。
ところが、東京側は西洋城塞風な意匠の立派な坑門です。
第二耳ヶ谷隧道です。今度は仙台側が西洋城塞風の立派な坑門。
東京側は目立った装飾がない坑門です。
第三耳ヶ谷隧道です。こちらは両方とも中央部が突出したデザインですが、簡素な造りの坑門です。
なぜ泉沢・第一耳ヶ谷・第二耳ヶ谷の各隧道の、しかも片側の坑門だけに特徴的な意匠が施されているのでしょうか。実は第一耳ヶ谷と第二耳ヶ谷の間で、旧陸前浜街道が常磐線と立体交差しています。特徴的な意匠の坑門は、この旧陸前浜街道との交差地点に面した側にあります。
ということは、旧陸前浜街道の通行者に見られることを意識した意匠なのかもしれません。ただ、泉沢隧道は旧陸前浜街道からは見えないので、この推測は当てはまりませんが…。
次に、竜田駅と富岡駅の間に残る、常磐線最長の金山隧道へと向かいます。今回はこの廃トンネルの訪問が大本命。時間短縮のため浪江ICから広野ICまで高速を使い、広野町から国道6号で現場へと北上します。
トンネルの西側にある国道の駐車帯から現場を眺めたところ、周囲の木々が伐採されていて、現行線のトンネルまで見渡せます。さっそくトンネルへと接近する最寄りのポイントへ。
しかし、その場所へと行ってみたところ、工事中で車両や人でごった返してます。ちょっと携帯で調べてみたところ、2017年10月頃の常磐線復旧を目指して工事中とのこと。これでは近寄れません。
諦めて次のトンネルへ向かいます。
東禅寺隧道です(現在線のトンネル名は東禅寺山トンネル。)。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
その名のとおり、お寺がある丘の下を貫くトンネルです。
ここからは国道6号を外れて、旧道の陸前浜街道を進みます。
常磐線夕筋踏切近くの路肩に車を寄せて、踏切を渡り、海岸線へと出ます。
さすが太平洋、波が荒いです。海岸線に崩落した崖が続いています。
台ノ山隧道です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
現行線の海岸側にあるコンクリート擁壁をよじ登り廃トンネルへと接近しましたが、擁壁の急斜面とトンネル前の激薮に相当手こずりました。
トンネル坑口付近の状況に対して、トンネル内部はいたって平穏でした。
この廃トンネル、実は仙台側の坑口の場所さえわかれば、拍子抜けするほど容易に訪れることができます(笑)。この場所へたどり着くまではそんなことは知らなかったので、現地で少々徒労感を感じてしまいました(笑)。もちろん車へと戻る時は仙台側の坑門から直接道路へと出ました。
さらに陸前浜街道を南下します。この辺りの国道6号はトンネルと築堤で一直線に抜けていきますが、陸前浜街道は昔からの街道筋なので、台地と谷間をくねくねと縫いながら進んでいきます。夕筋隧道と末続隧道という2つの戦前物と思われるコンクリート製トンネルを抜けて、同じ名称である常磐線の廃トンネル、末続隧道と夕筋隧道を目指します。
位置図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
末続隧道です。坑門上の三角屋根形状が特徴です。内部はけっこう煉瓦とコンクリートの継ぎ接ぎとなっていて、運用当時から損傷が進んでいたようです。
トンネルを出て、線路沿いをさらに先へと進んでいきます。この辺りは山と海岸に挟まれていますが、鉄道以外は何もありません。
夕筋隧道です。この付近のトンネルでは一般的なデザインの坑門です。
このトンネルも損傷が激しかったのか、コンクリート覆工による補修が各所に見られます。
仙台側の坑口付近は、コンクリートブロックで造り替えられています。
仙台側の坑門もコンクリートブロックで改築されています。坑門の意匠は、煉瓦積みの時代のものを踏まえたデザインなのかはわかりません。
この時点で時刻は17時。間もなく日が暮れてしまうのと、カメラの電池が切れてしまったので、この日の探索はこれで終了としました。
予定していたトンネルを1日で回れれば帰宅するつもりでしたが、土地勘が全く無い場所であることと、トンネルへは徒歩で接近せざるを得ないため、予想以上に時間がかって回り切ることができませんでした。
結局、車中泊することを決定。常磐道へと上がり、いわき市内の四倉PAへ。ここで晩御飯を食べて、一晩過ごすこととしました。
(2)へつづく。