最低の気分で過ごした1週間の気晴らしに、三重県熊野市を折り返し地点にドライブしてきました。
通い慣れた紀勢道を使い、最初に立ち寄ったのは紀北町相賀の山中に残る相賀隧道。
国道42号馬越橋の尾鷲側のたもと。右側の草地が旧国道です。
かつての国道もすっかり廃道と化してます。
さらに奥へと進んでいくと相賀隧道があります。
なんと坑口にフェンスが設置されてしまいました。まだ新しいです。
隧道名を掲げた扁額。
さて、フェンスの扉をよく見たら、錠前はまだ取り付けられていませんでした。今回はこのまま中へと失礼させてもらいます。
坑内は古いトンネルのご多分に漏れず、素掘り剥き出しのままとなっています。
補強のためか部分的に煉瓦が積まれています。
反対側も坑口付近は煉瓦積みとなっています。
起工・竣工年を彫った石板。
大正2年(1913年)起工、大正5年(1916年)竣工とあり、短いトンネルながら完成に3年かかったわけです。
紀北町相賀側の坑口。一部がコンクリートで補修されています。
相賀側はトンネル内にカーブがつけられています。クネクネしたトンネルは今や普通に見かけますが、古いトンネルでは珍しい気がします。
一件目の見物終了。この後、さらに熊野尾鷲道路で熊野市街まで進みましたが、どこへも立ち寄らずUターン。
国道42号佐田坂を登ってやって来たのは小坂隧道。現在の小阪トンネルの真横に残っています。
廃道に入り少し歩くとすぐに見えてきます。
小坂隧道。地名は「小阪」ですが、こちらのトンネル名は「小坂」。
昭和13年(1938年)竣工なので、煉瓦積みや石積みではなくコンクリート製です。なかなか重厚感にあふれた外観です。
なぜかフェンスの扉が開いていたので、中を覗いてみました。
坑内は当然コンクリート覆工。路面は奥まで水没しています。入り口付近でも深い泥に覆われていたので、仮に通り抜けようとしても相当苦労しそうです。
さて、このまま国道42号で矢ノ川峠越え。尾鷲市側に入り、千仭橋のたもとに車を停めます。
元々予定していませんでしたが、せっかくなので国道42号矢ノ川峠旧道を少し歩いてみることにします。
矢ノ川峠区間は昭和43年(1968年)に3つのトンネルで峠越えをする現在のルートに付け替えられましたが、それまではこの道が国道でした。
千仭橋からの旧道で最初に架かっている橋、「懐古橋」。
シンプルなデザインです。
現国道の千仭橋を眺めます。険しい地形を通過していることがよくわかります。
ガードレール代わりのコンクリート柱が残っています。
2番めの橋、「紅葉橋」。
親柱には「昭和拾年~」と彫られています。
3番目の橋、「瀧見橋」。
この橋で奥から歩いてきた猿と鉢合わせ。猿はすぐに逃げていってしまいましたが、近くの木々でずっと鳴いていたので、ここは無理をせず引き返すことにしました。
再び尾鷲市街を通過し、次に来たのは三浦隧道。国道42号三船トンネルの旧道にあたります。
ここは何年か前に目隠しの植樹とフェンスにより封鎖されてしまい、今は直前まで近寄ることはできません。
最後に三浦隧道の真上にある熊野古道伊勢路の始神峠へ。
しかし、始神峠への最寄り駐車場へ入り損ねてしまい、付近にある三野瀬駅まで行ってUターン。
あらためて最寄りの駐車場に入ります。
行きは峠まで一気に登る江戸時代の街道を辿り、帰りは緩い勾配で造られた明治時代の道で車に戻ることにしました。
熊野古道伊勢路 始神峠江戸道
所々、石畳が残っているとありましたが、石組みの階段がそれだったのでしょうか?
始神峠(江戸道)
案内板にあった通りの良い眺望です。
始神峠(明治道)
明治時代の峠は江戸時代の峠よりやや低い所にあります。
旧熊野街道 始神峠明治道
明治20年代の車道開削時に積まれた石垣が各所に残っています。
16時過ぎに出発して1時間強かかりましたが、無事に一周してきました。
何度もドライブしている地域ですが、趣味的な点を含めてもまだまだ行っていない所がたくさんあるので、これからも訪れる予定です。
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ドライブ・道路・廃道 | 日記
Posted at
2017/05/28 02:28:05