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2020年03月20日

中馬街道(飯田街道)地蔵峠道を歩いてきました

今日は、豊田市野入町から豊田市夏焼町に残る中馬街道地蔵峠道を歩いてきました。中馬街道は、国道153号の前身にあたる街道で、伊奈街道や飯田街道とも呼ばれます。

その地蔵峠へ行く前に、以前に行った豊田市大野瀬町の前橋の近くへ行き、石仏を撮ってきました。






そこからUターンして、国道153号地蔵峠の西側にある旧道へ。峠の近くに広い路肩や駐車帯が無かったので、ここに車を停めることにします。


国道153号の地蔵峠です。


峠を飯田方面へと越えた先に右へと分岐する旧国道があり、そこに中馬街道の地蔵峠への入口があります。


入口にある説明板。明治15年(1882年)と同26年(1893年)に峠の改修工事が行われて、峠道が約7m掘り下げられたとあります。


峠道に入るとすぐに峠の石仏が見えてきます。ちなみに先へ進むには右側を進むことになります。


峠の石仏です。




馬頭観世音菩薩碑。右側面には「文政二卯天(1819年)十二月三日」、左側面には「信州 松嶋村 施主 上田 市川 敬白」と彫られています。


お地蔵様。来歴は不明らしいです。あと、ここの峠の名前の直接の由来のお地蔵様であるのかも不明です。お顔が大きいですね。カッパ代わりにビニールシートを纏っています。


観音像。説明板によると四国三十三観音霊場(と説明板にあったが、西国三十三の誤りか。)の巡礼から無事帰宅した記念に建立したもので、元禄16年(1703年)8月18日の銘があるそうです。


今はこんな感じで国道を見下ろしています(ちょっと見づらいですが。)。


峠道を夏焼町側へと進んでいきます。


地形をU字型に掘り込んで道が付けてあると「古道だなぁ。」と感じます。


沢に架かるパイプ2本。左側の鉄管はこの先の峠道にもついてきます。


2つ目の沢。


2つ目の沢の先で道が細くなっています。


多分、土砂が峠道を埋めてしまったままになっているのだと思います。人が通れる分だけ掘り込んで通れるようにしてあるのでしょう。


太い倒木。事実上、廃道みたいなものですから、この程度は気にしません。


3つ目の沢。


ここで右側から来る道と合流します。ここは左側へと進みます。右側の道は帰りに通ってみるつもりです。


合流した所から道幅が広がりますが、水が流れているのでぬかるんでいます。




林の中の開けた場所に石碑が立っています。


「三界」と彫られています。その下は「萬」?さらに下は土に埋もれてわかりません。


帰宅してから調べてみたら「三界萬霊塔」というものらしいです。「三界」は「欲界・色界・無色界」のことで、この世のあらゆる精霊を供養するためのものだそうです。旅先で亡くなった方(地元の方からは無縁の方)を供養するために建てられることもあるそうです。街道の脇のこの場所に建っているのはそういう理由かもしれません。

この辺りは国道のすぐ横に道があります。目の前の国道は何回通ったかわからないくらいですが、今まで全然気が付きませんでした。


4つ目の沢。ここはしっかりとした橋が架かっています。


5つ目の沢。コンクリートの枠にドラム缶が据えてありましたが、水場を拵えたものでしょうか。






切通しに来ました。真ん中を電話線が通っています。国道沿いではなく、旧街道沿いに通っているということは、この電話線は開通当時からルートを付け替えていないということでしょう。


ここの切通しには傍らに案内標識が立っています。


切通しを抜けると、一見、道が二股に分かれたように見えますが、正解は右側です。ここで鉄管は峠道と離れていきます。


道がはっきりしない場所を通り抜けると、


杉木立の中に一直線の道が現れます。


また二股が現れますが、ここも右です。こういう曖昧な場面には案内標識がないので、困ってしまいます。


ふたたび一直線の尾根道になります。




左へUターンするような分岐に案内標識がありますので、ここは左へと曲がっていきます。


が、せっかくなので尾根道を行き止まりまで行ってみました。かつて国道沿いの売店があった場所に出ました。


分岐点まで戻ってきました。この方角からは右側へと進んでいきます。


坂を下っていくと民家がある場所へと出てきました。




橋には動物除けの金網があるので、通り抜ける時はきちんと閉めておきます。


ここは右へ。


すぐ次の角で案内標識は左を指していますが、その先はどう見ても民家です。ほかに道が無いか探してみましたが、案内標識通りに行くしかないようです。


取りあえず、気配を伺いつつ中へと進んでいきます。

家の前まで入ったところで、ちょうど家の方(おばあさん)が姿を見せました。ちょっと驚いている様子でしたが、「ここは通り抜けてもいいんですか?」と尋ねたところ、「いいも何もここは赤線だから好きに通ってもらえばいいよ。」とのことでした。

「赤線」という言葉を人の口から聞いたのは初めてでしたが、何を指すのかはわかっていたので、「そうなんですね。ありがとうございます。」と返事ができました。「赤線」は、土地の公図における表示の一種で、里道(道路法上の道路に認定されていない道のこと。)を指します。要するには「公道だから(私道じゃないから)好きに通っていいよ。」と言われたわけです。

そのまま通り抜けようと思ったわけですが、結局、この後おばあさんと30分ほど立ち話をすることになりました(笑)。

おばあさん(86歳)から聞いた話。
・この家は昔は庄屋だった。
・(ここから)下にある国道153号線ができるまではここを牛や馬がよく通っていた(自動車が一般家庭にまで普及する以前の話か、昭和40年代に国道153号が対面二車線化された頃までの話でしょうか。遅くとも戦前には現在の国道153号のルートへと峠道は付け替えられている様子。ただし、徒歩なら国道を歩くよりも旧街道を歩いた方が峠越えは短距離で済む。)。
・牛や馬が亡くなった場所に馬頭観音が立っている。近くにも馬頭観音が5つ立っている所がある(どこにあるかはわからなかった。帰宅してから調べたら、旧街道からはやや離れた場所にあるらしい。)。
・昔は、野入(地蔵峠の東側の集落。)の人は、稲橋(稲武町の中心街。今いる場所からは西側。)までこの道で学校に通っていた。帰り道は暗い中を帰っていたよ(野入に分校はあったが5年生からは稲橋まで通っていたみたい。野入から稲橋までは今の国道だと片道4~5kmほど。旧街道ならもう少し短いかも。)。
・城ケ山(近くにある889mの山)には戦時中は監視哨があって、飛んでくるB29を双眼鏡で監視していたよ。私も双眼鏡を覗かせてもらったことがある。
・「どこに住んでるの?」と聞かれて、「安城市です。」と答えたら、「安城七夕まつりを見に行ったことがあるよ。60年前だけどね(笑)。」と言われた。
・熊や猪は見ないけど、猿や鹿は多いね。畑で玉ねぎを300個植えたけど、その内の100個を玉が小さい内に食べられたよ。それも一口だけ食べて、畑に捨てていくんだから腹が立つよね。

まだこの旧街道がかろうじて現役だった頃を知っている人に話を聞けたのは面白かったです。私、見知らぬ人に自分から話しかけることはまずしないですからね。

おばあさんの家を過ぎ、「うちと二軒家だった。」という更地になったお隣さんの敷地の横も抜けていきます。


なぜかこんな案内板が。


こんがらがった倒木を通り抜けると、すぐに案内標識。分かれ道があるわけではないですが。




沢を渡り、


峠道を追っていきます。




ここで何気に左側を見上げたら、その先に案内標識が!


「分かれ道なんてなかったぞ!」と思いつつ、引き返していきます。

怪しい所まで戻ってきました。私は右側の窪地を進んでいったのですが、どうも直進が正しいようです。


しかし、明瞭な踏み跡が全然無い…。


案内標識から来た方向を見ても、やはり道があるようには見えない…。


釈然としませんが、こちらに案内標識が向いていて、おかしな点がないのならば進むのみです。


※後で右側の窪地も辿ってみたら、案内板にある道をショートカットするようなルートで同じ場所に出ました。道幅も広く(今は薮に覆われていますが。)、元々はこれが峠道だったのかもしれません。

小さな流れに沿って歩いていくと、


明るい場所へと近づいてきました。


ふたたび民家がある所へと出てきたようです。


振り返ってみます。ここにも動物除けの扉が付いているので閉め忘れないようにします。


ここは直進。


ここを右折すると、


国道153号へと出てきました。ドライブで通りががる時によく見る「中馬街道 地蔵峠」の看板です。


ここにも馬頭観世音菩薩碑と石仏がありました。


さらに横には大きな石碑が立っています。


大正時代に建てられた漢文の石碑でしたが、明治時代になってから山林の開発をして地元が潤ったというようなことが刻まれているみたいです。


さて、歩き始めた頃は雨がぱらつく天気でしたが、すっかり晴れ渡りました。ただ、日も陰ってきたので急いで峠へと戻っていきます。




ここは、行きの時は右側の道でやって来た場所です。帰りは直進していきます。


この道は、地蔵峠が改修で掘り下げられた時に新しく付け替えられた道だと思われます。




古そうな石積みの擁壁が残っています。


沢を横切る所に暗渠がありました。


石積みでできていますが、中を覗き込んでみたら天井板はコンクリート製のようです。ただ、表面にしわが付いていたり砂利が目立つので、相当古そうではあります。


現在の峠の直前で国道153号に合流しました。


そこから少し下って、旧道に停めてある車へと戻ってきました。


今回は3時間20分ほど。立ち話をしたり、ここには書いていませんが、峠道から分かれていった鉄管を追いかけてみたりしましたからね(これという成果はなかった…。)。

あとは、今回通った地蔵峠の峠道が、明治26年の改修以降、いつ峠道の下側を通る現在の国道ルートへ変遷したのかも知りたいですね。図書館で「稲武町史」を読めばわかるのかな。

※安城市の図書館には「稲武町史」は置いていなかった…。インターネットで閲覧できた地形図(明治41年(1908年)測図昭和8年(1933年)要部修正測図)では、すでに稲橋~野入間は現国道ルートで記載されていました。昭和8年の要部修正の対象でなければ、明治41年以前には付け替えられたと推測できます。
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Posted at 2020/03/20 23:36:41

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