2020年5月24日日曜日、本日は北設楽郡設楽町神田と東栄町月の間に残る廃道を歩いてきました。現在、現地を通る国道473号の前身となる道になりますかね。
さて、設楽町神田(地図左側)と東栄町月(地図右側)を結ぶ現在の国道473号は、御殿川の渓谷沿いを通っています。

※地理院地図(電子国土Web)
しかし、戦前の5万分の1地形図「本郷」(明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行)によると、御殿川沿いには道路がなく、山腹を通る赤線のルートが設楽町神田と東栄町月を結ぶ道でした。
おそらく御殿川の渓谷が急峻のため川沿いに道を通せず、山腹へと迂回するルートを通っていたのだと思われます。今回はこの昔の山道を辿ってみようと思ったわけです。
ちなみに図中にある花丸峠(この廃道自体は花丸峠を通りませんが。)から西側は、自動車通行不能区間ながらも現在は愛知県道424号に指定されていますが、東側は現在の地形図からは抹消されてしまっています。ということは、東側区間は廃された道と見なされているわけで、西側区間よりも廃道色が濃厚なはずです。
県道に指定されている西側区間については、点線県道を踏破しようという目的で徒歩や自転車で通り、途中から花丸峠へと登っていく内容のブログなどがいくつかありました。
しかしながら、東側区間については、インターネットで検索してもここを踏破したというようなブログなどは見当たりませんでした。そのため、現在どんな状態であるのか何の事前情報も無いままに目指すこととなりました。
国道473号と県道424号の分岐点から東へ約700mの地点にやって来ました。道が狭くて、近くに車を停められるスペースが無かったのです…。
身支度をして、分岐点に向かい国道473号を歩いていきます(国道標識を入れたかったので、進行方向と逆を向いて撮っています。)。
県道424号との分岐点にやって来ました。もし車でやって来ていたら右へ鋭角ヘアピンターンなので、要切り返しですね(笑)。
入口には早々と幅員制限2.2mの標識が立っています。落石の直撃を受けたのか、くの字にひしゃげていますね…。
この路面の荒れ具合を見ていただければ、通行量は十分推し量れると思います。
程なく、車両通行止めの予告標識が現れました。あと600mしかありません。
標識では600m先から車両通行止めなわけですが、はるか手前で物理的に通行不能となっていました。
さらに進むと路面が完全に落ち葉に覆われてしまい、見た目では舗装道路であるのかどうかすらわからなくなります。
草に覆われた築堤区間が現れました。
ここの山側の路肩には、「L424B120←起点」というプレートを付けたデリネーターが立っています。「L424」は県道424号のことでしょうが「B120」は不明です。「起点」とあるので、この先は県道ではないということでしょうか?
ちなみに、まだ「車両通行止め」の本標識は現れていません。
ここから先は林道?廃道?然とした雰囲気になります。
路上に石がゴロゴロと転がったままです。
大きな土砂崩れも放置されたままです。山側に迂回して通り抜けられましたが。
やっと「車両通行止め」の標識が現れました。ポールに「新城」(新城設楽建設事務所)とシールが貼られていたので、一応愛知県が設置したもののようです。
今さらながらにガードレールが登場です。
路肩が崩落したためか、道幅がここだけ狭くなっています。分厚い擁壁で何とか路盤を維持している感じです。
ミニ築堤で沢を越していますが、沢を見上げるとはるか上まで石で埋め尽くされています。ちょっとした雨でも盛大に落石してきそうです…。
新しそうな崩落現場。
車両通行止め区間を歩いてみると、道幅を確保できる場所では何とか1.5車線分は取ってあり、一応、自動車道としての改良工事が続けられていたことが窺えます。
そして、自動車(が通行できそうな)道としての終端を迎えました。この苔むし方からして、工事をしなくなってから相当放置されていそうです。
現在地は青丸印になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
傍らに標石がありました。「34年施工・道路改良工事・起点」と彫られています。その通りに捉えるなら昭和34年(1959年)以降は自動車道としての改良工事は行われていないのかもしれません。
標石の先は昔ながらの山道となります。これが戦前の地形図に載っている道の本来の姿でしょう。
このあと、もうしばらく先までは、この道が国土地理院の地形図では県道になっています。
※その2へ続きます。この道の本領はここからなのです(笑)。
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Posted at
2020/05/24 20:37:00