2021年7月24日土曜日、東海道本線 関ヶ原~柏原間にある煉瓦アーチ群を巡ってきました。
やって来たのは、岐阜県不破郡関ヶ原町大字今須にある妙応寺の駐車場。まずはこの場所を起点にして、妙応寺周辺の煉瓦アーチを見て回ります。
駐車場横の道路は岐阜県道229号ですが、同時に妙応寺への参道でもあります。
県道を妙応寺へ向かい歩いていくと、すぐに国道21号のガードがあり、その奥に1か所目の煉瓦アーチがあります。
妙応寺架道橋です。
スパンドレル(おおまかにはトンネルの坑門に相当する部分。)には5重のアーチ環があり、表面は焼過煉瓦が使用されています。
内部は目地のモルタルが浸み出したものなのか、薄く白色に染まっています。
反対側は、東海道本線上り線の線路付け替えにより、コンクリート造りで延長されています。正面に見えている山門の奥が妙応寺になります。
妙応寺架道橋をくぐったら右折し、線路沿いに路地を歩いていくと、次のポイントがあります。
これは東海道本線上り線にある甲門前町橋梁。コンクリート造のアーチ橋で、竣功は昭和29年(1954年)8月と新しいものです。
そして、甲門前町橋梁のすぐ先に、2か所目の煉瓦アーチである門前町橋梁があります。
こちらは、明治32年(1899年)に関ヶ原~柏原~長岡と経由する現行線が開通した当時のものと思われます。石積みのスパンドレルをコンクリート柱で支えています。
アーチ環は4重です。
内部は、小川に沿って歩道が設けられています。小川が増水した際は、通行止めになりそうですね。
反対側は、国道21号のコンクリート造りのガードがぴったりとくっついています。
反対側に出ました。ここだけ見ると、ボックスカルバートの何の変哲もないガードですね。
もう一度門前町橋梁をくぐり、通り抜けたところですぐに右側の斜面にある小径を登っていきます。
東海道本線上り線の青坂山トンネル。
小さな神社の境内を抜けて、東海道本線下り線の踏切へと出てきました。
雨谷道踏切とあります。
これといったものは無さそうだったので、神社の境内へと戻ってきました。
神社の拝殿の横に石造の扁額が置かれていました。名称は青坂神社のようです。
参道の階段からの眺め。線路の右側にある建物が妙応寺です。左側からカーブしてくる線路が下り線。真っ直ぐ来ている線路が上り線です。
妙応寺へと戻り、次の場所へと向かいます。
妙応寺の前を歩いていると、ちょうど貨物列車が通過していきました。
妙応寺の前を通過し、さらに進んでいくと橋があります。中狭川3号橋とあります。
ここに中狭川橋梁があります。間近で見るのはひとまず後回しにして(そもそも、こちら側からでは近寄れないので。)、先へと進みます。
線路沿いを通っていた舗装路が東海道本線から離れていってしまうので、今度は砂利道へと入っていきます。
踏切へと出てきました。中狭踏切とあります。
踏切は渡らず、右側にあった階段を下りて、線路沿いの小径を進んでいきます。
また貨物列車がやって来ました。EF210形電気機関車です。以前は、側面に愛称の「桃太郎」のロゴだけでしたが、最近は桃太郎のキャラクターも描かれた車両を見かけるようになりました。
東海道本線とだいぶ離れてきてしまいました。正面の休耕田を突っ切って築堤まで近づき、周辺を見渡してみましたが、煉瓦アーチはありませんでした(無いのはわかっていましたが念のため。)。
やがて小径も途切れてしまい、何とか線路側へと近づこうとしますが、手入れをされなくなった田畑や里山の荒れ方はひどく、全然近寄ることができません。
最後は薮との格闘に30分を費やしながらも全然進めなくなってしまったので、あきらめて山の上へと登り、見つけた作業道を通って引き返しました。
汗びっしょりになって妙応寺架道橋まで戻ってきました。
次は、先ほど通過した中狭川橋梁へと向かいます。
中狭川橋梁へと向かう無難な行き方は、中狭川の中を歩いていくこと。近寄れる適当な道が無いのです(笑)。
国道21号のガードの奥に見えました。
中狭川橋梁です。上から雑草が垂れ下がっていて、全景が見にくいですね。
ここのアーチ環は5重。今いる妙応寺周辺の煉瓦アーチでは内高が背高な部類です。
これで妙応寺周辺の煉瓦アーチ巡りは終了です。本当はもう1か所ありますが、またの機会にします(突破に失敗した先にあったはずなのですが…。)。
続いては、東海道本線 今須トンネル~関ヶ原駅間にある煉瓦アーチを巡ります。