2023年4月1日土曜日、長野県木曽郡南木曽町の中央本線十二兼駅周辺を散策してきました。本当は、野尻森林鉄道柿其線跡の続きを探索しようと思ってやって来たのですが、図らずも「散策」となってしまいました…。
さて、野尻森林鉄道柿其線跡へと向かうため、木曽川に架かる柿其橋の近くへとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
対岸の山の中腹を通る野尻森林鉄道柿其線跡を眺めます。
柿其橋を渡り、橋のたもとにある神社へとやって来ました。ここから木曽川の河原へと下りていきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
木曽川の河原から支流である柿其川の河原へと進んでいきます。
橋の下へとやって来ました。本当はこの橋を渡ることができれば簡単に廃線跡が通る山へと行けるのですが、採石業者?の私有橋のため関係者以外利用禁止なのです。
場所はこちら。
そのため、前回訪問時は橋の上流側にある浅瀬を渡渉したわけです。もちろん、今回もそのつもりでこの場所へと来ました。しかし、残念なことに今回は川の深さが長靴よりも深くなっていました…。
しばらく付近を移動して、別の場所に何とか渡れる浅瀬がないか、石伝いに渡っていけそうな場所がないかと探してみましたが、ダメでした…。
仕方ないので一旦道路へと上がり、柿其水路橋へと向かいます。
ここから野尻森林鉄道柿其線跡へと取り付きます。
柿其水路橋の上を通過。
杉林の中を進んでいきます。
昨年、初めて訪れた時に引き返した崩落箇所へと来ました。あれから1年経っているので、「もしかしたら通っていけるようになっているかも。」と淡い期待を抱いてやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
残念なことに、昨年引き返した時の状態と変わりありませんでした…。
崩落した土砂の上に登り、反対側に続いている廃線跡を見下ろします。黄色の線のとおりに下りていけば、反対側へと進むことができます。しかし、右側は柿其川まで20~30mの絶壁。今も谷側へと傾斜している崩土が、その場へと踏み込んだ途端、崩れ落ちるかもしれないという恐怖感が拭えません…。進むのは止めました。
結局、また柿其橋へと戻ってきました。振り出しです。
こうなったら、中央本線十二兼駅の北側にあるという、木曽川を渡るつり橋へと行ってみることにします。ただ、気がかりなのは、ネットで検索した渡橋記録が最新のもので7~8年前のものしかないことです。
つり橋の場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
旧中山道(旧国道19号)を歩いていきます。
十二兼駅へ寄り道。
ふたたび旧中山道を歩いていきます。
木曽谷の中央本線でよく見かける石造りのアーチ暗渠。
つり橋が見える場所までやって来ました。つり橋へと続く道が工事中のため立入禁止になっています。
それから、つり橋のたもとに門扉が付けられていて閉鎖されているようです。またダメでした…。
あともう1か所、希望のある場所へと移動します。
中央本線「第14仲仙道踏切」の近くへと車で移動してきました。
場所はこちら。この場所の直下にある読書ダムの堰堤を渡れるかもしれないとやって来ました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
読書ダムを見下ろして、その期待は速攻で砕かれました…。ここも門扉が付いています…。十二兼駅前にあったハイキング案内図には渡れるように図示されていたのに…。
これで木曽川の対岸へと渡る手段は無くなりました。もう一つ、さらに上流に架かる阿寺橋から下流へと向かう方法もありますが、人目が多いルートなので…。
このまま帰るのも何なので、野尻宿の入口まで旧中山道を散策することにします。と言っても、舗装路になってしまっているので、昔の街道の風情は全然残っていませんでしたが。
道中、旧中山道をハイキングしているのか、何名かの人とすれ違いました。
山側にトンネル型の穴を発見。
砂防ダムの水抜き穴だったようです。
「第13仲仙道踏切」に来ました。五街道と呼ばれるうちの一つであるこの街道。通常、「中山道」または「中仙道」と表すと思うのですが、踏切名称はなぜか「仲仙道」。中央本線建設当時はそのような表記もあったのかもしれません。
名古屋行きの特急「しなの」が、振り子電車の威力を発揮して豪快に通過していきます。
旧中山道の橋は今時の橋に架け替えられています。せめて戦前のコンクリート橋で残っていないかなと期待したのですが。頭上の橋は現在の国道19号です。
野尻宿の入口まで来ました。直進すれば野尻宿。左折すれば木曽川に架かる阿寺橋を渡り、阿寺渓谷へと行くことができます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
「第13仲仙道踏切」まで戻ってきました。ここから左側へと山道が分岐しています。このまま旧中山道を戻るのも面白味がないので入り込んでみます。
落石防止施設が現れました。土台のコンクリートに大きな亀裂が入っていますが、大丈夫なんですかね。
竣工年月は1977年(昭和52年)11月とあります。
落石防止施設に沿って進んでいきます。
砂防ダムへと出てきました。もしかしたら、砂防ダム建設時に造られた作業道だったのか…。
砂防ダムの先へと細い通路?が続いているので、進んでみることにします。
斜面に点検用と思われる梯子が設置されています。中央本線の真上になるので、この辺りの斜面は石積みかコンクリートの擁壁で覆われているようです。土砂が積もり草木が生えているので、石・コンクリートのどちらで造られているのかはよくわかりませんが。
今は擁壁の「犬走り」を歩いているわけですね。でも、通路右側の木にピンクリボンが付けられているし、昔の道跡であるかもしれません。
擁壁部分を脱出したようです。
斜面の凹地が崩落しています…。渡れそうではありますが、失敗すると10mくらい斜面を滑り落ちそうです。
この場所で10分くらい立ち止まって進退を検討(笑)。結局、斜面に足場を作りながらじりじりと進み、大丈夫な距離まで来たところで小ジャンプ。反対側へと進みました。
崩落箇所の先の杉林の中には、道跡と思われる隙間が続いていました。
結果的には、国道19号 野尻トンネルの前へと合流。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
車がビュンビュンと走る、歩道の無い国道19号を歩くのは怖いので、ふたたび斜面へと突入。
かつて建物があったのか、側溝に囲まれた平場。
何とかうまく「第14仲仙道踏切」の近くへと脱出し、車へと戻りました。
今回は、昨年3月に探索した野尻森林鉄道柿其線跡を前回よりもさらに上流に向かって探索したかったのですが、廃線跡に取り付けなかったばかりに探索空振りとなってしまいました。
ブログに上げていないだけで、こんなことはままあります(笑)。ネットなどで下調べして向かっても、当時と状況が変わっていることはよくありますし、自分がそもそも探索場所を発見できないこともあります。
まあ、空振りに終わったとしても、代わりに何か小ネタを拾って気分を紛らわすのが大事ですね(笑)。