2023年7月22日土曜日、飯田市南信濃南和田飯島から谷京峠へと向かう峠道を探索しました。谷京峠そのものは、2020年11月28日にJR飯田線為栗駅から始まる峠道を登って訪れています。
さて、谷京峠を通過する地元の街道については、「泰阜村誌」に以下のような記述があります。
「『秋葉道(中道)』…赤石構造線の古道を遠山郷和田より分岐し『飯島』より谷京峠(焼尾峠)に出、これより万古村に下り、万古川を渡って我科村四辻に登り、温田、大畑村の尾根筋を通って…。」
2020年11月の時は谷京峠を訪れることだけを目的として、ネットに山行記録がある為栗駅からの峠道を登っていったわけですが、今回は「泰阜村誌」で「秋葉道(中道)」と呼ばれた街道の内、谷京峠への峠道となる区間を遠山谷側の登り口である「飯島」から探索してみたわけです。

※5万分の1地形図「満島」:明治41年(1908年)測図、昭和8年(1933年)要部修正測図。
谷京峠への登り口の想定場所付近へとやって来ました。とは言っても、実際には登り口の想定場所からは約800mほど離れた場所になります。最寄りに駐車スペースがある場所が無かったのです。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
遠山川沿いを通る国道418号を歩き、谷京峠への登り口の想定場所へとやって来ました。現行地形図にある谷京峠への破線道がこの場所付近から始まっているので、しばしこの辺りを探ってみましたが、どうにもそれらしき場所が見当たりません。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
仕方がないので、ここからひとまず斜面を登ってみることにします。
30分後、ようやく谷京峠への峠道と思われる道筋へ取り付くことができました。どうやら峠道の登り口は、国道の拡幅工事か、登り口付近にある会社敷地の工事で斜面が削り取られて消滅してしまったようです。
いきなり大きなタイムロスとなりましたが、気を取り直して谷京峠へと峠道を登っていくことにします。
登り始めて間もなく、延々と続くつづら折り区間となりました。ただのつづら折りなら別にどうということもなかったのですが、硬い土質の急な斜面に細い道筋がかろうじて残っているような状態。所々、「え~っ、ここを歩くの…。」という場所もあったりして、恐怖を感じる程ではないですが、しばし緊張を強いられました。
つづら折り区間が終わり、ようやくまともな道跡になってきたと思ったら、今度はいろいろと絡んだ倒木が現れました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
その後も倒木が連続する区間を進んでいきます。
植林地へと入ってきたところで、道筋が怪しくなってきました。
強引に直進していったところ、ふたたび峠道を発見。砂や小石が散らばり歩きにくい植林地の中を、時々折り返しを繰り返しながら辿っていきます。
木の根元に石積みの祠がありました。中を覗いてみた限りでは、もう何も祀られてはいませんでした。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
まだまだ折り返しをしながら稜線を登っていきます。
目の前にピークが現れたところで道筋が右側へと逸れていきます。
「これでようやく谷京峠へ直接つながる尾根に取り付けるな。」と思って進んでいったら、ほんの5mほど斜面が崩れていて、道が無くなっていました…。
仕方がないので、峠道が避けていたピークへと登って、迂回ルートを取ります。
やっと谷京峠へと直接続く尾根にやって来ました。赤線は本来の峠道になります。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
現行地形図では、ここから尾根の上を忠実に辿るルートで破線道を記載していますが、実際の道筋は尾根よりもやや下の斜面を進んでいきます。
細尾根を通過します。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ふたたび尾根を登って進みます。
そして、登ったと思ったら今度は下り。谷京峠までの間の尾根にはいくつもピークがあるので、ピークを越えるたびに登ったり下ったりしています。
ここの細尾根には盛土道が築いてあります。短い距離なら、いちいち上下動しないほうが多少でも楽になりますからね。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ここまで登ってくる間にけっこう疲れが出てしまっていますが、そんな時に面倒そうな倒木が現れると、さらに気力・体力を削ってくれます…。
折り返しで登って、また下っていきます。
ふたたび盛土道が現れました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ここからは谷京峠へ向けての最後の上りとなります。
この先はグッと道幅が狭くなり、小刻みな折り返しを繰り返していきます。
樹木化した太い蔓。種類は全然わかりません。
最後の最後でまた緊張する場面もありましたが、やっと谷京峠に到着しました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
飯島から登ってきた峠道の峠側入口にある道標。真ん中には「秋葉大権現」、右側から「右 和田村道」、「嘉永四年」、「亥霜月十五日」、「○○」(不明)と彫られています。嘉永4年は1851年にあたります。
こちらは道祖神。この石碑にも「嘉永四亥年」と彫られているように見えます。その他の文字は彫りがかすれていて、読み取れませんでした。
峠から西側へと進んでいくと三等三角点「谷京山」があります。標高は848.81mです。ちなみに地形図には「谷京峠」とあるので、三角点の基準点名も「谷京峠」だと思っていたら、実は違っていました(笑)。
峠にある鳥居。火除け・火伏せ信仰で知られる秋葉神社(静岡県浜松市天竜区)の遥拝所であることを表しています。「柱」だけが立っていて、「笠木」、「貫」、「額束」は落ちてしまっていますが、2020年11月に訪れた時はまだ鳥居の形を残していました。
石碑。四面にびっしりと文字が彫られていますが、谷京峠に関する由来が彫られているようです。「嘉永五年三月上澣建」との一文があり、1852年に建てられたものだとわかります。
三十三観音の石仏群。
木々の隙間から南アルプスを望みます。
峠の全景です。右側の鳥居の先にある峠道を下って行くと、為栗駅と万古集落跡へ向かうことができます。
十七番の観音像。なぜか石仏群から離れて、その背後に置かれています。うつ伏せに倒れていたので、起こして据え直しました。
それでは車へと戻っていきます。本当は時間が許せば、峠を通過して万古集落跡まで峠道を探索するつもりでしたが、標高差500mを登ってきただけで体力を消耗してしまったので、今回は止めました。
1時間50分後、無事に車へと戻ってきました。
今回の探索ルートの全体図です。青線は帰りにショートカットして車へと向かったルートです。
飯島からの谷京峠の峠道は、私としては体力的になかなか厳しかったです。特に前半部分は、峠道への取り付きでのタイムロスから始まって、ひたすら急坂での上り坂でしたから、ここで体力を消耗してしまったようなものです。
次は、谷京峠と万古集落跡とを結ぶ峠道を探索することになりますが、万古集落跡側から谷京峠を目指す形で実行する予定です。