土曜日の午後、旧豊橋鉄道田口線の田峰-清崎間に残る廃線跡を歩いてきました。
この区間の昭和5年12月に開業し、経営不振と台風による損害で昭和43年8月に廃止されました。
国道257号清嶺トンネル近くに車を停めて、廃線跡となる寒狭川沿いの道に入ります。
清嶺トンネルのすぐ脇に残るのが「清崎第三隧道」(190.8m)です。
坑口付近の斜面が崩落したようで、土砂と倒木に塞がれています。
中は見事に水没。水の透明度は高いですが進入不能。
この先は国道トンネルに改築されているため、行き止まりになっています。
再び川沿いの道を歩きます。路上に落石が多いです。
次なるトンネルに到着しました。ここは「清崎第二隧道」(延長118.2m)です。
坑口付近は土砂の流入のため、半分くらい埋まった状態です。
土砂が流れ込んでできた緩やかな斜面をトンネル内へと歩いていきます。
トンネル内はコンクリート巻き立てされている部分と岩盤が露出する素掘りのままの部分が混在しています。
退避坑ですね。緩やかにカーブしたトンネルなので設置されたのでしょう。
反対側に近づいてきました。
こちらも土砂が流入していて、本来なら頭上にあるはずの碍子が目線の高さにあります。
こちら側の坑口は倒木が覆いかぶさっています。
この先には小さな橋が2か所連続します。
1つ目(名称不明)。沢が深くてけっこう高さがあります。
間に倒木地帯を挟んで、
2つ目(名称不明)。側面に「大阪鐵工所 昭和5年」のプレートがあります。
先ほどのトンネルを抜けた辺りからは線路の砂利がそのまま残っているため、なかなか歩きづらいです。
3つ目のトンネルへとやって来ました。「第一清崎隧道」(延長332.5m)です。
「清崎第二隧道」と違い、一直線のため反対側の光が見えています。
土砂の流入もないため、本来のトンネルの高さを見ることができます。
このトンネルもコンクリートで巻き立てられている部分と素掘りのままの部分が混在しています。
トンネル内で土砂も草木もないため一面本来の砂利敷きのままです。
素掘り区間では落盤している所もあり、こういう場所は足早に通り抜けます。
330mの暗闇を抜けて反対側坑口へと来ました。
こちら側は倒木がかぶさっています。
このすぐ先は「西山橋梁」です。
先ほどの2つの橋よりも径間があるため、よりしっかりした造りになっています。
この橋も「大阪鐵工所 昭和5年」のプレートが付いていました。
振り返ると「清崎第一隧道」が見えます。
さらに先へ進むと寒狭川に洗掘されて路盤がなくなってしまっています。
この先も崩落した斜面を辿って進んでいくことが多分できるでしょうが(8年前は踏破できました。)、今回はここまでにします。
最近は径の小さい煉瓦暗渠ばかり回っていたので、久しぶりに鉄道トンネルに入ると「大きいなぁ。」ということを実感します。前に来た時よりも崩壊が進んでいるようなので(保守されていないから当然ですけど。)、あとどれくらい残っているかはわかりませんね。
Posted at 2016/03/06 02:12:52 | |
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旧豊橋鉄道田口線跡 | 日記