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小林あにのブログ一覧

2022年07月09日 イイね!

伊勢奥津駅・奥津宿と北畠氏館跡庭園へ行ってきました

2022年5月22日日曜日、三重県津市美杉町奥津のJR名松線「伊勢奥津駅」と伊勢本街道「奥津宿」、津市美杉町上多気の「北畠氏館跡庭園」へ行ってきました。

この週末は、「廃道歩きのネタを思いつかないなぁ。」という感じで、せめてどこかドライブにでも出かけようかと考えていました。ふと「北畠氏館跡庭園へ行ったことがないなぁ。」と思い、行ってみることにしたわけです。

自宅から国道23号知立バイパス、伊勢湾岸道、東名阪道、伊勢道と乗り継ぎ、久居ICで高速を降りて、三重県道15号で現地へと向かいました。そして、雲出川に沿っていく県道15号を走行していくと、津市美杉町上多気ではなく山ひとつ西側の集落である奥津へと出ることになります。

せっかくなので、JR名松線の終端駅である伊勢奥津駅へと立ち寄ってみました。JR名松線はJR東海の中でもトップクラスのローカル線です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅構内です。




駅前から集落へと歩いていきます。

駅前にある映画館跡の空き地。案内板が立っています。


奥津は、かつて伊勢本街道の宿場町として栄えていたそうです。明治時代に入り、伊勢本街道を歩いての伊勢参りが徐々に廃れていくことで集落は寂れていきますが、昭和10年(1935年)に名松線が伊勢奥津駅まで開通したことで、周辺地域の交通拠点として活気が戻ったそうです。

空き地となった映画館跡は、その往時の賑わいの名残りの場所という訳です。

駅前通りと伊勢本街道の交差点へと来ました。この場所には明治時代に立てられた大きな石柱の道標が立っています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

交差点に建つ古い店舗「ぬしや」。


交差点を右折し、集落内を西に向かって歩いていきます。

古い案内標識が残っています。かつてはこの道が国道369号でした。


案内標識の先にも、宿場町時代のものと思われる古い家屋があります。


伊勢本街道と交差して美杉町川上へと向かう、県道695号と古い橋。親柱に橋の名前が彫られていましたが、読めませんでした。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

伊勢本街道と県道695号との交差点の眺め。


伊勢本街道「奥津宿」の案内板。


今度は奥津宿の東側へと伊勢本街道を歩いてみます。

宮城橋。旧国道は雲出川の左岸を直進しますが、伊勢本街道は宮城橋で右岸へと渡り、奥津宿の東側にある飼坂峠を目指します。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

宮城橋から先は路地のような狭い道になりますが、道沿いには古い家屋が点々と続いています。






家並みが途切れたところで引き返し、車へと戻ります。

帰りは伊勢本街道を戻らず、雲出川とJR名松線を渡り、旧国道へと入っていきます。






旧国道へと入った所にあった古い看板。「ヂーエッチ號自転車」とあります。ネットで検索してみましたが、該当する自転車メーカーはヒットしませんでした。


伊勢奥津駅に残る給水塔。かつて運行していたSLに給水するための施設です。


ここからは国道369号を東方向へと進み、飼坂トンネルを抜けて美杉町上多気へと向かいます。

北畠神社へとやって来ました。ここは「伊勢国司」北畠氏の居館跡だそうです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

北畠氏は、建武新政期から南北朝内乱期の頃に伊勢へ国司として赴き、戦国時代に至るまで「伊勢国司」を名乗り、一定の勢力を保持し続けました。

しかし、1569年に南伊勢に侵攻してきた織田信長の圧力により、信長の次男「茶筅丸」(のちの織田信雄)を養子として受け入れますが、最終的には1576年に織田氏により滅ぼされました。

さて、北畠神社境内にある北畠氏館跡庭園は、1528年頃に細川高国(細川京兆家15代当主。室町幕府の管領。摂津国・丹波国・山城国・讃岐国・土佐国守護。)により造園された説が有力で、戦国時代に造園された庭園が埋没することなく残されていたものとして貴重な例だそうです。

一時期は室町将軍を差し置いて政権運営を担っていた権力者の細川高国が、わざわざ伊勢の山奥で庭園の造園に関わったのは、当時の北畠氏当主の義父だったことと、なにより高国自身が権力闘争に敗れて京都から北畠氏を頼って落ち延びている状況だったからです。

庭園を見学する場合は、社務所にて入園料を支払います。


庭園内部です。説明によると「池泉鑑賞様式の武家書院庭園」だそうです。「米」字型の池を中心に各種の石木が配されていますが、枯山水庭園の趣きも備えています。日光が差すと木々や苔の緑色が鮮やかに映えて、とてもきれいでした。










Posted at 2022/07/09 23:31:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年06月25日 イイね!

長野県白馬村「姫川源流自然探勝園」へ行ってきました

2022年4月30日土曜日、姉の誘いで母と私の3人で長野県北安曇郡白馬村神城にある「姫川源流自然探勝園」へ行ってきました。

姉の軽四に乗り、自宅を5時半前に出発。新東名豊田東ICから高速に乗り、東海環状道、中央道、長野道と乗り継いで安曇野ICへ。安曇野ICからは、長野県道310号・306号で高瀬川沿いを走行し大町市へ。大町市からは国道147号・148号を走行して現地へとやって来ました。

こちらは最寄りの駐車場となる隣接するスキー場の駐車場。自宅から現地まで4時間かかりました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

国道148号を横断して、自然探勝園へと向かいます。




自然探勝園入口の案内板。


この先は未舗装の徒歩道を歩いていきます。




駐車場から歩くこと10分強。姫川源流に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この場所のような湧水地や清流のせせらぎをのんびり眺めていると、心が落ち着きますね。










4月末日ですが、遠方に見える白馬連峰の山々はまだまだ真っ白です。


源流地帯の見物はこれくらいにして、自然探勝園内の他の場所へと移動します。




湿原が見えてきました。


「親海湿原」です。案内板によると、湿原への水の供給は湧水のみで、川による水の流入・流出は無いそうです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

湿原内に設置された木道を散策します。湿原と言っても、水に浸かっているのは半分くらいでしょうか。陸地化している部分もけっこうあるようです。










「親海湿原」を後にして、車へと戻ります。


ゴールデンウィークということでそこそこ人出があるかと思っていましたが、「姫川源流自然探勝園」を訪れる人は少なく、のんびりマイペースで風景を楽しむことができ、良いリフレッシュになりました。

さて、まだ時間があるので次はどこへ行こうかという話になり(毎回、2か所目以降の訪問先を決めないでドライブへ出発していることがほとんど…。)、姉が「糸魚川市に『フォッサマグナミュージアム』というのがあるから行ってみよう。」ということになりました。

「フォッサマグナミュージアム」


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

実は、私自身は2021年8月14日に弟と訪れているのですが、化石とか珍しい鉱石とか楽しめる展示物があるので、「まあいいか。」と特に異論は挟みませんでした(笑)。2度目なので展示物の写真はありません。

せっかく日本海側の糸魚川市まで出てきたので、帰りは国道8号で親不知・子不知を通り抜けて、富山県へと出ることに。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

北陸道朝日ICから高速に乗ろうと考えていたら、姉から「舟川という川から立山連峰を眺められるそうだから、寄ってみよう。」と言われ、朝日ICを通過して眺望スポットにある「舟川べり桜並木駐車場」へと来ました。

場所はこちら。


眺望スポットからの後立山連峰と立山連峰の眺め。








山並みを見終えて、朝日ICから北陸道へ。有磯海SAで眠気が出てきて姉と運転を交替。この後はずっと助手席でウトウトしてました。
Posted at 2022/06/25 19:40:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年06月05日 イイね!

富山県「雨晴海岸」までドライブに行ってきました

2022年4月10日日曜日、姉の誘いにより家族4人で富山県高岡市の雨晴海岸までドライブに行ってきました。姉が自分の軽四を出そうかという話でしたが、大人4人で軽四は狭いので、私の車で行くことにしました。

前日土曜日は「カンバンタ山道」探索で、その疲れも残る中、自宅を朝5時過ぎに出発。新東名豊田東ICから高速に乗り、東海環状道、東海北陸道のルートで進んでいきます。

高速でこのまま進んでいくのも面白味が無いので、白川郷ICで一旦降りて、そのまま道の駅でトイレ休憩。


次の五箇山ICまで国道156号を走り、そこから再び高速道路へ。

能越道で高岡市内まで進み、そこからは下道へ。高岡市内の大きな通りは、TGRラリーのリエゾン区間で何度も通っているので、SSにも使われる眺望の良い二上山万葉ライン(スカイライン)なども寄り道しつつ、雨晴海岸へと進んでいきます。

10時頃、雨晴海岸に到着。最寄りの道の駅は駐車場が満車。駐車スペースを探してしばらく付近をウロウロすることに。

国道415号沿いに小さな駐車場があったのでそこに車を駐車。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

しばしこの場から海を眺めておりました。




さて、姉としては、この海岸から富山湾を挟んで眺める立山連峰という景色を期待していたようですが、立山連峰方面は写真のとおりの春霞。まったく遠望が利かず、どうも期待外れだったようです…。

それではどこへ行くかという話になり、姉としては「魚津市にあるチューリップ関係の施設に行きたい。」という話でしたが、「ここから魚津市は遠い。」と私が却下。「明日は月曜日なんだから、せめて帰宅する方角で考えてくれ。」と決め直してもらいます。

そうしてやって来たのが、砺波市の「砺波チューリップ公園」。弟は花に興味は無いので「車で寝てる。」とのこと。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

せっかくやって来ましたが、残念なことにここでも空振り…。チューリップのシーズンにはまだ半月から1か月早かったようで、花壇のスペースには何にも植わっていないか、違う種類の花がちらほらとあるのみ。

公園内を散策するのみでした。




お昼はそのまま砺波市内の和食店にて。


砺波市から白川郷までは、庄川沿いの国道156号を走っていくことに。

途中で立ち寄った小牧ダム。1930年(昭和5年)完成のダムで、国の近代化産業遺産に登録されています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

他の家族はみんな車の中で休憩。一人でダム堰堤を歩き回っていました。












小牧ダムから上流は、庄川沿いの深い渓谷をいくつものトンネルやロックシェッドをくぐって通り抜けていきます。

道中、庄川の対岸の山の中腹にはずっと林道が並走しており、ところどころで大規模な崩壊を起こしているのがよく見えています。弟が「すごい道だな。」ということを話しかけてくるので、「相当ヤバい廃道らしいわ。」と返事。二人してずっと目で追いかけながら車を走らせていました

さて、南砺市祖山の国道156号沿いのトイレ付駐車帯でトイレ休憩。


場所はこちら。


庄川の渓谷の下流方向を眺めています。国道156号が山の急斜面に張り付くように通っていることがよくわかります。


雪解け水が豪快にロックシェッドの屋根から流れ落ちていました。


この後は白川郷ICから東海北陸道へ。何度か休憩を取りつつのんびり帰りましたが、19時には帰宅できました。
Posted at 2022/06/05 15:29:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年05月15日 イイね!

高山本線猪谷駅までドライブしてきました

2022年3月26日土曜日、弟が土曜日休みということで一緒にドライブに出かけてきました。弟からは「ドライブに連れていってくれ。」というだけで行き先にリクエストは無し。「岐阜県を縦断して、県境を越えた猪谷駅でUターンするか。」と私が勝手に決めました。

自宅を7時50分頃に出発。新東名豊田東ICから高速に乗り、東海環状道を進んでいきます。

初めは、東海環状道から東海北陸道へと進み、飛騨清見ICから猪臥山トンネルを抜けて飛騨古川に出て、そこから国道41号で北上しようかと考えていましたが、急に気が変わり、東海環状道美濃加茂ICで高速を下りて、国道41号で北上することにしました。

最初に寄り道したのは、岐阜県下呂市門原にある門原トンネル(門原隧道)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

素堀りのトンネルで、設置されている説明板によると開通は大正6年(1917年)。岐阜県下で最初の道路トンネルとして建設されたそうです。


現在の国道は、トンネルがある岩壁を川側へ迂回して通っていますが、この道路が建設されるまでの45年間ほどトンネルは利用されたそうです。




さらにこの後も飛騨川に沿って、下呂、萩原、小坂などの街を通過しつつ、国道41号をひた走ります。

そして、段々と眠たくなってきたので(最近はすぐに眠たくなる(笑)。)、高山市久々野町の道の駅「飛騨街道なぎさ」で停まります。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここで昼御飯を食べた後、車の中で仮眠。結局、1時間50分ほど休憩してしまいました(笑)。

ふたたびドライブ再開。令和2年(2020年)12月に開通した国道41号宮峠トンネル(延長1863m)を初めて通り抜けて高山盆地へ。高山市内は国道41号を離れて、市街地を通る旧国道を通行。そのまま飛騨市古川町まで旧国道を走り、古川町杉崎から岐阜県道75号へと入ります。

飛騨市古川と飛騨市神岡を結ぶ県道75号は、かつて高山と富山を結んでいた街道の一つである「越中東街道」の明治時代以降のルートであり、昭和41年(1966年)までは国道41号に指定されていました(現在は数河峠を越えるルートになっている。)。

神原峠にある神原トンネルを抜けて、峠の飛騨市神岡側にある駐車帯でトイレ休憩。3月下旬ですが周囲にはまだまだ残雪があります。


場所はこちら。地図内にも書き込んでありますが、神原峠の旧トンネルは岐阜県下では珍しい煉瓦坑門を持つトンネルでした。今回は立ち寄っていません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この先で県道75号から国道41号へ合流。飛騨市神岡を通過して、高原川沿いとなった国道41号を走行していきます。

またも寄り道。高原川を堰き止めている新猪谷ダムです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ダム付近は強風が吹き荒れていて、傘がめくり上がりそうな程でした。


次に立ち寄ったのは旧国道41号の千貫橋。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今も道路地図などに明記されているので、もしかして通行できるのかなと立ち寄ってみましたが、ご覧のとおり頑丈そうな門扉で封鎖されていました…。


そして、千貫橋から走ること10分ほど。ようやくUターン地点である高山本線猪谷駅に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここ猪谷駅は、JR東海とJR西日本の境界駅となっております。


駅舎内。特急ひだの停車駅ですが、窓口は閉鎖され、無人駅となっています。


ホームに停めてあったホンダ製の除雪機。カタログを見ると中型の除雪機のようで、1台70万円から100万円はするようです。


猪谷駅の駅名板。


かつては飛騨市神岡へと向かう神岡鉄道(2006年12月廃止。)の分岐駅であり、高山本線の運転上の要衝駅でもあるため、広い構内を持っています。


猪谷駅で引き返し、飛騨市神岡に程近い国道41号吉ヶ原橋のたもとに来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここで少し国道41号吉ヶ原橋の旧道を歩いてみます。旧道はご覧のとおりすでに廃道と化しています。


吉ヶ原橋を眺めます。上路トラス橋というタイプですかね。


廃道を進んでいくと短いコンクリート橋が残っていました。


「岩之谷橋」とあります。


竣工は昭和28年(1953年)10月。年代からして増加する自動車通行へ対応するためにコンクリート橋へ架け替えられたものでしょう。


橋の下には水の流れが無いガレた斜面があるだけです。


橋の上流側の斜面を見上げます。


凹地になっている斜面は石畳になっていて、上部には石積みの床固工?が設けられています。


落石や雪崩を避けるために橋を架けてあるのかもしれません。ただ、すでに橋下の空間に余裕がないので、将来大規模な崩落や雪崩があれば岩之谷橋は高原川へと押し流されてしまうでしょう。

斜面構造物と人の対比。岩之谷橋と同じ頃に施工されたものと思われますが、けっこうな規模の治山施設だとわかります。


この時点ですでに雨が降っており、時刻も16時近くと遅かったため、廃道歩きは岩之谷橋までにして車へと引き返しました。

車を停めた駐車帯近くにあった神岡軌道のトンネル跡。中は10mほどで埋没しています。


神岡軌道は、国鉄神岡線(のちの神岡鉄道。)が開通する以前に神岡と猪谷駅を結んでいた、ナローゲージの鉄道です。

寄り道はここまでにして、帰路につくことにします。

来た道で帰るか、飛騨古川から飛騨清見ICへ出て東海北陸道で帰るか、全く違うルートで帰るか。早くて楽なのは東海北陸道ルートですが、どうせ明日も日曜日で休みだしと、飛騨市神岡から国道471号へと入り、平湯温泉へと出て国道158号へ。安房トンネルを抜けて、梓川沿いの渓谷を奈川渡ダムまで走り、ダムからは長野県道26号へ。境峠を越えて、木祖村薮原で国道19号へ。あとは国道19号をひた走り、中津川市内で晩御飯。中津川ICから中央道に乗り、22時20分頃帰宅しました。
Posted at 2022/05/15 23:05:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年05月14日 イイね!

伏見稲荷大社へ行ってきました

2022年3月20日日曜日、姉に誘われて母と3人で京都市伏見区にある伏見稲荷大社へと行ってきました。




楼門。


外拝殿。


本殿。


本殿の左側を通って奥へと進んでいくと、よく知られている「千本鳥居」が始まります。


参拝客が多いとはいえ、境内を歩いているうちはあまり混みあっている感じはありませんでしたが、狭い通路となる千本鳥居はどうしても密集した行列になってしまいます。


千本鳥居はひとまず奥社の前で終わります。ここで引き返す人も多くいますが、私たちはさらに奥へと続く鳥居群をくぐり、先へと進んでいきます。


奥社から先はすっかり参拝客が減ってしまいました。


他の参拝路と合流して、山の上へと進んでいきます。








見晴らしの良い場所へと出てきました。ここまでずっと曇天でしたが、一時晴れ間が見えました。京都市街地を眺めています。


山上への参拝路はどんどん急坂になっていきます。


こんな急坂に連れてこられると思っていなかった母は、疲れが出てきてだんだんと歩みが遅くなっていきます。私も伏見稲荷大社の奥にこんな参拝路があるとは全然知りませんでした。


三ノ峰(下社神蹟)。


延々と続く急坂の参拝路を休み休み登っていきます。


二ノ峰(中社神蹟)。


一ノ峰(上社神蹟)。標高233mある稲荷山の頂上になります。


もと来た参拝路では戻らず、そのまま先へと進んでいきます。ここからは基本下り坂になります。






「四ツ辻」まで戻ってきました。登ってきた時に京都市街地の写真を撮った場所です。ここで少し休憩します。


伏見稲荷大社の外周を通る道を進んで下っていきます。道に沿って小さな区画がたくさん設けられており、それぞれの区画の中に大小さまざまな石碑が立てられています。長野県の御岳山でも同じような光景を見ます。


JR奈良線稲荷駅へと続く参道へと戻ってきました。足かけ3時間ほどかかり、有名な神社へ参拝しに来ただけのつもりが、ちょっとしたハイキングになってしまいました(笑)。


姉はこれで目的を達したので、「あと行ってみたい所があれば寄ってもいいよ。」と言われたので、私が行ったことのない三十三間堂へ行くことにしました。

京都市東山区へと移動してから、駐車場を探して三十三間堂周辺をウロウロと走り回り、ようやく空きのある駐車場を発見。徒歩で三十三間堂へと向かいます。

道中、大きな塚を発見。「これはあの耳塚じゃないか。」ということで外から眺めます。


「耳塚」とは説明板にもありますが、豊臣秀吉による文禄・慶長の役の際に戦功のしるしとして朝鮮半島から送られてきた敵将・敵兵の耳や鼻を埋めて供養した塚です。


戦功があったことを証明するために敵の首級を上げるということはよく知られているところですが、さすがに遠方の地である朝鮮半島から首級を日本へと送るのは大変なため、かさばらない耳や鼻を削ぎ落として、樽に塩漬けにして送ったそうです。数を水増しするために、一般庶民の耳や鼻を削いだ例もあるようです。

戦争における狂気の一端を感じさせる史跡です。

そして、耳塚から100m~200mほど歩くと、今度は豊国神社がありました。ここを訪れるのも初めてです。祭神は豊国大明神、豊臣秀吉ですね。


唐門。元々は伏見城にあった門だとの伝承があります。その後、二条城へ移築され、それを金地院崇伝が譲り受けて金地院の門となっていたそうです。江戸時代に廃絶となっていた豊国神社が、明治時代になって現在の地に再建された際に再度移築されてきました。




唐門から境内の眺め。


「豊国大明神」の扁額。


「国家安康」の梵鐘。「方広寺鐘銘事件」と呼ばれる日本史好きな方ならよく知る事件にかかわる梵鐘です。




「国家安康」と「君臣豊楽」の銘文。「徳川家康の「家」と「康」を分断して呪詛し、「君「臣豊」楽」と豊臣姓を銘文に入れた。」と徳川家康から豊臣家に対して執拗に行われた非難・追及が大坂の陣を引き起こし、豊臣家を滅亡に至らしめたとされています。


三十三間堂へとたどり着く前に一人盛り上がってしまいました(笑)。

さて、ようやく三十三間堂です。正式名称は蓮華王院。


先にお堂の中で千手観音坐像と千体千手観音立像を拝観してきました。お堂の中は撮影禁止のため、写真はありません。

この後は三十三間堂の外周を巡ります。








境内に居た地元の方が教えてくれた垂木に刺さる矢。




今回の京都は今までに行ったことが無い場所ばかりでした。京都市内は有名観光地ですら行ったことが無い場所が数多あるので、これからも折を見て訪れてみたいと思います。まあ、姉が行く時に便乗する形でしょうけど(笑)。
Posted at 2022/05/14 18:29:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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「【富山県】黒部ダムへ出かけてきました http://cvw.jp/b/1796277/48759927/
何シテル?   11/11 01:11
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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