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小林あにのブログ一覧

2022年04月29日 イイね!

木曽谷の国道19号をドライブしてきました

2022年3月6日日曜日、母と弟を誘って長野県の木曽谷を通る国道19号をドライブしてきました。前日の3月5日土曜日も木曽谷の鳥居峠周辺をウロウロしていましたが、「まだこれだけ雪景色が見られるのなら、母を連れてドライブするか。」と思い立ち、連日でドライブに来た次第です。

新東名豊田東ICから高速に乗り、東海環状道・中央道と経由。中津川ICで高速を下りて、国道19号を北上。母には「どこか寄りたい場所はあるか?」と尋ねましたが、「特にないから好きにドライブしてくれればいい。」ということだったので、淡々と国道19号を走行します。

一気に長野県塩尻市奈良井の旧中山道奈良井宿の駐車場まで来ました。ここでトイレ休憩です。

私は展示されているC12形蒸気機関車を撮影。




この後、さらに国道19号桜沢トンネルまで進んでUターンします(ここの写真は2月12日土曜日に撮影したもの。)。




次にやって来たのは、中央本線贄川駅。


特に何かあるわけではなく、単に「駅」に立ち寄りたかっただけです(笑)。




駅舎の建物資産標。明治42年(1909年)12月とありますから、築112年余りということになりますね。建物資産標が見つかれば駅舎などの完成時期がわかるので、何気にチェックしています。


ただ、建物資産標に記載の年月が、資産管理台帳に最初に登記された年月のままを記載していて、実は建て替えられているケースもあるみたいです。

駅構内の眺め。






さて、駅構内の写真を撮り終えて車に戻ろうと跨線橋を渡っていたら、年配の男性が駅舎からホームへとトコトコ出てくるのが見えました。そしてその方、ホームの端に立ってもぞもぞしだしたんです。「あんな端っこに立って危ないなぁ。」と階段を下りながら見ていたら、立小便しだしました(笑)。

駅舎の横に立派な公衆トイレがあるんですが、「なんでわざわざホームに立って線路に向かい立小便してるんだ?」と眺めていたら、その方、私に気づいて慌て気味(笑)。何とか用を済ませ、そそくさと駅舎を出ていかれました。ちなみに地元の方ではなかったようで、静岡ナンバーの軽四で立ち去られました。漏れそうでよっぽど慌てていたのでしょうね。

贄川駅を後にして次に訪れたのは、木曽郡木祖村薮原の道の駅「木曽川源流の里きそむら」。ここで昼御飯とちょっとお買い物。

私はソースかつ丼をいただきました。


最後に立ち寄ったのは、木曽郡南木曽町戸場にある柿其水路橋。同じ町内にある関西電力読書発電所への導水路が柿其川を跨ぐ地点にある橋です。何度も訪れています(笑)。


ここを訪れたのは、水路橋の継ぎ目からの漏水が作り出す大きな氷柱を見るため。


一番大きな時は、水路橋の幅一杯にカーテンのように氷柱ができていることもありましたが、今年はあまり大きくありませんでした。残念。


毎冬訪れているわけではないですが、私が見た中で一番大きかった時の写真です。撮影は2012年3月3日。当時持っていたガラケーで撮ったので画質は悪いです。


今度は水路橋を上から眺めるために移動します。


水路橋の上へとやって来ました。


導水路を覗いてみると水がほとんど流れていませんでした。発電所や導水路の点検でもしているのでしょうかね。


柿其水路橋の案内板です。




さて、水路橋の上から柿其川の対岸の斜面を眺めていたところ、弟が「あそこにある道みたいのは何だ?」と尋ねてきたので、「確か、森林鉄道の跡だな。」と返事をすると、「トンネルが見えるぞ。」とさらに話しかけてきます。

確かにトンネルが見えています。何度も来ていて今まで全然気が付きませんでした。さっそくスマホで柿其森林鉄道と検索。今見えている場所も含めて近隣に何か所かトンネルが残っているようです。

ひとまず見えているトンネルまで行ってみようということになり、森林鉄道跡へと向かいます。

また柿其川を渡り、森林鉄道跡へとやって来ました。ここからトンネルへと向かってみます。


柿其水路橋の上流側です。




水路橋を渡っていた橋の橋台が残っています。


林の中にも一直線に線路跡が残っています。


崖崩れで線路跡が土砂に埋もれていました。


弟がいる先は柿其川へと落ち込む断崖です。矢印のように越えていけなくもなかったですが、土砂が真砂土のためボロボロ・サラサラで、滑ったらそのまま柿其川までダイブする羽目になります。これ以上進むのは断念しました。

線路跡を戻ってきました。だいぶ雪の降り方が激しくなってきましたが、中津川市へ着く前には止んでしまいました。


今回は母に雪景色を見せようとドライブに来たわけですが、最後は次回の探索ネタを拾う形になりました(笑)。
Posted at 2022/04/29 05:38:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年04月17日 イイね!

御前埼灯台・蓬莱橋へとドライブしてきました

2022年2月27日日曜日、母・弟とともに静岡県御前崎市の御前埼灯台と島田市の蓬莱橋へとドライブしてきました。弟が「(東名の)牧ノ原SAで安倍川もちを買いたいから連れてって。」というのが出かけた理由(笑)。

自宅を7時45分に出発。行きは高速道路を使わず、国道1号・国道150号とひた走り、御前埼灯台に到着したのは11時30分。

御前埼灯台は数年に一度くらい何気に訪れていますね。


当日は晴天でしたが強風が吹き荒れる様相。というか、御前埼灯台へ来て無風だったことが無いという方が正しいですかね。


御前埼灯台です。案内板によると明治7年(1874年)の建設とあり、令和3年(2021)年8月2日に国の重要文化財に指定されました。明治時代の早い時期に建設されたのは、関東と関西を結ぶ重要な航路が岬の沖を通過しているからなんでしょうね。




灯台や付属する官舎は煉瓦製。今回は見学できませんでしたが、灯台内部に入ると壁面に覗き窓が付けられていて、塔が煉瓦積みで造られていることを確認することができます。


灯台から西側の海岸線を眺めています。強風にあおられた幾筋もの白い波が海岸線に打ち付けています。


最後にもう一枚。


駐車場へと戻ってきました。


もう1か所どこかへ行くかという話になり、ちょっと離れていますが、島田市の大井川に架かる蓬莱橋へ行くことにします。

御前崎から走ること1時間ほど。蓬莱橋へと到着です。


あらためて、蓬莱橋です。最初に架橋されたのは明治12年(1879年)。全長は897.4mで「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに認定されているそうです。


御前崎では強風にあおられていましたが、ここ蓬莱橋も相当の強風。写真ではわかりにくいかもしれませんが、大井川の河原から砂塵が巻き上がっています。


私の感覚では「強風のため通行禁止」になってもおかしくなさそうな状況でしたが、全くそんな気配は無し。せっかく来たのだからと渡ることになりました…。

弟は仕事柄高所に慣れているからなのか、強風をものともせずにスタスタと歩いていきます。一方の私は高い所が苦手。その上に強風にあおられて腕にしがみ付いてくる母を連れてヨチヨチ歩きで進むことになりました…。

対岸に着いてホッと一息つきつつ、橋のたもとから元来た対岸を眺めます。


こう見るとやはり華奢。古い形式の木造橋なので、欄干はあって無きがごとし。幅は人がすれ違える程度。大河を渡るので橋高は高め。これで風にあおられて石の河原へ落ちたら頭真っ二つですよ…。

もう来ることはないかもしれませんが、どうしてもとなったら風の無い日にしたいですね…。

弟に言わせれば「急斜面の廃道をすたすた歩いているあんたの方がよっぽど怖いわ。」ということらしいですが、この橋みたいに明け透けな場所を通るわけではないですからねぇ。絶壁の上を歩くのは絶対無理ですけど。

とにもかくにも何とか無事に橋を往復。帰りは吉田ICから東名高速に乗り、当初の目的どおり弟は牧ノ原SAで安倍川もちを購入しました。
Posted at 2022/04/17 10:33:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2021年12月25日 イイね!

竹田城跡・神子畑鋳鉄橋・神子畑選鉱場跡

2021年11月13日土曜日、兵庫県朝来市の竹田城跡、神子畑鋳鉄橋及び神子畑選鉱場跡を巡ってきました。

出かけるきっかけとなったのは、弟から「11月13日の土曜日は仕事休みだから、兵庫県の竹田城へ行こう。」との話があったため。どこから竹田城のネタを仕入れたのかはわかりませんが、普段はドライブへ一緒に出かけることがない姉も「行く。」と言い、最後の最後まで迷っていた(長距離だから。)母も結局行くことになり、久しぶりに家族4人でのドライブとなりました。

自宅を早朝5時45分頃出発。国道23号知立バイパス→伊勢湾岸道→新名神→名神→新名神→中国道→舞鶴若狭道→北近畿豊岡道のルートで進み、北近畿豊岡道の和田山ICで下りて国道312号へ。

和田山ICからさらに走ること約2.5km。竹田城跡への最寄りの駐車場の一つである「竹田まちなか観光駐車場」に到着です。自宅から約5時間かかりました。


さて、竹田城跡は正面にある山の頂上にあるのですが、ここでちょっとトラブル発生。母は城跡があの高さの山の頂上にあったとは思っていなかったようで(一応説明したはずなんですが…。)、「(山の中腹まで巡回している)バスに乗っていく!」と聞かず、「本数が少ないから待っているだけ時間がもったいない。」と兄弟で説得。渋々、歩いて登ることに同意しました。

気を取り直して、城跡へと出発です。駐車場から「たけだ城下町交流館」の敷地を通っていきます。


敷地内にある煉瓦構造物。何も説明書きはありませんでしたが、ここはもともと酒造場の跡地(建物の一部は再利用されている。)らしく、一番下に焚口らしきものがあるので大型の竈か何かだったのでしょう。


敷地を通り抜けて、播但線の踏切を渡るとお寺が並ぶ街路に出ます。


右へと曲がり、しばらくこの街路を歩いていきます。


竹田城跡への登山道の入口に来ました。ここからの登山道は「駅裏登山道」と名付けられています。ちょうど播但線竹田駅の裏側にあたるからです。


ここからの道は、城跡を見物するために歩いていく単なる通路ではなく、まさしく「登山道」でした(笑)。




予想以上にハードな登山道を登ること約40分。「竹田城跡料金所」に到着です。城跡まではもう少し登りますが、ここで一旦小休止。


料金所で入場料500円を支払い、城内へと入ります。登ること程なくして石垣が目の前に現れました。


城内からの眺め。さすが「天空の城」と呼ばれるだけのことはあります。


眼下に見える竹田の街。


細長い山頂部の各所に石垣が築かれているので、景色を眺めつつ奥へと進んでいきます。




天守台の石垣が見えてきました。


これは播但連絡道のアーチ橋ですね。


天守台の上から北側の眺め。ここまでに歩いてきた城内を見ています。


こちらは南側の眺め。竹田城跡の紹介写真でよく見かける景色です。この高所によくもまあこれだけの規模の石垣を築いたものだと感心します。




天守台の南側へと下り、天守台を振り返って眺めた景色です。




城内の南の端まで来ました。これで竹田城跡とお別れです。


帰りは違う登山道で駐車場へと戻ります。「表米神社登山道」とあります。


この道が「駅裏登山道」よりもさらにすごい急坂(笑)。行きにこちらを選ばなくて良かったです。


道の名前になっている表米神社へと出てきました。


「せっかく来たから。」と母が参拝中。


「相撲桟敷」。中央に土俵があり(ブルーシートを被せてある所。)、その周りを半円形に囲むように石積みの桟敷が設けられています。兵庫県の有形民俗文化財に指定されているそうです。


表米神社の参道を下っていきます。


播但線竹田駅に停車中のキハ41。


旧木村酒造場。


駐車場へと戻ってきたのは13時半過ぎ。

お腹が減ったので飲食店を検索しましたが、周辺に適当なお店が見つからず、結局近くにあったうどん屋で昼食。




これで今回のメインは終了しましたが、せっかくここまで足を伸ばしてきたので、私の希望で寄り道します(笑)。

竹田城跡からさらに南方向へと移動。同じ朝来市内にある「神子畑鋳鉄橋」へやって来ました。竣工は1885年(明治18年)。日本に現存する鋳鉄製の橋梁では最古のものだそうで、国の重要文化財に指定されています。


この橋は、さらに上流にかつて存在した神子畑鉱山の鉱石を運搬するため、1883年(明治16年)から始められた馬車道の整備に関連して架橋されました。


鋳鉄材は、当時の神奈川県横須賀にあった横須賀製鉄所で製作。兵庫県の飾磨港まで海上輸送されたのち、現地まで陸送されてきたそうです。


この後に見物した神子畑選鉱場跡の説明員さんの話では、どうしてこんな兵庫県の山奥の橋の材料をわざわざ横須賀製鉄所から調達したのかは記録が無いそうです。


ただ、「鉱山開発は明治政府としても重要なプロジェクトの一つだったのは間違いないので、政府が工事に関与していてもおかしくはないですね。」と言われていました。


最後に立ち寄ったのは「神子畑選鉱場跡」。


もともとは銀鉱山として運営されていましたが、資源枯渇により1917年(大正6年)に閉山。その後、1919年(大正8年)に山を隔てた場所にある錫鉱山である明延鉱山の選鉱場として、ここ「神子畑選鉱場」が建設されたそうです。


そして、1987年(昭和62年)に明延鉱山が閉山したことにより、神子畑選鉱場も操業を停止。その後も建物群が残っていたそうですが、これも2004年(平成16年)に解体され、現在の状態になったそうです。


なお、選鉱場内で使用されていた選鉱用機材は、解体の際に東南アジアなどの鉱山へ売却されたそうです。説明員さん曰く、「そこは中古でも日本製の高性能な選鉱用機材ですからね(笑)。」。

インクラインの跡。


トロッコ用のレールでしょうか。


明延鉱山と神子畑選鉱場を結んでいた鉱山鉄道に使用されていた車両。


「明延」と「神子畑」を結んでいたので「明神電車」と呼ばれたり、登山客などの部外利用者から運賃を1円徴収していたので、「一円電車」とも呼ばれていました。


「ムーセ旧居(旧神子畑鉱山事務舎)」。神子畑選鉱場跡や各種鉱山関係の資料が展示されています。説明員の方からの説明を受けることもできます。


弟と二人で見物していましたが(母と姉は車で寝てた。)、ほかに見物者がいなかったためか、説明員の方が事細かに熱心に説明してくれました。


シックナー跡。


「シックナー」を辞書で見ると、「液体中に混じる固体粒子を泥漿(スラッジ)として分離する装置。」とあります。よくわかりませんが(笑)、選鉱場の上部から砕いた鉱石を流し、比重選鉱→浮遊選鉱の順に選別していった後、下部まで流れてきた鉱石成分を含む液体をさらに有用な鉱石成分と不要物と水とに濃縮・分離するための最終装置ということのようです。

今となってはただただ巨大なコンクリート遺構です。








神子畑選鉱場跡にある鉱滓ダム。


鉱滓ダムはウィキペディアによると「鉱山の選鉱・製錬工程で発生するスラグ(鉱滓)を水分と固形分とに分離し、その固形分を堆積させる施設である。鉱滓堆積場とも呼ばれる。」とあります。

神子畑選鉱場跡周辺の地形図を見てみると、鉱滓ダムと思われる場所が3か所あります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

説明員さんが、「鉱山は開発を一度してしまうと閉山後も永久に管理をし続けなければいけません。」と話をしていました。

私「鉱毒などが漏れ出すのを防ぐためですか?」
説明員さん「その通りです。漏れ出すようなことがあれば大変なことになりますからね。今も三菱の関連会社の社員が常駐して監視や工事をしています。」
私「近くに大きなダムがあるのを見ましたけど、工事現場でよく見かける建屋がありますね。」
説明員さん「見られましたか。あそこのダムも管理されていますし、嵩上げ工事をしたりしています。」

一応、観光地での説明で、こんな裏側のことまできちんと話をしてもらえるとは思ってもみませんでした。なかなか良い勉強になりました。

何だかんだで16時半過ぎまで神子畑選鉱場跡でぶらぶら。母と姉が「いい加減にしてほしい。」という感じだったので、帰ることにいたしました…。

帰り道は播但連絡道へ朝来ICから乗り、福崎ICから中国道へ。時々、休憩を挟みつつ名神高速 大津SAまで進んでから晩御飯。


さらに新名神 鈴鹿PAまで進んだところでまたストップ。


ここで弟と運転を代わり、私のこの日の「営業」は終了いたしました(笑)。
Posted at 2021/12/25 14:10:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2021年12月06日 イイね!

「浅間縄文ミュージアム」へ行ってきました

2021年11月3日水曜日、祝日休みだったので、姉の誘いで長野県北佐久郡御代田町にある浅間縄文ミュージアムへ行ってきました。

もともと姉の話では、最近、縄文時代に興味が湧いたという古くからの友人と行く予定だったそうですが、その友人が一緒に出かけるのを取り止めたため、代わりに車の運転の交替要員と道中の道案内役を期待されて駆り出されました(笑)。

自宅を朝6時過ぎに出発。蓼科高原を通っていきたいとのご要望により、中央道を諏訪ICまで行き、そこからは国道299号を進むことにします。

途中のヘアピンカーブにて。




茅野市と南佐久郡佐久穂町の境、麦草峠にほど近い駐車場に車を停めます。




「麦草峠」とある方向へ散策路を歩いていきます。


2分ほど歩くと、麦草峠の案内板がありました。


しかし、私が行きたかったのは、国道299号の「麦草峠2,127m」の標識が立つ場所。

国道299号へ出てきました。「麦草峠」自体は市町境であるこの場所を指すようですが、国道の頂点はまだこの先何百mも歩く必要があります。


今回はこの峠が目的地ではないので、素直に車に戻ることにします。

数字がかすれた国道標識。路肩には最近降ったのであろう積雪の名残りがあります。


目的地まではまだまだありますが、結局この後も眺めの良い場所で停まっては写真を撮っていました(笑)。






浅間縄文ミュージアムには12時頃到着。歴史的な遺跡や遺物を見物するのは大好きなので、発掘された土器などをしっかりと見させていただきました。


この博物館、フラッシュを焚かなければ展示品の写真撮影はOKでしたが、見物する方に集中していて、1枚しか撮りませんでした(笑)。

見物後は特に寄りたい所はないとのことでそのまま帰路へ。

1か所だけ寄り道。国道142号の和田峠への峠道の途中にある「接待」です。「永代人馬施行所」とも呼ばれます。


詳しくはこちらの案内板で。案内板によれば、「接待」は169年前の遺構ということになりますね。


江戸時代末期、冬期に和田峠を越える旅人たちは、この建屋で暖を取りながら粥をすすり、一息ついていたのでしょうね。






周辺の紅葉。




「接待」のすぐ下に残る旧中山道。


その後は、岡谷ICから高速道路に乗りましたが、中津川IC付近の渋滞を避けるために飯田山本ICで下りて、国道153号で帰っていきました。


Posted at 2021/12/06 21:31:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2021年11月11日 イイね!

国道309号 行者還トンネルへドライブに出かけました

2021年10月10日日曜日、弟の誘いで、奈良県吉野郡天川村と上北山村の境にある国道309号行者還トンネルへドライブに出かけてきました。自分の手元に残っている写真データからすると2008年11月以来の訪問になります。

ちなみに前日の9日土曜日は、10日日曜日にドライブに行く約束がすでにあるにもかかわらず、矢ノ川峠昭和道を訪れるために三重県尾鷲市まで車で往復400km、現地を5時間歩いています(笑)。

さて、当日は6時半頃に自宅を出発。国道23号知立バイパス→伊勢湾岸道→東名阪道→名阪国道と進んでいきます。






名阪国道と西名阪道の接続地点である奈良県天理市の天理ICで下りて、国道169号を桜井市方面へと進みます。


桜井市から一旦国道169号を外れて明日香村内を通過。近鉄飛鳥駅前でふたたび国道169号へ合流して芦原トンネルを越え、吉野郡大淀町からいよいよ国道309号に入ります。急峻な峠を新笠木トンネル・新川合トンネルなどの長大トンネルで通過し天川村へ。

天川村の川合交差点までは対向2車線ですが、ここから先の区間は川迫川の渓谷沿いを通る極狭1車線道へと変貌します。






極狭区間を通過して、ちょっと一休み。


もう少し先へと進んだ所でまたストップ。山の上まで続く砂防ダム群を眺めます。ここは前回訪れた時も写真を撮っていました。




この沢の奥には修験道の行場であった弥山(標高:1895m)があります。山頂には弥山神社があり、国の史跡である大峯奥駆道が通っています。


ここまで来ればトンネルまではあと少し。先へと進みます。


トンネルまで上がってきたら、西側坑口前にある有料駐車場は満車。そのままトンネルを通過して、東側の坑口の先にある路肩に車を停めました。


国道309号行者還トンネルです。延長は1,151mになります。




現在地の地図はこちら。等高線の密度の濃さが、この周辺の山の険しさを物語っています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

行者還トンネルの銘板です。


銘板に「事業名 林業開設事業」とあるように、もともとは林道「行者還林道」のトンネルとして1976年(昭和51年)に開通。その後、2002年(平成14年)に国道309号に編入にされました。

トンネル内部です。1976年(昭和51年)開通と新しいので、特に目を引くようなものはありません。




最大の特徴は、冬期通行止めの期間になると、トンネル坑口に設置されたシャッターにより坑口が閉じられることでしょうか。


トンネル坑口の脇には、大峯奥駆道への案内板が立っています。


トンネル前には崩落地のような谷があります。




砂利道を少し下りて、遠くの山々を眺めます。


正面奥の高い山々は大台ヶ原だと思います。日本でトップクラスの多雨地帯ですね。


谷底に「対向車注意」の注意看板が転がっていました。立てられていた場所の地面が崩れたのかもしれません。


車に戻ります。そのまま30分ほど休憩した後、帰路につきました。


帰りはトンネルへと戻らず、そのまま谷を下りて国道169号→国道309号→国道42号→紀勢道のルートで帰ります。


トンネルにいた頃から天気は下り坂でしたが、国道42号まで出た頃には完全に雨天。三重県熊野市飛鳥町の道の駅「熊野きのくに」へ立ち寄った時は土砂降りになっていました。


雨はその後落ち着いていきましたが、今度は疲れが出てきて、紀勢道奥伊勢PAで1時間ほど仮眠。帰宅は19時過ぎになりました。
Posted at 2021/11/11 13:04:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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「【富山県】黒部ダムへ出かけてきました http://cvw.jp/b/1796277/48759927/
何シテル?   11/11 01:11
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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