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小林あにのブログ一覧

2025年05月02日 イイね!

富士桜自然墓地公園へ出かけてきました

2024年12月8日日曜日、亡くなった叔父の納骨のため、叔母夫妻・姉の4人で静岡県富士宮市の富士桜自然墓地公園へ出かけてきました。

余談ですが、もともと我が小林家は、祖父が静岡県から愛知県高浜市へとやって来て、鬼瓦職人となってそのまま定住したことを由来としています。その祖父がこの公園に墓地を購入しており、すでに亡くなっている祖父・祖母をはじめ、祖父家の家族がここに納骨されております。

叔父は奥さんを病気で亡くしてから程なかったのですが、すっかり落ち込んでいて、その寂しさからか叔母夫婦や私たち姉弟に時々声をかけてきて、会食をしたりしていました。

しかし、生きる張りが無くなったためか食も細くなってしまい、体力がめっきり落ちてしまっていたところで昏倒して入院。その後に誤嚥性肺炎を併発してしまったことが死因となってしまいました。

さて、今回姉と私が付き添うことになったのは、私たちも数少なくなった小林祖父家の親族であることと、墓地が愛知県から遠方であるため運転手役をお願いされてという理由ですね(弟は仕事。)。

富士桜自然墓地公園へとやって来ました。富士山麓にある景色の良い場所です。天気が良かったので富士山もよく見えています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

事務所で納骨の手続きをして、ホールで合同での読経を受けた後、叔父の遺骨が入った骨壺を抱えて墓地へとやって来ました。広々とした斜面全体に墓碑が立ち並んでいる様はなかなか壮観です。


叔父の遺骨は係員の方の手により墓碑の下へと納骨され、手続きは無事に完了しました。

さて、お昼近くになったので食事へ行こうかという話になり、グーグルマップで調べると、墓地公園からわりと近い所に和食屋があるようなのでそちらへと移動。

山の中ですが、私はカキフライ定食をいただきました(笑)。


和食屋さんの前からの富士山の眺め。


あとはこのまま真っ直ぐ帰っても良かったのですが、「せっかくだから、ちょっとどこか寄っていこう。」という話になり、ひとまず国道139号を北上します。

休憩とお土産購入を兼ねて、道の駅「朝霧高原」へ寄り道。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「本栖湖で富士山でも見ようか。」ということで、本栖湖へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

叔母の夫は車で休憩。叔母と姉と私の三人で眺めの良い場所まで歩いて行って、景色を眺めていました。


先に叔母と姉が車へ戻っと後も、私は「山頂の雲が何とか取れないかなぁ。」としつこく眺めていましたが、結局雲が取れることはありませんでした…。




本栖湖からは国道300号へと入って富士川沿いを通る国道52号へと合流。途中から中部横断道に乗り、東名高速牧ノ原SAで弟に頼まれていた安倍川もちを購入して帰りました。
Posted at 2025/05/02 14:38:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年04月27日 イイね!

【滋賀県東近江市】木地師発祥の地へ行ってきました

2024年11月9日土曜日、ドライブがてら母を連れて、「木地師発祥の地」とされる滋賀県東近江市君ヶ畑町へと出かけてきました。

今回出かけた理由ですが、今までに使われなくなった古い峠道の探索などをしている過程で、峠道の由来などを市町村史などで調べていくと、峠にまつわる集落の話の中でたびたび「木地師」という職業が登場するわけです。

そんな訳で、何となく興味を持つようになり、「ちょっと行ってみようかな。」と思い立った次第です。

自宅から国道23号知立バイパス、伊勢湾岸道、東海環状道と乗り継ぎ、終点の大安ICからは国道421号を走行して県境の石榑トンネルを通り抜けて、滋賀県東近江市にある道の駅「奥永源寺渓流の里」までやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここでひと休憩ということで昼食。親子丼をいただきました。


さて、目的地である東近江市君ヶ畑町へ向かうため、この道の駅近くの集落で国道421号から分岐する滋賀県道34号へと進みます。


二桁ナンバーの県道ながら、所々けっこう狭い道のりを進み、目的地である君ヶ畑町の入口に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここからは徒歩で集落へと向かいます。


こちらは集落内にある「木地師発祥地 君ヶ畑ミニ展示館」。トイレが隣接していたので、利用させていただきました。


さらにもう少しだけ歩いた場所にある「木地師のふるさと交流館」を訪れました。展示されている資料を見学したり、地元のボランティアの方から木地師の説明を受けたりしました。

建物の写真を撮り忘れたので、その代わりにもらってきたパンフレットの写真を載せておきます。能面がアップで載っているので、ちょっと「ビクッ!」としてしまいましたが(笑)。


もらったパンフレットによると、「木地師」とは、「山の木を伐採し、轆轤(ろくろ)と呼ばれる特殊な工具を使って、盆や椀、コケシなどを作る人のことを木地師といいます。また、轆轤木地師屋とも呼ばれていました。この轆轤の技術は、今から1100年以上前、惟喬親王が法華経の巻軸が回転することから轆轤を思いつかれ、その技術を人々に伝えたのが始まりといわれています。」とあります。

もう一つの伝承として、「文徳天皇の第一皇子であった惟喬親王が、貞観元年(859年)に都を離れて小椋谷(君ヶ畑町と蛭谷町がある地域。)へと逃れてきて、その後亡くなるまでの19年間を過ごした。」というものがあり、「惟喬親王が轆轤を思いつき、人々へ伝えた。」ことと合わせて、これらの伝承が木地師たちの間で広まっていき、「惟喬親王こそ木地師という職業の元祖」であり、「小椋谷は自分たちの遠い祖先の地」と認識していたそうです。

実際、愛知県北設楽郡設楽町の峠道を探索した際に、椹尾という集落跡に江戸時代の墓碑がいくつか残っていたのですが、「設楽町誌」によるとそのうちの一つが木地師である「小椋」文左衛門という方のものであり、小椋谷の「小椋」を苗字として名乗っていたことがわかります。

「木地師のふるさと交流館」では、座敷に上がってお茶をいただきながら、いろんな話を聞かせていただきましたが、話に興味がない母がいい加減飽きてきてソワソワしだしたので、残念でしたがお暇させていただきました。

交流館を出て、集落内を散策します。


こちらは金龍寺。別名「高松御所」と呼ばれるそうです。






最後に訪れたのは大皇器地祖神社。祭神は惟喬親王。全国の木地師の崇敬を集めたそうです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この神社は金龍寺と共に「木地師支配所」として、全国の木地師の所在地を記載した「氏子狩帳」により木地師たちを訪ねて氏子料を集金。鑑札や往来手形を交付するなどして活動の保護・統括をしていたそうです。


境内の巨木や苔むした石垣など、古い由緒を感じさせる佇まいです。




明治時代になって、土地・山林に対する所有権などの権利が明確化されたり、開発が進んだことによる木材資源の枯渇化などによって、「全国の山々を自由に渡り歩いて木工品を作り続けることができる。」という木地師の活動特権は失われていきました。

そのため、「木地師」という職業は徐々に衰退していったようです。
Posted at 2025/04/27 17:10:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年04月19日 イイね!

衣浦トンネルを歩いてきました

2024年9月28日土曜日、碧南市と半田市をつなぐ海底トンネル「衣浦トンネル」の自転車・歩行者用トンネルを歩いてきました。

この日は車のバッテリー交換をして、その後は慣らし運転で岡崎市から西尾市、碧南市とドライブしていました。碧南市まで来たところで「久しぶりに衣浦トンネルを歩いてみるかな。」と思い立ち、立ち寄りました。

こちらが衣浦トンネルの自転車・歩行者用トンネルの碧南側出入口です。小学生の頃から何度か通行したことがありますが、もう何年も訪れていません。何か変化はあるのかな。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは階段の途中に掲げられているトンネルの銘板。銘板には「衣浦海底トンネル」と名称が表示されています。


トンネル通路へと至る階段をグルグルと下っていきます。


トンネル通路まで下りてきました。ここから反対側となる半田側まで480mと表示されています。照明が明るくなって陰気な感じは薄まりましたね。


反対側まであと400mです(まだ80m歩いただけ(笑)。)。このトンネルを通っていて出会った私以外の通行人は2人だけでした。


無味乾燥なコンクリートトンネルの中を一人で歩いていくのは寂しく感じるところでしょうが、トンネル内はラジオの音声が常時流れているので、特に寂しく感じることはありませんでした。


トンネルの半分まで来ました。


この部分だけ壁面がコンクリート剥き出しではなく、なぜかプレートで覆われています。補修でもした跡なのでしょうか。


トンネル通路部分を480m歩いて、半田側の階段までやって来ました。




地下11階の表示。ここから地上まで、11段の踊り場を通過して登っていきます。


半田側のトンネルの銘板。


地下1階の踊り場。振り返れば地上となります。壁面に取り付けられている信号と情報板は、通行止め等に関するものでしょうか。


半田側の出入口へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

衣浦港を眺めています。海を挟んだ真正面が碧南側の出入口。どんよりした天気…。また雨が降ってきそうなので帰ります。
Posted at 2025/04/19 21:47:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年04月18日 イイね!

【豊田市】猿投神社と杉本の貞観スギ

2024年9月23日月曜日、母を連れて愛知県豊田市の北部地域辺りをぐるりとドライブしてきました。

最初に立ち寄ったのは、豊田市猿投(さなげ)町にある猿投神社。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

猿投神社は三河国の三宮として知られている神社です(一宮は豊川市の砥鹿神社、二宮は知立市の知立神社。)。母は来たことがあるようですが、私は初めて訪れました。


こちらは総門。なかなか立派な造りです。


猿投神社の由緒書。


参道を進んでいきます。






こちらは拝殿。こちらも大きくて立派ですね。


境内の西側にある小さな滝。名前が付いているのかはわかりません。小川の対岸は禁足地になっていました。


こちらは中門。奥の本殿は修復作業中のようで、足場や囲いに覆われていました。


こちらは太鼓楼。ぐるっと境内を一巡りしただけですが、西三河地方でその名を知られる古社の雰囲気を堪能いたしました。


猿投神社からは、また適当にドライブ。矢作川沿いへと出て、愛知県道11号を北上。豊田市小渡町から県道19号へと入り、豊田市杉本町へ。

これまた存在は昔から知っていながら見たことがない「杉本の貞観スギ」へと立ち寄ります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

背が高くて幹回りも太いですね。説明書きによると樹高は約45mあるそうです。




というわけで、貞観スギの説明板。


せっかくなので、神社へと向かってみることにします。


参道に立ち並ぶ杉も立派です。


貞観スギを見下ろしています。母は門前にあった洋品店の方とずっとおしゃべりしていたので、置いてけぼりにします(笑)。


参道は小高い丘の頂上へと一気に登っていきます。




本殿まで登ってきました。


本殿前の広場の片隅にあった建物。おそらくこれは的場でしょう。


「祝 凱旋」の扁額。右から左へとつづられているので、昭和戦前以前の戦争での地元出身の兵士の凱旋記念に掲げられたものなのでしょうか。


ほかには「金的中」の額が大量に掲げられています。年号を読むと安政年間のものが一番古そうです。やはり先ほどの広場の建物は的場で間違いないようです。この神社では弓矢にまつわるお祭りがあるのかもしれません。




これまた珍奇な石像。立っている場所からして狛犬だと思われますが、長年の風雨で摩滅してしまったのか、元からこのような意匠だったのか、その容貌が判然としません。




貞観スギがある神社ということでたまたま足を踏み入れたわけですが、なかなか興味深く拝見させていただきました。


この後は地元まで戻り、スーパーで母の買い物に付き合ってから帰宅しました。
Posted at 2025/04/18 23:18:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2025年03月09日 イイね!

白河関跡・白河ラーメン・境の明神

2024年8月10日(土)、弟と弟の友人の杉浦くんに私の3人で、福島県白河市にある「白河ラーメン 岩松」さんを再び訪れました。

今回は自宅を0時頃に出発。前回訪問時と同じく、東名・首都高・東北道と高速道路を延々と走っていく計画です。

途中、何度かの休憩をはさみつつ、午前6時過ぎに首都高速の用賀料金所を通過。そのままPAにて小休止。すでに渋滞が始まりつつあります。


お盆休みの期間中ということもあり、東北道へと進むと情報掲示板には鹿沼IC付近から先の長い距離の渋滞情報が表示されるようになります。

結局、ゴールデンウィークの時と同じパターンで、鹿沼IC手前の都賀西方PAのスマートICで高速道路を下りて国道293号を進んでいきますが、ちらっと見えた東北道の様子から「流れてるかな?」と思い、上河内SAのスマートICから再び東北道へ。

ストップ&ゴーの状態で快適な流れとは言えませんでしたが、今さら下道へ戻るのも面倒だったので、そのまま白河ICまで乗っていくことになりました。その足で「白河ラーメン 岩松」さんへと向かいましたが、お店が混雑していたので出直すことに。

近場で適当な時間つぶしができそうな場所ということで、私の趣味的な意向で「白河関跡」へとやって来ました。今までに何度も白河を訪れていますが、「白河関跡」へは行けるような機会がなく、ようやく訪れることができたわけです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「白河関跡」の説明板と案内板。




奈良時代から平安時代にかけて、関東と奥州の往来を厳重に監視する重要な役目を負った関所の跡ですが、今は神社となっているようです。


神社も古くから存在しているようで、境内には巨木が立ち並んでいました。








関所の防衛のために設置されていた空堀の跡だそうです。平安時代には役目を終えて消滅してしまった関所の跡なので、目立った遺構は空堀跡くらいでしたね。




江戸期の関所を再現した建物。江戸時代にはこの場所に関所は存在しておらず、白河関跡とは全く関連の無い建物のようです。


「そろそろ行ってみようか。」ということで白河関跡を13時半頃出発。14時前に再び「白河ラーメン 岩松」さんを訪れ、ようやくラーメンを食することができました。


この日の夜は新白河駅前のホテルに宿泊。合流したプロトタイプのみなさんと一緒に焼き鳥店で飲み会となりました。以前、棚倉町を拠点にした全日本ラリーが開催されていた頃は毎年でしたけどね(笑)。


日付けが変わって翌11日(日)。ホテルの部屋からの眺めですが、良い天気ですね。


プロトタイプのみなさんとはホテルで解散。私たちも9時20分頃に出発しました。


帰りも白河市内で行ってみたい所へ寄り道。「境の明神」へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

目の前の道路は国道294号。江戸時代の奥州街道になります。この場所は福島県と栃木県の県境となります。江戸時代の呼び方ならば陸奥国と下野国の国境ですね。


ここに立つ石碑には、「従是北白川領」と彫られています。「これより北、白川(白河)領」という訳で、国境より北側は白川(白河)藩領だということを示しています。


道路を挟んだ反対側の斜面にも小さな石碑が立っているのが見えます。あとで確認してみましょう。


こちらが「境の明神」こと、境神社です。この社殿は陸奥国側にありますが、下野国側にも対になる「境の明神」があるそうです。






神社に掲げられていた算額。レプリカですが(本物は江戸時代のもののようです。)、和算に関わる神様でも祀られているのでしょうか。


「明治7甲戌年」との銘が入った灯篭。明治7年は1874年なので、150年前のものということになりますね。


先ほど道路わきの斜面に見つけた小さな石碑を確認してみたところ、福島県と栃木県の県境を表す石碑でした。旧漢字が使われているので、明治期から昭和戦前期に立てられたものでしょう。近寄ってしっかりと確認したかったのですが、斜面が急だったので止めておきました。


この後は渋滞を避けつつ迷走(笑)。栃木県塩谷町の道の駅、日光宇都宮道路の日光口PAと休憩を挟みつつ、「華厳の滝へ寄ってみるか。」という話も出ましたが、渋滞・混雑が酷くてスルー。このまま中禅寺湖畔を通り過ぎ、金精峠を越えて沼田市へ出ることに。

こちらは途中で撮った男体山と湯ノ湖。


沼田ICからは関越道・上信越道・長野道と経由し、19時半過ぎに梓川SAでようやく晩御飯。


この後も休憩をはさみつつ、12日(月)0時過ぎに無事帰宅いたしました。
Posted at 2025/03/09 19:13:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
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