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小林あにのブログ一覧

2024年03月20日 イイね!

柿田川公園と山中城跡へ行ってきました

2024年1月2日火曜日、正月休みの内にドライブへ行こうと、姉弟3人で静岡県駿東郡清水町にある柿田川公園へ行ってきました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

柿田川公園は、富士山からの地下水が湧水する柿田川湧水群を観察することができる公園として知られた場所です。湧き出る水量は日量100万トンとも言われています(全然ピンと来ませんが。)。


水底から水が滾々と湧き出る様子を眺めるのは飽きませんね(笑)。




この公園を水源地とする柿田川の流れ。


公園内を移動して、別の湧水地へとやって来ました。こちらの円筒状の井戸跡は、1981年4月までこの地にあった大東紡織三島工場が利用していたものだそうです。


井戸跡の水の色は鮮やかな青色で、とても綺麗です。


あと、個人的に興味を引いたのは井戸跡の外壁。煉瓦積みになっています。ネットで調べてみると工場が操業開始したのが大正7年(1918年)。仮に操業時からのものであれば105年前のものになりますね。




散策を続けます。


柿田川沿いの散策路を歩いていくと、こちらにも井戸の跡がありました。




雨が降る中、散策路を進んでいきます。


ゆったりとした柿田川の流れ。


あちらこちらから水が湧いているためか、川べりは湿地帯となっています。




公園内をぐるりと散策して、今回のドライブにおける当初の予定は終了。このまま帰るか他へ行ってみるかという話になり(最近はこのパターンが多い(笑)。)、結局、私が行ってみたい場所へ行くことになりました。

やって来たのは三島市内の箱根山中腹にある山中城跡。後北条氏により天文年間から永禄年間(1530年代~60年代)に築城された城です。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際に東海道筋の守備の要として増強され、兵4000名により守備されていましたが、豊臣軍6万8千の圧倒的な軍勢に攻められて半日で落城したそうです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

興味の無い姉は「車で寝てる。」とのことで、弟と二人で城内見物することにします。


城跡があるのは標高500m余の高所。降り続く雨の中、霧がかかっています。


山中城跡の特徴の一つ、畝堀が現れました。堀の中に高い畝を設けることで、敵兵の行動を制限する仕組みですね。




そして障子堀が現れました。畝を障子の桟のように築いて堀の中を区切ることで、敵兵の行動を制限する仕組みです。山中城跡と言えば「障子堀」と言うくらい、この城の大きな特徴ですね。


現在の状態を見ると、畝の幅は人が歩けるほどありますし、表面は芝生に覆われているので、本当に敵兵から防御できるのか疑問に感じるところです。


これは本来の遺構を保護するために土を厚めに盛ってから芝を植えたもので、実際は畝の頂点は尖らせてあり、斜面は赤土剥き出しにして登りにくくなっていたそうです。


正直言って、この堀が見たくて山中城跡まで足を伸ばしました。あいにくの天気でしたが、いろんな角度から眺めて堪能させていただきました(笑)。








「史蹟 山中城趾」の石碑。山中城跡は昭和9年(1934年)に、当時の史蹟名勝天然紀念物保存法により国の史跡に指定されています。


この後も城内を散策しつつ、城跡の様子を見物しました。こんな天気でしたが、私たち以外にも何組か見物に訪れている方々がみえました。


















城跡を一巡してきたら旧国道1号線へと出てきました。駐車場までは坂を少し下っていくことになります。


旧東海道へと直進し、駐車場へと戻りました。駐車場へと戻ると観光バスが駐車していて、「正月三が日からこんな場所へ来るなんて、城好きな人がたくさんいるんだなぁ。」と思いましたね(私もですけどね(笑)。)。


帰り道は国道1号を引き返さず、さらに箱根峠まで進み、そこから霧の中の芦ノ湖スカイラインへと進みます。そして、目に留まった広場に駐車。


石碑に「三国峠」とありました。晴れていれば、この場所から雄大な富士山を眺めることができたようですが、一面真っ白でした…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

その後はこのまま長尾峠まで進み、御殿場の街へと下って御殿場ICから東名高速に乗って帰路につきました。

そして、牧之原SAでいつも通りの晩御飯(笑)。
Posted at 2024/03/20 14:24:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2023年12月31日 イイね!

【福井市】一乗谷朝倉氏遺跡へ行ってきました

2023年11月5日日曜日、弟と福井県福井市にある一乗谷朝倉氏遺跡へ行ってきました。

といっても、元々の目的は、2023年10月28日に開通した中部縦貫道大野油坂道路の勝原IC~九頭竜ICを走行することでした。私が運転していたので、写真はありませんけどね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

長大トンネルが連続する区間なのであっけなく通過。ここまで来てそれだけで帰るのも何だったので、そのまま中部縦貫道を走行し、永平寺の前を経由して、一乗谷朝倉氏遺跡へと向かったわけです。

場所はこちら。すでに何度も立ち寄っている場所ですが、もう何年ぶりになりますかね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この遺跡の特徴は、発掘成果に基づいて戦国時代当時の一乗谷の町並みが復原されていること。ぶらぶらと町並みを散策しました。












武家屋敷には茶室のような部屋があります。越前国の守護代から戦国大名となった朝倉氏が拠点としていた一乗谷は、京(京都)との交流が深く(それゆえ戦乱を避けた貴人・文人などの避難所ともなっていた。)、都の文化も浸透していたようです。


一乗谷の町並みの復原模型。朝倉氏が戦国大名となってからの5代100年の支配の下で、最盛期には1万人が居住する城下町となっていたようです。そして1573年、織田信長の侵攻を受けた際に城下町は徹底的に破壊され、消滅しました。


復原町並の対岸にある広場。朝倉氏の館跡などになります。




さて、帰り道の途中にもちょっと寄り道。国道158号馬返トンネルです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

現行トンネルの横に旧トンネルが残っています。以前に扉が開いていた時には、中に除雪車が駐車してあったように覚えています。


旧トンネルの扁額。


こちらは旧トンネルの脇から伸びる旧旧道。「馬返し」の名のとおり、険阻な道のようです(旧旧道を探索した方の動画があります。)。


最後に立ち寄ったのは、国道158号の油坂峠。大野市の案内標識の下には、大きなスズメバチの巣がぶら下がっています。


こちらは福井・岐阜県境にある油坂隧道。開通は1889年(明治22年)。開通当初は人道サイズのトンネルでしたが、逐次拡幅され、現在は自動車が対面通行できるサイズとなっています。


この後は郡上市白鳥の市街地へと下りて、ガソリンスタンドで給油。白鳥ICから東海北陸道に乗り、帰宅しました。
Posted at 2023/12/31 13:11:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2023年12月25日 イイね!

浅間高原シャクナゲ園・草津温泉・白根山などをドライブして回りました

2023年11月3日(金)、この日は祝日休みだったので、姉の誘いで母も連れて3人で長距離ドライブへと出かけてきました。

姉からは最初「浅間山の鬼押出しへ行こうか。」という話でしたが、私が「溶岩ばかりなだけで面白くなさそう。」と言ったため、「それなら、浅間高原シャクナゲ園という所へ行ってみようか。眺めが良いみたいだから。」ということで、浅間高原シャクナゲ園へと目的地を変更して出発しました。

豊田東ICから高速道路に乗り、長野県の岡谷ICで高速道路を下ります。岡谷からは国道142号を走り、立科町から長野県道40号へ。東御市で国道18号へと一旦出て、続いて県道94号へと入り、湯ノ丸高原へと上っていきました。

湯の丸スキー場で小休止。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

湯ノ丸高原を少し下った所から、林道棧敷山線という山道を走行。嬬恋村の高原へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

広々とした開放感のある眺め。ここでもしばし小休止。




林道を突き当りまで進んで右折し、嬬恋村道鳥居峠車坂線へと入ります。村道の道中はずっと砂利道。まあ、いわゆるフラットダートだったので、さして気にすることもなく30km/hくらいのペースで走行。


さらに林道群馬坂線へと入り、ようやく浅間高原シャクナゲ園に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

シャクナゲ園のある場所は活火山である浅間山の北麓。火山活動に関する注意看板が立っています。


こちらはシャクナゲ園の成り立ちについて記された説明板。


ここも絶景ですね。林道棧敷山線の出口よりも高台にあるので、よりパノラミックな展望が楽しめました。ただ、天気が良過ぎて、やや霞んでしまっていたのは残念でした。




駐車場から坂を上ってきて、母・姉はややお疲れ気味。展望を堪能するのもそこそこに、車へと戻ることになりました。




さて、次はどこへ行こうかという話になり、私が「せっかくここまで来たんだし、行ったことのない草津温泉まで行ってみる?」と提案。向かうこととなりました。

草津温泉の入口にある大きな足湯。きれいな建造物で、割と最近に整備された施設なのでしょう。


名物の「湯畑」へとやって来ました。今まで、テレビや写真でしか見たことがありませんでしたからね。それにしてもよく賑わっています。










街の入口にある公営駐車場と「湯畑」の間は、そこそこの距離と急坂があったため、母は歩き疲れてしまい、帰りは歩くペースがすっかり落ちてしまいました。

昼御飯は駐車場の近くにあったピザ屋の屋台でピザを買い、みんなで分けて食べました。


さて、これで帰ろうかということになり、どうせ私が運転していたので、「明日も休みだし、もうこのまま白根山を越えて信州中野まで出て、そこから高速道路に乗って帰ろう。」と話し、「好きにすればいい。」ということで、国道292号で信州中野へ向かうこととなりました。

本当は白根山に立ち寄りたかったのですが、最寄りの駐車場が封鎖されていたためそのまま通過。帰宅してからネットで調べたら、現在は噴火警戒レベルが「1」のために、駐車場を封鎖しているとのことでした。

白根山を素通りし山田峠を越えた先で、たくさんの車が駐車している場所が目に入り、車を停めました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駐車場所のすぐ北側に多くの人が登っている小高い丘があったので、私も登ってみました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

山々が幾重にも連なって見えます。


これから通っていく先の国道292号が見えています。山腹を通過する国道にはロックシェッドが連続していて、危険な場所を通過していることを窺わせます。


草津白根山。活火山のため、草木が生えていない荒涼とした山頂部です。




国道292号の渋峠です。本当は手前にある国道最高地点に停まりたかったのですが、駐車スペースが空いていなかったため、代わりにここで停まりました。




場所はこちら。


渋峠から志賀高原へと下っていく道中は、道が狭いのと高低差が激しいこともあって、なかなか緊張を強いられました。その分、迫力ある景色が楽しめましたが、運転中なので「チラッチラッ」と見るのが精一杯なのは残念でした。

信州中野ICから高速道路に乗り、長野道姨捨SAで小休止。この後も休み休みしながら、のんびりペースで帰宅しました。


Posted at 2023/12/25 23:43:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2023年11月10日 イイね!

【高島市・小浜市】おにゅう峠を訪れました

2023年10月8日日曜日、滋賀県と福井県の県境にある峠「おにゅう峠」を訪れました。弟から「眺めが良い峠があるみたいだから行ってみよう。」と誘われ、姉も一緒に3人で出かけました。

現地へは、伊勢湾岸道・新名神高速道路・名神高速道路・国道161号湖西道路・国道477号・国道367号・滋賀県道781号と経由していきます。

こちらは、新名神高速道路の甲南PA。忍者で知られる甲賀の地にあるので、忍者のアピールが激しいです(笑)。


さらに進んで、こちらは滋賀県高島市朽木中牧の針畑橋。少し離れた場所にある「源流の駅 山帰来」という所に車を停めて休憩してます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

近くに神社があったので行ってみました。大宮神社というそうです。


境内は杉などの巨木が立ち並び、昔から大切にされてきた場所であることが窺えます。






針畑橋の交差点に立っていた観光案内板。今から向かう「おにゅう峠」も載っています。






「おにゅう峠」の名前の由来になったと思われる小入谷(おにゅうだに)の集落から峠へ向かう林道小入谷線に入り、思っていたよりも整備されたクネクネ道をどんどん登っていきます。


自宅を出て約5時間後の10時35分、「おにゅう峠」に到着しました。


場所はこちら。


昔からある峠ではなく、林道を建設した時に新たに切り開かれた峠のようです。


あいにくの曇り空で、あまり遠くまでは見えませんが、なかなか良い眺めです。


さて、「おにゅう峠」の東側には、鯖街道の愛称で呼ばれる若狭街道(針畑越え)の根来坂峠があるそうで、せっかくなので徒歩で向かうことにします。


根来坂峠へと歩いていく尾根は、高島市内にある中央分水嶺を結ぶ「高島トレイル」のルートになっています。




「おにゅう峠」から15分ほどで根来坂峠に着きました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠には案内板、お地蔵様、大乗妙典一石一字塔がありました。






峠から京都方面へ下る道と小浜方面へ下る道を見ています。峠付近の街道を見る限りでは、駄馬(荷を背負った馬)が通れるほどの道ではない感じなので、人が荷物を担いで往来していたのでしょう。




根来坂峠から車に戻り、そのまま「おにゅう峠」から福井県側へと下っていきます。福井県側の林道は滋賀県側よりも急坂で、ガードレールが設置されていない場所も多いので、山道に自信が無い方は滋賀県側から訪れたほうが良いかもしれません。

ちなみに、昔、GC8のシルバーのインプレッサに乗っていた頃、林道を福井県側から入り込んだことがありました。当時はまだ「おにゅう峠」までつながっていなくて、路面も未舗装でした。車をガッタンゴットンいわせながら登りましたね(笑)。

お昼を食べようと道の駅「若狭おばま」まで来ましたが、レストランが混んでいたので断念。


結局、ネットで検索した小浜市街地の小さな食堂でお昼御飯となりました。私は鯖の醤油漬けの焼き物と塩焼きの定食。さすが地の物だけあって美味しくいただきました(笑)。


食事後、姉が「最後に気比神宮へ行こう。」と言い出したので、舞鶴若狭道で敦賀市まで移動。

小雨がぱらつく中でしたが、のんびり境内を見物しました。




帰り道は、名神高速道路の一宮付近の渋滞を避けるため、敦賀から木之本・関ヶ原を経由して東海環状道大安ICまで下道で迂回。大安ICから高速道路に乗ることに。

伊勢湾岸道 湾岸長島PAで晩御飯を食べてから、帰宅しました。
Posted at 2023/11/10 23:07:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2023年11月09日 イイね!

長野県道8号「大平街道」をドライブしてきました

2023年9月30日土曜日、長野県の県道8号「大平街道」をドライブしてきました。

この日はそもそも、万古集落のことを何か調べられないかと思い、ドライブがてら飯田市立中央図書館へとやって来ました。ところが、残念なことに図書館はシステム更新の作業のため長期臨時休館中でした…。

せっかくなので長姫神社など周辺を少し散策。こちらは図書館の横にある「赤門」。旧飯田城(長姫城)の遺構だそうです。




これは昔の図書館の門柱でしょうか。「赤門」の横に立っていました。


図書館の場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、すでに時間はお昼を回っています。この時間から別の場所へ出かけるあても無かったので、久しぶりに長野県道8号「大平街道」を通ってみることにします。

ウィキペディアによると、大平街道は宝暦4年(1754年)に飯田藩によって開削された、飯田の街と中山道妻籠宿を結ぶ街道です。明治42年(1909年)に中央本線が名古屋駅から妻籠宿の最寄りとなる三留野駅(現:南木曽駅)まで開通したことにより、飯田の街と中央本線を連絡する大平街道の利用は最盛期を迎えたようです。

しかし、大正12年(1923年)に飯田線の前身である伊那電気鉄道が、中央本線の接続駅である辰野駅から飯田駅まで開通したことにより、大平街道の利用者は減少に向かいます。さらに昭和30年代に清内路峠を通過する国道256号が開通して整備されるに従い、2か所の急峻な峠越えを要し、冬期通行止めもある大平街道の利用は寂れていきました。

さて、飯田市街地側から一つ目の峠「飯田峠」に着きました。ここまでの道中、久しぶりに走ってみるとやっぱり道が狭い。カーブもきつい。走り応えはありますが大変な道です。そして、こんな山道でも自転車で走る方々が何人もいて、素直にすごいと思います。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

飯田峠に立っている大平街道の石碑。この石碑の側面には、明治32年(1899年)から明治38年(1905年)まで街道改修が行われたことと、石碑の設置場所から街道始点と街道終点までの距離が彫られています。


飯田峠の案内標識。


飯田峠を下っていくと、かつての宿場である大平宿があるのですが、駐車できる場所が空いておらず、今回はそのまま通過。

二つ目の峠である大平峠までやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この峠にも大平街道の石碑が立っています。


石碑の下には、馬頭観音碑と名号碑。


峠にあるスノーシェッドを見ます。スノーシェッドの上部には大平峠の別名である木曽峠の銘板がはめ込まれています。


南木曽町側の眺め。


スノーシェッドの中を歩いていきます。


飯田市側の坑口です。


スノーシェッドから飯田市側へ少し歩いていくと、大平峠の案内標識が立っています。大平峠が標高1,358m、最初の飯田峠が標高1,235mとかなり高い場所を通過している街道であることがわかります。


向かい側を見ると、石垣で固められた小さな沢がありました。


さらに下った場所に立つ県道標識。「8」という一桁の番号が付されているところは、大平街道の歴史的な意義に基づいた付番だとは思いますが、現在の利用状況では全線二車線化や峠部分のトンネル化などの改修がされることは今後も無いでしょう。


石碑まで戻ってきました。


南木曽町側の県道標識。


最後に立ち寄ったのは、旧国道256号に架かる本谷橋。ここもかつての大平街道になります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

本谷橋の架橋は昭和34年(1959年)3月。橋の型式は、長野県下でよく見られるコンクリート製ローゼ橋です。




この後もしばらく旧国道を進んでから現国道へと合流。「妻籠宿入口」交差点から国道19号に入り、帰路につきました。
Posted at 2023/11/09 20:35:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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2025/04/19 15:50:49
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