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小林あにのブログ一覧

2021年03月28日 イイね!

三岐鉄道三岐線 保々車両区を見物してきました

2021年3月27日土曜日、三重県の三岐鉄道三岐線保々駅にある三岐線の車両区を見物してきました。見物と言っても、柵の外から眺めてきただけです(笑)。

依然、左膝には少々の痛みが残っている状態。さすがに廃道を歩き回るわけにはいきません(間違いなくまた痛みがぶり返す…。)。とは言っても、土日両日を自宅で過ごすのも退屈してしまうので、先週に引き続き、今週も特に目的地は決めずにドライブへと出かけました。

何となく福井県敦賀市方面へ行こうかなと思っていましたが、名古屋高速と名神高速が接続する一宮ICで普段の渋滞に加えて、さらに事故が発生したとの情報板を見て、結局、伊勢湾岸道を直進。

走っているうちに、「行ったばかりだけど、また貨物鉄道博物館へ行くか。」とひとまずの目的地を決めました。

三岐鉄道三岐線丹生川駅にある貨物鉄道博物館です。月に1回しか開館しないので、今回は休館していますが、屋外展示は自由に見物できます。


前回、写真を撮っていなかった再塗装中の貨車「ワ5490」。




前回は作業員の方が修理をしていたSL「B4型39号」。


雲間からの日光を浴びてちょっと輝いている「タム8000形」。


さすがに休館日。私のほかに見物していたのは一人だけでした。


「さて次はどこへ行こうかな?」と思案します。日曜日は仕事がらみの用事が入っているので、あまり遅くまでブラブラするつもりはありません。「広島県のラリーへ向かう時に新名神から見えた三岐鉄道の車両基地へ行ってみるか。」ということで、車両基地がある三岐線保々駅へと移動します。

三岐鉄道保々車両区へとやって来ました。着いた時は、たまたま電車の入換作業をしていました。


一旦、写真右側へと電車を移動させてから、社員が手動でポイントを切り替え。その間に電車を運転していた社員(多分、整備士ですね。)が電車の中を猛ダッシュ(踏切を跨いでいるためでしょう。ただ、外から見ていてちょっと笑えた。)して反対側の運転台に移動し、違う線路へと電車を移動させていました。

ポイントを切り替えていた社員にしばらく見られていましたが、気にせず写真を撮ることにします。

101系電車。元西武鉄道の電車です。


救援車ワム229。元は貨車として使われていた車両を転用したようです。


こちらも101系電車のようです。


手前の車輪は再利用することがあるのですかね。


敷地内に置かれていたパンタグラフ。


その他にも電車のモーターや電車の屋根に設置するかまぼこ型の空調機器など、いろんな機器・部品が敷地のあちらこちらに置かれていました(保管というよりは放置されているようにしか見えないものもたくさん(笑)。)。

ちらっと見えている電気機関車ED459。元東武鉄道5060形だそうです。


車両区に沿って道路があるので、外からの見物も容易にできます。奥に見えている高架橋は新名神高速道路です。


富田駅方面にある踏切付近からの眺めです。


801系電車。こちらも元西武鉄道の電車。


電気機関車ED453とED452。こちらは2両とも三岐鉄道が発注した車両。


電気機関車ED458とED454。ED458は元東武鉄道ED5000形、ED454は富山地方鉄道で短期間使用されたのち三岐鉄道へやって来た車両だそうです。


私鉄ではすっかり珍しくなった貨物列車が運行されている鉄道だけあって、電気機関車の両数が多いですね。必ず重連で運用されていますが、小型で古い車両ばかりですからパワーがあまり無いのでしょう。

駅を訪れることはあっても、案外、鉄道車両の基地を間近で見る機会というのは無いので、なかなか興味深く見ることができました。

帰りは伊勢湾岸道湾岸長島PAに立ち寄り、遅い昼御飯で久しぶりにトンテキ定食を食べました。肉が気持ち小さくなった気もしますが、キャベツは相変わらず大盛りでした(笑)。
Posted at 2021/03/28 21:50:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2021年03月27日 イイね!

近江鉄道高宮駅へ立ち寄る

2021年3月20日土曜日、滋賀県彦根市高宮町にある近江鉄道高宮駅へ立ち寄りました。

この日は昼頃から目的地は決めずにふらっとドライブに出発。伊勢湾岸道から新名神へと進み、そこから東海環状道大安ICへ。ここから国道421号へと入り、三重・滋賀県境の石榑トンネルを抜けます。

トンネルを抜けたところでどうにも眠気がひどくなり(夜中に1回は目が覚めるんですよね…。)、国道脇の幅広い路肩へ車を停めて仮眠することに。


ここで1時間くらい寝コケていました。

取りあえず眠気も抜けたので出発します。が、トイレに行きたかったので割と近くにある道の駅「奥永源寺渓流の里」へ立ち寄ります。せっかくなので、トイレへ行ったあとで売店の中をグルグル周回。

そこでこれを発見。滋賀県内でよく見かける飛び出し注意の看板「とびだしとび太」のラングドシャですね。


おもしろがってくれるだろうと職場の人数分になる4箱分を買いました(笑)。

さて、ここからどういうルートで走っていこうかと考え、「滋賀県に出たから近江鉄道の駅でも寄ってみるか。」と思い立ち、「どうせ寄るなら分岐駅の高宮駅へ行ってみるか。」ということでナビをセットし、ふたたび走り出します。

国道307号へと出てから彦根市方面へと向かっていきます。

道の駅から1時間ほどで高宮駅へと到着しました。


この駅では近江鉄道の本線から多賀線が分岐しています。

駅舎の横から駅構内を覗いてみます。住宅地に囲まれていますが、ホームには誰もおらず、寂しい風景です。


駅の中に入るのはあとにして、駅の反対側へと行ってみることにします。

駅の八日市方面側にガードがありました。


非常に低いですね。かがんで通らないと頭をぶつけてしまいます。


反対側からの眺めです。注意書きが「注意頭上」とあり、何か違和感があります。ここには3本の橋桁が架かっていましたが、どれも塗装が相当傷んでいます。


そのまま真っ直ぐ進むと、高宮駅から分岐していく多賀線を渡る踏切がありました。


駅構内を眺めています。本線と多賀線以外にも側線があり、広い構内です。




多賀線に並行して枯れ草に埋もれた線路がありますが、かつて近隣の工場へと繋がっていた引込線の跡だそうです。


駅の彦根方面側へ回るため、住宅地の中を歩いていきます。

住宅地の中で見かけた「ターセル」と「レックス」の廃車体。物置代わりのようです。




彦根方面側から眺めた駅構内。手前3本の線路が側線でその奥が本線になります。


先ほどくぐったガードまで戻ってきました。これはガードの真横を通る道路に架かる石桁の橋。


もう少し八日市方面へと歩いたところにある分岐器。


それでは駅構内を見物してみます。この駅は時間限定の有人駅なので、私が訪れた時には駅員は誰もいませんでした。

駅舎横の1番線ホームです。やはり乗客は誰もいません。


駅名板。


八日市方面を眺めています。線路は上下線の間に中線が設置されている構造ですが、中線にはレールが積み上げられている箇所もあり、使用されてはいないようです。


駅構内を振り返ります。駅舎は造り直されていますが、ホーム上屋は昔ながらの木造建築のままです。


構内踏切を渡り、2・3番線ホームへ向かいます。


振り返り、1番線ホームと駅舎を眺めます。1898年(明治31年)開業当時のものであろう煉瓦積みがホーム下に見えています。


2・3番線の間にある待合室。コンクリート造りでありながら、この古びた雰囲気のため、何か異彩を放っています。いっそ木造だったほうが良かった…。


待合室の中です。


多賀線の3番線ホーム。カーブにホームがあるので、入線する電車の規格が替わるたびに電車がホームに接触しないよう補修されているとのことです。




2・3番線ホームの先端から彦根方面を眺めます。本線と多賀線の分岐器が見えています。


2・3番線ホームの先端から駅構内を眺めます。2・3番線ホームは細い扇型になっているわけです。


ということで、高宮駅の構内でした。


30分ほどの滞在でしたが、その間に電車は1本も来ませんでした。やって来たのは連れ立った2人組だけでしたが、ホームのベンチに座ったり、駅舎内のベンチに座ったりで、電車に乗るのかよくわからない感じでした(間違いなく鉄道マニアではない人たちでしたが(笑)。)。

まあ、私は電車が撮れなくとも線路や駅構内の配線が見られるだけでも十分満足できるタイプの人間なので(笑)、これでも楽しむことができました。

高宮駅からは国道8号・21号で米原ICまで移動して名神高速道路へ。お約束の一宮JCT~一宮ICの渋滞に加えて、名古屋高速を降りてからの国道23号名四国道も知立バイパスとの分岐までガッチリ渋滞していて、すっかりくたびれてしまいました…。
Posted at 2021/03/27 19:57:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2021年03月07日 イイね!

貨物鉄道博物館へ行ってきました

2021年3月7日日曜日、弟を誘って、三重県いなべ市の三岐鉄道丹生川駅に隣接する貨物鉄道博物館へ行ってきました。

三岐鉄道丹生川駅。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

丹生川駅に隣接する敷地に博物館が収集した貨車などが屋外展示されています。


タム8000形8000号(1962年 汽車製造製)。15トン積過酸化水素専用タンク車。


タム5000形6263号(1968年 富士重工業製)。15トン積塩酸(及びアミノ酸)専用タンク車。


タム500形2920号(1958年 日本車輌製造製)。15トン積ガソリン専用タンク車。


タ2000形2001号(1939年製造・1941年改造 新潟鐵工所製)。元は、タム200形15トン積二硫化炭素専用タンク車として製造。後に10トン積アルコール専用車に改造されタ2000形となりました。


DB101号(1957年 協三工業製)。


テワ1形。旧関西鉄道の鉄製有蓋車。


旧ライジングサン石油 ア1900形タンク車。1893(明治26)~1898(明治31)年にイギリスで製造され輸入されたと思われるもの。石川県七尾市の企業で、油槽として再利用されていた。


B4型39号(1898年 英国SharpStewart社製造)。元は、日本鉄道が発注した蒸気機関車。1922年に東武鉄道B4形39号となり、1966年に引退。




ト1形15号(1912年 名古屋電車製作所製)。瀬戸電気鉄道(現在の名古屋鉄道瀬戸線)で使用された10トン積無蓋車。


ト200形246号(1917年 日本車輛製造製)。愛知電気鉄道(名古屋鉄道の前身)が製作した有蓋車で、大正末期に10トン積無蓋車に改造。


ワ11型11号(1929年 新潟鐵工所製)。蒲原鉄道の10トン積有蓋車。


ここで真横を通る三岐線を電車が通過していきます。元西武鉄道の801系です。


ワフ21000形21120号(1934年 汽車製造製)。


丹生川駅方向を振り返っての眺め。


シキ160形(1955年 日本車輌東京支店製)。130トン積吊掛式大物車。


ホサ1形1号(1930年 浅野造船所製)。元は、石灰石輸送用の23トン積ホッパ車。晩年は砕石散布用として使用。


テラ1形146号(1965年 協三工業製。)生石灰などを輸送するための鉄製有蓋車。


これで展示されている車両を見終えました。このほかにあともう1両、ワフ21000形21120号の裏側で修理されている貨車がありました。

展示車両の先にもしばらく線路が続いていますが、本線に戻ることなく途切れています。


これで見終わったので、丹生川駅前へと戻っていきます。


そこへ東藤原駅行きの貨物列車がやって来ました。


引き付けて撮ろうと思ったら見切れました…。




7~8分ほどその場にいたところ、今度はJR関西本線富田駅行きの貨物列車がやって来ました。


今度は2両目の機関車が撮れました…。


先ほどの東藤原駅行きは返空列車なので空荷ですが、こちらは太平洋セメントからのセメントを積み込んでいます。


貨物鉄道博物館はこれくらいにして、次の場所へと移動します。


次にやって来たのは、三岐線の終点である西藤原駅。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちょうど折り返しの電車が停車しています。


この駅にも保存車両が3両展示されています。






西藤原駅構内と線路の終端部。




次は東藤原駅。場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅前に展示されているホキ5700形25767号。


東藤原駅は貨物列車の始発・終着駅なので、構内には機関車や貨車が各所に留置されています。










駅構内を横切る踏切には、貨車の入れ換え作業の時間が表示されています。


この踏切を挟んで東藤原駅と太平洋セメントの工場があるので、入れ換え作業中は踏切は長時間閉鎖されることになるため、このような表示があるのでしょう。

最後に寄り道したのは、三岐鉄道北勢線の六把野井水拱橋。この場所から水路沿いに奥へと入っていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

六把野井水拱橋です。もう少し大きな橋だと思っていました。


この橋は構造の特殊さから、土木学会選奨土木遺産に指定されています。


何が特殊なのかというと、日本で唯一、コンクリートブロックで造られた「ねじりまんぽ」だということ。




もともと数が少ない「ねじりまんぽ」ですが、通常は煉瓦積みです。

例:琵琶湖疎水 蹴上のインクライン下の「ねじりまんぽ」。


例:関西本線鳥谷川橋梁。


ねじって積み上げるだけでも相当の手間がかかるはずですが、六把野井水拱橋はねじりに合うようにいちいち個々のコンクリートブロックを作り、それを積み上げて造られていることがその特殊性を際立たせているわけです。


弟曰く、「これくらいの長さなら、(わざわざ用水の方向に橋台の向きを合わせずにすむように)用水からもう少し距離を取れば普通の橋ができたんじゃないの?」。


まあ、その通りだと私も思います。台地側の崖をもう少し削り取るとか方法はあったでしょう。それでもこのような形状で造ったということは、技術的に何か理由があるはずです。少なくとも、「コンクリートブロックによるアーチ橋」にこだわった結果の解決策だったと思います。

橋梁の上流側の側面には銘板が取り付けられています。銘板には、橋梁の名称、工期、関係者氏名が刻まれています。


以上、六把野井水拱橋でした。

すぐ近くにはコンクリート三連アーチ橋の明智川拱橋もありますが、そちらは電車の撮影をしている方がいたので、遠くから眺めただけで立ち寄りませんでした。

今回は久しぶりに鉄道関係三昧でした。鉄道関係でいうと新装なった京都鉄道博物館へ行きたいとは思いますが、こちらはもうしばらく機を見るかなといったところですね。
Posted at 2021/03/07 23:55:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2021年02月23日 イイね!

新城市「島原橋」から「峰の峠」までの古道を歩く

2021年2月20日土曜日、愛知県新城市中島(湯島)にある愛知県道435号島原橋から東方向へと山を登り、「峰の峠」を越えて、新城市中島(山中)や新城市海老とを結んでいた古道を歩いてきました。

戦前の地形図はこちら。里道(聯路)として表記されています。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行

この地図ではわかりませんが、あまりのつづら折りの多さに「四十四曲がり」と呼ばれていたそうです。ルート的には県道435号の前身道と言えます。

さて、やって来たのは島原橋のたもと。


現在地は星印の地点になります。当然ながら、現在の地形図には峠越えの道は記載されていません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは島原橋。橋名は、寒狭川左岸の「湯島」と右岸の「恩原」から一文字づつ取ったものです。昭和14年(1939年)3月の架橋です。


「鳳来町誌 交通史編」によると、明治42年(1909年)に架橋された吊橋の老朽化が激しく、昭和9年(1934年)から現在の鉄筋コンクリート製の橋の架橋工事が開始されましたが、日中戦争開戦による鉄材の高騰や県からの補助金削減の影響を受け、完成は延び延びになっていたそうです。

県道435号はここから右へとカーブして新城市中島(山中)へと向かい山を登っていきますが、道幅が狭く、1.9mの幅員制限の標識が立っています。


ここが峠へ向かう古道の入口になります。植込みの手前にある細い路地を登り、入り込んでいきます。


入っていくとすぐに獣害防止用の柵が設置されています。扉は鎖を絡めて留めてあるだけなので、ほどいて中へと入っていきます。


柵を取り抜けると古道らしい浅いU字型の道があります。


始めのうちは斜面を直登していきますが、やがて左へと曲がり、斜面を横断する方向へと進路が変わります。


1か所目の折り返しが現れました。ここから、うんざりするほどのつづら折りが始まります(笑)。


登っていく先の斜面を見上げています。ジグザグに上の方まで道が付いているのが見えます(写真ではわかりにくいですが。)。


ちょっとした直線があったりしますが、基本、ひたすら折り返しです。








石畳が残っていました。


まだまだ折り返しが連続します。






石積みがあります。土留めのためでしょうか。


石積みの先、右側の木の根元に何かあります。


石仏です。しかし、上半身がありません。


辺りを見回したら、石仏から左方向、やや離れた地面に転がっていました。


側面に字が彫られています。「奉造立地蔵」と読み取れますから、この石仏はお地蔵様ですね。


見つけた上半身を下半身の上に据え置きます。ぴったりとはまったので、落ちてからそんなに経ってはいないのかもしれません。


「あとは頭が見つかるといいな。」と周りを探し回ってみましたが、全然見当たりません。さらに下の斜面まで降りて探してみましたが、見つけることはできませんでした。頭は丸いので、はるか下まで転がっていってしまったのかもしれません。

残念ですが、時間もあるので先へと進むことにします。






ちょっとした緩斜面へ出てきました。


この先から斜面の傾斜はさらにきつくなります。それを避けるかのように道は左へとカーブしていきます。




視界が開けてきました。ここからは山腹を尾根に並行するように通り、緩やかに登っていくようです。


水が浸み出している場所がぬた場になっているので、泥にはまらないよう跨いで通り抜けます。夜になるとイノシシとか来るんですかね。


日が差し込んでいます。けっこう高度を稼いだので眺めはいいのですが、写真で撮るには木々の枝が邪魔になります。


薮が現れました。通り抜けられるだけのスペースは開いているので、しゃがんでくぐり抜けます。


薮を歩くのは10mほどで済みました。


石積み擁壁です。積み方が粗いので、割と古い時代のものかもしれません。


上の方はずっと険しい岩山になっています。越えることができないわけです。


薮を刈り込んだ場所のようで、地面から細い木の切株がたくさん突き出しています。うっかり躓かないように注意します。


倒木がカットされています。おそらく峠側からこの付近までは人が入ってくるので、支障がないようにしたのでしょう。


正面が明るくなってきました。ここで道は右へとカーブし、いよいよ峠へと向かうようです。


若木をかき分けながら坂を登っていきます。


坂道が終わり、道が水平になると、


「峰の峠」に到着しました。「峰の峠」なんて地形そのままの名前なので、特に地名などに基づく名前が付けられてなく、普段呼びならわしていたものがそのまま定着したものなのでしょう。


峠の標高は地形図読みで標高410m。島原橋が標高165mなので、標高差245mを登ってきたことになります。

歩いてきた推定ルートはこんな感じです。


峠は細尾根になっているので、土を盛って土手道にしてあります。


土手道の手前から右側へと下っていく道が新城市中島(山中)への道で、土手道を抜けて先へと進んでいく道が新城市海老へと向かう道です。

土手道を反対側から眺めています。登ってきた側の斜面(右側)は急斜面ですが、中島(山中)側(左側)は緩やかな斜面になっています。


さて、登り始めた時刻が14時で、今の時刻は15時25分。ここまで歩いてきた距離は地形図読みで1.2~1.3kmほどと短いですが、だいぶ日も陰ってきたので速やかに撤収することにします。

道中の一番眺めがいい場所でも、カメラで撮ると木の枝がモサモサと写りこんな感じ。高い所を通っていることはわかってもらえると思います。


急斜面のつづら折りを足早に下っていきます。






峠から30分で車まで戻ってきました。


この古道は「忘れられた街道(下)」という本で知りました。知ったのはけっこう以前のことになりますが、短距離で急斜面を登るルートで歩くのが大変そうだったので、昨年4月頃から県内の古道歩きに精を出すようになってからも後回しにしていました(笑)。

ようやく、最近は各所を歩き慣れてきて抵抗感も薄まってきましたし、比較的自宅から距離も近いので今回アタックしてみました。

歩いてみると、うんざりするほどのつづら折りのおかげで、想像していたよりも坂道は厳しくありませんでした。別所街道望月峠の方がきつかったくらいですね…。

愛知県内の古道のネタ本は「愛知の歴史街道」と「忘れられた街道(上)・(下)」ですが、どちらも著者は同じ方。これに戦前の地形図を合わせれば、県内だけでもまだまだ探索する場所には困りません。

あとはやる気と行く気を維持するだけですが、ちょっとくたびれてきたかな(笑)。
Posted at 2021/02/23 17:39:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2020年11月03日 イイね!

静岡県川根本町「寸又峡」へ出かけてきました

2020年11月1日日曜日、姉の誘いで母と一緒に静岡県榛原郡川根本町の「寸又峡」へ出かけてきました。姉がなぜここへ行く気になったのかは不明です(笑)。

新東名豊田東ICから高速に乗り、島田金谷ICで下車。ここから大井川沿いを延々と走っていきます。

最初に寄り道したのは、大井川鐡道青部駅。何か知られているという訳ではなく、国道から横目に駅がみえたので、ちょっと寄ってもらいました。

青部駅から千頭駅側の踏切脇に建つ勾配標。ぽっきりと折れたまま…。普通は速やかに補修すると思うのですが、ローカル私鉄の悲哀というところでしょうか…。


こちらが青部駅。単式ホーム1面1線の無人駅です。


ホーム上には細長い建屋に木製の長椅子。木製の長椅子が懐かしいですね。


金谷駅側には短いホームがありますが、おそらく貨物用ホームでしょう。貨物を取り扱っていた頃には、ここに貨車を停めておいて、ボチボチと荷物の積み込みなんかしていたのでしょうね。


細いレールにまばらな枕木。


元のレールが余程摩耗したのか、踏切の辺りだけは一対だけ50kgレールに交換され、枕木もコンクリート枕木が使われていました。

千頭駅方面を眺めています。望遠で見るとレールのゆがみが見て取れます。


同じタイプの無人駅でも都市の鉄道でみると無味乾燥な感じですが、ローカル私鉄だと味があって良いですね。その裏にある現実も見え隠れしているわけですけどね…。

次に立ち寄ったのは「両国の吊り橋」。大井川の幅広い砂利の河原が印象的です。






しかし、立ち寄ってもらった真の目的は、吊り橋の下に鉄道が見えていたから(笑)。


地図で確認したところ、大井川鐡道の川根両国駅のようです。車庫があり、何本もレールが敷かれています。


車庫の外には何両か貨車が留置されています。


橋の真下にレールのポイントが。いい場所ですね(笑)。


車庫前から右へとカーブしていく線路。こちらが本線で、奥が駅のようです。


ひとりで来ていたらもっとジッと見ていたと思いますが、母と姉が先に車へと戻っていってしまうので、これくらいにしておきます。


さらにこの先で寸又峡へ向かう静岡県道77号と長島ダムへ向かう県道388号が分岐。私たちは県道77号を進んでいきます。

寸又峡を訪れるのは初めてなので、現地に行って初めて知りましたが、分岐した場所から駐車場のある寸又峡温泉までの間は、すれ違い困難な長い狭隘区間があるため、途中3か所で交互通行のため長い時間停車することになりました。




自宅を出発してから約4時間。寸又峡の入口である寸又峡温泉に到着です(寄り道し過ぎた(笑)。)。


山深い所なので、閑散としているかと思っていたら、交互通行待ちの時ですでに10台以上が行列を作っている状況で、温泉街から渓谷へ向けての道路も大勢の人が歩ていました(写真はたまたま人通りが切れた場面ですが。)。


ニホンカモシカの像。この辺もけっこうな人通り。


お昼を回ったので、ニホンカモシカの像の近くのお店で昼食。私は「わさびそば」を食べました。


お店の人が「豪快に混ぜて食べないと辛いよ(笑)。」というので一生懸命混ぜましたよ。おかげで、麺を食べている時はちょうど良い辛みでしたが、つゆをすすった時に思い切り鼻にツンときました。混ぜたわさびが全部溶け込んでるわけですからね(笑)。

お店の向かいにある旅館の駐車場で寝ていた犬。いろんな人に写真を撮られても意に介さず昼寝してました(笑)。


一般車通行止めのゲートです。傍らに環境美化募金案内所があるので少々募金。


ここからは渓谷沿いの道となります。母は久しぶりに見る本格的な山にハイテンション。勝手にドンドン歩いていこうとします(笑)。


寸又川の下流方向を眺めます。


天子トンネル。元々は、かつてここを通っていた千頭森林鉄道のトンネルだそうです。






有名な吊り橋である「夢の吊橋」へのルートと森林鉄道跡にある飛龍橋へのルートの分岐点に来ました。


姉としては「夢の吊橋」へ行きたかったようですが、橋を渡る待ち時間が60分とあり、吊り橋は諦めて、飛龍橋から遊歩道の終点「尾崎坂展望台」へ向かうことにします。

分岐点にあった公衆電話。吹きっさらしだけど大丈夫ですかね。


眼下に「夢の吊橋」が見えてきました。人数制限が設けられていて、一度に渡れるのは10名までだそうです。


寸又川の渓谷を眺めます。写真下には大間ダムがあります。


大間ダムのダム湖で寸又川と大間川が合流していますが、大間川側の上流に飛龍橋が架かっています。


「夢の吊橋」を眺めます。道中の所々から見えますが、どうやら順番待ちの渋滞は解消しているようです。といっても今さらあそこまで戻る気にはなれませんが。


飛龍橋に到着です。森林鉄道時代はどんな橋が架かっていたんでしょうかね。


橋の対岸には登山路の案内板が立っています。


左へと分岐していく道が登山ルートである林道です。


私たちが目指す展望台へは右折していきます。

遊歩道になっていますが、人よりも大きい落石もあり、元来、危険な場所であることを実感させます。


展望台に到着しました。大間ダムを眺めています。


展望台の広場に展示されていた千頭森林鉄道の車両。


さて、「夢の吊橋」が渡れなかったので、もう一つ、温泉街の近くにある吊り橋「猿並橋」へ行くことになり、休憩もそこそこに元来た道を戻ります。

飛龍橋の側面に見つけた蛇口。山からホースで水を引いてきているようですが、一体、何のために設置したのでしょうか?


こちらは知る人ぞ知る「寸又川左岸林道」。普通の人は入り込まないでくださいねという道らしいですが、詳しくは知りません。


一般車通行止めのゲートまで戻り、そこから寸又川へと下る道を600mほど歩いていくと猿並橋に到着です。ちなみに、この橋の通行制限は5名なので、「夢の吊橋」よりも条件はハードです(笑)。




くどいようですが、私は高い所が嫌いです(笑)。しかし、渡ってみたいという誘惑の方がまだ勝っていたので渡り始めます。


真ん中を過ぎて振り返ると、母と姉が引き返していく姿が見えました…。


母がダメなのはわかっていましたが、姉も「これはダメだ…。」と思って引き返したそうです。姉「板が3枚並んでいたら渡っていけたのに…。」。

対岸まで渡れました。


渡ってしまったということは、もう1回渡らないといけないわけで…。なるべく真下を見ないようにして、手すりのワイヤーを軽く握りながら戻っていきます。

こんな細いワイヤーですからね。一人で渡ってもそれなりに揺れるわけです。


私が無事に渡ってきたところで車へと戻ることにしました。

15時を回っていましたが、駐車場にはまだけっこう車が停まっていました。


最後の寄り道は大井川鐡道千頭駅。




さすがにこの時間ではSL列車はいませんが、昔々JR山口線のSL列車で使われていた車両や、ここ千頭駅からさらに上流へと向かう井川線の車両が見られたので、まあ良かったかなというところです。












井川線もそのうち乗ってみたいですね。

今回の大井川沿いから寸又峡までのドライブ、初めてのルートということもあってなかなか良いドライブでした。自分の趣味的には、大井川鐡道の古い駅舎や車両を追っかけるのも楽しいかなと感じました。

あと、寸又峡の奥には、文中に何度も出てきている千頭森林鉄道の廃線跡が点在しているわけですが、この廃線跡はハイレベルの方向けのようなので、私には無理ですねぇ。
Posted at 2020/11/03 13:55:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

プロフィール

「岩村城へ行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48593295/
何シテル?   08/11 11:50
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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平成9年夏購入。 インプレッサ2台目。 行きつけの車屋さんへタイヤ交換の依頼をしに行っ ...
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平成7年夏購入。 インプレッサ1台目。 購入動機は、WRCのビデオを見たのが一番。 ...
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