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小林あにのブログ一覧

2021年03月07日 イイね!

貨物鉄道博物館へ行ってきました

2021年3月7日日曜日、弟を誘って、三重県いなべ市の三岐鉄道丹生川駅に隣接する貨物鉄道博物館へ行ってきました。

三岐鉄道丹生川駅。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

丹生川駅に隣接する敷地に博物館が収集した貨車などが屋外展示されています。


タム8000形8000号(1962年 汽車製造製)。15トン積過酸化水素専用タンク車。


タム5000形6263号(1968年 富士重工業製)。15トン積塩酸(及びアミノ酸)専用タンク車。


タム500形2920号(1958年 日本車輌製造製)。15トン積ガソリン専用タンク車。


タ2000形2001号(1939年製造・1941年改造 新潟鐵工所製)。元は、タム200形15トン積二硫化炭素専用タンク車として製造。後に10トン積アルコール専用車に改造されタ2000形となりました。


DB101号(1957年 協三工業製)。


テワ1形。旧関西鉄道の鉄製有蓋車。


旧ライジングサン石油 ア1900形タンク車。1893(明治26)~1898(明治31)年にイギリスで製造され輸入されたと思われるもの。石川県七尾市の企業で、油槽として再利用されていた。


B4型39号(1898年 英国SharpStewart社製造)。元は、日本鉄道が発注した蒸気機関車。1922年に東武鉄道B4形39号となり、1966年に引退。




ト1形15号(1912年 名古屋電車製作所製)。瀬戸電気鉄道(現在の名古屋鉄道瀬戸線)で使用された10トン積無蓋車。


ト200形246号(1917年 日本車輛製造製)。愛知電気鉄道(名古屋鉄道の前身)が製作した有蓋車で、大正末期に10トン積無蓋車に改造。


ワ11型11号(1929年 新潟鐵工所製)。蒲原鉄道の10トン積有蓋車。


ここで真横を通る三岐線を電車が通過していきます。元西武鉄道の801系です。


ワフ21000形21120号(1934年 汽車製造製)。


丹生川駅方向を振り返っての眺め。


シキ160形(1955年 日本車輌東京支店製)。130トン積吊掛式大物車。


ホサ1形1号(1930年 浅野造船所製)。元は、石灰石輸送用の23トン積ホッパ車。晩年は砕石散布用として使用。


テラ1形146号(1965年 協三工業製。)生石灰などを輸送するための鉄製有蓋車。


これで展示されている車両を見終えました。このほかにあともう1両、ワフ21000形21120号の裏側で修理されている貨車がありました。

展示車両の先にもしばらく線路が続いていますが、本線に戻ることなく途切れています。


これで見終わったので、丹生川駅前へと戻っていきます。


そこへ東藤原駅行きの貨物列車がやって来ました。


引き付けて撮ろうと思ったら見切れました…。




7~8分ほどその場にいたところ、今度はJR関西本線富田駅行きの貨物列車がやって来ました。


今度は2両目の機関車が撮れました…。


先ほどの東藤原駅行きは返空列車なので空荷ですが、こちらは太平洋セメントからのセメントを積み込んでいます。


貨物鉄道博物館はこれくらいにして、次の場所へと移動します。


次にやって来たのは、三岐線の終点である西藤原駅。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちょうど折り返しの電車が停車しています。


この駅にも保存車両が3両展示されています。






西藤原駅構内と線路の終端部。




次は東藤原駅。場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅前に展示されているホキ5700形25767号。


東藤原駅は貨物列車の始発・終着駅なので、構内には機関車や貨車が各所に留置されています。










駅構内を横切る踏切には、貨車の入れ換え作業の時間が表示されています。


この踏切を挟んで東藤原駅と太平洋セメントの工場があるので、入れ換え作業中は踏切は長時間閉鎖されることになるため、このような表示があるのでしょう。

最後に寄り道したのは、三岐鉄道北勢線の六把野井水拱橋。この場所から水路沿いに奥へと入っていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

六把野井水拱橋です。もう少し大きな橋だと思っていました。


この橋は構造の特殊さから、土木学会選奨土木遺産に指定されています。


何が特殊なのかというと、日本で唯一、コンクリートブロックで造られた「ねじりまんぽ」だということ。




もともと数が少ない「ねじりまんぽ」ですが、通常は煉瓦積みです。

例:琵琶湖疎水 蹴上のインクライン下の「ねじりまんぽ」。


例:関西本線鳥谷川橋梁。


ねじって積み上げるだけでも相当の手間がかかるはずですが、六把野井水拱橋はねじりに合うようにいちいち個々のコンクリートブロックを作り、それを積み上げて造られていることがその特殊性を際立たせているわけです。


弟曰く、「これくらいの長さなら、(わざわざ用水の方向に橋台の向きを合わせずにすむように)用水からもう少し距離を取れば普通の橋ができたんじゃないの?」。


まあ、その通りだと私も思います。台地側の崖をもう少し削り取るとか方法はあったでしょう。それでもこのような形状で造ったということは、技術的に何か理由があるはずです。少なくとも、「コンクリートブロックによるアーチ橋」にこだわった結果の解決策だったと思います。

橋梁の上流側の側面には銘板が取り付けられています。銘板には、橋梁の名称、工期、関係者氏名が刻まれています。


以上、六把野井水拱橋でした。

すぐ近くにはコンクリート三連アーチ橋の明智川拱橋もありますが、そちらは電車の撮影をしている方がいたので、遠くから眺めただけで立ち寄りませんでした。

今回は久しぶりに鉄道関係三昧でした。鉄道関係でいうと新装なった京都鉄道博物館へ行きたいとは思いますが、こちらはもうしばらく機を見るかなといったところですね。
Posted at 2021/03/07 23:55:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2021年02月23日 イイね!

新城市「島原橋」から「峰の峠」までの古道を歩く

2021年2月20日土曜日、愛知県新城市中島(湯島)にある愛知県道435号島原橋から東方向へと山を登り、「峰の峠」を越えて、新城市中島(山中)や新城市海老とを結んでいた古道を歩いてきました。

戦前の地形図はこちら。里道(聯路)として表記されています。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行

この地図ではわかりませんが、あまりのつづら折りの多さに「四十四曲がり」と呼ばれていたそうです。ルート的には県道435号の前身道と言えます。

さて、やって来たのは島原橋のたもと。


現在地は星印の地点になります。当然ながら、現在の地形図には峠越えの道は記載されていません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは島原橋。橋名は、寒狭川左岸の「湯島」と右岸の「恩原」から一文字づつ取ったものです。昭和14年(1939年)3月の架橋です。


「鳳来町誌 交通史編」によると、明治42年(1909年)に架橋された吊橋の老朽化が激しく、昭和9年(1934年)から現在の鉄筋コンクリート製の橋の架橋工事が開始されましたが、日中戦争開戦による鉄材の高騰や県からの補助金削減の影響を受け、完成は延び延びになっていたそうです。

県道435号はここから右へとカーブして新城市中島(山中)へと向かい山を登っていきますが、道幅が狭く、1.9mの幅員制限の標識が立っています。


ここが峠へ向かう古道の入口になります。植込みの手前にある細い路地を登り、入り込んでいきます。


入っていくとすぐに獣害防止用の柵が設置されています。扉は鎖を絡めて留めてあるだけなので、ほどいて中へと入っていきます。


柵を取り抜けると古道らしい浅いU字型の道があります。


始めのうちは斜面を直登していきますが、やがて左へと曲がり、斜面を横断する方向へと進路が変わります。


1か所目の折り返しが現れました。ここから、うんざりするほどのつづら折りが始まります(笑)。


登っていく先の斜面を見上げています。ジグザグに上の方まで道が付いているのが見えます(写真ではわかりにくいですが。)。


ちょっとした直線があったりしますが、基本、ひたすら折り返しです。








石畳が残っていました。


まだまだ折り返しが連続します。






石積みがあります。土留めのためでしょうか。


石積みの先、右側の木の根元に何かあります。


石仏です。しかし、上半身がありません。


辺りを見回したら、石仏から左方向、やや離れた地面に転がっていました。


側面に字が彫られています。「奉造立地蔵」と読み取れますから、この石仏はお地蔵様ですね。


見つけた上半身を下半身の上に据え置きます。ぴったりとはまったので、落ちてからそんなに経ってはいないのかもしれません。


「あとは頭が見つかるといいな。」と周りを探し回ってみましたが、全然見当たりません。さらに下の斜面まで降りて探してみましたが、見つけることはできませんでした。頭は丸いので、はるか下まで転がっていってしまったのかもしれません。

残念ですが、時間もあるので先へと進むことにします。






ちょっとした緩斜面へ出てきました。


この先から斜面の傾斜はさらにきつくなります。それを避けるかのように道は左へとカーブしていきます。




視界が開けてきました。ここからは山腹を尾根に並行するように通り、緩やかに登っていくようです。


水が浸み出している場所がぬた場になっているので、泥にはまらないよう跨いで通り抜けます。夜になるとイノシシとか来るんですかね。


日が差し込んでいます。けっこう高度を稼いだので眺めはいいのですが、写真で撮るには木々の枝が邪魔になります。


薮が現れました。通り抜けられるだけのスペースは開いているので、しゃがんでくぐり抜けます。


薮を歩くのは10mほどで済みました。


石積み擁壁です。積み方が粗いので、割と古い時代のものかもしれません。


上の方はずっと険しい岩山になっています。越えることができないわけです。


薮を刈り込んだ場所のようで、地面から細い木の切株がたくさん突き出しています。うっかり躓かないように注意します。


倒木がカットされています。おそらく峠側からこの付近までは人が入ってくるので、支障がないようにしたのでしょう。


正面が明るくなってきました。ここで道は右へとカーブし、いよいよ峠へと向かうようです。


若木をかき分けながら坂を登っていきます。


坂道が終わり、道が水平になると、


「峰の峠」に到着しました。「峰の峠」なんて地形そのままの名前なので、特に地名などに基づく名前が付けられてなく、普段呼びならわしていたものがそのまま定着したものなのでしょう。


峠の標高は地形図読みで標高410m。島原橋が標高165mなので、標高差245mを登ってきたことになります。

歩いてきた推定ルートはこんな感じです。


峠は細尾根になっているので、土を盛って土手道にしてあります。


土手道の手前から右側へと下っていく道が新城市中島(山中)への道で、土手道を抜けて先へと進んでいく道が新城市海老へと向かう道です。

土手道を反対側から眺めています。登ってきた側の斜面(右側)は急斜面ですが、中島(山中)側(左側)は緩やかな斜面になっています。


さて、登り始めた時刻が14時で、今の時刻は15時25分。ここまで歩いてきた距離は地形図読みで1.2~1.3kmほどと短いですが、だいぶ日も陰ってきたので速やかに撤収することにします。

道中の一番眺めがいい場所でも、カメラで撮ると木の枝がモサモサと写りこんな感じ。高い所を通っていることはわかってもらえると思います。


急斜面のつづら折りを足早に下っていきます。






峠から30分で車まで戻ってきました。


この古道は「忘れられた街道(下)」という本で知りました。知ったのはけっこう以前のことになりますが、短距離で急斜面を登るルートで歩くのが大変そうだったので、昨年4月頃から県内の古道歩きに精を出すようになってからも後回しにしていました(笑)。

ようやく、最近は各所を歩き慣れてきて抵抗感も薄まってきましたし、比較的自宅から距離も近いので今回アタックしてみました。

歩いてみると、うんざりするほどのつづら折りのおかげで、想像していたよりも坂道は厳しくありませんでした。別所街道望月峠の方がきつかったくらいですね…。

愛知県内の古道のネタ本は「愛知の歴史街道」と「忘れられた街道(上)・(下)」ですが、どちらも著者は同じ方。これに戦前の地形図を合わせれば、県内だけでもまだまだ探索する場所には困りません。

あとはやる気と行く気を維持するだけですが、ちょっとくたびれてきたかな(笑)。
Posted at 2021/02/23 17:39:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2020年11月03日 イイね!

静岡県川根本町「寸又峡」へ出かけてきました

2020年11月1日日曜日、姉の誘いで母と一緒に静岡県榛原郡川根本町の「寸又峡」へ出かけてきました。姉がなぜここへ行く気になったのかは不明です(笑)。

新東名豊田東ICから高速に乗り、島田金谷ICで下車。ここから大井川沿いを延々と走っていきます。

最初に寄り道したのは、大井川鐡道青部駅。何か知られているという訳ではなく、国道から横目に駅がみえたので、ちょっと寄ってもらいました。

青部駅から千頭駅側の踏切脇に建つ勾配標。ぽっきりと折れたまま…。普通は速やかに補修すると思うのですが、ローカル私鉄の悲哀というところでしょうか…。


こちらが青部駅。単式ホーム1面1線の無人駅です。


ホーム上には細長い建屋に木製の長椅子。木製の長椅子が懐かしいですね。


金谷駅側には短いホームがありますが、おそらく貨物用ホームでしょう。貨物を取り扱っていた頃には、ここに貨車を停めておいて、ボチボチと荷物の積み込みなんかしていたのでしょうね。


細いレールにまばらな枕木。


元のレールが余程摩耗したのか、踏切の辺りだけは一対だけ50kgレールに交換され、枕木もコンクリート枕木が使われていました。

千頭駅方面を眺めています。望遠で見るとレールのゆがみが見て取れます。


同じタイプの無人駅でも都市の鉄道でみると無味乾燥な感じですが、ローカル私鉄だと味があって良いですね。その裏にある現実も見え隠れしているわけですけどね…。

次に立ち寄ったのは「両国の吊り橋」。大井川の幅広い砂利の河原が印象的です。






しかし、立ち寄ってもらった真の目的は、吊り橋の下に鉄道が見えていたから(笑)。


地図で確認したところ、大井川鐡道の川根両国駅のようです。車庫があり、何本もレールが敷かれています。


車庫の外には何両か貨車が留置されています。


橋の真下にレールのポイントが。いい場所ですね(笑)。


車庫前から右へとカーブしていく線路。こちらが本線で、奥が駅のようです。


ひとりで来ていたらもっとジッと見ていたと思いますが、母と姉が先に車へと戻っていってしまうので、これくらいにしておきます。


さらにこの先で寸又峡へ向かう静岡県道77号と長島ダムへ向かう県道388号が分岐。私たちは県道77号を進んでいきます。

寸又峡を訪れるのは初めてなので、現地に行って初めて知りましたが、分岐した場所から駐車場のある寸又峡温泉までの間は、すれ違い困難な長い狭隘区間があるため、途中3か所で交互通行のため長い時間停車することになりました。




自宅を出発してから約4時間。寸又峡の入口である寸又峡温泉に到着です(寄り道し過ぎた(笑)。)。


山深い所なので、閑散としているかと思っていたら、交互通行待ちの時ですでに10台以上が行列を作っている状況で、温泉街から渓谷へ向けての道路も大勢の人が歩ていました(写真はたまたま人通りが切れた場面ですが。)。


ニホンカモシカの像。この辺もけっこうな人通り。


お昼を回ったので、ニホンカモシカの像の近くのお店で昼食。私は「わさびそば」を食べました。


お店の人が「豪快に混ぜて食べないと辛いよ(笑)。」というので一生懸命混ぜましたよ。おかげで、麺を食べている時はちょうど良い辛みでしたが、つゆをすすった時に思い切り鼻にツンときました。混ぜたわさびが全部溶け込んでるわけですからね(笑)。

お店の向かいにある旅館の駐車場で寝ていた犬。いろんな人に写真を撮られても意に介さず昼寝してました(笑)。


一般車通行止めのゲートです。傍らに環境美化募金案内所があるので少々募金。


ここからは渓谷沿いの道となります。母は久しぶりに見る本格的な山にハイテンション。勝手にドンドン歩いていこうとします(笑)。


寸又川の下流方向を眺めます。


天子トンネル。元々は、かつてここを通っていた千頭森林鉄道のトンネルだそうです。






有名な吊り橋である「夢の吊橋」へのルートと森林鉄道跡にある飛龍橋へのルートの分岐点に来ました。


姉としては「夢の吊橋」へ行きたかったようですが、橋を渡る待ち時間が60分とあり、吊り橋は諦めて、飛龍橋から遊歩道の終点「尾崎坂展望台」へ向かうことにします。

分岐点にあった公衆電話。吹きっさらしだけど大丈夫ですかね。


眼下に「夢の吊橋」が見えてきました。人数制限が設けられていて、一度に渡れるのは10名までだそうです。


寸又川の渓谷を眺めます。写真下には大間ダムがあります。


大間ダムのダム湖で寸又川と大間川が合流していますが、大間川側の上流に飛龍橋が架かっています。


「夢の吊橋」を眺めます。道中の所々から見えますが、どうやら順番待ちの渋滞は解消しているようです。といっても今さらあそこまで戻る気にはなれませんが。


飛龍橋に到着です。森林鉄道時代はどんな橋が架かっていたんでしょうかね。


橋の対岸には登山路の案内板が立っています。


左へと分岐していく道が登山ルートである林道です。


私たちが目指す展望台へは右折していきます。

遊歩道になっていますが、人よりも大きい落石もあり、元来、危険な場所であることを実感させます。


展望台に到着しました。大間ダムを眺めています。


展望台の広場に展示されていた千頭森林鉄道の車両。


さて、「夢の吊橋」が渡れなかったので、もう一つ、温泉街の近くにある吊り橋「猿並橋」へ行くことになり、休憩もそこそこに元来た道を戻ります。

飛龍橋の側面に見つけた蛇口。山からホースで水を引いてきているようですが、一体、何のために設置したのでしょうか?


こちらは知る人ぞ知る「寸又川左岸林道」。普通の人は入り込まないでくださいねという道らしいですが、詳しくは知りません。


一般車通行止めのゲートまで戻り、そこから寸又川へと下る道を600mほど歩いていくと猿並橋に到着です。ちなみに、この橋の通行制限は5名なので、「夢の吊橋」よりも条件はハードです(笑)。




くどいようですが、私は高い所が嫌いです(笑)。しかし、渡ってみたいという誘惑の方がまだ勝っていたので渡り始めます。


真ん中を過ぎて振り返ると、母と姉が引き返していく姿が見えました…。


母がダメなのはわかっていましたが、姉も「これはダメだ…。」と思って引き返したそうです。姉「板が3枚並んでいたら渡っていけたのに…。」。

対岸まで渡れました。


渡ってしまったということは、もう1回渡らないといけないわけで…。なるべく真下を見ないようにして、手すりのワイヤーを軽く握りながら戻っていきます。

こんな細いワイヤーですからね。一人で渡ってもそれなりに揺れるわけです。


私が無事に渡ってきたところで車へと戻ることにしました。

15時を回っていましたが、駐車場にはまだけっこう車が停まっていました。


最後の寄り道は大井川鐡道千頭駅。




さすがにこの時間ではSL列車はいませんが、昔々JR山口線のSL列車で使われていた車両や、ここ千頭駅からさらに上流へと向かう井川線の車両が見られたので、まあ良かったかなというところです。












井川線もそのうち乗ってみたいですね。

今回の大井川沿いから寸又峡までのドライブ、初めてのルートということもあってなかなか良いドライブでした。自分の趣味的には、大井川鐡道の古い駅舎や車両を追っかけるのも楽しいかなと感じました。

あと、寸又峡の奥には、文中に何度も出てきている千頭森林鉄道の廃線跡が点在しているわけですが、この廃線跡はハイレベルの方向けのようなので、私には無理ですねぇ。
Posted at 2020/11/03 13:55:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年11月17日 イイね!

道の駅 信州新野千石平までドライブしてきました

11月17日日曜日、弟の誘いで母を含めた3人で我が家の定番ドライブ先である道の駅「信州新野千石平」までドライブしてきました。

最初に寄り道したのは静岡県浜松市天竜区にある佐久間ダム。




特に言うべきことも無いので、写真を貼り付けておきます(笑)。










引き続き、佐久間ダム湖畔を忠実にトレースする県道1号線を走行。

ちょっと休憩ということで、今度はJR飯田線大嵐駅へ立ち寄ります。


ちょうど駅を通過していった特急伊那路号。通過の割にはものすごく徐行していきました。


大原トンネルの坑口。駅構内がトンネルとトンネルに挟まれて狭いので、トンネル内に出発信号機とポイントがあります。


前回訪れた時に行ったダム湖へと沈む階段へまた行きました。おそらく、佐久間ダムができる以前に旧富山村と大嵐駅を結んでいた道の名残りなのでしょう。






前回来た時よりも水位が低かったですね。川岸には大量の泥が堆積していました。






階段と大嵐駅の間の道。




鷹巣橋。




大嵐駅へと戻り、少しのんびりしていたら現れたのが「飯田線秘境駅号」。


15分ほど停車している間に、乗客のみなさん、駅や電車の写真を撮ったり、駆け足で鷹巣橋や夏焼トンネル(道路転用された旧飯田線のトンネル。)へ向かったりしたようでした。


この後は、県道1号、国道418号と走り、道の駅へ。紅葉シーズンということもあり大変混雑していましたが、お昼御飯を食べて帰宅しました。
Posted at 2019/11/18 00:04:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2019年10月14日 イイね!

出雲大社・旧大社駅・一畑口駅・松江城を巡りました

2019年10月13日日曜日、弟と二人で島根県の出雲大社と松江城を目指してドライブに出かけてきました。

自宅を出発したのは、台風からの吹き返しが残る13日午前1時前。伊勢湾岸道で強風による50km/h規制が出ており、三重県内からは再び雨が降り出していましたが、それ以外の規制はなく、新名神、名神、新名神、中国道というルートで順調に進みます。米子道に入る頃には雨も止み、米子市内まで来ると晴れ間も見えるようになってきました。

最初にやって来たのは、島根県出雲市にあります出雲大社。


何年ぶりですかね、もう憶えていませんね(笑)。

やはり参拝客が多いですね。個人や家族連れ、団体旅行といったいろいろな方たちが来ています。結婚式や七五三参りと思われる方も目立ちますね。

お宮によっては参拝の人が行列を作っている所もあり、なかなか盛況でした。




















けっこうな時間をかけてここまでやって来ましたが、本殿の周りを一周して「もういいかな。」という感じ。


出雲大社宝物殿を見物してから、隣接する場所にある島根県立古代出雲歴史博物館へと行ってみます。




ここで一番目を引いたのは、荒神谷遺跡出土の大量の銅剣群と加茂岩倉遺跡出土のこれまた大量の銅鐸群ですね。




見物を終えて、駐車場へと戻ります。途中にある出雲大社の参道。




さて、当初予定では次に向かうのは松江城でしたが、1か所、ご近所へ寄り道します。

旧大社駅。平成2年(1990年)に廃止されたJR大社線の終着駅です。


廃線後も駅舎と駅構内はそのまま保存されています。

駅舎は、大正13年(1924年)完成のもので、国の重要文化財に指定されています。




駅舎内は広々としていて、多くの乗降客に対応できるような造りになっています。天井も大変高く、格天井からはシャンデリアが吊るされています。


切符売り場だそうです。こちらも大変意匠が凝っています。


後年は観光案内所になっていたのですかね。


「きっぷうりば」。自動発券機が当たり前なので、このスタイルの切符売り場は全然見かけなくなりました。


大社駅出発列車の時刻表。廃止当時のものですかね。


ホームへと出てみます。


駅名板。「駅長事務室」の行灯も残っています。


駅ホームからは出雲大社の大鳥居を眺めることができます。


ホームにある構内通路の階段の蓋には因幡の白兎が描かれています。


当時は、機関車や列車の入れ替えのためにもう少し先まで線路が伸びていたそうです。


駅構内は、ホーム2面3線にもう1線側線が残っています。


ホーム下や線路の間の溝に梃子装置の滑車が残されていました。信号機用か転轍機用か、はたまた両方の連動用かはわかりませんが。




かつての改札口です。風雨への対策と防犯上の理由でしょうが、今は板で目張りされてしまっています。木組みの改札柵が懐かしいです。


こちらは団体客用の改札口でしょう。これだけのスペースを確保する必要があるほど、かつては鉄道で参拝客がやって来ていたわけですね。


出雲市駅側の線路は、横断する道路の部分でブッツリと切られています。


駅構内を眺めます。


構内には1両だけ保存車両が展示されています。かつては出雲大社内に展示されていたD51 774号機です。


もう少しいろいろとチェックしたいところですが、そろそろ次の場所へと移動です。


出雲大社からは、国道431号で宍道湖の北岸を走り、松江城へと向かいます。

しかし、またしても途中でとある駅へと立ち寄ります。私がハンドルを握っているので、寄り道の主導権も私にあります(笑)。

一畑電車北松江線一畑口駅です。




余談ですが、私の住む安城市の隣の岡崎市には「一畑山薬師寺」という寺院がありますが、この駅から北に向かうとある「醫王山一畑寺(一畑薬師)」が本山になります。

話は戻りますが、この駅、平地にありますがなぜかスイッチバック式の駅となっています。


写真左側が松江市方面、写真右側が出雲市駅・出雲大社方面になります。


この路線は、名前のとおり一畑薬師への参詣客を輸送することを主目的に建設されたものです。最初に開通したのが出雲市駅からの路線。その後に松江市と一畑薬師を結ぶ路線が開通。当時は松江市と出雲市駅を直接結ぶことは考慮されていなかったので、両方からの線路が一畑薬師へ向かう形になり、結果的にスイッチバックとなりました。

駅構内の写真です。










この駅から一畑薬師の最寄り駅である一畑駅までの路線は、戦時中の不要不急路線に指定されたため、昭和19年(1944年)に線路が撤去され、昭和35年(1960年)に復活することなく廃止されました。

駅から先へもう少しだけ線路が残っています。


ここまで電車が入ることがないためか、転轍機上部の標識灯が外されています。




線路の終端です。車止めが設置され、その先は道路となっています。


終端側からの駅構内の眺め。ホーム2面3線。ローカル線の拠点駅のお手本のような配線です。




いい加減、弟が車中で退屈して居眠りしているので、松江市内へと移動再開です。

さて、移動に使った国道431号は道中のほとんどが宍道湖畔を走るルートで、なかなか風光明媚なわけですが、結局、宍道湖の写真は1枚も撮りませんでした(笑)。

松江城に近い駐車場へ到着したのは14時半も回った頃。ここから松江城へと700mほど歩いて移動です。

松江城を取り囲む堀。堀や水路を巡る観光船が通過していきます。


間違って隣接する神社に入り込んだりしましたが、何とか城内へと入り込んでいきます。


松江城の本丸に到着しました。


松江城天守です。ここも以前いつ頃来たのか記憶があいまいです(笑)。


松江城天守は慶長16年(1611年)の完成。平成27年(2015年)に国宝へと指定されました。


天守内は見学できるので、当然見学いたします。

最上階の様子。


眺めいいですねぇ。松江市街地と宍道湖が良く見えます。


最後にまた正面と側面の写真を。




ここで時刻はもう16時。すっかり疲れてしまったので、正面側へは降りていかず、登って来た北側へとそのまま下って駐車場へと戻りました。

このあとは、国道9号沿いで晩御飯を何か適当に食べようとお店を探しましたが、結局米子市街地までそのまま走る羽目になり、ファミレスで食べることになりました(笑)。

帰り道は、米子から米子道には乗らず、鳥取市方面へ向けて山陰道へと直進(「どうせ翌日も休みだし、こんな機会がないと山陰地方の道路は走らない。」という、毎度の「悪い病気」が発症(笑)。)。

鳥取市内からは国道9号で兵庫県内へと入り、蒲生峠(蒲生トンネル:1745m)、春来峠(春来トンネル:1696m)、八井谷峠(但馬トンネル:延長1256mとループ橋)の3つの急坂な峠を越え(本当、パジェロミニでは厳しかった!)、養父市八鹿町の八鹿氷ノ山ICから北近畿豊岡道に乗り、やっと一息つけました。

これで安心したのか急に眠気が起きてきて堪え切れず、途中の青垣ICで下りて道の駅へ(PAが無いので。)。ここで弟と運転交替。舞鶴道に出るまでは道案内しないといけないので何とか起きていましたが、舞鶴道に入ったところで眠りにつきました。

このあと、宝塚北SA、鈴鹿PAと休憩を挟みながら走り続けましたが、ついに湾岸長島PAで二人とも力尽き、朝まで眠ることになりました(笑)。

帰宅したのは5時半頃。30分くらいそのままくたばっていましたが、何とか風呂に入ってようやく布団で寝ることができました(笑)。
Posted at 2019/10/14 20:37:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

プロフィール

「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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旧伊勢本街道「飼坂峠」南方の廃道を探索する(4) 
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2025/04/19 15:50:49
甚目寺と名鉄築港線東名古屋港駅 
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2025/04/19 15:27:31

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スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
所有4台目(4代目)となるインプレッサ。 ガチガチのマニアというわけではないですが、4 ...
スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
平成16年夏に購入。 自身3台目のインプレッサとなります。 購入理由は、2台目インプレ ...
スバル インプレッサ WRX STI スバル インプレッサ WRX STI
平成9年夏購入。 インプレッサ2台目。 行きつけの車屋さんへタイヤ交換の依頼をしに行っ ...
スバル インプレッサWRX スバル インプレッサWRX
平成7年夏購入。 インプレッサ1台目。 購入動機は、WRCのビデオを見たのが一番。 ...
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