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小林あにのブログ一覧

2018年03月14日 イイね!

旧篠ノ井線第二白坂隧道を歩く(1)

今日は計画消化の有給休暇でお休みだったので、長野県筑北村に残る旧篠ノ井線第二白坂隧道まで行ってきました。

JR篠ノ井線の西条駅から明科駅の区間は、昭和63年(1988年)に線路の曲線・勾配緩和による運行上の隘路の解消や、保守管理上の防災向上などを目的として、長大トンネルを連ねるルートへと変更されました。これにより、今回訪れた第一・第二白坂隧道を含む旧線区間が昭和63年(1988年)に廃止となりました。

廃線区間のうち、明科駅から第二白坂隧道までは再整備されて、廃線跡を辿る遊歩道として開放されています。ちなみに、遊歩道の終点となる第二白坂隧道の明科駅側坑口には扉が付けられ、中は伺い知れない状態になっていました。

てっきり反対側の西条駅側坑口も同様に封鎖されているものかと思っていましたが、たまたま廃トンネルのことをネット検索していたところ、反対側である西条駅側坑口から中に入って探索した人がいることを知りました。それならばと思い立ち、急遽行ってみた次第です。

最寄りとなる廃線跡にやって来ました。


さっそく、廃線跡へと足を踏み入れます。




トンネルが見えてきました。


最初に現れたのは、第一白坂隧道の西条駅側坑門です。煉瓦積みの坑門がきれいに残されていますね。




短いトンネルです。中はほとんどコンクリートで覆工されています。


明科駅側の坑門です。こちらもきれいに残されています。


第二白坂隧道はこの先になります。


勾配標と思われますが、塗料が剥げてしまって表示内容はわかりません。


おそらくは、「L」(レベル=水平)と「18.2」(1,000m進むと18.2mの高低差がつく勾配。)と表示されていたと思われます。

第二白坂隧道手前の橋梁です。橋台は煉瓦積みになっています。




帰りはここで長靴を洗えそうです(笑)。

さて、こちらが第二白坂隧道。西条駅側坑門になります。




トンネル延長は2,084m(または2,094.1m)。日本鉄道請負業史明治編によると1900年(明治33年)に導坑貫通とありますが、竣工時期の記載はありません。本トンネルを含む西条駅ー松本駅の区間は1902年(明治35年)6月に開通しました。

坑門はコンクリートで延伸工事されています。1960年(昭和35年)施工のようです。


トンネルに入る前に旧坑門を見ておきましょう。






坑門の裏側には排水路が造られています。敷き詰めてあった煉瓦がバラバラです。


それでは、トンネル内へと入っていきましょうか。


最初から路盤には水たまりが伸びています。


機器用のボックスでしょうか。


早くも天井がコンクリート覆工になっています。


常磐線旧金山隧道ほどではありませんが、黄土色の泥沼が続いています。所々深いです。




距離標がありました。塩尻駅から36.5kmということでしょう。


泥の量が減ってきました。


退避坑上の照明。


見事な白華現象です(笑)。何か所も現れてきます。それだけ劣化が進んでいるということですね。


壁面補修の跡。




白い世界が続きます。ライトの光が白華現象でてきた結晶に反射するとキラキラして綺麗ですよ。


水の色が淡い青色。きれいですが、変な成分を含んでいそうで何か怖いです(笑)。


1か所目の大型退避坑です。このトンネルの大型退避坑は煉瓦造りのものがまったく無く、全てコンクリート製に改築されてしまったようです。


照明のスイッチ?


たくさんの煉瓦の筋に吸い込まれていきそうです。


これは何なんでしょう?丙号距離標というものでしょうか?




お休み中のコウモリさん達を起こしてしまいました(笑)。


コンクリートブロックになっている区間も白華現象が出ています。


2か所目の大型退避坑です。


間仕切りの奥に機器用ボックスが鎮座していました。


コウモリさん達、乱舞しています。


36km地点まで来ました。


まだ明科駅側坑口の光は見えません。


退避時の方向を表示しているのでしょうか?


車の轍が付いています。軽トラサイズに見えます。


片栗粉を塗り付けたかのように白いです。




ようやく反対側の光が見えてきました。これでちょっと安心できます。


坑口から2‰の下り坂(1,000m進むと2m下る勾配。)であったのが、この辺りから25‰の下り坂に変わります。このトンネルの内部は一直線ですが、勾配が変わる場所まで来たことで反対側が見通せるようになったわけです。

バラストが厚く敷かれています。いつの施工なのでしょうか?


3か所目の大型退避坑です。


何か所目かのコンクリート覆工。本当に補修箇所が多いです。


4か所目の大型退避坑です。ここは唯一、明科駅方面へ向かって右側に設置されていました。


奥にボックスが取り付けてあります。


「信号高圧ケーブル接続函」とあります。蓋は開きませんでした。錆のためか施錠されているのか…。


これまた唯一の蛍光灯。


「トンネル照明器具」とありますから、専用品ということでしょうか。


この退避坑の真反対には煉瓦製の退避坑が。


長くなりますので、(2)へ続きます。
Posted at 2018/03/15 01:30:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2018年02月16日 イイね!

北恵那鉄道跡を歩く(木曽川橋梁~第四山之田川橋梁)

今日は午後から中津川市内に残る北恵那鉄道の廃線跡を歩いてきました。

まずは木曽川橋梁を見るため、木曽川沿いの道路に車を停めて、河原へと下ります。

河原への途中に北恵那鉄道の用地杭がありました。


木曽川橋梁。大正13年(1924年)供用開始だそうです。




トラス橋は明治19年(1886年)イギリス製で他の鉄道から転用されたものらしいです。雰囲気は明治19年竣工の東海道本線旧揖斐川橋梁に似ています。

次は、車で上地橋梁へと移動します。


深い谷に架かっているので、高度感がけっこうあります。








側面に銘板が付いていたので望遠で撮ってみました。ピンボケでしたが、「汽車製造株式会社」、「大正十二年」(1923年)という内容が読み取れます。


さて、ここからが廃線跡の本番です。




架線柱か電信柱の跡ですね。


築堤部分にコンクリート製のアーチ型暗渠がありました。


付近に碍子や枕木が残っていました。まあ、枕木はたくさん残したままになってますけど。




辿るのにうんざりするような状況が続いてます(笑)。




第一山之田川橋梁に着きました。


まあまあ高さがありますね。


犬釘。


橋梁全景。




枕木もボロボロに朽ちています。




次の橋梁へと向かいます。この廃線跡はけっこうぬかるみが多いです。




第二山之田川橋梁です。








本当にうんざりしてきます(笑)。真冬でこれなので、夏は歩き通すのは無理かもしれません。




第三山之田川橋梁です。




側面に再塗装時に記された名称などが残っています。施工年月は昭和41年(1966年)10月。私が生まれる3年前です。


橋梁全景。








茨の刺に捕まりながら次の橋梁へと向かいます。


ようやく今回の終点、第四山之田川橋梁です。




犬釘と長靴。


橋梁の全景です。ここまで来ると橋梁と川面がずいぶん近くなっています。




橋梁の真下に立つと余裕で手が届きます。




再塗装施工時の記録。




この時点で16時15分頃。日が暮れてしまうので引き返すことにします。


薮の中を歩くのが嫌になったので、しばらく山の田川の河原を歩いて戻っていたところ、川の真ん中に橋脚の土台を見つけました。


すぐ横の川岸には高く積まれた石垣。多分、橋台と橋につながる道路の擁壁でしょう。


しかし、高石垣の反対岸にある線路跡付近には道路らしきものはないんですよね。何のための橋だったのか見当つきません。

途中、行きに立ち寄った暗渠を覗いてみました。細かい間隔で付いている型枠の跡が時代を感じさせます。




すぐ近くにあった石橋。


何とか日が暮れる前に車まで戻ってこれました。
Posted at 2018/02/17 00:51:55 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2015年09月26日 イイね!

太田切橋梁と旧鳥居隧道

ロングドライブ2日目となる20日日曜日の夜は、北陸道米山SAで車中泊。3日目、21日月曜日は朝7時15分に混雑するサービスエリアを出発して、ひとまず次の大潟PAへと移動。売店のないパーキングエリアなので駐車場はガラガラ。ここで顔を洗って、昨日行動食に買いながら食べなかったミニあんぱん(5個入り)を朝食に食べながら少しのんびりします。

人心地ついたところで出発。「上信越道は渋滞が予想されます。」との表示を見て、上越ICで降りて国道18号を長野県方面へと走行します。

妙高大橋を渡った先で旧国道へとそれて車を停車。妙高大橋を見上げます。



ここから地図に載っていた小道を信越本線(北陸新幹線の開業で現在は「えちごトキめき鉄道」。)の線路へと向かって歩いていきます。しばらく歩くと線路わきの保線小屋に出て行き止まり。河原へはさらに下らないといけないので、雑木林や薮をかき分けてようやく大田切川に出ました。

太田切橋梁





土木学会の選奨土木遺産に指定されています。来歴によると明治20年の竣工とあります。



国道18号妙高大橋の位置を見ると谷の深さがよくわかります。河原から線路まで土手の高さが36mあるそうです。



アーチ高は7.8mあり、関西本線大崖川橋梁を彷彿とさせる大きさです。アーチ全体に過去の土石流によるものと思われる乾いた泥がこびりついていて白っぽく見えます。



泥がついていない箇所はたぶん本来のものであろう焦げ茶色の煉瓦が多く見て取れます。



側壁は大きな整石がフランス積みにされ、水路部分は石畳となっています。



下流側の坑門も上流側同様の意匠となっています。



すぐ後ろは大きな段差となっていて、下流側は写真に全体像を収めることはできませんでした。



再び上流側へ出て、車へと戻ります。



プジョー205T16を見かけたり、県境の関川の関所に立ち寄ったりしながら、長野県方面へと走ります。





野尻湖の手前まで来て渋滞が始まったため、野尻湖方面へと迂回します。



野尻湖の周遊道路から県道96号を通って、上信越道豊田飯山ICから高速道路に乗ります。松代PAで昼御飯を食べて、長野道塩尻ICまでを移動。ここから国道19号で木曾谷へと向かいます。

やって来ました旧鳥居隧道



「58」とペイントされてますが、東京駅から58番目のトンネルということらしいです。



いつもは日の光が届く範囲までしか入りませんが、今回はせっかくなので持ってきていたヘッドライトを頭につけて、奥へと潜ってみました。



歩くには必要十分以上の明るさでしたが、携帯で写真を撮るにはやはり光量不足。いまいちな写真しか撮れませんでした。







今回は退避坑(トンネルの壁面に凹みで設けられた退避用のスペース。)を9か所通過するくらいまで入ってみました。この廃トンネルは全長1600m超ですが、たぶん500mくらいは行ったでしょうか。

中は靄がひどかった(光が当たると水蒸気様に見えるほど。)ですが、コウモリも見かけず、目立った壁面の崩れもなくいたって快適な探索でした。反対側坑口付近で崩壊しているのはわかっているので、入口からの光が見えるうちに引き返しましたが、気分的にはもっと奥まで行ってもよかった気さえしていました。

LEDヘッドライトは今までのLED懐中電灯に比べて全体を明るく照らしてくれるので、恐怖感が薄れていたのかもしれません。

坑口に戻ってきました。



もう何度も来て、何度も同じような写真を撮っている場所ですが、これからも何度も来ますね、きっと。もうある意味「憩いの場」になってますし。もうちょっと近ければなぁ。

さて、廃トンネルの前から旧国道によじ登り、頭にヘッドライト、足に長靴のまま歩いていたら、ちょうど二人乗りのツーリングバイクの方とすれ違いました。やはり「?」というような仕草をしておられました(笑)。

車に乗り込み、国道19号を中津川方面へと南下。中津川IC直前の電光掲示板を見たら、「中津川-土岐渋滞25km」の表示。最後の最後で「えーっ!」という気分になりましたが、仕方がないので恵那市街から国道257号・363号と暗い山道を長距離迂回してせと品野ICから高速へ。21時30分、約1350kmのドライブを終えて帰宅しました。
Posted at 2015/09/26 17:01:22 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2015年01月26日 イイね!

JR草津線煉瓦アーチ橋巡り

逢坂山トンネルを後にして、名神高速・新名神と乗り継ぎ、甲南ICで降りて甲賀市内へ。貴生川駅の北方、杣川の左岸の田んぼの中を通るJR草津線の築堤に来ました。

新道橋梁



構造物ではまず用いない「矢筈積み」を壁面に用いていることで知られている煉瓦アーチ橋です。上部の煉瓦が斜めに交互に積まれている部分がそうです。







国分橋梁



新道橋梁の北、200mほどの所にあります。この路線を明治23年に開通させた関西鉄道の社紋が掲げられていることで知られている煉瓦アーチ橋です。







ただ、どうしてこんな目立たない場所にある小さな橋に社紋を掲げたのかは不明のようです。


ここからは、JR草津線に並行する滋賀県道4号を伊賀市方面へと走っていきながら、見える範囲で煉瓦アーチ橋を探してみます。

南下して油日駅を過ぎた辺りでようやく1つ確認。しかし近くに車を停める場所が無くてやむなく通過。

しばらく走ると2つ目を発見。車を停めて見に行く途中にもう1か所発見したのでそちらも見てきました。

2つ目に発見した煉瓦アーチ橋(名称不明)



県道から小川に滑り降りて近づいたところ、某サイトに紹介されていた物件。



上部がフランス積みという珍しい積み方だとか、ポリクロミーという装飾技法を使っているとか、このサイズの煉瓦アーチ橋にしては凝りすぎな造作だそうです。

3つ目に確認した煉瓦アーチ橋(名称不明)



この橋は県道からは全然見えなかったので、停まらなければ気付かずに通過してました。





こちらもフランス積み部分があり、焼過煉瓦での模様付けも同様でした。


JR草津線はこれで終了。伊賀市柘植に出て、旧大和街道の狭い道を亀山市方面へと進み、国道25号へ合流します。

合流した少し先にある関西本線鳥谷川橋梁に立ち寄ります。



ここは何度も来ているので定点観測のようなものです。しかしいつ来ても国道からは全然見えません。





悪路の酷道25号でそのまま加太越えをして、ついでに大和街道架道橋と大崖川橋梁をチラ見。亀山ICへと出て、東名阪道で帰りました。

Posted at 2015/01/26 06:20:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2014年06月15日 イイね!

北恵那鉄道跡を歩いてきました

土曜日は昼過ぎから岐阜県中津川市に残る北恵那鉄道の廃線跡を歩いてきました。

元々は行く予定など全くしてませんでしたが、午前中に歯医者と床屋で用件を済ませて、暇つぶしに東海環状道を北上。「北恵那鉄道の木曽川橋梁でも見に行くか。」と思い立ち、現地に向かいました。

木曽川橋梁のたもとに到着したところで、ハイキング中だという83歳の老紳士に話し掛けられ、しばらく雑談。


木曽川橋梁






橋を見たら帰ろうかと思っていましたが、話の中で「橋から坂を登って電車が通ってたんだよ。」と言われ、「前からここの廃線跡を歩こうと思いながら全然来てなかったから今から行ってみるか。」と廃線跡の道路を歩き始めました。


道路は途中で行き止まりになります。



薮の中にある踏み跡をさらに進むと最初の橋の錆びた桁が見えてきます。



名称は上地橋梁。川面から桁までの高さは15m位はありそうです。






ここで一旦斜面を降りて道路橋を渡り、対岸の廃線跡へと登り直します。

ここからが廃線歩きの本番となりますが、まだ初夏なので、それほど酷い状態ではないのが幸いです。





とは言っても、薮、倒木、湿地とちまちまクリアしていくのはなかなか骨が折れます。ここは線路敷きに枕木がよく残っていたので、湿地を通り抜ける時には重宝しました。


上地橋梁から先にはさらに4箇所、橋が架かったままになっています。

第一山之田川橋梁







第二山之田川橋梁







第三山之田川橋梁







第四山之田川橋梁










第四山之田川橋梁を通過した先では、絡まった薮の中をしゃがんで進んでいると、猪の寝屋と思われる所に出てしまい、そのとたんに前方で大きく薮がざわついたため、びっくりして猛バックダッシュなんてこともありました。

この区間だけは平行して流れる山之田川の河原へ降りて迂回。


線路に対して直角に架かる橋の跡



駅もない山中に、なぜこんなしっかりした石積みの橋台・橋脚の橋があったのかは不明。


穴の開いた線路敷きの擁護壁



この穴から廃線跡に戻りました。


結局、猪とは鉢合わせずに何とか無事に通り抜けて、県道まで這い出ることができました。

帰りはそのまま県道を歩いて自分の車まで戻り、ぐるりと2時間ほどの行程でした。



Posted at 2014/06/15 05:05:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記

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「【2025年】「いなべ東近江ラリー」へ参戦しました http://cvw.jp/b/1796277/48614396/
何シテル?   08/22 23:09
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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