2020年11月28日土曜日、長野県下伊那郡天龍村と飯田市の境にある谷京(やきょう)峠への峠道を歩いてきました。
先週の11月22日日曜日に一度訪れていますが、この時はJR飯田線為栗駅から尾根に出るところまで登っただけで引き返すことになり、谷京峠まではたどり着けませんでした。
地図中の赤線部分を登っただけで終わったわけです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
という訳で、今回は谷京峠到達を目標に再アタックです。
前回と同じく、天竜橋のたもとに車を駐車します。今回は私以外に訪れている人は誰もなく、時折、駅のスピーカーから電車接近のアナウンスが流れるだけで、いたって静かなものでした。
前回と同じく駅裏の一軒家の前から峠道に取り付きます。
駅から25分程で前回引き返した尾根に到着です。今回は自分のペースでドンドン登ってきたので、けっこう息が上がってしまいました(笑)。
軽く息を整えて、すぐに出発します。ここからが谷京峠への本番です。
出発してすぐの所にある炭焼き窯の跡。
炭焼き窯跡の先にある折り返しです。この時点ですでに道形が不鮮明で、落ち葉に埋もれた細い踏み跡を探りながら歩くことになります。
所々、道の分岐と思われるものがありますが、ひとまずは道なりに進んでいきます。
広い平場へと出てきました。探索前にチェックしたブログの一つに書かれていた水田跡のようです。
天竜川沿いの谷底よりも日が当たり、沢から水も引けるのでここに水田を開いたとのことです。昔の人のお米に対する執念を感じますね。
「さて、この平場からの道はどこにあるのだろうか?」と探していたら、沢沿いに奥へと進んでいく道らしきものがありました。
傍らに立てられていた警告文。私は道を辿って通り抜けるだけなので、このまま入らせていただきます。
いきなり倒木が折り重なっています。倒木を跨いで進もうにも、失敗したらそのまま沢へと落ちてしまうので、面倒ですが山側に迂回です。
何とか迂回できました。
「なかなか尾根へ登っていかないなぁ。」と疑問を感じつつ、何となく残っている道跡を追っていきます。
そして、左にカーブしたところで跡が消えてしまいました。目を凝らしても痕跡がわかりません。
「どうも進む道を間違えたな。」。こういう時は割り切って、尾根に向かって一直線に登るのみです。
※帰宅してから、水田跡の事を記していたブログを読み返していたら、平場から踏み込んだ所は道ではなく水路跡でした。
村有林の中は縦横無尽に踏み跡が付いています。山菜やキノコ採りのためでしょう。おかげで斜面をよじ登るような真似をすることなく、尾根へ出ることができました。
尾根に出て周りを確認すると、下り方向を見た時に道があるのが見て取れました。
「これは間違いないな。」ということで、この尾根道を登っていくことにします。
森林組合が取り付けた「入山禁止」の札が掛かっています。右側の斜面が村有林になっているので、その関連でしょうかね。
馬の背のような尾根道は快適ですね。この頃には体も慣れてきて、呼吸もすっかり落ち着いています。
道は小さなピークを避けて右へと逸れていきます。
左側はけっこうな急斜面で、時折、冷たい風が吹きあがってきます。
先ほどよりも高いピークを避けるため、また右へと道が逸れていきます。
道幅はしっかりありますが、急坂の上、落ち葉や松葉が敷き詰められているので、時々靴が滑ってよろけてしまい、肝を冷やしながらの坂登りです。
尾根に出て、一安心。
ここに石仏が一体ありました。
山行記録などで記されていた馬頭観音ですね。
光背に「文化四卯年」、「為栗村〇」と彫られています。文化4年は1807年。為栗村は、天竜川の平岡ダムができる以前に為栗駅付近にあった集落のことでしょう。為栗村の人々が谷京峠を通って、峠の反対側にある遠山谷の村々と行き来していた証ですね。
※その3へと続きます。