今日は、静岡市の西部にある宇津谷隧道へと行ってきました。
旧東海道宇津ノ谷峠の真下を通る明治時代の煉瓦トンネルで延長は203m。こちらは丸子宿側になります。
扁額です。やや文字が読みにくいですね。
日が当たりにくいためか、だいぶ苔むしています。
トンネル内は黄橙色の照明が設置されていて、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
居合わせたボーイスカウトの子供たちは「怖い怖い!」とキャーキャー叫んでましたけどね(笑)。
古い煉瓦トンネルの例に漏れず、白華現象が目立ちます。
アーチ部分は赤煉瓦の長手積み、側壁部分は焼過煉瓦のイギリス積み。
照明があるためか、トンネル内の煉瓦にも苔が生えています。
岡部宿側へと出てきました。
岡部宿側の坑門です。こちらは日が差し込むためか、苔は付いていません。
扁額です。丸子宿側と同じく陽刻となっていますが、こちら側は文字が鮮明です。
トンネルの長さをできるだけ短くするためか、トンネル手前まで深い切通しになっています。
古そうな石垣。トンネル開通当時のものでしょうか。
岡部宿側の入口に設置されている案内看板です。
ここからは明治時代の街道をそれて、旧東海道の峠道へと向かいます。
旧東海道の宇津ノ谷峠にやってきました。岡部宿側は国道1号のトンネル排気口へと向かう道路のために、旧東海道はえぐり取られています。
峠の手前に短く本来の旧東海道が残されています。なかなかの急坂です。
ここが宇津ノ谷峠です。峠を示すものは手書きのプレートのみと寂しいものです。
丸子宿側へと峠道を下っていきます。こちら側は幾分か往時の雰囲気を残しています。
途中に石仏がありました。左側は馬頭観世音と彫られています。右側はわかりませんが嘉永五年八月と彫られているので、1852年のものとわかります。
丸子宿側の登り口に出てきました。
左手が丸子宿へと向かう旧東海道、直進が宇津谷隧道へと続く明治時代の街道です。
峠の東麓にある宇津ノ谷の集落です。宿場ではありませんが、峠越えに備えた休憩場所として賑わったことでしょう。
台風が接近しているためか気温も湿気も高くて、汗だくになってしまいました。トンネルと峠越えで一周してくる短い区間でしたが、10人ほどのグループ2組とすれ違い、街道歩きの人たちに人気のスポットのようでした。
最後は、東海道本線の大井川橋梁へ寄り道。
大井川橋梁は、まず現在の下り線用橋梁が1889年(明治22年)に単線で開通。
続いて、複線化のために1912年(明治45年)に旧上り線用橋梁が開通。
1915年(大正4年)には車両大型化に対応するため下り線用橋梁の架け替えを実施(鉄橋部分のみ。)。
最後に旧上り線用橋梁を架け替えするために、現上り線用橋梁が1960年(昭和35年)に新規建設され開通しました。旧上り線用橋梁はその後撤去されました。
そのため、下り線用橋梁(左側)と上り線用橋梁(右側)の間隔は大きく開いています。
ここ最近の悪天候のためか、河原には流されてきた大きな木々がゴロゴロ横たわっていました。
煉瓦造の橋脚。明治22年の開通当時のものを現在も使用中とのこと。上部は鉄輪で補強されています。
天気はまあまあですが、川の流れは泥水。
さすが大井川。対岸までまだまだ遠い。
橋脚に線路保守の関係者が書いたと思われる伝言メモがありました。
微妙な下膨れ感が何気に良い感じ(笑)。
本流まで来たところで引き返しました。
帰りに見つけた旧上り線用橋脚の基礎石板の一部(おそらく。以前に来た時にも旧上り線用橋梁跡の別の場所で同様のものを見つけている。その後土砂に埋もれてしまったのか今回は見つけられなかった。)。
ちなみに写真上の黄色い物体は、でっかいキリンのぬいぐるみ。石板の上に乗っていましたが、写真を撮るため、岸へ放り上げました(笑)。
長靴と比べてもらうとその大きさがわかると思います。実際には、この石板を4枚組み合わせて基礎にしていたと思われます。
この後は、河川敷を散歩している人から奇異な視線を受けつつ、さっさと車へ戻りました。
Posted at 2018/10/06 22:55:34 | |
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