2019年5月4日土曜日の夜に福島県白河市内で催されたプロトタイプメンバーでの飲み会に私、弟、弟の友人の杉浦くんの3名で出席しました。
愛知県の住人である私たちにとってははるか遠方の地。しかも何か車イベントがあるわけでもなく、飲み会が開かれるだけ(笑)。
しかしながら、この3人で福島ラリーのイベントのために白河市は何度も訪れていますし、私個人も廃線トンネル目的にこれまた何度も一人で福島県へと通っているので、何の抵抗感も無く当然のように出席。そもそもYZW店長さんにも当然のように出席予定者に組み込まれている始末ですからね(笑)。
まあ、せっかくの連休で余裕もあるので、田子倉ダムと裏磐梯の五色沼を見たいとの弟の要望により白河市へ直行はせず、東海環状道、中央道、長野道、上信越道、国道117号、国道252号というルートを選択しました。
3日22時半頃に出発して4日朝5時過ぎ、国道252号六十里越トンネルに到着です。
トンネルの竣工が昭和47年(1972年)。それまでは車は通行できなかったのでしょうか。
トンネルを通り抜けて福島県側へ。見晴らしのいいところでまた駐車。さすがに豪雪地帯だけあって、まだたくさん雪が残っています。
さらに険しい国道を下っていき、最初の目的地である田子倉ダムに到着しました。
到着した時は日が昇って気温が上がってきたためか、一面霧で真っ白。
1時間ほど車の中でうとうとしていたら、ようやく霧が晴れてきました。
次はJR只見線の只見駅へ。単に駅を撮りたかっただけです(笑)。
この地点でも会津若松まで100kmくらいあった気がします。裏磐梯はさらにその先。只見川の谷間を国道252号でひたすら走っていきます。
会津坂下町まで出たところで磐越道へ(会津盆地を国道49号で横断するのがめんどくさかった(笑)。)。猪苗代磐梯高原ICまで一気に移動。ノロノロ走行にはなりましたが無事に五色沼の最寄りの駐車場に到着しました。
毘沙門沼
赤沼
みどろ沼
弁天沼
青沼
柳沼
景色は良かったのですが、散策に往復5km以上歩いたのは誤算…。寝不足の体に重い疲れを残しました(笑)。
お昼も回ったのでそろそろ白河市へ向かおうかということになり、ふたたび移動を開始。
磐梯山ゴールドラインにて。
国道49号まで一旦出て、続いて白河市へと向かう国道294号へと進みます。が、まだ時間があったので、運転していた弟に「県道235号へ入ってくれ。」と指示。
思っていたよりも狭くてきつい峠道(しかもなぜか対向車がそこそこやって来る。)を登ってやって来ました。
馬入峠堡塁跡。
お城の本か会津の峠をまとめた本で読んだのか忘れましたが、この峠に関ヶ原の戦い直前頃に上杉軍が徳川軍(と協力的な大名の軍勢。)に備えるために堡塁(土塁と堀を巡らしただけの簡単な砦というところ。)を築き、その跡が残っているのを思い出し、立ち寄ってもらいました。
弟には「普通の人はこんな山奥の峠にこんなものが残っているなんて知らん。」と言われました(笑)。
400年以上前の遺構(幕末の戊辰戦争時にも会津藩が官軍に備えて手直ししたらしいです。)ですが、土塁や堀の跡がくっきりと残っていて、ちょっと感動しましたね。
5月4日土曜日の寄り道はこれが最後。宿泊先の白河市内のビジネスホテルへと向かいました。
夜の飲み会は、主賓である地元の方(白河市で催したのはこの方との交流のため。お店の手配もしてくれていた。)が急の事情により欠席。残念でしたが、せっかくなので残りのメンバーで大いに盛り上がりました。
翌朝は、所用があったり渋滞を避けるためにみなさん早々にホテルを出発。
最後に私たちだけが残り、駐車場で出発の準備をしていたら、「地元の方」がお見送りをするために参上。
「いつもはみんなもう少しゆっくりしていたから間に合うと思ったのにな。」と残念そうでした。
お見送りを受けて私たちも出発。
帰りは今市・日光から北関東道伊勢崎ICへ抜けて帰ろうということになり、国道289号、国道121号を走行して栃木県へ。
「ダムがある。寄るか。」ということで、五十里ダムに寄り道。
最後は昨年も立ち寄った足尾へ。
帰宅したのは23時頃。走行距離1260km(弟による。)の長旅でした。
私と弟は6日月曜日も休みですが、杉浦くんは朝6時から仕事だそうで、なんか申し訳なかったですね。
Posted at 2019/05/06 13:30:36 | |
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