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小林あにのブログ一覧

2020年03月07日 イイね!

旧伊勢本街道(明治新道) 秋霧隧道・深霧隧道

本日は、奈良県宇陀市室生の山中に残る明治時代に開削された旧伊勢本街道の新道跡へと行ってきました。本道は、旧国道369号の大内峠から栂坂峠の区間のうち、上田口地区と栂坂峠をショートカットするように造られた山道です。

これは、5万分の1地形図「高見山」(昭和6年部分修正測図)の部分アップですが、この地図の下部を横切る破線道がそうです。そして、この区間にはトンネルが2か所記されています。


事前に他の訪問者の方のホームページなどを確認してみたところ、道中は険しそうな雰囲気ではなかったので、山歩き代わりに母も連れて行きました。

スタート地点となる上田口地区の奈良県道28号(旧国道369号)と旧伊勢本街道新道跡との分岐点です。現在の道は谷に沿って栂坂峠へ向かうために一旦坂を下っていきますが、旧街道はショートカットするコースのため、山へと上っていきます。


路面は洗掘で荒れてはいますが、ジムニークラスなら難なく入っていける道です。


さっそく最初の目標物に遭遇。煉瓦造の暗渠です。


しっかりした造りですが、沢筋でもない場所になぜ暗渠を設置しているのかよくわかりません。


アーチ部は二重巻きです。


中を覗いてみても、奥は土砂に埋もれているだけです。


坑口からすぐの所には円周状に亀裂が入っています。


最後にまた全景です。ぱっと見、路上からではまず存在はわからないでしょう。




また進んでいくと、正面に低い尾根が見える、やや開けた場所に出ます。


道を外れて、真正面となる尾根の下あたりが、この廃道区間の一つ目のトンネルである秋霧隧道があったと思われる場所です。


周囲を見渡すと斜面が崩れた跡や地面が凹んでいる場所があり、トンネルがあったのかと想像させられます。

トンネル跡はこれくらいにして、引き続いて写真右手へと進んでいきます。


間もなく、路肩に2つ目の煉瓦造暗渠が現れます。急斜面に降りないといけないので、写真を撮るのになかなか難儀します。


ここも坑口からすぐの所に亀裂が入っています。そのためなのか、やや「くの字」に屈折しています。


こちらも奥は土砂で埋もれています。




亀裂部分を覗くと、内部のアーチ部も二重巻きですね(当たり前ですが。)。


つづいて、秋霧隧道があった尾根を切り通しで抜けていきます。


道の先に日が当たる場所が見えています。秋霧隧道の反対側の坑口の推定地です。


道から右手に入ると、トンネルがあったと思われる地形が2か所見えます。地表に何も痕跡がないため特定はできません。




道に戻り、先へ進むと三差路になりますので、左へと曲がっていきます。

その先に現れる檻。道の真ん中に置かれています。


檻の後ろの土砂崩れを越えて、奥へと進んでいきます。ここから廃道らしくなってきます。


2つ目の檻登場。


檻の横を通り抜けると暗い林の中へと入っていきます。道に刈り払われた木が置かれていて歩きにくいので、母はここで待つことに。


道の上の枝が積み重なっている所には、小さな沢が流れています。


沢の中には煉瓦が2、3個転がっていました。


沢を越えて廃道を進んでいくと、ようやくトンネルが見えてきました。






深霧隧道です。開通は1883年(明治16年)だそうです。当初は素掘りで、のちに一部煉瓦巻きへと改修されたとのこと。


ご覧のとおり埋没して、トンネル上部の一部しか見えていません。


アーチ部は4重巻き。剥落したのか破壊されたのか断面がボロボロになっています。




煉瓦アーチ自体はしっかりしていますが、素掘りのままだった所から土砂が崩落しています。






本当はトンネル上の尾根を越えて、反対側の坑口の状況を見分しに行くつもりでしたが、母に「暗くなると怖いから早く戻りたい。」と釘を刺されていたので、やむなく引き返すことにしました。

これにてトンネルとお別れです。


トンネル前の廃道。道があったことがよくわかります。


小さい沢に残る石積みの橋台と思われるもの。


日が当たる場所でひとり待っていた母。戻っていったら「一人で待っていると怖い。猪が出るかもしれないから早く帰ろう!」と言われてしまいました。


母の足に合わせてのんびりペースでしたが、トンネル前から20分弱で車まで戻ってきました。


今回一回ですべて片付けるつもりが、積み残し案件を作ってしまいました…。早急に深霧隧道の反対側の状況を確認しに再訪問したいと思います(検索してもやはり反対側の状況がどうなっているのか出てこないので…。)。

おまけで、帰りに近くの旧国道369号栂坂峠へ寄り道。「何かあるかなぁ。」という程度のつもりでしたが、ミニ廃道があったので写真に撮っておきました。











Posted at 2020/03/07 22:58:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2020年03月01日 イイね!

真弓橋、ウルシゼ橋、前橋、郡界橋、伊勢神峠の石造暗渠

本日もお昼頃からぶらぶらドライブ。

最初にやって来たのは、旧稲武町内である豊田市御所貝津町の旧飯田街道。


芝生敷きとなった道跡を進むと現れる橋。真弓橋です。竣工は1919年(大正8年)。本来の床版は無くなり、現在は歩道橋となっていますが実質は廃橋です。




何となく柔らかい(腐りかけ?(笑))木製の床板を渡って対岸へ来ました。


構造としては鉄筋コンクリート製のアーチに井桁状の橋脚を組んだもの。今日はこのあと、さらに同タイプの橋を3カ所回ります。


旧国道153号に架かる二代目の真弓橋からの眺めです。


続いてやって来たのは、旧稲武町内の豊田市川手町にあるウルシゼ橋。現在は老朽化により通行止めとなっています。


ウルシゼ橋の竣工は、1918年(大正7年)。国道257号の元となる街道に愛知県が架けた橋ですが、街道が何街道と呼ばれていたのかはわかりません(美濃街道らしいですが、三河国側から美濃国へ行く街道はそうなりますからね…。)。


この橋は、橋脚の井桁がややハの字型に広がっているのが特徴です。


橋の遠景。


アーチが扁平なので、井桁の高さはあまりありません。


次も旧稲武町内である豊田市大野瀬町に来ました。私が立っている道が旧飯田街道になります。


街道の傍らに石仏が2つ。


手前側は表面が摩滅していていますが、真っ平なので仏像が彫られていたのではなく菩薩名などが彫られていたと思われます。奥側も文字で、おそらく「馬頭観世音菩薩」と思われます。裏面には「大正八年三月 西尾○」とありました。

ということで、前橋です。竣工は1919年(大正8年)12月。


橋のたもとにある案内板に竣工当時の写真がありました。


相当古い橋なので、2トンの重量制限があります。


親柱には「大正八年十二月架」とあります。本当は「架橋」か「架設」でしょうが、最後の文字は道路に埋まってしまっています。


欄干は低くて華奢な造りです。竣工当時の写真だと元々は木造だったように見えます。


転がされたままの親柱。現存している親柱2本は、両方とも竣工年月が彫られているので、この親柱にはおそらく橋名が彫られているのでしょうが、確認しようもありません…。


欠損した欄干から鉄筋が覗いています。古い時代の鉄筋コンクリート建造物らしく丸筋が使われています。


やや下から見上げた写真です。橋自体も現代から見れば華奢な造りです。


次は橋ではなく、国道153号のプチ廃道。豊田市小田木町内です。


何年か前に刈り払いが行われてから、きれいに保たれています。






往時の国道153号は、こんな感じだったのでしょうね。


さて、今度は伊勢神トンネルの下、豊田市連谷町と小田木町の境に残る郡界橋です。竣工は1917年(大正6年)。かつては、東加茂郡と北設楽郡の境界だったためこの名前が付きました。


旧飯田街道(ウルシゼ橋は違いますが。)に残る大正時代の鉄筋コンクリート造アーチ橋群の中では一番立派ですが、ここも老朽化を理由に通行止めとなっています。

欄干の意匠は、「X」の連続模様。


郡界橋のたもとにある旧飯田街道の暗渠。


側壁は石積みですが、天井板はコンクリート製です。


段戸川の河原から見上げた写真です。


今までに見てきた橋と違い、アーチ部や井桁の部分には補強用の鋼材がはめ込まれています。


河原からの高さも一番で、井桁の数も一番多いです。




この橋が架かる前の旧飯田街道はもっと下流で段戸川を渡っていました。ここは伊勢神峠と水分峠という2つの峠の間なので、標高の高い地点で川を渡れば、その分、峠への上り下りも減るわけです。

各部材の角はきれいに面取りされています。


こう見上げているとけっこう長い橋に見えてしまいますが、橋長は25m程しかありません。


床版が井桁と並行に敷かれているので、今の橋梁から見ると強度の面では頼りない感じがします。


最後にやや高い視点からの写真です。


今回行く予定の橋はすべて回ったので、ちょっと伊世賀美隧道へ寄り道。




以前にトンネルの稲武側の旧道の暗渠をチェックしたので、ついでに足助側の旧道の暗渠をチェックしてみることにします。

ただ、足助側の旧道はトンネルからさらに上にある愛知高原の開発に合わせて改修されているので、あまり期待はしていませんでした。

ところが、トンネルから最初の沢に降りてみると往時の石造暗渠のまま。


反対側の斜面を下っていくとそちら側も健在。道路幅は変更されていないということでしょうね。


内部もしっかりしています。


ただ、この暗渠の横の石積み擁壁は土圧に負けてだいぶ膨らんでいました。


次は三つ目のヘアピンを曲がった先で停車。上の道の斜面を見上げるとそこにも石造暗渠があります。


近づいてみると中腰なら入れるほどの大きさ。


この趣味をやっている人にはわかってもらえると思いますが、入れそうな穴には取りあえず入ってみます(笑)。歪みなく保たれてます。


反対側は土管が直結。上の道路からはわからないわけです。


穴の間口が大きいだけあって、天井の石板もきちんと加工したものが道路と平行になるように並べられています。


そのまま車を停めている道路の下を覗くとそこにも石造暗渠がありました。ここは少し崩れてしまっています。


内部は先ほどの暗渠同様、きれいな状態で保たれていました。


ここから下の沢では、ボックスカルバートやコンクリート橋に改修されてしまっていました。

さて、愛知県が大正年間に稲武地区の各所に架橋した鉄筋コンクリート造アーチ橋群も、今や車が通行できるのは前橋のみ。真弓橋は本来の機能を終えて歩道橋扱い。ウルシゼ橋と郡界橋は老朽化により通行止め。特にウルシゼ橋は危険な状態らしいので、安全のために撤去される可能性もあります。

これが江戸時代や明治時代の石橋なら修復・保存される可能性もありますが、特異な装飾を施されているわけでもない古い鉄筋コンクリートの橋では保存のための理由付けが弱い(立派な装飾がされていた橋ですら、交通障害となるために撤去・架け換えされているのが現状。)。地域交通史の面からは貴重な橋梁群であることは認められてはいますけどね。

何年、何十年後になるかわかりませんが、最後は朽ちるに任せて崩壊していくことになるのかなぁ。
Posted at 2020/03/01 23:18:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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「【新城市】槇原川沿いの伐木作業軌道跡を探索する(2) http://cvw.jp/b/1796277/48659559/
何シテル?   09/17 00:08
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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