2020年6月6日土曜日、北設楽郡設楽町の堤石峠から東側へと残る使われなくなった古道を平山明神山の登山口まで辿ってきました。
今回歩いた古道は、先週歩いた花丸峠付近の古道に連なる道で、設楽町田口と東栄町本郷を結ぶ里道を構成していました。
1934年(昭和9年)に堤石峠の南側に聳える岩古谷山の直下に堤石隧道(延長:536m)が開通し、ようやく峠を行き交っての自動車通行が可能となりました。
ただし、トンネル開通に伴い、堤石峠から東側のルートは、従来の大神田-平山-桑原-花丸峠-月から、黒倉-神田-神田川・御殿川沿い-月へと変更されてしまい、堤石峠と花丸峠は交通路としての利用が廃れていったものと思われます。
現在は、2015年(平成27年)に開通した岩古谷トンネル(延長:1287m)により、峠道だと感じさせることもなく一気に通過してしまいます。
堤石峠の周辺の戦前の地形図です。赤線が今回歩いた区間になります。右端の緑線が先週歩いた道。青線が先々週に歩いた道です。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入。昭和7年(1932年)発行。
ちなみにこちらが現在の地形図。堤石峠から東側の麓にある大神田地区まで、徒歩道の表記すらありません。

※地理院地図(電子国土Web)
ここは、岩古谷山への和市登山口にある第2駐車場。8時半頃に現地にやって来ましたが、第1駐車場(10台程度駐車可能。)はすでに満車でした。
こちらが、現在の堤石峠への入口となる岩古谷山の和市登山口です。
この山もヤマビル被害が顕著な所のため、入口にこのような注意看板が掲げられています。私も濃いめの食塩水を作って持参しました。
堤石峠へと向かう道は、至って普通の山道。
堤石峠に向かう道中、1か所だけ廃道があります。現在の登山道はそのまま急坂を直進していきますが、昔は左へとヘアピンカーブで曲がっていたようです。
奥にもう一つヘアピンカーブがあります。全く使われていないので、路上は落ち葉・枯れ枝で埋まっています。
登山道と再合流。登りに関して言えば、廃道を通ったほうが楽です(笑)。
峠の直下に来ると、ここから「十三曲がり」と呼ばれるつづら折りの道になります。
かつての交通路だった名残りか、「比較的」緩やかな坂になるよう造られているので、運動不足の私でも何とか息切れすることなく登っていけます(笑)。
堤石峠に到着です。25分程で登ってきました。峠の標高はインターネットで検索したら707mとありましたが、地形図での表示だと690~695mのようです。和市登山口が520m程なので、高低差170m余。
峠に立つ道標。
南側へと向かう道が岩古谷山への登山道で、現在のメインルートですね。道標にはありませんが、北側にも縦走路があり、平山明神山へ向かうことができます(こちらは初級者向けではないそうなので、道標には無いのかも。)。
もう一つ、「黒倉集落」とあります。黒倉集落は、堤石隧道の東側にある集落で、堤石峠からは南東にあります。距離も時間も表記されていませんが、これが古道を辿るルートの一部になります。
先に言っておくと、この道標以降、黒倉集落への道標などは一切ありませんし、この先は正真正銘の廃道と化します。
それでは、古道区間へと歩を進めていきましょう。写真にあるこんもりとした低木の陰に古道があります。
谷側を見下ろしてみます。写真ではわかりにくいですが、緩い弓状の地形内につづら折りの道が段々畑のように続いています。
峠にある説明板には、峠の前後にそれぞれ十三曲がりがあると書かれていますが、地形にまだゆとりのある峠の西側と違い、東側は急斜面に道がひしめいているような状景です。
誰も通らなくなった古道になぜか「くずかご」が(笑)。このタイプはすっかり見かけなくなりましたね。多分、峠から転がり落ちてきたものでしょう。
この石垣が現れたら、峠直下のつづら折りの道は終了です。
沢に出てきました。左側には石仏があります。峠の出入口ということで置かれたものでしょうか。
この石仏は見た感じ、比較的最近置かれたもののようです。
こちらは、南無阿弥陀仏碑。見た限りでは、「南無阿弥陀仏」の文言以外は見当たりませんでした。
ここから先、道跡が不鮮明な箇所や分岐のたびに、確認のため立ち止まることになります。
二股の分かれ道。ここは左側へと向かいます。すぐ先で道が崩れていますが、迂回して、同じ高さの所を確認すれば道の続きがあります。右側が黒倉集落への道でしょうか。確認したわけではありませんが。
ガレ場を越えていきます。
道かどうか曖昧な二股の分岐です。ここも左側へと進んでいきます。
顔みたいな巨岩。
ナメ沢に出てきました。
石積み橋台が残っています。
橋台の上流側から沢へと下りました。枯れ枝がたくさん絡み合っていたおかげで道跡どおりに渡ることができました。
何となく細い平場が続いているので、歩き進めていきます。
岩に突き当たったところで、下側の縁に沿って迂回します。
道が戻ってきたかと思うと、またすぐに狭まったりします。
石積みがありました。精緻に積まれてはなく、野面積みです。
間伐材や打ち払われた枝で路上が埋め尽くされています。
今回の道中で一番大きな石積み擁壁。谷積みという積み方なので、明治時代以降に手を入れられたものではあるようです。
今回の区間は、花丸峠の東部と違い、山自体は土で覆われていている所が多く(所々、岩盤が露出してはいるが。)、斜面の傾斜も多少は緩やかなためか、石工により普請されている箇所は明らかに少ないです。
それゆえ、維持管理がされなくなると石積み擁壁で固められた路盤と違い、土の路盤では長年の風雨で流出していってしまい、結果、道跡が不鮮明になってしまっているのだと思われます。
整備されていない杉林の中を歩くのも、なかなかに面倒です。
何と言っても困るのが、地面に敷き詰められた枯れ枝。弓なりになった枝が足に絡んできてはつっかえ棒のようになり、何度も転びそうになります。
沢に出てきました。当然、橋は無いので、渡りやすい所へと迂回します。
対岸に残る石積み橋台。隅石はきちんと角を取って、びしゃん仕上げがされています。
峠側の岸の石積み橋台。だいぶ不揃いになっています。
続いてすぐに小さな沢。細い丸太が架けてありましたが、不安なので、沢へと下りて渡ります。
渡ったところで、また二股の分岐があります。崩れていますが、ここも左側の道へと上がっていきます。
先ほど渡った沢のやや下流にも石積み橋台がありました。帰りに立ち寄ることにします。
「道と言われれば道かなぁ。」という程度の頼りない道跡を進んでいきます。
石積み擁壁が現れました。岩盤を削って野面積みしてあるようです。
擁壁の上の道。道幅は何とか保たれています。
歩き慣れてくると、これだけの幅があれば十分な気がしてきます(笑)。
ちょっとまともな道になってきました。
が、突き当りを左へ曲がったら道が流れてしまっていました…。また迂回です。
すっかりやせ細った道を進んでいきます。
尾根が張り出している所へ来ました。
尾根を跨いでヘアピンカーブしていきます。右側に下っていく道が分岐しています。この斜面の下あたりが大神田地区になるはずです。
斜面の下には町道が並走してきましたが、古道はまだまだ続いているようです。
小さな石積み擁壁。尾根を跨いだ先からはけっこうな急斜面です。
こんな所にガードレールが現れました。
階段を下りていくと、町道の巨大な法面の中腹に出ました。ちゃんと道が確保されていて良かったです(笑)。正面のポッコリ突き出している山が平山明神山のはずです。
この先、町道が真下に来る所にガードレールが設けられているようです。
コンクリート擁壁にしないで石積みのまま。
道の真ん中に低木が生えていて、何度か迂回させられます。
町道から登って来た道と交差したところで、古道は途切れてしまいました。
町道の交差点。右側へ行くと堤石隧道の近くへ出ていきます。
一旦、町道へと出て歩いていきますが、竹林の所から道跡らしきものが先へと続いていたので、入り込みます。
かろうじて残っている道跡を辿っていきます。
平山明神山への登山道へと出てきました。
先へ続く道跡がわからなかったので、すぐ下の登山口へと出てきました。
もう少しだけ町道を先へと進んでみましたが、山の斜面に道跡らしい平場は見い出せず、この先は町道に吸収されてしまったようです。
和市登山口からここまで2時間15分程。さて、車まで戻りますか…。
帰りはしばらくの間、町道を歩いていきます。先ほど通り抜けた法面を見上げます。上部の白いパイプガードレールの所が古道です。
町道を20分程歩いてきました。この先町道は、古道が通る山の斜面と離れていってしまうようなので、ここから古道へと戻ることにします。
楽をしたツケが大きいようですが、ここを登っていくしかありませんね…。
斜面を登っている途中で、古道が尾根を跨いでいる所で分岐していた道にぶつかり助かりました。
2か所連続で沢渡りした所の分岐まで戻ってきました。
沢沿いの道へ入り、橋台の所へ来ました。この先も、それなりの幅がある道が続いています。
路肩を石積み擁壁で固められた道が続いています。途中で堤石峠へ向かう道が分かれていればいいなと期待しつつ、沢沿いの道を下っていきます。
結局、峠方面の山側へと登っていく道は現れなかったので、ここで引き返しました。
この道自体は、おそらく黒倉集落へと向かう道だと思われます。峠からここまで黒倉集落方面へと分岐する明瞭な道はありませんでしたから(そうかもしれない分岐は堤石峠の真下にありましたが、確証はありません。)。それに道幅があって、造りもしっかりしていそうです。
峠直下の十三曲がりを登り、堤石峠へと戻ってきました。
峠へと戻ってきたら、ちょうど平山明神山方面から戻ってきていた老人の登山者と鉢合わせ。「この道は通れるの?」と聞かれましたが、「すっかり廃道になっていて、お勧めできませんよ。」と答えました。
峠の近くにある岩のピークからの眺め。こちらは峠の東側方面。
こちらは西側。麓に登山口のある和市の集落が見えます。
登山口へと戻ってきました。全行程4時間30分程になりました。往復で堤石峠を越えなければいけないのが、なかなかきつかったです(笑)。
「堤石峠の東側はどんな道だったのだろうか?」というのは、この趣味を始めてから漠然とは思っていましたが、なかなか目を向ける機会が無くて、ずっと放置していました(堤石峠の峠道が大変だし(笑)。)
この数週間、花丸峠周辺の廃古道を探索する中で、「せっかくなので、設楽町田口と東栄町本郷を結ぶ里道のもう一つの峠である堤石峠も見ておくか。」という気持ちが湧いてきて、ようやく今回の探索となりました。
まあ正直なところ、堤石峠のつづら折りの道の先、町道に吸収される区間までの間に、花丸峠の東側区間のような石工を駆使した場所があるのではないかと思ってやって来たわけですが(笑)、途中でも書いたように、それどころか道跡すらも怪しいか所が何か所もある状況でした。
「三匹目のどじょう」はいませんでしたが、これで設楽町田口と東栄町本郷を結ぶ里道の探索に一区切りつけることができました。