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小林あにのブログ一覧

2021年11月11日 イイね!

国道309号 行者還トンネルへドライブに出かけました

2021年10月10日日曜日、弟の誘いで、奈良県吉野郡天川村と上北山村の境にある国道309号行者還トンネルへドライブに出かけてきました。自分の手元に残っている写真データからすると2008年11月以来の訪問になります。

ちなみに前日の9日土曜日は、10日日曜日にドライブに行く約束がすでにあるにもかかわらず、矢ノ川峠昭和道を訪れるために三重県尾鷲市まで車で往復400km、現地を5時間歩いています(笑)。

さて、当日は6時半頃に自宅を出発。国道23号知立バイパス→伊勢湾岸道→東名阪道→名阪国道と進んでいきます。






名阪国道と西名阪道の接続地点である奈良県天理市の天理ICで下りて、国道169号を桜井市方面へと進みます。


桜井市から一旦国道169号を外れて明日香村内を通過。近鉄飛鳥駅前でふたたび国道169号へ合流して芦原トンネルを越え、吉野郡大淀町からいよいよ国道309号に入ります。急峻な峠を新笠木トンネル・新川合トンネルなどの長大トンネルで通過し天川村へ。

天川村の川合交差点までは対向2車線ですが、ここから先の区間は川迫川の渓谷沿いを通る極狭1車線道へと変貌します。






極狭区間を通過して、ちょっと一休み。


もう少し先へと進んだ所でまたストップ。山の上まで続く砂防ダム群を眺めます。ここは前回訪れた時も写真を撮っていました。




この沢の奥には修験道の行場であった弥山(標高:1895m)があります。山頂には弥山神社があり、国の史跡である大峯奥駆道が通っています。


ここまで来ればトンネルまではあと少し。先へと進みます。


トンネルまで上がってきたら、西側坑口前にある有料駐車場は満車。そのままトンネルを通過して、東側の坑口の先にある路肩に車を停めました。


国道309号行者還トンネルです。延長は1,151mになります。




現在地の地図はこちら。等高線の密度の濃さが、この周辺の山の険しさを物語っています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

行者還トンネルの銘板です。


銘板に「事業名 林業開設事業」とあるように、もともとは林道「行者還林道」のトンネルとして1976年(昭和51年)に開通。その後、2002年(平成14年)に国道309号に編入にされました。

トンネル内部です。1976年(昭和51年)開通と新しいので、特に目を引くようなものはありません。




最大の特徴は、冬期通行止めの期間になると、トンネル坑口に設置されたシャッターにより坑口が閉じられることでしょうか。


トンネル坑口の脇には、大峯奥駆道への案内板が立っています。


トンネル前には崩落地のような谷があります。




砂利道を少し下りて、遠くの山々を眺めます。


正面奥の高い山々は大台ヶ原だと思います。日本でトップクラスの多雨地帯ですね。


谷底に「対向車注意」の注意看板が転がっていました。立てられていた場所の地面が崩れたのかもしれません。


車に戻ります。そのまま30分ほど休憩した後、帰路につきました。


帰りはトンネルへと戻らず、そのまま谷を下りて国道169号→国道309号→国道42号→紀勢道のルートで帰ります。


トンネルにいた頃から天気は下り坂でしたが、国道42号まで出た頃には完全に雨天。三重県熊野市飛鳥町の道の駅「熊野きのくに」へ立ち寄った時は土砂降りになっていました。


雨はその後落ち着いていきましたが、今度は疲れが出てきて、紀勢道奥伊勢PAで1時間ほど仮眠。帰宅は19時過ぎになりました。
Posted at 2021/11/11 13:04:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2021年11月06日 イイね!

「矢ノ川峠昭和道」を歩きました(4)

2021年10月9日土曜日、三重県尾鷲市と熊野市の境にある矢ノ川峠(標高:807m)を越える国道42号の旧道のうち、通称「矢ノ川峠昭和道」と呼ばれる道を歩いてきました。「矢ノ川峠昭和道」は、国道42号千仭橋から分岐し、矢ノ川隧道(矢ノ川5号トンネル)に至る区間になります。

その3からのつづきですが、ここからは「矢ノ川峠昭和道」を外れるので、おまけの内容となります。

「安全索道 小坪駅跡」へ向かうため、矢ノ川隧道の先にある交差点から右側へと延びていく八十谷林道へと入ります。


「安全索道」とは、明治期に開削された矢ノ川峠の車道のうち、道路状況が最もひどかった尾鷲側の大橋~小坪間の輸送状況を改善するため、1927年(昭和2年)に完成した「日本初の旅客用ロープウェイ」です。もちろん貨物も輸送していました。

ロープウェイの利点は、どんなに険しい地形であっても空中を直線的に輸送できること。絶対的な輸送量は限られますが、なかなか好調でゴンドラを増備して年間4,000人を輸送したそうです。矢ノ川峠昭和道の開通により衰退し、最終的には運営会社の戦時統合により廃止されたようです。

この交差点にはだいぶ傷んだ道標が立っています。八十谷林道はここからは熊野灘の海岸沿いにある三木里へとつながる林道です。


この林道についても、ブログなどを探して様子をチェックしてみましたが、通行困難な状態になっているようです。

この林道の矢ノ川隧道から安全索道小坪駅跡までの区間は、明治時代に開削された矢ノ川峠への道(通称「矢ノ川峠明治道」と呼ばれる道。)を改修したものと言われています。


本編とは全然関係しませんが、この林道で外国人とすれ違いました。ちょっとした驚きでした。世界遺産の熊野古道からは全然外れているし…。一体何のためにどこから来て、どこへ行くつもりなのだろうか?しかもこの深い山の中、近所を散歩するような軽装にリックサックしょって…。

さて、小坪駅跡が具体的にどこにあるのかわからないまま歩き出したのですが(元々行く予定はしていなかったので。)、何がしかの案内があるだろうと高をくくっていました。

しかし、15分歩いてもそれらしい案内が林道には掲示されていません。

はるか眼下に尾鷲の市街地が見えています。


よくわからないまま歩いてきましたが、尾鷲の市街地の眺めを遮るようにそびえる山並みが見えてきました。これはさすがに行き過ぎです。


実は途中で「小坪」と書かれた札が木にぶら下がっているのを見かけていました。その他には何もなかったので、気に留めずに通過しましたが、一旦そこまで戻ることにします。

「小坪」の札が掛かっている場所まで戻ってきました。




周囲の谷側を見渡してみたら、「明治道入口」・「矢ノ川安全索道駅舎跡へ」の木札を見つけました。もう少し目立つ場所へぶら下げてくださいよ…。


少し斜面を下りると石垣がありました。しかし、特に何も案内はありません。もっと下へと行ってみることにします。


どんどんと下っていくと平場がありました。しかし、小坪駅跡を示すような案内板が見つけられません。

平場からは左右に道が伸びていました。「これは明治道なのか?」と思いつつ、右側に伸びる道は矢ノ川峠とは反対方向であり、今まで歩いてきた林道にも合流してくる道はなかったので、関係ない道かもしれないと辿るのは止めました。

※実は、この道の先に安全索道小坪駅跡があると後日知った…。

平場の真下にも道があります。「あれは明治道で間違いないだろう。」と判断。しかし、今日はそこまで踏み込むつもりはなかったので、またの機会にします。


ひとまず、左側へと延びる道を追ってみることにします。


平場の下を通っていた矢ノ川峠明治道との合流地点。歩いてきた方角へと振り返って撮っています。写真だとわかりづらいですが、上下二又に道が分かれています。


で、この合流地点から先、巨岩がゴロゴロしている斜面に見えますが、明らかに「道」があるんですよね…。「これは確認するしかないよなぁ…。」ということで進むことにします。


大きな岩が転がってはいますが、道跡で間違いないです。おそらくこの道は明治道でしょう。


道跡が完全に崩落していますが、その先にはまた道跡が見えています。行けないことはなさそうなので、崩落箇所を渡っていきます。


渡った先には完全に道跡が残っていました。


しかし、またすぐに路盤が崩落しています。


道跡の先端から前方を眺めると、土留めの石垣の残骸があります。そして、その先にはまた道跡が見えています。なかなかいやらしい残り方です…。


また崩落箇所を渡り、次の道跡へと上がりました。




路肩には土留めの石垣がしっかりと残っています。


そしてまたすぐに道跡が無くなりました。崩落した土砂に道跡が埋没してしまっています。その先を眺めると崩れの無い苔生した石垣が見えています。


この先へ進むには、土砂崩れを起こした不安定な斜面を高巻きするか、一旦土砂崩れの下側まで下りて、もう一度道跡まで登り直すしかありません。

そこまでしてこの先の道跡に取り付いても、多分また路盤が崩落していて同じことの繰り返しになる確率が高いでしょう。そして、何とか辿り続けても、じきに矢ノ川隧道付近で八十谷林道に吸収され消滅してしまうはずです。

翌日は弟と奈良県南部の山中にある国道309号行者還トンネルまでドライブする約束をしているので、これ以上無理はしたくありません。ここで引き返すことに決めました。

引き返すと決めた途端、この崩落した斜面を何か所も渡って戻る気力も失せました(笑)。


自分の経験則では、険しい地形であっても、足を引っ掛けることができるだけの足場と木が生えてさえいれば(これ特に重要。)、上り下りすることはできます。幸い、上には八十谷林道があるわけで、この急斜面を上っていくことに決めました(言うほど険しいわけでもないので。)。


明治道の道跡と八十谷林道にそんなに高度差があるわけでもないので、割とあっけなく林道まで上ってきました。


矢ノ川隧道まで戻ってきました。ここからは昭和道をひたすら下っていくだけです。


車を停めた国道42号千仭橋の駐車帯まで戻ってきました。帰りも多少写真を撮りながらでしたが、道中は早足で歩いていたので、1時間ちょっとしかかかりませんでした。


最後のおまけで、駐車帯の尾鷲側にあるミニ廃道も覗いておきます。


典型的な廃道になっていますね。


橋が残っていました。


梅木谷橋とあります。親柱の形状は紅葉橋と同じですね。




全く利用されていないので、路面は荒れ放題です。


あっけなく国道へと合流しました。


現在の梅木谷橋から千仭橋方向の眺め。「矢ノ川峠」の案内標識が目立ちます。


私が車に戻ってきた時に、ちょうど入れ違いで昭和道へと入っていく人がありました。手頃なハイキングコースとして利用している方もいるのでしょう。

今まで国道42号は何度となく通過していながら、入り込むことがなかった旧国道「矢ノ川峠昭和道」をようやく歩き通しました。本来は矢ノ川峠を越えて、熊野市側の国道合流地点までが昭和期に再改修された道なわけですが、まあそこまではいいかなと。

とにもかくにも、高性能の重機など期待できない戦前期に、この険しい地形にそびえる岩盤・岩壁を開削して1.5車線幅の道路を造り上げたのは、なかなか驚嘆に値すると感じました。

次は、少し歩いたことで興味が増した「矢ノ川峠明治道」の踏破を予定しています(今回歩いた区間はもう行きません(笑)。大橋~小坪の区間です。)。それと安全索道小坪駅跡の見物ですかね。
Posted at 2021/11/06 22:25:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 矢ノ川峠 | 日記
2021年11月05日 イイね!

「矢ノ川峠昭和道」を歩きました(3)

2021年10月9日土曜日、三重県尾鷲市と熊野市の境にある矢ノ川峠(標高:807m)を越える国道42号の旧道のうち、通称「矢ノ川峠昭和道」と呼ばれる道を歩いてきました。「矢ノ川峠昭和道」は、国道42号千仭橋から分岐し、矢ノ川隧道(矢ノ川5号トンネル)に至る区間になります。

その2からのつづきとなります。

傳唐大橋を渡り、次のトンネルである矢ノ川4号トンネルへと向かいます。




この路肩にあるガードレール、板の部分の形状は現在のガードレールと違いを感じませんが、支柱の形状が丸形ではなく長方形になっています。


また路面が荒れてきました。地山の岩が剥き出しになっています。おそらく昔は路面に砂利を敷き詰めてあったのでしょうが、長い間に洗われてしまったようです。




傳唐大橋から歩くこと3~4分。矢ノ川4号トンネルが見えてきました。


トンネルの延長は16m。トンネルを掘ったというよりも、「岩盤に穴を穿ちました。」感が強い景色です。


このトンネルも内部に落石などは見られません。




反対側の坑口です。


周囲の山々はそんなに標高が高いわけではありませんが、険しさはどんどん増してきています。


矢ノ川4号トンネルから5分ほど歩くと橋が現れました。親柱も欄干もありません。


そんなに長い橋ではなかったので、元から無かったのかと思って見てみたら、ひしゃげた鉄筋が露出していました。どうやら親柱や欄干は破壊されたようです。


橋から上流を眺めます。川のはるか上部まで岩に埋め尽くされています。欄干などは土石流などで流されたのかもしれません。


対岸の橋のたもとの右側で親柱がひっくり返っていました。


左側の親柱は健在です。


親柱には橋名がありました。「蔭谷一橋」と刻まれていますが、「一」の文字は小振りであり、実際には「蔭谷橋」ではないかと思います。


ひっくり返っていた親柱には「や乃〇〇」とあります。○○の部分はどういう文字かわかりませんが、川の名前である矢ノ川のことだと思われます。


ちなみに、川の「矢ノ川」も「やのこ」と読むものとずっと思っていましたが、親柱に少なくとも4文字は刻まれているのを見て、あらためて何と読むのかちょっと気になりました。

いろいろ検索してみたら、川の名前としてはどうも「やのがわ」と読むようです。国道311号に架かる橋の読み方が「しんやのがわばし(新矢ノ川橋)」というのがあり、一応それが根拠です。

ちなみに、蔭谷橋が架かっている川は、現在は蔭谷川と呼ばれるようです。

蔭谷橋を後にします。


矢ノ川峠昭和道を歩くにあたり、まずは矢ノ川4号トンネルまで向かい、時間に余裕があればさらに目的地である矢ノ川隧道(矢ノ川5号トンネル)まで進む予定をしていました。

ここから矢ノ川隧道まではまだ2km以上ありますが、この時点で時刻は10時10分と想定していたよりも順調に進んできているので、最後まで歩き通すことにします。

ここまでけっこう登ってきていますが、谷の奥側を曲がりくねりながら進んでいるので、一向に視界が開けてきません。


路肩に巨岩が転がっています。苔が付いているので、相当以前に落石したものでしょう。


曲線の築堤で沢を通過していきます。


水はほとんど流れていませんが、これは滑滝ですね。


3km地点通過です。入り口から1時間半になります。


曲線を描く石積み擁壁というのが、自分としては絵になるんですよね。


矢ノ川峠道は道沿いの色々な場所に小さな滝がたくさんあります。


ここは路上に沢の水が流れる「洗い越し」になっています。暗渠が土砂で埋まってあふれ出ただけかもしれませんが。


今まで中腹を歩いてきた山の頂上がようやく見えるようになってきました。


沢を小さな橋で渡っていきます。


荒々しい路面が続きます。


紀勢本線が全通する昭和34年(1959年)まで、終端駅であった尾鷲駅と紀伊木本駅(現熊野市駅)の間をこんな峠道を走ってバスが連絡していました。


この峠道では珍しい苔生していない石垣。「谷積み」された石積み擁壁です。




4km地点です。入り口から1時間50分になります。


沢を暗渠で越えます。


ここのガードレールは、蔭谷橋で見たものよりも錆が少なくてきれいです。


この辺りでは、頻繁にスマホを取り出しては現在位置を確認しながら歩いていました。


ようやく目的地が現れました。


矢ノ川隧道(矢ノ川5号トンネル)です。入り口から2時間ちょっとで到着しました。


トンネル延長はこの峠道の最長である107m。この道路の象徴としてピラスター(壁柱)、笠石、帯石と装飾が施され、アーチ部分もわざわざ石積みとなっています。




扁額です。


扁額に刻まれている揮毫者名は、「三重縣知事 富田愛次郎」。富田知事は、昭和10年(1935年)1月から昭和11年(1936年)12月まで三重県知事を務めています。


「三重縣知事」の右側に四文字刻まれています。上2文字は「丙子」と読み取れます。調べてみるとこれは干支の一つで、昭和11年が丙子(ひのえね)になります。下2文字は明瞭ではありませんが、上2文字が年を表していることと、書体の雰囲気から「初夏」ではないかと思われます。昭和11年初夏に「矢ノ川隧道」という書を認めたということでしょう。

それではトンネル内部へと入っていきます。写真はフラッシュを焚いて撮っているので明るいですが、延長107mあるトンネルなので実際は真っ暗です。


坑門がしっかりとした造りなので、内部も全面コンクリート覆工されているのかと思いきや、一部は素掘り丸出しのままでした。


全長から見れば、コンクリート覆工されている部分の方が長いです。


よく見てみると、このトンネルのコンクリート覆工は相当傷んでいます。コンクリートが剥落して、地山が見えている部分もあります。


反対側へと来ました。側壁部分のコンクリートの傷み方が尋常じゃないです。屋外で直接風雨にさらされる場所でもないのに、どうしたらこんなにボロボロになるのでしょう。


トンネル坑口の先にある擁壁もまるで大きな爪で引っかかれたように無数の傷が付いています。こんなものは見たことがありません。


反対側の坑門です。トンネルの周辺はコンクリートと石積みの擁壁でかなり上部までぐるりと取り囲まれています。トンネルの坑口を設けるために山を抉りぬいたのでしょう。




コンクリート擁壁の損傷部分。何らかの理由で土木機械で破壊しようとしたのか、上からの落石や土砂崩れによるものなのか、それとも長年の風雨による浸食なのか。摩訶不思議です。


扁額です。こちらも「三重縣知事 富田愛次郎」とあります。


トンネルを出てすぐの所に入口から5kmの表示が立っています。


ここで右側から道が合流してきます。合流してくる道の名前は八十谷林道。通称「矢ノ川峠明治道」のルートの一部を踏襲しているらしいです。矢ノ川峠道(旧国道)は左折して矢ノ川峠を目指していきます。


矢ノ川隧道(矢ノ川5号トンネル)まで踏破したことで、今回の目的は達成しました。


しかしながら時刻はまだ11時10分。「せっかくここまで来たし、時間もまだ余裕があるから、『安全索道 小坪駅跡』を見に行こう。」と思い立ち、八十谷林道を歩いて向かうことにしました。

※その4へつづく。
Posted at 2021/11/05 23:32:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 矢ノ川峠 | 日記

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