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小林あにのブログ一覧

2022年01月28日 イイね!

国道256号自動車通行可能区間の終点と小川路峠の入口

2021年12月11日土曜日、長野県飯田市の国道256号自動車通行可能区間の終点を訪れ、そのついでに小川路峠への峠道の入口となる区間を歩いてきました。

この日はあてもなく自宅を出発。ひとまず東海環状道から中央道を飯田方面へと向かって走行。途中で「遠山郷へ行くかな。」と思い立ち、飯田山本ICから三遠南信道へ。

終点の飯田上久堅・喬木富田ICへ着いたところで、「そう言えば、国道256号の自動車通行できる区間の終点へ行ったことないし、ちょっと寄ってみるか。」とIC出口で左折して終点へと向かいます。

2車線から1.5車線の道幅で続いていた国道が、最後の集落である越久保地区を通過すると1車線幅へ。「行ける所までは。」と思いつつ、どんどん坂を登っていきます。

国道標識が立っているのを見つけました。


「ちゃんと国道なんだなぁ。」と感心しました(笑)。


この先、インプレッサではちょっと厳しいかなという連続ヘアピンを1速・2速でゆっくり登り、国道256号の自動車通行可能区間の終点に無事到着しました。


地図はこちらです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

国道256号は、この先にある小川路峠を越えて飯田市上村へと続いていますが、その区間のほとんどはいわゆる「登山道国道」となっているそうです。


かつては国道標識が掲示されていたのであろうポールがフェンス脇に立っています。


秋葉街道の案内板。小川路峠を越えるこの道は、かつては飯田の街と遠山郷とを結ぶ重要な峠道であり、また防火の神様で知られる秋葉神社への参詣道として盛んに利用されました。


ここまで登ってきた国道を振り返ります。指定されていればどんな道でも国道ですからね。


さて、終点を後にして、終点と越久保地区の中間くらいに建っているお堂へとやって来ました。


お堂の前に設置されている案内板によると、ここから小川路峠まで33体の観音が安置されていて、ここのお堂には一番観音が祀られているそうです。


お堂の裏側には小川路峠へと向かう古道の出入口があります。ただいま時刻は13時50分。ここから15時を目途にして古道を辿ってみることにします。


水流でガタガタに荒れてしまった道跡を100mほど登ると林道と交差。そのまま林道を横切り、獣害防止用の柵を通り抜けてさらに奥へと進んでいきます。


序盤は道跡があいまいで、斜面を左右に大きく移動しながら道跡らしい窪地を探していましたが、やがて明確な堀割り道を発見。時間が限られているので、どんどん登っていきます。






二番観音です。終点地や一番観音でもそうでしたが、きちんと案内や標識が立てられていて、地元の人によって管理されているようです。




古道は扇形に広がった源頭の谷間を大きく左右に移動しながら、ヘアピンカーブも繰り返して徐々に高度を稼いでいきます。






路面が陥没しています。一部に木材が敷かれているところからみて、一度は補修されたものの、木材が朽ちてまた陥没してしまったのでしょう。


尾根が近づいてきました。連続ヘアピンカーブで一気に登っていきます。




三番観音。




三番観音の先の坂を登ると尾根道になります。






また連続のヘアピンカーブです。




幅の広い切り通しが見えてきましたが、まだ尾根歩きは続き、古道は右へと曲がっていきます。


そしてすぐに左カーブ。


この場所に四番観音がありました。


左右が切り立った幅の広い尾根道を進んでいきます。


東屋が現れました。そして林道が合流してきています。


ここに五番観音があります。


はるか眼下には三遠南信道の矢筈トンネルが見えています。飯田市街地と遠山郷を結ぶ現代の道路です。




こんな感じで眺めています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さてさて、ここでちょっと進む道について悩んでしまいました。安全に右側の林道を進むべきか。しかし、古道はどうも左側へと進んでいた様子。左側へちょっと入り込んでみて「まあ何とかなりそうかな。」と判断。左側へと進みます。




先へと続く道筋が見えるので、さらに奥へと進むことにします。


崩落地ですね。まあ、傾斜は緩いですし踏み跡もあるので、このまま進んでいきます。


そして崩落地を通過したらこの状況…。急傾斜地に古道の名残りが道幅30~40cmで残っています。


幸い、路面は引き締まっていて崩れることは無さそうです。斜面には木々が点々と生えているので、不安を煽るまでの高度感はありません。ですが、滑落したら負傷以上は間違いないですし、そもそも高い所が苦手なので、やはり逡巡してしまいます…。

しかし、結局はこのまま先へと進みました。足場はしっかりしているわけで、自分が動揺さえしなければ何の問題もなし。気持ち山側へと重心を保ちつつ、スタスタと歩いていきました。


難所を無事に通過すると小川路峠へと続く国道へと出てきました。






ここに六番観音があります。


昔の人もここで一息ついていたようです。


六番観音から少しだけ先へと進んでみました。この辺りはまだ車が通行できるだけの道幅がありますが、やがて徒歩道へと変わるようです。


ここで時刻は14時45分。ここから車まで、またうっそうとした森の中を戻らなくてはいけないので、今回はこれで切り上げることにします。

六番観音から約45分。一番観音の前に停めてある車まで戻ってきました。


今回歩いた区間は、六番観音の所にあった案内板にあるとおり、「すん坂(または寸坂)」と呼ばれています。

歩いた推定ルートはこちら。


この坂は小川路峠へと至る峠道の序盤にしか過ぎませんが、機会があれば峠までは行ってみたい気もします。ただ、これで真冬になってしまうので、再訪できるのは早くても初春以降になるでしょうけど。

今回は目的地を決めずに出かけたドライブでしたが、結果としては良い感じで終わることができました。
Posted at 2022/01/28 15:00:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年01月22日 イイね!

設楽町和市「堤石峠」へと向かう車道跡を辿る

2021年11月27日土曜日、愛知県北設楽郡設楽町和市からグミンタ峠への里道跡と交差する車道跡と思われる廃道を堤石峠まで辿りました。

ここまで和市からグミンタ峠までの里道跡を探索し、一応のルート確定ができたので、続いては里道跡と交差していた謎の車道跡を辿ってみることにします。


里道跡との交差地点の真横にある石積み橋台。人や牛馬を通行させるだけならば、この程度の沢に橋は不要。渡渉させれば十分です。やはり荷車を通行させていたのではないかと考えてしまいます。




車道跡に上がって、正面から眺めてみます。




もう少し引いて、里道跡との交差地点の全景です。




それでは車道跡を辿って進みます。橋台を離れるとすぐに道跡が不鮮明になったり、道幅が狭くなってきて、自分の予想が揺らいできます。






前方に岩を削って道を通したように見える場所があります。


間近で見るとこれは明らかに岩を開削して道を通しています。




徒歩道であればこれだけの道幅を削り出す必要はありません。また、開削に大きな労力をかけているという点に、この廃道は作業道のような一時的なものではなく、常用を目的とした車道(荷車道)跡だと確信できました。


岩に沿って車道跡は進んでいきます。


前方、山側の斜面は大きく岩が剥き出しになっており、谷側も急傾斜になっていて、この先に車道跡が残っているか懸念されます。


まだ人が歩くだけの幅は残っているので、慎重に進んでいきます。


本来は谷側に石垣を積んで土を盛り、道幅を確保してあったのか、この状態まで削り出したところで断念したのか。現場を見る限りでは判断できません。


矢印の所まで進んでついにストップです。


私のレベルでこれ以上は進めません。幅が狭いうえに平場が谷側へと傾斜しています。また、前面に落ち葉が積もっており、路面状況もわかりません。




ここは一旦引き下がり、大岩の下へと迂回することにします。

岩の下から車道跡を見上げています。とにかく樹木などの手がかりがあまりにも無いため、もし滑ったらそのまま岩の下へ10mくらい落ちることになります。


車道跡へともどります。ここにも路肩を保持する石垣が積まれています。


通り抜けできなかった区間の反対側まで引き返していきます。


こちら側からの方が全景が見えるので、より状況がわかりやすいと思います。せめてL字型で水平に削られていれば通過することもできたのでしょうが…。




現場は何となくですが、岩盤を階段状に削り込んだようにはなっており、もしかすると図のように道路を通していたのかもしれません。


さて、車道跡へと復帰した場所から先へと進みます。ここはすぐ目の前で沢を渡っていきます。ここの沢も岩盤が剥き出しで、「スラブ」というものですかね。


沢の上部です。


沢の下部です。


沢を渡った場所から車道跡を振り返っています。




岩壁の下のガレ場を進んでいきます。




もはや徒歩道と変わらなくなっていますが、依然「車道跡」は続いています。


斜面が崩落していますが、踏み跡は残っています。ここは通過にちょっと困りましたが(主に気持ちの面で。)、歩けるだけの幅はあるので、一息ついてから足早に通過します。


進んだ先でまた元の道幅に戻り一安心です。


これは岩が割れたものなのか、人の手で石を積んだものなのか。一つの大きな岩が割れたようには見えませんが、わざわざ大きな石を積み上げる理由もわかりません。


今まで通過してきた場所に比べるとなだらかな地形になったためか道幅が広くなっています。真ん中に生えているアカマツ?の太さから見て、この道が使われなくなって相当の年月が経っていることが伺えます。


路肩で見つけた石垣。成形した石ではなく割っただけと思われる石を乱積みしています。単純に考えるなら、古い時代のものと思えます。


大きな倒木が連続して車道跡を塞いでいます。このサイズだと幹に馬乗りになって跨いでいくしかありません。




また高い岩壁が現れました。岩壁の直下を巻くように通過していきます。




ここにも岩を大きく開削した箇所がありました。




岩壁直下を通り抜けました。


土砂が流れ込んだようで、斜面が凸凹に荒れています。


深く抉れた沢を渡っていきます。沢を渡る付近を見渡してみましたが、橋台らしきものは見つけられませんでした。


ふたたび道幅は狭くなりましたが、車道跡はしっかりと残り、奥へと続いていきます。


岩に大股で根を這わせる木。わざわざ岩の上に這わせる必要があったのかな?山奥を歩いていると、いろいろ奇妙な生え方をした木々に出会えて面白いです。


前に出てきた崩落地の通過地点と同じような雰囲気ですが、ここはまだ気楽に通過できました。


これは私好みの風景ですね(笑)。絶壁を削り込んで道を通してます。道幅は荷車道としては微妙ですが、歩く分には十分です。


車道跡から身を乗り出して路肩の石垣を撮ってみましたが、うまく撮れませんでした。この辺りは谷側が崖並みの急斜面なので、これ以上は無理でした。


路肩に生える木々がまるで並木のようです。


岩壁の突端を回り、さらに進んでいきます。


程なくして、堤石峠へと向かう「十三曲がり」の峠道に出ました。


峠道の路肩に立っているポールには「十二曲がり」とありました。以前に堤石峠への峠道を歩いていた時に、「何か道があるみたいに見えるなぁ。」と思っていた場所でした。


今回歩いた堤石峠までの車道跡のルート図です。


道幅については廃道ということもあり、荷車道並みの場所もあれば、徒歩道程度の幅しかない場所もありました。ただ、岩場を開削した場所については、荷車道らしい幅が確保されていたかと思います。

あとは、勾配が全線を通して緩やかであること。馬もしくは人が荷車を引くためには重要なポイントです。

ということで、私の結論としては、この廃道はやはり車道跡でしょう。

さて、せっかくここまで登ってきたので、堤石峠まで上がることにします。峠までの間に車道跡の続きとなるような痕跡が無いか、見回しながら歩きましたが、それらしい跡は見つけられませんでした。

堤石峠です。訪れたのは2020年6月6日に堤石峠の東側に続く里道跡を探索して以来です。




峠から少し上にある眺めの良い場所からの三ツ瀬明神山方向の眺めです。


和市登山口の駐車場へと戻ってきました。堤石峠からは20分程でした。


グミンタ峠への里道跡探索も含めた今回の歩行ルート図です。




歩行距離は約4.7km、探索時間は約4時間半でした。今回は歩行ルートの履歴を把握するために山登り用のアプリを導入。これが思った以上に細かくルートを記録してくれたので、ブログに載せるルート図を作成するのに大いに役立ちました。

最後に、堤石峠への車道跡についての私見です。前にも書きましたが、この車道跡については、設楽町誌に記述は無く、愛知県内を探索するの方のサイトやブログでもヒットはしませんでした。

現在、設楽町誌などでわかる事は、堤石峠を経由する現設楽町田口と現東栄町本郷を結ぶ街道が車道改修されたのは、1934年(昭和9年)の堤石隧道の開通によるということだけ。この出来事に合わせて、街道は荷車道や馬車道への改修を飛び越えて、自動車通行を意図した車道の新規開削や道路改修が成されました。

なので、今回辿った車道跡が、堤石峠を荷車で通行できるようにと意図して開削された車道であるのか本当は全くわかりません。当然、公的な工事であったのかどうかも不明です。

だとしても、堤石峠の「十二曲がり」地点へは接続されていたわけですし、設楽町和市側から峠直下まで荷車を引き込めるのは、中途半端とは言え、それなりの物資輸送上の効果はあったのではないでしょうか。

あとは、堤石峠を20mから30m切り下げるかトンネルを掘削することさえできれば、荷車道で峠を越すことも夢ではなかったでしょう。

結果的には、峠の開削やトンネル掘削までの費用が捻出できなかったのか、そもそも峠直下まで接続できれば十分だったのか、堤石峠を越えて車道開削が進むことはありませんでした。峠の東側(設楽町平山側)の地形は和市側よりも急傾斜のため、荷車道を緩勾配で開削できるルートを見出だせず、峠の東側へと延伸することを断念した可能性もあります。

そうして何も記録に残らないまま、1934年(昭和9年)の堤石隧道の開通により埋もれていったのかもしれません。

私の脳みそではこんな事くらいしか考えられませんが、こんな想像で終わるのも廃道探索の面白味というところですかね(笑)。



※2023年12月6日追記
探索当時、この道跡は「未完成の荷車道の廃道」と考えていたわけですが、今改めて考え直すと、この道跡は木材搬出用の「木馬道」の跡と見るほうが妥当な気がします。

「盤木」などの遺構を確認したわけではないですが、荷車道に比べるとやはり道幅が狭く感じます。しかし、狭いながらも重量物を運搬するための道であるため、石垣や岩の開削などしっかりした造りであるのは当然と言えるでしょう。
Posted at 2022/01/22 15:18:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年01月13日 イイね!

設楽町和市からグミンタ峠への里道跡を探索する(2)

2021年11月27日土曜日、愛知県北設楽郡設楽町和市からグミンタ峠への里道跡を探索しました。

グミンタ峠は、設楽町和市と北設楽郡東栄町大字振草字小林とを結んでいた里道にある峠です。しかし、現在は平山明神山と大鈴山を結ぶ縦走路の途中にある変わった名称の峠として認識されている程度でしょう。

さて、設楽町和市からの探索では、里道がどのようなルートを通っていたのか不明だったにもかかわらず、途中で違う廃道を覗きに里道跡を外れた結果、里道跡を見失ってしまい、時間と体力を浪費することになりました(笑)。

何とかグミンタ峠にはたどり着けたので、今度は峠から和市方面へと下っていく道跡を辿っていくことで探索を再開します。


里道跡へ入り込んだ当初は怪しい雰囲気な箇所もありましたが、峠付近は想像していたよりも良好に道跡が残っていました。








グミンタ峠周辺は急斜面。急斜面を下るとなればつづら折りの道と相場は決まっています。ここから8~9か所ヘアピンカーブが連続します(全部のカーブを撮ってはいませんが。)。
















急斜面をジグザグに下りてきて緩斜面へと出てきました。今までは道跡がほぼはっきり残っていましたが、この先は土砂に埋もれたのか、道跡が消えてしまいました。ひとまず真っ直ぐ進んでみます。


ピンクリボンが付けられた木を見つけました。その木の脇には道跡と思しきものが微妙に見て取れます。


ピンクリボンは地籍の調査に関連して付けられていることが多く、廃道探索の際の目印にしたりします(頼り過ぎて酷い目に遭うこともありますが(笑)。)。

すぐ下にはペンキで赤丸を付けられた木も。同じく地籍の調査によるものか、森林の管理上のものかはわかりませんが。


赤丸が付けられた木の右側に石が密集している場所がありました。


これは里道に設けられていた石畳だと思われます。自然のものであればもっと乱雑に凸凹しているはずで、これは人為的に敷き詰めたものだと考えられます。


もはや枯れ沢にしか見えない道跡を辿っていきます。


また石畳がありました。この周辺の地形から見て、雨天時には路上にも水の流れが集中しやすそうなので、道が洗掘されないように石で固めたのでしょう。


今となっては、大きな石がゴロゴロとして歩きにくくなった道跡を、できる限りなぞっていきます。






道跡がかく乱されて、どちらが正しいルートなのかよくわかりません。まあ、誤差の範囲ですが。


斜面から土砂が流れ込んでいて、また道跡が怪しくなってきました。


この辺りは沢沿いに通っていることだけはわかるので、取りあえずそのとおりに進んでいきます。




再び道跡を見つけられたので、跡を追っていきます。




ついに並行している沢に道跡が飲まれてしまいました。




しばらく沢の中を歩き進めると、またピンクリボンを付けられた木を見つけました。今までの道が沢の左岸側にあったので、左岸側の周囲を確認してみたところ、黄色い線のように道跡が続いていることがわかりました。




復活した道跡を進んでいきます。




ここで道跡は右岸側へと渡っていたようなので、沢の中を歩いて対岸へと進みます。


しばらく右岸側を進みます。


また沢を渡り、左岸側へと戻ります。右岸側を通っていた区間の左岸側は急斜面になっているため迂回したわけです。


渡った先にちょっとした石垣がありました。沢の流れに道が削られないよう積まれたものでしょう。


この先から道幅が狭くなり、道というよりは踏み跡のような感じになっていきます。「また道を間違えたかな?」とちょっと不安になります。


正面に切り通しらしきものが見えてきました。


小さな切り通しです。その先には幅が戻った道跡が続いていて、間違ってはいなかったようです。




大きな倒木を高巻きして迂回します。


右へと大きくカーブしていきます。


小さな沢を渡り、さらに下っていきます。




小さな砂防ダム。


グミンタ峠へと向かっていた時に、里道跡から外れた場所に到着しました。


これでようやく設楽町和市の林道分岐点からグミンタ峠までの里道跡のルートをほぼ確定させることができました。赤線が里道跡となります。


集落同士を結ぶ徒歩道の里道ということで、道跡以外に目立った遺構は無いかと思っていましたが、石畳が残っていたのを発見できたのはちょっとした収穫でした。

この里道跡についてはグミンタ峠から先の東栄町振草小林側が残ったわけですが、探索は当面先送りですかね。まあ、これで峠までの道筋が判明したので、再訪問時はもう少しスムーズにアタックできると思います。

続いてここからは、探索していない側の謎の廃道を追っていくことにします。
Posted at 2022/01/13 20:47:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年01月11日 イイね!

設楽町和市からグミンタ峠への里道跡を探索する(1)

2021年11月27日土曜日、愛知県北設楽郡設楽町和市からグミンタ峠への里道跡を探索しました。

グミンタ峠は、設楽町和市と北設楽郡東栄町大字振草字小林とを結んでいた里道にある峠です。しかし、現在は平山明神山と大鈴山を結ぶ縦走路の途中にある通過地点として認識されている程度でしょう。

里道が記載されていた戦前の地形図がこちら。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行。

今回は小林まで踏破することはしないで、短めにグミンタ峠までの区間を探索のターゲットにしました。何せ、和市~グミンタ峠間ですら、現在の地形図には序盤以降の道の記載がありませんからね(笑)。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

下調べにこの里道について設楽町誌などで記述を探してみましたが、集落と集落を結んでいただけの里道なので、下記のとおり目立った内容のものはありませんでした。

「設楽町誌・村落誌」の「和市」
昭和3年(1928年)ごろには、田口(設楽町の中心地)から和市の入口(杉ノ窪)まで馬車がやっと通行できる程度の道路が通じていた。しかし、それ以外の道路はすべて徒歩道で、東は堤石峠を越えて平山・神田方面へ、北はグミンタ峠を越えて小林方面へ…。

「振草村誌」(振草村は昭和31年(1956年)まで存在していた村。)
(小林の)中日向(高札場)前より林を通りグミンタ峠を越えて和市へ…。

「愛知県の峠」
小林在住の人の話によると、この峠は「狗田峠」と書いてグミタ峠と言い、平山明神山と天狗の関係からできた名前だとのことでした。

11月27日(土)10時15分、和市にある登山者用駐車場から出発します。


駐車場から舗装林道を歩くこと5分。右側へ徒歩道が分岐していきます。この徒歩道がグミンタ峠へと向かう里道跡のはずですので進入していきます。


林道建設時に削られたのだろう道幅の狭い区間を過ぎると、古道らしいU字型の道形が現れました。


道が二股に分かれますが、右側を進んでいきます。


さて、峠前後の古道探索でありがちなのが、道跡が幾筋も付いていることです。ショートカットできる急坂の徒歩者用、迂回していく比較的勾配が緩やかな牛馬用といったところから、さらに時代ごとに道筋が替わってしまったものが断片的に残っていたりと、混乱をきたすこともよくあります。

この写真の場面も基本は矢印を付けたルートだと思われますが、実は手前に一直線に急坂でショートカットしていく道跡もあります。


程なく2つのルートは合流してしまい、その後しばらくは選択の余地もなく、ただひたすら急坂を登る羽目になりますが(笑)。




右側に沢水を溜めておく貯水槽らしきものが現れました。こういう物件は目標物に最適です。


沢沿いに出てきました。沢の河床は岩盤剥き出しです。


ふと、右側から合流してくる枯れ沢に目をやると石垣があります。「これは橋台か?」。




そして、里道跡はすぐその先で長い石垣と交差します。


里道跡はおそらく直進していくはずです。この石垣は何なのか?先ほどの橋台と思われる石積みに連なっていることから考えると、これも道跡であることは間違いなさそうです。


これだけの規模で造られている道だと、いわゆる荷車道・馬車道に相当するものだと考えられます。


しかし、戦前の地図にはこの辺りに荷車道があるような表記はありませんし、設楽町誌などでも和市周辺で荷車道を新たに開削したような記述は見たことがありません(そもそも昭和3年頃ですら、田口から和市の入口までしか馬車が入れなかったくらい。)。

グミンタ峠への里道跡を探索するという目的からは外れますが、山を下っていく左方向の道跡を辿ってみることにします。


入り込んで程なくして道跡の状態は荒れてきてしまいました。ただ、路肩には擁壁の跡であろう石積みが散発的に残っていて、元々はしっかりとした造りの道であったことを伺わせます。






尾根の先端辺りまで歩いてきたところで、本来の道幅を取り戻したようです。


しかし、先端を回り込むとすぐに細い道跡へと戻ってしまいました。ご覧のとおりの急傾斜なので、保守されなければこんなものでしょう。


そして沢にぶつかり行き止まりとなりました。本来はこの場所に橋が架かっていたようです。ここも石積み橋台が残っています。




一応、仮設の橋が架けられていますが、さすがに渡る気にはなれません。橋台を確認したい気持ちもあったので、河原へ下りることにします。


なかなか立派な石積み橋台です。やはり作業道などの仮設の道路ではなく、車道(荷車道または馬車道)として造られた道の跡としか考えられません。




対岸側の橋台です。




対岸へと上がりました。非常に興味深い道跡ですが、まず今回はグミンタ峠への里道跡の探索が優先です。


このまま戻っていくのもつまらないので、対岸側の林道を進んで、何とか里道跡へと復帰を試みることにします。


このパターン、何度も何度もひどい目に遭っているのに(あくまで体力的に(笑)。)、今回もまたやらかしてしまいました(笑)。

林道は間もなく終点になってしまいました。徒歩でならもう少し先へと進めましたが、こちらも直に進めなくなってしまいました。


こうなれば割り切って、一直線に里道跡が通っている山側へと移動です。写真は沢が写っていますが、この前に低い尾根も一つ越えています(笑)。


沢を渡ったところに道跡があるのに気が付きました。峠からの帰り道でわかったことですが、実はこれが里道跡でした(笑)。


ただ、自分の想定の中では、里道跡はもっと標高の高い地点を通過していると考えていたので、この時点では違う道跡だと思っていました。

そして、里道跡を外れて、違う踏み跡へと入り込んでしまいます。


正直、獣道だと感じつつ尾根の先端まで登ってきました。




見渡してみた限りではどこにも道跡はありません…。

「こうなったら尾根筋を一直線に登るのみ!串刺しにしていけば、そのうち里道跡に突き当たるはず。」という、廃道探索時によく使う手を用いることに決めました。


ここからは、ただひたすら山登りをする光景をご覧ください(笑)。














全然里道跡と遭遇できないまま平山明神山の麓まで進んできてしまいました。そもそも想定が間違っていて、すでに里道跡と交差してしまっているので出会う訳がありません。

「このまま平山明神山に取り付いても、山が険しいから難儀することは目に見えている。ここはもう里道跡を探すことは止めて、グミンタ峠へ行くことに集中した方がいいんじゃないか?」との考えに至り、尾根を外れて、グミンタ峠へと至る沢筋へ向かうことにしました。






突端に出てきました。


「これなら無難に下りられる。」。ここから斜面を下っていきます。


沢まで下りてきたら、再び里道跡と出会うことができました。ホッと一息です。




ここからは里道跡を辿っていきます。しかし、急坂なのはともかく、道跡がひどく荒れています。大雨時などは川になってしまうのでしょう。








そして困った場面になってしまいました。緩斜面になり谷全体が土砂で埋め尽くされています。これでは里道跡がどこを通っていたのか見当もつきません…。


とにかく峠を目指します。




ようやく尾根の鞍部が見えてきました。これを登り切れば、グミンタ峠にはたどり着くことができます。




なんとか斜面をよじ登り、尾根へと出てきました。


この斜面を登ってきました。


12時15分、グミンタ峠に到着です。駐車場から2時間もかけてしまいました。




駐車場からグミンタ峠までの歩行ルートです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠から小林側の里道跡を眺めてみます。この先も道跡は残っているようですが、辿っていくのはまたの機会にします。




さて、里道跡の探索の仕切り直しです。峠からは和市側への道跡も残っていました。登山者には関係のない道なので、入り込まないように☓印の表示がされています。


峠からこの道跡を下り、再び里道跡を辿っていきます。

※その2へ続きます。
Posted at 2022/01/12 00:27:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年01月09日 イイね!

【高山市荘川町】軽岡峠の旧旧道と旧軽岡隧道(4)

2021年11月20日土曜日、岐阜県高山市荘川町の軽岡峠に残る国道158号の旧旧道と旧軽岡隧道を探索しました。

この旧旧道は、旧来の郡上・白川街道の峠道を明治36年(1903年)に改修した馬車道に由来し、昭和34年(1959年)に国道158号が新軽岡峠経由にあらためられたことにより、国道としての役目を終えました。

さて、旧旧道と旧軽岡隧道の開通以前の峠道である、旧郡上・白川街道の旧軽岡峠道と推定される徒歩道を歩いてきました。

現在地の地図はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちょうど旧旧道がヘアピンカーブしていく地点。左側の上っていく道が旧軽岡隧道方向になりますが、せっかくなので少しだけ三尾河側へと行ってみます。


進み始めて間もない地点ですが、路面の半分が陥没し、倒木や草むらが目立つ状態で、あまり良い雰囲気の廃道ではないようです。


旧軽岡隧道方向へと上っていく道にあった石造暗渠。


ここは、ほぼ路盤が崩落してしまっています。




知人との約束の時間もあるし、ここまで歩いてきた限りではあまり興味を惹かれるものが無かったので、引き返すことにしました。


ヘアピンカーブまで戻るのが面倒だったので、石造暗渠があった場所から上段を通る旧旧道へとよじ登ります。


一応、暗渠の中を撮影。この石造暗渠、吐口付近に土が盛り上がっているので、排水路としては機能していないのかもしれません。


上段側の旧旧道へと上がりました。




三尾河へと向かう旧旧道に比べると路面状態は良いみたいです。


路盤を維持するための石積み擁壁。六厩側よりも険しい地形を通るためか、この先もたびたび石積み擁壁が現れます。


同じ場所で路上から撮った写真。谷側が切り立った急斜面であることがわかります。


右へとカーブしながら登っていきます。


カーブを過ぎてから振り返って撮影した写真。斜面をL字型に削り込んで路盤の基礎を造り、そこへあらためて盛土をして、路肩には土留めとなる石垣を積み上げたのだと思います(素人考えですが。)。


丹念に地形を辿って旧旧道は進んでいきます。


路盤のほとんどが崩落している場所に遭遇しました。山側に迂回する踏み跡が付いていたので、特に危険を感じることもなく越えていきます。




ヘアピンカーブです。ここからは旧軽岡隧道の手前まで続く谷筋に沿って進んでいきます。


路上に雪の重みでしなってしまった木々が生えています。まばらに生えているので、進んでいくことには何の支障もありません。


先ほどよりも酷い崩落箇所に遭遇しました。ここも山側に細い踏み跡が付いていますが、崩落から年数が経っていないのか土砂が露出しており、万一踏み外したら谷底まで滑落してしまうので、慎重に渡っていきます。




幹が結び目のように絡んでいる木。若木の時に誰かがいたずらで結んで、そのまま成長してしまったのでしょうかね。


またまた崩落箇所です。六厩側と比べると崩落箇所が多いですね。ここは道路の山側から崩れてしまっているので、高巻きして迂回します。




細い木を手すり代わりにして、旧旧道へと滑り降ります。




この辺りから旧旧道は枝谷へと入り込んでいきます。


枝谷の対岸を通る旧旧道の下に高い石垣が見えています。いわゆる「明治道」を辿っていると、時々「よくもまあこんな場所にこれだけの高さの石垣を積んだものだなぁ。」という場面に出くわしますね。




枝谷の頂点を振り返って撮影。旧旧道は急カーブで曲がっていきます。ここの路肩にも土留めの石垣がみっしりと積まれています。


4か所目の崩落箇所。ここも山側へと踏み跡を辿り迂回します。まだ草木が生えている場所は目隠しになって恐怖も和らぎますし、時間も経過して多少は斜面が安定していることも期待できます(あくまで期待ですが。)。




この先は目立った崩落箇所も出てこなくなり、安定した道跡を進んでいきます。




路上に生い茂ってきた熊笹と若木に圧迫されながら通過。


ようやく見覚えのある風景が現れました。


旧軽岡隧道の三尾河側坑口です。


引き返した地点からここまで45分程かかりました。


今回の探索で3回目となる軽岡峠の通過(笑)。


六厩側の坑口前へと出ました。


この時点で時刻は13時半。ドライバーやすい氏・F氏との18時からの飲み会に間に合わせるには、17時までには帰宅したいところ。自宅から片道3時間のこの場所ではギリギリの時刻です。

疲れを押して足早に歩くこと六厩側坑口から30分。旧旧道の入口まで来ました。


13時59分、ようやく車まで戻ってきました。


手短に荷物を片付けて、速やかに帰宅開始。18時の集合時刻には無事間に合いました(無理な走りはしていませんよ(笑)。)。

今回の探索の総歩行距離は9.3km以上(地理院地図上での測定値。)、総探索時間は約4時間50分でした。

その1で述べているとおり、すでに多くの訪問者があるおかげで事前情報を把握しやすい物件であり、かつ、晩秋という訪問時期の良さもあって、探索自体はスムーズに行きました。ただ、その場の思い付きで旧街道の峠道の探索を追加したことで、体力の浪費とその後の予定時間を圧迫することにはなりましたけどね(笑)。
Posted at 2022/01/10 00:55:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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