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小林あにのブログ一覧

2022年07月10日 イイね!

旧伊勢本街道「飼坂峠」南方の廃道を探索する(1)

三重県津市美杉町奥津と上多気の間にある峠、旧伊勢本街道「飼坂峠」。その南方の山中にある廃道を2022年5月28日土曜日に探索してきました。

初めに前書きを少々。

そもそもこの廃道を知ったきっかけは、2022年5月22日にJR名松線「伊勢奥津駅」と旧伊勢本街道奥津宿、上多気の北畠氏館跡庭園を訪れたことです。奥津と上多気の間には、前述のとおり旧伊勢本街道の飼坂峠があり、現在、この地を通過する国道368・369号は「飼坂トンネル」で峠を越えています。

トンネルの銘板によると竣工は1989年(平成元年)8月。ただし、トンネルを含む峠越え区間のバイパスが開通したのは1994年(平成6年)のことだそうです。それまでは、飼坂峠を越える自動車道は存在しておらず通行不能区間となっていました。

要するに飼坂トンネルには自動車が通行できる「旧道」は存在しないわけです。だとしても、「伊勢本街道というこの地域のメインルートの峠越えで、明治時代から現代に至るまで何の手立てもしていないものかな?明治時代に「馬車道」を峠へ通そうと試みたりしていないのかな?」と少々気になり、帰宅してからネットで検索してみたわけです。

飼坂峠の「車道改修」に関する直接的な記事はヒットしませんでしたが、本廃道を探索したという記事が2件ヒットしました。

記述が詳細なのは「日本の廃道」。有料でダウンロードできる廃道系の電子書籍といったところでしょうか。たまにお世話になっています(笑)。「日本の廃道 第66号」内に今回探索した廃道を踏査した記事が掲載されています。

筆者は、「地元の『一志郡郷土教育資料』に明治35~36年頃に伊勢本街道の飼坂峠から櫃坂峠までが改修されたとあるが、旧美杉村誌には飼坂峠の車道改修の記録が載っていないし、本廃道についての記載もない。よって本廃道が『資料』記載の改修道に当たるのか断定はできないが、峠越えをする『車道らしい』道という点で可能性はあるかもしれない。」という結論のようです(私の要約ですが。)。

もう一件も本廃道を踏査した内容ですが、こちらは写真を交えた簡単な訪問記録といった感じ。おそらく「日本の廃道」内の記事を基に歩いたと思われ、訪問時期は「日本の廃道」よりも新しいです。

まあ本廃道の建設背景などがはっきりしないのは残念ですが、歩きがいがあるのは間違いなさそうなので、さっそく探索してみることにしたわけです。


さて、5月28日当日。津市美杉村奥津の林道へとやって来ました。ここから林道を歩き、廃道へと取り付くことにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

私の車でも問題なく走行できるような整備された林道ですが、この先路面状況が酷くなるとも限らず、早めに下の方から徒歩で進むことにしました。


林道沿いにあるダム。名称は不明。


廃道にまつわる最初のポイント、不動滝に到着です。




場所はこちら。


不動滝へと向かうように廃道が残っています。


路肩を支える立派な石積み擁壁。


あらためて不動滝です。「日本の廃道」の記事では、この不動滝についてある見解を示しています。


滝の直前に一部だけ残る廃道。


その廃道の先端から滝口を眺めます。同記事の見解では、廃道はもともと不動滝がある場所を通っていたというものです。


うまく描けませんが、イメージはこんな感じです。


現在の不動滝の部分には元々段差は無くて廃道が通っていた。不動滝の左側にはV字にえぐれた溝があるが、これが本来の不動滝であった。というものです。

滝の上にも行ってみましたが(写真撮り忘れ…。)、岩を削ってできる限り平らに整形されており、なるほどと納得できる説でした。

こちらは不動滝の真横を通過する現在の林道です。山側の岩盤を高い所まで削り込んであり、昔の技術では道を通すのは困難そうです。説をより補強する状況証拠と言えます。


しばらく歩いていくと、対岸に道のような平場が現れました。廃道は川の左側の山へと登っていくルートなので、この道のようなものが関連あるかはわかりませんが、早めに対岸へと移動することにします。




程なく道のような平場は消えてしまいましたが、そのまま川岸や川の中を歩いて進みます。




そんなに急流には感じませんが、次々と床固工が現れます。






4つ目の床固工を通過したところで山の斜面に折り返していく道跡が現れました。これが今回の目的である廃道でしょう。


廃道が川沿いに降りてくる場所を確かめるため、そのまま川岸を進みます。

廃道が山へと取り付く折り返し地点を見つけました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

先ほど下から見上げた折り返しを通り過ぎ、さらに奥へと進んでいきます。


斜面が荒れてきて、廃道が判然としなくなってきました。ひとまず木々をかき分けて直進していきます。




廃道が復活しました。


次は倒木群です。廃道は直線に進んでいるようなので、倒木を跨ぎながら奥へと進んでいきます。


やや深い沢です。大雨などで抉れてしまったのでしょう。鋭く抉れているわけではないので、問題なく対岸へと進めます。


左側の岸壁は人為的に削られたものですね。


浅い枯れ沢です。沢の先に続く廃道の路肩には石積みの擁壁があります。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

何気に沢を見上げると石組みの構造物が見えます。


石造暗渠です。廃道での石造物は気分を盛り上げてくれますが、石造暗渠は石仏と同じくらい盛り上がりますね(笑)。




穴があれば中を覗くもの。真っ暗なので、奥は土砂が詰まっているのかもしれません。


浅い沢の対岸にある石積み擁壁。


直線を進んでいくと突き当りになってしまいました。左側の炭焼き窯跡へ登ると折り返していく廃道がありますが、カーブ一つで高低差があり過ぎます。本来は真っ直ぐ道筋が続いていたのでは?


炭焼き窯跡から上流側を眺めると、こちらに向かってくる道跡が残っています。下段の道は川に削られてしまったのかもしれません。






杉林の中を廃道が縫っていきます。


また道跡が斜面に飲み込まれてしまいました。今まで歩いてきた高さと変わらないように気を付けて進んでいきます。


深い沢が現れました。ここも大雨で抉れたような形をしていますが、まだこの程度の深みなら渡れます。ここにもかつては築堤と石造暗渠があったのでしょう。石積み擁壁の一部が残っています。


長い年月を管理されることもなく風雨にさらされているので、斜面では廃道が残っていても狭い幅しかありません。


まだ越えていけます。


ついに躊躇するような崩落地に遭遇してしまいました…。


正直、1か月半前のことなので、ここをどのルートで渡ったのか思い出せません。でも思い出せないということは、案外すんなりと進めたのでしょう(笑)。


それでもこの幅の崩落地を渡るのに3分はかかっているようです。




この後、廃道の峠にたどり着くまでに、私レベルでは進退窮まるような崩落地が何か所も現れてきます…。

さらに上部を通過していく廃道を見上げています。


道幅が広くなってきました。


路肩は石垣で固められています。


ヘアピンカーブが現れました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

木々に遮られ、あまり眺めはよくありません。


ヘアピンカーブの部分も石積み擁壁が施されています。


崩落地を渡った時に見上げた場所へと進んでいきます。


その(2)へ続きます。
Posted at 2022/07/10 21:53:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年07月09日 イイね!

伊勢奥津駅・奥津宿と北畠氏館跡庭園へ行ってきました

2022年5月22日日曜日、三重県津市美杉町奥津のJR名松線「伊勢奥津駅」と伊勢本街道「奥津宿」、津市美杉町上多気の「北畠氏館跡庭園」へ行ってきました。

この週末は、「廃道歩きのネタを思いつかないなぁ。」という感じで、せめてどこかドライブにでも出かけようかと考えていました。ふと「北畠氏館跡庭園へ行ったことがないなぁ。」と思い、行ってみることにしたわけです。

自宅から国道23号知立バイパス、伊勢湾岸道、東名阪道、伊勢道と乗り継ぎ、久居ICで高速を降りて、三重県道15号で現地へと向かいました。そして、雲出川に沿っていく県道15号を走行していくと、津市美杉町上多気ではなく山ひとつ西側の集落である奥津へと出ることになります。

せっかくなので、JR名松線の終端駅である伊勢奥津駅へと立ち寄ってみました。JR名松線はJR東海の中でもトップクラスのローカル線です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅構内です。




駅前から集落へと歩いていきます。

駅前にある映画館跡の空き地。案内板が立っています。


奥津は、かつて伊勢本街道の宿場町として栄えていたそうです。明治時代に入り、伊勢本街道を歩いての伊勢参りが徐々に廃れていくことで集落は寂れていきますが、昭和10年(1935年)に名松線が伊勢奥津駅まで開通したことで、周辺地域の交通拠点として活気が戻ったそうです。

空き地となった映画館跡は、その往時の賑わいの名残りの場所という訳です。

駅前通りと伊勢本街道の交差点へと来ました。この場所には明治時代に立てられた大きな石柱の道標が立っています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

交差点に建つ古い店舗「ぬしや」。


交差点を右折し、集落内を西に向かって歩いていきます。

古い案内標識が残っています。かつてはこの道が国道369号でした。


案内標識の先にも、宿場町時代のものと思われる古い家屋があります。


伊勢本街道と交差して美杉町川上へと向かう、県道695号と古い橋。親柱に橋の名前が彫られていましたが、読めませんでした。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

伊勢本街道と県道695号との交差点の眺め。


伊勢本街道「奥津宿」の案内板。


今度は奥津宿の東側へと伊勢本街道を歩いてみます。

宮城橋。旧国道は雲出川の左岸を直進しますが、伊勢本街道は宮城橋で右岸へと渡り、奥津宿の東側にある飼坂峠を目指します。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

宮城橋から先は路地のような狭い道になりますが、道沿いには古い家屋が点々と続いています。






家並みが途切れたところで引き返し、車へと戻ります。

帰りは伊勢本街道を戻らず、雲出川とJR名松線を渡り、旧国道へと入っていきます。






旧国道へと入った所にあった古い看板。「ヂーエッチ號自転車」とあります。ネットで検索してみましたが、該当する自転車メーカーはヒットしませんでした。


伊勢奥津駅に残る給水塔。かつて運行していたSLに給水するための施設です。


ここからは国道369号を東方向へと進み、飼坂トンネルを抜けて美杉町上多気へと向かいます。

北畠神社へとやって来ました。ここは「伊勢国司」北畠氏の居館跡だそうです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

北畠氏は、建武新政期から南北朝内乱期の頃に伊勢へ国司として赴き、戦国時代に至るまで「伊勢国司」を名乗り、一定の勢力を保持し続けました。

しかし、1569年に南伊勢に侵攻してきた織田信長の圧力により、信長の次男「茶筅丸」(のちの織田信雄)を養子として受け入れますが、最終的には1576年に織田氏により滅ぼされました。

さて、北畠神社境内にある北畠氏館跡庭園は、1528年頃に細川高国(細川京兆家15代当主。室町幕府の管領。摂津国・丹波国・山城国・讃岐国・土佐国守護。)により造園された説が有力で、戦国時代に造園された庭園が埋没することなく残されていたものとして貴重な例だそうです。

一時期は室町将軍を差し置いて政権運営を担っていた権力者の細川高国が、わざわざ伊勢の山奥で庭園の造園に関わったのは、当時の北畠氏当主の義父だったことと、なにより高国自身が権力闘争に敗れて京都から北畠氏を頼って落ち延びている状況だったからです。

庭園を見学する場合は、社務所にて入園料を支払います。


庭園内部です。説明によると「池泉鑑賞様式の武家書院庭園」だそうです。「米」字型の池を中心に各種の石木が配されていますが、枯山水庭園の趣きも備えています。日光が差すと木々や苔の緑色が鮮やかに映えて、とてもきれいでした。










Posted at 2022/07/09 23:31:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年07月03日 イイね!

国道418号清水トンネルの旧道・旧旧道を歩く

2022年5月15日日曜日、長野県飯田市南信濃南和田と下伊那郡天龍村平岡の境にある国道418号清水トンネルの旧道と旧旧道を歩いてきました。

当日は、新東名豊田東ICから高速道路に乗り、東海環状道、中央道、三遠南信道、長野県道、三遠南信道矢筈トンネルと進み、まずは飯田市上村の国道152号へとやって来ました。

そこからちょっと寄り道をして国道152号地蔵峠方面へと進み、大島河原河川公園まで入り込みました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

寄り道した目的は、地蔵峠へと向かう国道152号の自動車通行不能区間の開始地点を見るためです。

車の駐車場所から上流へと進みます。2020年7月の豪雨でこの付近は被害を受けたそうで、川沿いの法面や橋は新たに修復・設置されたようです。河川工事自体は現在も続けられています。


自動車通行不能区間の開始地点へと来ました。正確にはまだ先へと進めますが、許可車両以外は通行止めとなるので、ここが開始地点と言えるでしょう。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回はこの先へと進むことが目的ではないので、このまま引き返すことにします。またいつか日を改めて訪れましょう。

国道152号としらびそ高原及び大鹿村方面へと向かう林道との分岐点まで戻ってきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちなみに、地理院地図の表記は間違っていて、現在、しらびそ高原などへと向かう林道はループ橋で分岐しています。国土地理院撮影の航空写真にはきちんとループ橋が写っています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは三遠南信道「矢筈トンネル」。延長は4,176m。飯田の街と遠山谷を結ぶ交通路としては、小川路峠越え、赤石林道に続く三代目のルートになります。


この後は国道152号で遠山谷を南下。飯田市南信濃和田で国道418号に入り、今回の目的地である清水トンネル前の旧道分岐点へと到着です。


周辺の地図はこちら。ちなみに現行の地形図では、旧道も国道表記の赤線で示されたままになっています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さっそく旧道へと進んでいきます。初めのうちはほぼ2車線幅のままの空間が残されています。




道幅が狭まって下り坂となる場所で、一気に薮に覆われ始めました。


国道標識が撤去されないまま残されています。


たいていの場合、その他の標識がたくさん残されていても、国道標識だけは撤去されているものなので、これは珍しいですね。


ちなみに反対側の路肩にも残されていました。


坂を下っていくと右カーブ。すれ違いのためか、道路幅には余裕を持たせてあります。




川側の路肩にカーブミラーがあおむけに倒れていました。


ふたたび薮に覆われた狭い道になります。


橋が現れました。境界を表す「天龍村」の標識が残っています。


橋の名前は「布滝橋」。


橋のすぐ横には橋名の由来となった「布滝」があります。ただし、路上に滝の水や落石が降り注ぐことを防止するためか、鉄板で覆われてしまっています。




布滝橋から上流を振り返った風景。谷底一杯に遠山川が流れ、両岸は切り立った崖。間違いなく難所です。


別の親柱を見ると、銘板に「昭和三十六年三月竣功」とありました。


さらに先へと進んでいきます。この旧道は何度も車で通ったことがありますが、旧トンネルの方の印象が強くて、切り立った崖の下をこんなに狭い道で通り抜けていたとは全然忘れていました。






ようやく旧トンネルが見えてきました。


旧トンネル「清水隧道」です。「全国道路トンネルリスト(平成16年度道路施設現況調査)」によると延長は38m。竣工年は昭和7年(1932年)とされていますが、これについては旧トンネル前後の橋梁の竣工年や、旧旧道のルートなどから疑義が持たれています。


「清水隧道」の扁額。


ご覧のとおりトンネル内部は素掘り。さらに加えて急カーブとなっています。


天井部には照明器具が残されたままです。


旧トンネルが現役時代に通った時は、見えにくい対向車に注意して慎重に走ったものです。


反対側の坑口です。




旧トンネルの先には旧清水橋が架かっていましたが、バイパス開通後撤去され、跡形もありません。土木学会「歴史的鋼橋一覧」によると、旧橋の延長は75.5m。昭和33年(1958年)竣工で、ポニートラス橋という形式の橋梁でした。橋の写真は「歴史的鋼橋一覧」で見ることができます。

さて、遠山川の河原へと下りてみます。


河原からの旧清水隧道の眺め。


対岸に残る旧清水橋の橋台。


旧トンネルから河原を上流側へ歩くと、吊り橋であった旧旧橋のアンカーが残っています。以前はこのアンカーの前に旧旧橋の主塔が残っていましたが、バイパス開通後、知らぬうちに消えてしまいました。旧清水橋の撤去に合わせて、主塔も撤去されたようです。


アンカーには橋を吊っていたと思われるワイヤーの断片が残っています。


旧道、旧清水隧道、旧旧橋と確認できたので、車へと戻ることにします。


車へと戻る前に、旧旧道の道跡が確認できるか、旧トンネル前からちょっとだけ覗いてみます。


まだ残っていますね。明らかに人為的に削り込まれた岩場が旧旧橋方向へと続いています。






遠山川の水量が多いので、旧旧道跡は川面へと沈んでいました。渇水期だと旧旧橋跡まで進めるようです。






水没している場所にピンクリボンがくくり付けられていました。国土調査や地籍調査に関連して、かつての街道や里道に沿って点々と付けられているのを見かけることがあります。時には「どうやってあんな場所に付けたんだ!?」ということも(笑)。ここは川の水が少ない時に付けたものでしょう。


旧旧道跡を振り返ります。こうやって眺めると、旧道に向かって緩やかに登り、ごく自然につながっています。実際には旧道と旧旧道の間には段差がありますが。


旧旧道のルートはこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

旧旧道は旧清水隧道が通る山を迂回するルートであり、旧旧道から旧清水隧道を通るにはルートに無理があること。旧清水橋・布滝橋が昭和30年代の架橋であること。この2つの点により、旧清水隧道の竣工年が昭和7年ということに疑義が持たれているわけなのです。おそらく旧清水橋・布滝橋と同時期の竣工だと考えられています。

それでは旧道を歩いて帰ります。


最後に現在の「清水トンネル」をチェック。




銘板には、延長326m、2011年3月竣工とあります。


清水トンネルの旧道はミニ廃道といった規模ですが、いろいろと中身が詰まっていて、私的にはなかなか面白い場所でした。

さて、清水トンネルからはこのまま国道418号を辿り、平谷村で国道153号へと合流して帰途につきます。途中、国道418号天竜川橋を渡ってすぐに国道から逸れて、通行止め区間の迂回路へと入ります。狭くて急坂の迂回路を通り抜けると、ふたたび国道418号へと合流します。

そしてしばらく走行し、天龍村戸口の先へと来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここからは余談ですが、ここで令和2年(2020年)7月12日に大規模な崩落が発生し、国道418号が埋没しました。現在は仮設道路が完成し、暫定的に通行可能となっています。

こちらが崩壊した斜面です。表土が全て崩れ落ち、岩盤が露わになっています。崩落発生当初からの状況については天龍村のホームページなどで紹介されています。


よく通行止めになる国道418号。現在通行止めになっている天龍村的瀬~早木戸も原因は大規模崩落で、こちらは新たにトンネルを掘削しての復旧工事が進展中です。
Posted at 2022/07/03 22:22:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
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