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小林あにのブログ一覧

2022年12月20日 イイね!

ラリージャパンのサービスパークを見物してきました

2022年11月10日(木)、世界ラリー選手権「フォーラムエイト・ラリージャパン」のイベント会場とサービスパークである、愛知県豊田市の豊田スタジアムへと出かけてきました。

当日はたまたま計画消化の有給休暇を取っていて、家でゴロゴロしていたのですが、ラリーの相方であるドライバーやすい氏も同じくたまたま有給休暇を取っていて、シェイクダウンが行われる豊田市鞍ヶ池公園周辺へ朝から出かけて、ラリーカーの写真や動画をSNSにアップしておりました。

それを見て、「そうか木曜日から始まっているんだっけ。どうしようかなぁ…。」とラリージャパンのホームページをチェックしたところ、現地でサービスパークの当日券を発売するとありました。開場時間は12時からなので「間に合うな。」ということで、急きょ豊田スタジアムへと出かけることにしました。

JR東海道本線・愛知環状鉄道と乗り継いで、最寄りの新豊田駅からスタジアムまでは徒歩で15〜20分くらい。会場へ向かって歩いていた時、前を歩いていた人が連れの人と「平日とは言え世界選手権開催なのに、人通りが全然無いよなぁ…。」なんて言っていましたが、ラリー競技の認知度からすれば致し方ないところではありますよね…。

そんな感じでスタジアム横を流れる矢作川に架かる豊田大橋を渡るまではのんきに歩いていたのですが、会場に着いたらさすがにとぐろを巻く行列ができておりました…。

係員さんに「当日券を販売していると見たのですが、どこで買えますか?」と尋ねたところ、「特に列は分けていないので、このまま一緒に並んで買ってもらえますか。」とのこと。じりじりと動く行列に並んで進むこと1時間。ようやく当日券販売のテントが見えたので、一旦列を離れてダッシュ。当日券を速攻で買って、また元の位置に戻りました。


そこからさらに待つこと15分。ようやく入場することができました。


会場に掲出されているトップ選手の大きな写真を見て、「WRCがようやく開催になったんだなぁ…。」としみじみと実感しましたね。




まずはOZのブースへ行き、話に聞いていたプロトタイプのYZW店長さんのセリカを確認して撮影。


イベント会場はそこそこにして、ワークスチームのサービスパークへと向かいます。

入口にあるヒョンデのサービステント。平日ということもあってか、そんなに観客はいません。


ヒョンデi20 N Rally1です。わかっていたことですが、ワークスチームのサービステントは観客側との間に通路が設定されているので、どうしても車のお尻しか見えませんね。


続いて、フォード・プーマ ハイブリッド Rally1。仮ナンバーのプレートが悪目立ちしてますね(笑)。


北海道でWRCを開催していた時は、「カルネ」(一時的な輸出入(持ち込み)のための措置)により、チームが所在する国のナンバープレートをそのまま装着して走行していましたが、今回は何か法的な問題があったのでしょうかね?

トヨタ・GRヤリス Rally1。ヒョンデとMスポーツ・フォードの前は空いていたので、気楽に写真が撮れましたが、さすがにトヨタの前は観客がごった返していて、後ろから隙を見て撮るような感じでした。


「じっくり見られないなら、ひとまずいいや。」ということで、WRC2以下のクラスのサービスパークへと移動します。

WRC2以下のクラスのサービスパークへと来ました。こちらは全日本ラリーと同じで、サービスパーク内を自由に見物することができて、ラリーカーにも邪魔にならない範囲で間近まで近づくことができました。


どちらにしても、みんなテントへは頭から車を突っ込んでいるので、お尻を撮るのがメインになることには変わりありませんが(笑)。

撮影した写真を並べていきます。




































WRC2以下のクラスのサービスパークの見物を一通りしたところで、「私たちも会場にいるよ。」と連絡があったTGRラリー仲間のハラダ氏夫妻と合流。知り合いの参戦者へ会うために、もう一度サービスパークへと戻ります。

開会式・セレモニアルスタートに向けて、各テントのラリーカーが移動し始めました。




急いでワークスチームのサービスパークへ向かうと、ちょうどGRヤリスがサービステントから出発していくところでした。




開会式まではまだ時間があるので、そのままトヨタのテントへ行ったところ、チーム代表のヤリーマティ・ラトバラ氏がおもむろにテント前の観客の所へとやって来て、手当たり次第にサインをし始めました(笑)。


ハラダさんも無事にサインしてもらえました。


開会式の時間が近づいてきたので、スタジアム内へと向かいます。

GRヤリス初号機。




スタジアムの出入口に貼ってあった貼り紙。


場内へ入ると、すでにラリーカーの整列が完了しておりました。


その後は開会式・セレモニアルスタートとのんびり見物しておりました。




ここであらためて気が付いたのが、Rally1カーが無音なこと。Rally1カーは、サービスパーク内の移動時は電動での走行が義務付けられています。それでも「セレモニアルスタートの時はエンジンかけた方が迫力があっていいんじゃないの?知らないうちに『スーッ』と消えちゃって面白くないじゃん。」とハラダさんと話してました。

全車がスタートした後は、スタジアム内のパブリックビューイングでSS1を視聴。TGRラリーで走行したことがあるコースを今回のWRCでは逆走で使用しているので、「自分たちのコーナーリングスピードと全然違うわ!!」とかいろいろ突っ込みながら、楽しんで観ていました。

日も暮れた19時。SS1を終えたラリーカーが続々と戻ってきています。




サービスパークへと戻るのかと思っていたら、この日の夜はサービスタイムは設定されておらず、ラリーカーはそのままスタジアム地下駐車場のパルクフェルメ(車両保管所)へ直行。ワークスのサービス作業を見てみたかったので残念でした。


時間は19時半を回り、ハラダ氏夫妻は最後にオフィシャルショップを覗いてくるとのことでお別れ。初めてのWRC体験でしたが、なかなか楽しむことができました。




次は11月13日日曜日に弟と弟の友人の杉浦くんの3人で、ラリー4日目を岐阜県恵那市岩村で見物する予定です。
Posted at 2022/12/21 00:47:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラリージャパン | 日記
2022年12月18日 イイね!

本宮山「新城道」と呼ばれる廃林道を歩きました

2022年11月6日日曜日、本宮山の「新城登山口」から本宮山山頂までを往復し、その足で「新城登山口」の近くから始まる廃林道を歩いてきました。

さて、本宮山の山行記録をネット検索すると、この廃林道を「新城登山口」から本宮山に至る登山道「新城道」として紹介しているものをいくつか見かけます。

しかし、下記の写真のとおり「新城登山口」からの参拝道とこの廃林道は接続しているわけではありません。ただ、その辺りを言及している記録はありませんでした(まあ、「道」そのものに興味が無ければそれも当然ですが。)。


「新城登山口」へ向かうため、国道301号和田峠の途中にある駐車帯へとやって来ました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駐車帯から何気に山側を見た時に、大きな石碑が立っているのが目に入りました。この国道は何度も通っていますが、今まで全然気が付きませんでいた。


文言を読むと「林道開鑿記念」とあり、上部には「其功不朽」とあります。書は愛知県知事 田中 廣太郎 氏によるもの。田中氏が愛知県知事に在任していたのは昭和12年(1937年)から昭和15年(1940年)のこと。そして裏面には「昭和十三年四月建立」とあります。


「林道開鑿記念」との文言を見た時は、てっきり戦後のものかと思いましたが、これは想像していたよりも古い石碑でした。

現在、国道301号と廃林道は切り離されていて、人目に付かない状態になっています。国道とは段差が付けられていて、なおかつ廃林道の出入口には盛り土がされています。


盛り土の奥へと入ると明瞭な道跡が残っています。


この後は、まず本宮山までの参拝道の探索を行うため、廃林道の探索は戻ってきて時間があれば行くことにしました。

山頂から戻ってきて時刻は16時10分。間もなく日が暮れようかという時間ですが、せっかくなのでアタックすることにしました。


現代の「林道」だと、少なくとも自動車が通れる道幅は確保されているイメージを持っていますが、この道幅は軽トラでも厳しいのではないでしょうか。


道幅が広がってきました。


岩壁を削って、道幅を確保しています。


一旦は自動車が通行できるレベルの道幅になったと思ったら、ついに軽トラでも通行不能な道幅になってしまいました…。しかし、私のテンションは逆に上がってきています(笑)。路肩の乱積みされた石積みの擁壁。まるで明治期車道のような雰囲気です。


狭いですね。明治期車道はいわゆる馬車道・荷車道ですが、それらの道よりも狭い。ちゃんと「林道」として木材搬出などに利用された道なのでしょうか?


それはともかくとして、急傾斜地に石積みで路盤を確保して道路を通すというシチュエーションは大変結構であります(笑)。


暗渠が見えてきました。


場所はこちら。


覗いてみると、側壁はコンクリート製で、天板は石材になっています。粗雑な造りでしたが、コンクリートを使われているところから見ると、やはり記念碑どおりの時期の建設のものでしょう。


この場所は谷側を細い道で通っていますが、山側の岩盤には段差が付いており、掘削し切れなかったのかと思われます。本当なら岩盤を平らに仕上げて、谷側には石積みの擁壁を築き、道幅を確保したのだと考えられます。




ここも石積みの擁壁で道幅を確保していますが、道幅が狭いですね。


大きく上部まで岩盤を掘削して林道を通しています。ここまで「狭い、狭い」と連発してきましたが、この林道工事が相当な難工事だったことは想像に難くありません。


場所はこちら。


すっかり昔の街道レベルの道になってしまいました。


ここまでの道中、岩が剥き出しの荒々しい場所が多いですね。


倒木を越えていきます。


深い谷底を流れていた沢が接近してきました。


どうやら林道の終点に来たようです。正面に岩があり、大きな段差になっています。


場所はこちら。


そして、「この先はどんな様子かな?」と覗いてみたところ、何と林道はまだ先へと続いているようです。もう明らかに「車」が通行できる道ではないですが、岩盤を掘り下げて道形にしてあります。


「こんな良い廃道が本宮山にあるなんて!」とまたテンションが上がります(笑)。今回はすでに日没が迫っているため、あんまりのんびりと留まって写真を撮っているわけにもいかず、残念ながらそこそこの枚数を撮ったら移動です。




沢の真横を通り、林道はさらに続いていきます。


沢に接近したことで、だいぶガレ場が増えてきましたが、まだまだ道は鮮明に見えています。




ここはもう徒歩道の幅しかありません。周囲は岩なので、開通時からこの幅だったのかもしれません。


すでに16時半を回っていますが、ここまで来たら区切りの付く所まで行くしかありません。


陶製の土管。現在ならコンクリート製の土管かコルゲート管を使っているので、もしかしたら戦前製のものかもしれません。


倒木や雑草などが増えてきましたが、まだ林道を追っていけます。




林道が削れてしまい、沢の水が流れ込んでいます。


沢のほぼ最上流まで来ました。ここで左へとヘアピンカーブしていきます。




そして伐採用の作業道へと出てきました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この先、作業道を進んでも直に本宮山スカイラインへと合流するだけなので、廃林道の探索はこれにて終了し、引き返すことにします。帰りは作業道から本宮山臼子道へと入り込み、薄暗闇となった植林地の中の山道を急いで下っていきます。このような場所で急ぎたい時は、直線的なルートを取る古道の徒歩道に勝るものはありませんよね(笑)。

本宮山山頂への往復時に通った高圧線鉄塔。往復時には明るかった場所も夕闇に沈み始めています。


17時05分、無事に車へと戻ってきました。最後はスマホのライトを頼りに歩く状況でしたが、一度通った道なので迷うことはありませんでした。


今回のルート図です。


さてさて、この廃林道の建設目的を考えてみたいと思います。戦前開通の「林道」は珍しいので、地元の安城市図書情報館へ出かけて、地誌などの本をあたり、該当しそうな記事を探してみることにしました。

まずは新城市の「新城市誌」で本宮山や林業の項目について調べてみましたが、関係する記事は見当たりませんでした。次に「愛知県議会史」の7巻(昭和7年から12年の議事が掲載されている。)で林道の建設や補助金に関する議事が無いか探してみましたが、これも該当するような案件がありませんでした。

最後に「愛知の林業史」という本を調べてみました。やはり、この林道についての記事はありませんでしたが、戦前の林道建設に対する助成事業ついての概略的な記事がありました。

その記事によると、昭和7年(1932年)に国の時局匡救林道助成事業及び山村救済林道助成事業というものがあったようです。これらは当時勃発した世界恐慌に端を発する不況により大きなダメージを受けた山村地域を救済するために行われた助成事業の一つです。

この助成事業は、「小規模な林道を普遍化することを本旨とした助成」ではありましたが、当時の国の山林局長通牒(昭和7年山第1297号)には、「ナルベク短距離ノ林道ヲ多数助成スルヲ本義トス、…ナルベク多数ノ山村救済ニ努メラレタシ。」とあります。

乱暴に言ってしまえば、「とにかく短距離でも良いので、林道建設をするのであれば助成する。その建設事業によって山村地域での雇用を確保し、もって住民の救済を図りなさい。」という訳です。

この記事を読んで、今回歩いた廃林道はこの助成事業に基づいて建設されたものではないかと推測しました。

・記念碑の建立は昭和13年であり、当然それ以前に工事が始まっているわけで時期的には符合すること。
・距離の短い一林道の記念碑にわざわざ愛知県知事が揮毫しているが、当時は官選知事(選挙で当選した者ではなく、内務省を中心とした政府官僚より任命された知事。)であり、この林道建設が国の助成事業の一環で施工されたものであれば、このような事もあり得そうなこと。
・林道の規格が、建設当時も存在した自動車どころか、牛馬車でも通行困難なレベルだが、とにかく建設工事を実施して雇用を生み出すことが目的だったから、規格は二の次だったのではないか(場合によっては、道路の完成度や実際に利活用できるか否かすらも問題にならなかったかも。)。

図書館で調べ物をしただけでは、上辺をなぞっただけで本当のところはわかりませんが、状況についてはある程度合致しているので、自分としては納得いきました。

まあ結局のところは、想定外で遭遇した物件が自分好みのなかなかの出物だったのがうれしいだけなんですけどね(笑)。

※2023年11月4日追記
最近得た知識から推察すると、この廃林道は「木馬道」として造られた林道だったのではないかと考えます。「木馬」(伐採した木材を搬出するための木橇。)を通すための「木馬道」であれば、この廃林道の規格で十分であり、実際、他所で探索した「木馬道」の規格も同様レベルか多少幅広い程度のものでした。

路面も、自動車や牛馬車の通行を考慮するとしっかりと整地する必要がありますが、「木馬道」では「木馬」を滑らせるための横木である「盤木」を設置できる程度に整地できればよく、路面を整地したり造成できない場所は桟道を渡したりと、建設上の自由度は比較的高いと思われます。

また、「愛知県」が建設に関わった「木馬道」の記録が、昭和3年度(1928年度)のものですが「愛知県林業報告」にあるので、この推察を裏付ける材料になるかと思います。
Posted at 2022/12/18 01:15:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年12月17日 イイね!

本宮山「新城登山口」から始まる参拝道を登ってみました

2022年11月6日日曜日、愛知県新城市豊栄の本宮山「新城登山口」から始まる参拝道を本宮山山頂まで登ってきました。

本宮山「新城登山口」へとやって来ました。登山口の前にはバス停があります。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この場所は以前から知っていましたが、神社の跡だとばかり思っていました。本宮山の参拝道の関係をネット検索した時に、ここが「新城登山口」だと知り、今回訪れた次第です。

ここには白けてしまった登山口の標識が立っています。この状態から見ても、「新城登山口」は本宮山の登山口としてはすっかりマイナーとなっていることがわかります。しかし、ここから山頂まで50分ですか。この時間設定は私的には厳しそうですね(笑)。


バス停名が「鳥居前」とあるのは、かつてこの場所に鳥居が建っていたからです。今は撤去されてしまい、穴だけが残っています。


それではさっそく登っていきます。


100mほど進むと右側から廃林道が寄ってきます。この廃林道についても本宮山登頂後に探索しているので、次回紹介します。


坂がきつい場所には、だいぶ埋もれてしまっていますが石段が設けられていたことがわかります。


丁石がありました。「十丁」とありますが、起点はどこだったのでしょうか?「一丁」は約109mなので、もし「新城登山口」が起点だとせいぜい「二丁」くらいのはずです。


だいぶ急坂になってきました。参拝道はこのまま真っ直ぐ登っていくのでしょうか。


道のように見えなくもないですが、これを参拝道というにはハードな気が(笑)。しかし、周りには細い踏み跡以外にこれといった道が見当たりません。仕方ないので、このままよじ登っていきます。


尾根までよじ登ると道がありました。「臼子道」と呼ばれる本宮山の参拝道です。戻ってきた時に「新城登山口」からこの道につながる道を探し直すことにして、まずは山頂を目指すことにします。


高圧線鉄塔の下からの眺め。晴天なので遠くの景色までよく見えます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ふたたび林へと入り込んでいきます。


以前に登った新城市作手白鳥からの参拝道に比べると急坂が続きます。


「十五丁」の丁石。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

小さな岩場を越えていきます。


日の当たる尾根道を進みます。


「十七丁」の丁石。


どんどん登っていきます。


「十九丁」の丁石。


浅い堀割り。


盛土道らしき場所。緩やかな尾根を通る古道は、このような造りの道が多い気がします。


また丁石が見えてきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「二十五丁」の丁石です。


この場所では、別の道が合流してきます。各集落から本宮山を目指す参拝道が、このように幾筋も設けられていたのでしょう。


「二十六丁」の丁石。


本宮山スカイラインへと合流しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここからはしばらく本宮山スカイラインの路肩を歩いていきます。


参拝道がスカイラインから分岐していきます。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

しばらくはスカイラインに合流したり離れたりしながら進みます。付近の様子から、スカイライン開通時に並行するように登山道を付け替えてはあるようですが、もう全然保守されていないようで、歩くには少々厄介な状態になっています。


ダンロップのテープが残されています。本宮山スカイラインは、新城ラリー開催時にはSS(タイムアタックコース)として使用されるので、その時に登山道を封鎖した名残りでしょう。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

またスカイラインから離れていきます。


場所はこちら。


階段が設置されていますが、踏み板が全て抜け落ちています(笑)。




小さなピークへと一気に登っていきます。


頂上には石碑があります。読んでみましたが、詳細はよくわかりませんでした。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

小ピークを下りて、スカイラインを歩道橋で渡り、もう一度山を登っていくとようやく本宮山の頂上です。「新城登山口」から1時間半、2.8kmの行程でした。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは一等三角点「三本宮山」(「三」は三河のこと。「本宮山」と呼ばれる山が多いからでしょう。)。標高は789.3mです


三河湾まで眺めることができます。ここまで見晴らしが良いのは初めてな気がします(と言うか、前に本宮山の山頂に登ったのはいつだったか…。)。


登山したルートの全体図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

それでは下山することにします。こちらは石碑があった小ピークに立っている(正しくはもたれかけてある。)下山口の案内柱。こちらももはや立て直す気は無さそうです(笑)。


高圧線鉄塔まで戻ってきました。


高圧線鉄塔を通り過ぎ、さらにそのまま臼子道を進んでみます。


「九丁」の丁石。


道ははっきりしていますが、急坂の上、通る登山者がほとんどいないために路上が小石や枝葉などで荒れていて、非常に歩きにくいです。




「七丁」の丁石。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここの丁石から細道が分岐しているので、そちらへと進んでみます。


程なくして国道301号の法面の上に出てきました。法面に犬走りが付けられていますが、通る気にならなかったので、法面の上まで登って迂回します。


「新城登山口」へと戻ってきました。「七丁」からの細道は登山口からの参拝道に直交する形だったので、参拝道とは関係なかったようです。


最後にもう一度参拝道を石段が終わる場所まで登り直しました。


石段が終わる場所から左方向へ細い道があるので、尾根を通る臼子道まで登ってみました。参拝者が利用する道としては随分頼りない幅ですが、つづら折りの道で一応臼子道までは出ることができました。






長い間に崩落して道幅が狭くなったことも考えら、これが「新城登山口」からの参拝道なんでしょうかね。

さて、時刻はもう16時を回っていますが、次は「新城登山口」付近から始まる廃林道を探索しに向かいます。
Posted at 2022/12/17 06:48:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年12月04日 イイね!

JR城端駅・下小鳥ダム・安房峠・奈川渡ダム

2022年11月3日木曜日、祝日で仕事がお休みだったので長距離ドライブへと出かけてきました。

しかし、そもそもこの日はブラブラと長距離ドライブへ行こうとしていたわけではなく、岐阜県大野郡白川村の国道156号新内ヶ戸トンネルの旧道を訪れようと家を出発していました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ところが、新内ヶ戸トンネルまで来たところトンネル内設備の工事中。その工事の関係車両が旧道出入口付近に駐車されていたため、旧道に接近することができず訪問を断念。そのまま富山県方面へと素通りした結果、長距離ドライブになっただけです(笑)。

国道156号をそのまま走行し、富山県南砺市下梨からは国道304号へと入り、梨谷トンネル・五箇山トンネルを通過して、南砺市のJR城端線の終端駅である城端駅へとやって来ました。「城端」は「じょうはな」と読みます。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅裏の駐車場へと車を停めて、駅構内を眺めます。ホームにはちょうどキハ40系が停車中です。




近くで写真を撮ろうと駅舎前を通って反対側へと向かっていたところ、高岡駅からやって来た列車が到着。てっきり停車中の列車が折り返し発車するものと思っていたら、思いがけず2本並んでの写真が撮れました(笑)。




城端駅の駅舎。木造の古そうな建物で、懐かしい感じがします。


ふたたび駅裏の駐車場側へと回っているうちに高岡行きが出発していき、先ほど城端駅に到着した列車だけが残っていました。40分ほどで折り返し出発するので、ディーゼルエンジンはかけっ放しのままです。


転車台の跡。1969年(昭和44年)まで使用されていたそうです。


駅敷地の終端部。


ネットで城端駅からさらに先へと延伸する計画があったのか検索してみましたが、それらしい記事はヒットしませんでした。城端線自体は、もともと南砺地方の米を富山県西部の中心地である高岡へと輸送することを目的とした路線だったようなので、城端の街の南側に聳える険しい山々をわざわざ越えて五箇山へと延伸するような計画は立てられなかったのかもしれません。

城端駅を一通り見て回り、これで帰ろうかと東海北陸道福光ICから高速に乗り、一度は帰路へとつきました。

飛騨清見ICまで来たところで、ふと東海北陸道が飛騨トンネルから飛騨清見IC間で通過している小鳥川の渓谷を通ってみたくなり、高速を下りて、小鳥川沿いの岐阜県道478号を走っていくことにします。帰宅する方向とは逆向きになります(笑)。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

川沿いの1~1.5車線ほどの県道を走っていきます。時期的には終わりに近づいている周囲の山々の紅葉を眺めながらのドライブです。


大きな鋼橋が現れたので停車。栗ヶ谷橋とあります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

栗ヶ谷橋からの眺め。もう1~2週間早ければ鮮やかな紅葉を見ることができたかもしれません。




下小鳥ダムの堰堤を通過して、県道478号と県道75号の交差点へとやって来ました。飛騨古川へと出たかったので、黄色い線のように進んで稲越方面へ向かいます。


下小鳥ダムです。








場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ダム湖を離れて、稲越へと向かう保峠の峠道を登っていきます。道幅がインプレッサではギリギリで、ガードレールもないのでゆっくり登っていきます。


道中、対向車が1台しか来なかったので無事に通過できました(なぜか浜松ナンバーの車でしたが。)。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この後は、飛騨古川から高山市街を通り抜けて国道158号へ。平湯温泉郷から安房峠へ行くルートへと進んでみたら、通行止めにはなっていなかったのでそのまま進行。

何年ぶりか忘れましたが、久しぶりに安房峠へと登ってきました。もう夕暮れ時なので、少々寒いです。この場所は峠のまだ少し手前になります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

乗鞍岳方面を眺めます。


安房峠です。標高は1790m。岐阜県と長野県の県境であり、高山市と松本市の市境でもあります。


現在地はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

安房峠からの穂高連峰の眺め。


そのまま峠を下って、次に停まったのは奈川渡ダム。ここから長野県道26号へと入り、木祖村へと抜けていきます。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

日が沈み、ダムの周りが夕闇に包まれてきましたが、国道は多くの車が通過していきます。




帰宅したのは22時50分。国道156号の廃道へ行けなかったばっかりに、とんだ大回りの長距離ドライブになってしまいました(笑)。
Posted at 2022/12/04 14:18:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

プロフィール

「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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旧伊勢本街道「飼坂峠」南方の廃道を探索する(4) 
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甚目寺と名鉄築港線東名古屋港駅 
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