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小林あにのブログ一覧

2023年02月26日 イイね!

岡崎市夏山町の古道を歩いてきました

2023年2月11日土曜日、愛知県岡崎市夏山町にある古道を歩いてきました。現在、現地を愛知県道333号が通過していますが、この県道の前身の道に当たると考えられる古道です。

当日は、ドライバーやすい氏と新しい表記でのペースノートの作成練習を付近の林道で行い、そこからの帰り道に立ち寄りました。矢印の方向へと進入していきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちなみに付近の戦前の地形図はこちら。現在の県道は勾配を緩和するためか、標高413mの山の南側中腹へと迂回していますが、昔の道は沢沿いにそのまま直進していました。この道を辿ってみようという訳です。

※2万5千分の1地形図「龜穴」:大正7年(1918年)測図。

さて、進入してみると古道と言うよりは廃作業道といった風情です。取りあえず、奥へとどんどん進んでみることにします。




棚田の跡と思われる石垣の段が残っています。


ようやく道の雰囲気が作業道から古道らしい感じになってきました。






小さな滝の脇を通り抜けていきます。


滝を通り抜けた先で古道が消えてしまいました。ひとまず、沢の対岸へと渡り、先へと進んで古道の続きを探してみます。




古道の続きを発見。先へと進んでいきます。




古道が沢に削られて消失しています。一旦、右側へと迂回し、高巻きして進むことにします。






沢沿いの道はどうしても増水時に削られたりするので、道跡が残っていてもボロボロなケースが多いですね。


この付近も、沢を挟んだ対岸には棚田の跡がずっと続いています。植林されている木(杉か檜?)の太さを見ても、相当以前に耕作放棄されたのでしょう。




また崩落箇所が現れたので、高巻きして迂回。この辺りから、上を通る県道から捨てられたのか、斜面のあちらこちらにゴミが散乱しています。


天気が悪かったのと沢沿いで湿気があるためかジメジメした雰囲気。ゴミも散乱しているので、小さな滝から先の古道はあまり好ましい感じではありませんね…。


そして、正面を塞ぐような高い盛土が現れて、行く手を阻まれてしまいました。古道はこの先で県道が通るルートと重なるはずなので、ここで探索を終了しました。


帰りは古道の崩落箇所を嫌って、沢の対岸にあった棚田の跡を進むことにしました。

棚田跡の山側に半円形の石積みで囲まれた窪みを発見。






炭焼き窯の跡かと思いましたが、山側に開いていた穴を見て、湧き水を利用した水場の跡だった可能性もあるかなと想像しています。






だいぶ日が傾いてきたので、先を急ぐことにします。


車へと戻ってきました。1時間弱のミニ探索でしたが、これでまた1つ、県道の前身道の確認が完了しました。


今回歩いたルート図はこちらです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
Posted at 2023/02/26 12:31:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2023年02月19日 イイね!

豊田市平瀬町の古道を歩いてきました

2023年2月5日日曜日、愛知県豊田市平瀬町の古道を歩いてきました。

平瀬町周辺の現在の地形図です。現在、平瀬町の集落は愛知県道337号が貫いています。県道は集落の西側で巴川を渡り、その先で県道362号と接続しています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは現在の平瀬町周辺の戦前の地形図。当時は東加茂郡下山村になります。県道337号の前身となる道が同じように平瀬集落を貫いていますが、巴川を渡った先で右折すると道が途絶えているように見えます。「平瀬」の写植の下敷きになっただけなのかもしれませんが、県道362号の前身道には、その道が接続されているような表記にはなっていません。

※5万分の1地形図「足助」:明治24年(1891年)測図・昭和3年(1928年)要部修正測図・昭和6年(1931年)発行。

その代わりに、巴川を渡った先で左折する道が、峠を越えた場所で県道362号の前身道と接続していました。この先は旧下山村の中心地であった東大沼(現在の豊田市大沼町)へと続いています。

今回は、県道337号の元となる車道が開通するまで平瀬集落へのメインルートだったと考えられる峠越えの古道と、平瀬集落を通過せずに巴川沿いを通っていた古道を歩いてみることにしました。

現地へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

巴川に架かる県道337号の橋「千歳橋」へとやって来ました。ここで橋は渡らずに直前で右折します。


巴川の河原へと下りると、旧橋の橋台が残っていました。


それでは峠越えの古道へと進んでいきます。


道跡はしっかり残っていますが、誰も通らないので路上は荒れています。


石仏を見つけました。


僧形なので地蔵菩薩でしょうか。「新しい雰囲気の石仏だな。」と覗いてみたところ、光背の左側に「昭和三十一年(1956年)八月三日」の日付が彫られていました。そして右側には「法名釈尼…」とあります。お墓の代わりに祀られた石仏なのでしょうかね。


間伐された木々がゴロゴロ転がっています。廃道・古道を歩いていて悩まされる障害物の一つですね。


また路傍に何か立っています。今度は名号碑のようです。


「南無阿弥陀佛」とだけ読み取れます。年号などはわかりませんでした。


この辺りから岩が剥き出しの場所が現れて、地形の険しさが増してきます。




高い場所は嫌いですが、このような険しい感じの廃道・古道を通るのは好きなんですよね(笑)。




この険しい岩場に石仏がありました。


これは毎度おなじみの馬頭観音ですね。光背に明治四十二年(1909年)の年号が彫られています。険しい場所なので安全祈願で祀られたのか、実際に馬が転落して供養のために祀られたものかもしれません。少なくとも明治42年頃はまだこの道が地域の往来の道として現役だったという証になります。


所々、道が崩れて歩きにくい場所が現れますが、ようやく尾根に近づいてきました。


尾根への取り付き部は、堀割りの道で進んでいきます。




峠手前の分岐点に来ました。東大沼への道は直進。左折すると山を下って、巴川沿いへと出ます。巴川沿いへの道はこの後に向かうことにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この分岐点にも石仏がありました。


摩滅がひどく、姿ははっきりとはわかりませんが、頭上に馬頭型のような突起があるので、これもおそらく馬頭観音だと思います。


分岐点を直進すると間もなく舗装路へと出ました。ここが峠となります。左側には神社があります。




舗装路は神社の前で左へとカーブしていきますが、古道は真っ直ぐに斜面を下っていきます。


鳥居の横へ出てきました。社名は春日神社とあります。


もうしばらく下ると正面に県道362号が見えてきました。正面の鞍部を越えていくと東大沼になります。


下まで下りて峠越えの古道を振り返ります。立っている案内板は、峠付近にあった孫根城跡のものです。




巴川沿いの古道へ行く前に孫根城跡へ立ち寄ってみることにします。


峠を通過して、堀割り道まで戻ってきました。ここから孫根城跡へと続く道が分岐していくので、左側へと入っていきます。


孫根城跡です。案内板が立っているだけで、単なる雑木林にしか見えません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

本丸の背後は崖になっているので、背後からの攻撃は難しい感じです。


これは「堀切」です。矢印部分が「堀切」になります。これは本来の尾根を削り取り、攻城方の進路を遮断するための防御施設の一種ですね。通路部分だけを細く残して、尾根をU字型に大きく削り込んであります。


城跡への出入口部分にある細い土手道。この細い土手道も、城攻めを受けた際には攻城ルートを制限する役割を果たしたのでしょう。


それでは峠手前の分岐点から巴川沿いの古道へと入っていきます。こちら側の道は、千歳橋から登っていった峠道よりも緩やかな道です。








倒木と路面のひどい洗掘。ここを通過するのは少し難儀しました。




川沿いの道跡は総じて不鮮明なことが多い気がします。増水に見舞われて洗われたり破壊されたりすることもあるでしょうし、植林で道跡を潰されていることもあります(植林で潰されているのは峠道でもよくありますが。)。






橋が見えてきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戦前には橋が無かった場所なので、そのまま真っ直ぐ進みます。


低い鞍部を越えていきます。


鞍部に神社がありました。


鳥居の傍らに石碑が立っています。


題名と文章から、用水路建設についての記念碑とわかりました。


橋が架かっていたと思われる場所に来ました。河原に下りて周囲を見渡しましたが、橋が架かっていた名残りはまったくありませんでした。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

これで今回予定していた探索ルートの踏査は終了。ついでなので、神社前の記念碑に記されていたものと思われる用水路を辿ってみることにします。


農閑期ということもあり水路が埋まったままの場所もありましたが、補修を加えながら現在も維持されていることがわかります。






取水堰堤まで来ました。


用水路は側溝のような細いものでしたが、堰堤は魚道も備えたしっかりした造りのものですね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

帰りはこの橋を渡っていきます。


車へと戻ってきました。


今回歩いた道は、下山村誌によると東加茂郡が明治29年(1896年)に重要里道に指定した大沼街道という道の一部のようです。大沼街道は、東大沼から平瀬を経由して旧下山村を縦断していく道でした。ルート図は無かったので、平瀬集落を通る道か、集落内を通らずに巴川沿いを通っていく道か、どちらが大沼街道であったのかはわかりませんが、郡・村にとっては重要な道であったため、費用をかけて改修・保守を続けていたようです。

そんな道も、今ではすっかり存在を忘れられて、山中に寂しくその跡を残すのみです。
Posted at 2023/02/20 00:50:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2023年02月07日 イイね!

【北設楽郡東栄町】川角トンネルの廃道を歩きました

2023年2月4日土曜日、愛知県北設楽郡東栄町川角にある林道小田線の川角トンネルを訪れ、このトンネルの横にある短い廃道を歩いてきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この廃道について検索すると、2013年と2015年にアップされたレポートを読むことができます。最初に訪れた方は「トンネルある所、旧道・廃道あり」という気持ちでやって来たのでしょうね。

大千瀬川に架かる国道473号の橋「川角橋」を眺めています。この橋のたもとから分岐して林道小田線に入りここまで来ました。橋からそんなに距離は離れていませんが、けっこうな高さまで上っています。


川角トンネルです。1979年(昭和54年)3月の竣工でトンネル延長は60.00m。ご覧のとおりのごく一般的なコンクリートトンネルです。






それでは廃道へと向かいます。トンネルの直前から川側を見下ろすと廃道が見えています。トンネルとガードレールの隙間から下へと滑り込んで、廃道へと降りていきます。




進行方向とは逆方向を向いています。こちら側には、今回歩いた廃道よりも古い時代の「へつり道」の名残りではないかと言われる平場を見ることができます。




それでは今回の目的である廃道へと向かいます。というか、すぐ目の前がこの状況になっています(笑)。


短いですが「片洞門」というものですね。通行するスペースだけ削り込んで、上部に岩盤がひさし状にせり出した状態の道を言います。せり出した頭上の岩盤を片側だけで支えているので「片洞門」なわけです。


この方法でしか道を通すことができない絶壁ですが、道幅がしっかり確保されているおかげで、特に不安を感じることはありません。


絶壁の道をさらに先へと進みます。


最初の「片洞門」に比べると岩盤のせり出しは少ないですが、同じように道路部分を削り込んでいます。


道を塞ぐように倒木があります。ここは右側の壁際を通過していきます。


ここも不安にならない程度の道幅が残っています。


岩盤は上下で時代や種類が違うのか、明確なラインが入っています。




道がくびれている部分から大千瀬川を見下ろします。高さは20mから30mくらいはあるでしょうか。


見通しが効く範囲では崩落している箇所は無いようです。


もしも道幅が残っていなかったら、こんな高い場所は歩けませんね(笑)。


この場所、路面の川側半分がたわんで見えます。そして真ん中には穴も開いています。




どうやら木製の桟道のようです。材木が腐ってきて路面の重みに耐えきれなくなり、たわんできているのでしょう。


こういう場面を見ると思い切り疑心暗鬼になります。少しでもリスクを減らすため、一番壁際へと寄って通過します。

ちゃんとした路面へと戻ったようでヤレヤレです。


安心したのも束の間、崩落箇所が現れました。道幅が狭くなっています。


一番狭いところで40cmから50cmくらい。地面はしっかりしているようなので、「落ち着いていけば問題ないだろう。」と判断。足元に注意しながら進んでいきます。




難所を越えると道幅が本来の幅へと戻ってきました。




山側の壁面が大きくえぐれています。素人目には砂が固まっているだけのように見えます。これでは崩れやすいのもうなずけます。




林道の橋が見えてきました。


橋の手前に昔の橋台跡と思われる石積みがあります。


トンネル前へと出てきました。


トンネル前から廃道を振り返るとこんな様子です。


橋から廃道を眺めると、路肩を石積み擁壁で固めてあることがわかります。




トンネルから先の林道の周囲にも古道の痕跡がないか確かめに行ってみます。


300mほど進んでみましたが、それらしい痕跡は見つかりませんでした。おそらく林道とルートが重なっているのでしょう。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

トンネル前まで戻ってきました。


また廃道を通って車へと戻ることにします。


「往路」ではスルーしましたが、廃道に付き物の蜂の巣箱があります。巣箱が置かれている辺りは石垣が半円形に積まれており、元は炭焼き窯があったようです。


路面が崩落している場所まで戻ってきました。


間近まで行くと、「往路」ではさほど視界に入らなかった足元の「高い崖」が、こちら側から見るとどうしても視界に入ってしまい、気持ちが動揺してしまいます。




ほんのわずかな距離を写真に描いた矢印のように進むだけのことですが、心に一度動揺を覚えてしまうとなかなか進む勇気が持てません。「ここを通過しないと絶対に帰れない。」という状況であれば進めたのでしょうが、この場面は無理せずとも素直に引き返せば、トンネルを通って車へと戻ることができます。

結局、無理をせず引き返して、トンネルを通過しました。


また引き返した場所へと戻ってきました(笑)。やはり、こちら側からだと川まで真っ逆さまに落ちている崖を見ないですむので、心持ちが違いますね。


「復路」方向で眺めた廃道の写真です。














木々に遮られて見にくいですが、対岸の「へつり道」をもう一度。ここを歩いた動画がYouTubeにアップされていますが、私には絶対に無理です。動画見ているだけで身震いしました…。


最後に林道の擁壁をよじ登り、車へと戻りました。




今回のルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

60mのトンネルを迂回するような形の廃道なので距離自体はわずかなものですが、いろいろな要素が詰まっていて楽しむことができました。誰かのレポートを読むだけでは得られない実体験を味うことが、二番煎じでも現地を探索することの醍醐味ですから。動揺もしましたけど、これも実体験。まあ、高い場所が苦手なのだけは、本当にどうしようもないですけどね(笑)。

あとは戦前の地形図。川角の集落と奥三河の幹線である別所街道(現:国道151号)を結んでいた道が載っています。集落にとって重要な道だからこそ、険阻な場所であってもあれだけの道を通したのでしょう。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行。
Posted at 2023/02/07 22:15:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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