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小林あにのブログ一覧

2024年05月06日 イイね!

「ラリー三河湾2024」を見物してきました

2024年3月3日日曜日、愛知県蒲郡市をメイン会場に開催された2024年全日本ラリー選手権第1戦「ラリー三河湾2024」を見物してきました。

今まで新城市をメイン会場に開催されていた「新城ラリー」が昨年をもって閉幕となり、その後継ラリーイベントとして新たに開催されたのが「ラリー三河湾」となります。

いつもだとラリー会場へは車で向かうのですが、一緒に行く予定だった弟が仕事疲れで行くのを取り止めたため、「一人なら電車でいいや。」と今回はJR東海道線に乗って蒲郡駅まで行き、そこから無料シャトルバスに乗り換えて会場へと向かいました。

ラリー会場の一つであるラグーナ蒲郡へとやって来ました。新城ラリーを見慣れた目からすると何か人出が少なく感じます。


展示されていた三菱ランサーWRC05とインプレッサWRC98。両車両とも、いろんなラリーイベント会場でよく見かけるようになりました。


サービスパークへとラリー車が戻ってくるまでの間、会場内を散策したり、顔見知りのKさんとYさんがいるチームへ顔を出して雑談したりして過ごしました。

さて、10時20分となり「KIZUNA」ステージでの走行を終えたラリー車がサービスパークへと戻ってくるはずなので、海岸沿いにあるスタート・フィニッシュゲートへと向かいます。


ゲートに立つ関谷醸造の酒瓶広告塔は、新城ラリーからの引継ぎのようですね。


1号車の勝田・木村組が戻ってきていました。ドアが泥で汚れていますね。


1号車の後方には、TCインの時刻まで待機しているラリー車の列が続いています。


昨年の勝田・木村組のラリー車は、先行開発車両として製作されたGRヤリスRally2を使用していました。こちらは昨年の新城ラリーでの写真。


そして2024年1月1日付けでFIA(国際自動車連盟)からRally2車両として公認を受けたことにより、本戦からは公認車両のGRヤリスRally2となっています。外観上の相違点は、素人目ではリアウイングの形状とマフラーのセンター出しくらいしかわかりません。


新井・金岡組のシュコダ・ファビアRally2。新井大輝選手は昨年のプジョー208Rally4からの乗り換え。今や全日本ラリーで総合優勝を狙うにはRally2車両であることは必須。YouTubeでファビアの車両維持に苦労している話を見て、資金面で苦慮していることを感じさせますが、全日本戦でチャンピオン争いができる唯一の若手と言えるので、頑張ってほしいですね。




福永・齊田組のシュコダ・ファビアRally2。


奴田原・東組のGRヤリスRally2。昨年まではJN-2クラスのGRヤリスでしたが、本戦からGRヤリスRally2へと乗り換えました。アドバンカラーのGRヤリスRally2、なかなか気に入りました(笑)。




田口・北川組のGRヤリスRally2。ラリーチームアイセロも今年からGRヤリスRally2へと変更しましたが、昨年チャンピオンを獲得したコバライネン選手が病気療養のため長期欠場となり、田口勝彦選手が当面は代役として出場するとのこと。


サービスイン前のリグループにて。






サービス風景など。
















合間にふたたびイベント会場をぶらぶら。1996年1000湖ラリー優勝車の三菱ランサーエボリューションⅢ。1000湖ラリーは現在のラリーフィンランドですね。




このシートにトミ・マキネンが座って、フィンランドの超高速ステージをかっ飛ばしていたと思うと感慨深いですね…。


スイーパーが戻ってきました。


サービスタイムが終わって各車が午後のステージへと順次出発。公園のベンチに座り、三河湾をボーっと眺めながら時間をつぶします。


13時03分、まずは00カーが戻ってきました。


続いて13時14分、0カーがゲートへ。


MCさんから「フィニッシュ時の撮影練習をしましょう。」と指示されて、ドライバーさんとコドライバーさんが車から降りて記念撮影の練習(笑)。


選手たちが全ステージを終えてゲートへと戻ってきました。まずは、総合2位の新井・金岡組。


続いて総合3位の福永・齊田組。




総合優勝の勝田・木村組。




シャンパン・ファイトです。これも新城ラリーからの引継ぎとなる発泡日本酒でのシャンパン・ファイト。終了後、選手のみなさん、地面を見て吹き飛んだキャップを探していました(笑)。




メディア陣による記念撮影。齊田選手のガッツポーズが(笑)。


優勝チームメンバーの記念撮影。


4位以下のフィニッシュ風景をいくつか。








新城ラリーの時は、フィニッシュ時にはゲートがものすごい人だかりとなり、とても近づけませんでしたが、今回のラリー三河湾では苦も無く最前列で見物することができました。


今回のラリー三河湾では、イベント会場・デモラン会場・スタートフィニッシュゲートの場所がそれぞれ離れていたため、ひどい人混みに出会うこともなく、ゆとりを持って見物することができました。

新城ラリーのことを思うとやや閑散としたイメージで、お祭り的な賑わしさが無く寂しい気もしましたが、また来年開催時はいろんな見直しがあるでしょうから、期待したいと思います。

さて、帰りもシャトルバスと電車を乗り継いで帰宅。ラリー見物はけっこう歩き回るので、車で来ると帰りに疲れて運転するのが辛いものでしたが、今回はそんな苦労ともおさらば(笑)。電車の本数が多いJR東海道線が最寄りで利用できるようになったのは間違いなく蒲郡開催の強みですね。
Posted at 2024/05/06 20:53:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラリー三河湾 | 日記
2024年05月05日 イイね!

【豊根村】霧石峠の峠道(撤退)と愛知県道426号 宝地峠

2024年3月2日土曜日、北設楽郡豊根村富山漆島から始まる霧石峠の峠道を探索してきました。前回2月18日に峠道の下見をして、今回は霧石峠までの峠道を探索する予定で現地にやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

前回下見した成果を踏まえて、引き返し地点まではサクサクと進むつもりでしたが、落石と丸太と枝葉に覆われた斜面に残る不鮮明な道筋を辿るのは容易ではありませんでした。










前回の引き返し地点である小崩落地に到着。1時間ほど掛かってしまいました。


まずは道筋から下側へと急斜面を下り、崩落地を迂回できるルートを探してみましたが、斜面が崩落した凹地の筋が相当下まで続いていて、容易に横断できそうな場所が見当たりません…(安全に下ることに必死になって写真無し。)。

50分ほど様子を窺いつつ模索してみましたが、下巻きして迂回する案は断念…。別の場所から急斜面をよじ登り、峠道へと何とか復帰しました。


下側がダメなら次は上側です。峠道の山側の斜面へと登り、崩落地を見下ろしています。


黄線が峠道。赤線が崩落地の先端です。行ける人は赤線のさらに左側の急斜面に足を突っ込んで、さっさと横断してしまうのでしょうけど、高い場所が嫌いな私は、一気に下まで崩落している急斜面にどうしても目が行ってしまい、萎縮してしまうのです…。


斜面に足場を作りながら、少しづつ前進していきます。


斜面の土が柔らかいので、足場が崩れないよう、一つ作っては足踏みして地固めするという行為を何度も繰り返していきます。


足場を作りながら進めなくなり、さらに上へと迂回できないか斜面を見上げますがこの傾斜…。もう少し密に木々が生えていたら手掛かり・足掛かりにして進めましたが、植林地の木々は間隔が開いているのでそれも無理。結局、下見時から全然進めないまま撤退することに決めました…。


峠道を下って、車へと戻ってきました。








今回は全然進めないまま撤退しますが、当然このまま終わりという訳にはいかないので、日を改めて「武器」持参で再訪するつもりです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、このまま家路につくのもつまらなかったので、同じ豊根村内にある愛知県道426号の峠、宝地峠へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この峠を通る道は、豊根村誌によると「津具・粟世・河合道」と呼ばれる道で、この地域では重要な道の一つだったそうです。坂宇場~粟世にあるここ宝地峠は、霧石峠と並び、昔から厳しい峠として知られていたそうです。

※ひなたGISより引用。

というわけで、少しは昔の峠道が残っていないかと寄り道してみましたが、峠付近にヘアピンカーブ一つ分だけ道筋が残っていました。




もう少し県道を下ってみると、さらに道らしきものがあるのを発見。




すぐに沢頭の平坦地へと出て、道筋はうやむやになってしまいましたが、このまま沢に沿って歩いてみることにします。


3月入ったとはいえ、まだまだ冷え込む季節。砂防ダムの水溜りが凍り付いています。


砂防ダムを通過すると道が現れましたが、これはおそらく砂防ダムの工事用道路か林業用の作業道の跡でしょう。


路面が水流に破壊されて、まるで沢のようになっています。


家屋がある所まで下りてきたので、ここで引き返すことにしました。戦前の地形図でもこの沢筋を峠道が通っていたこと自体は間違いないので、昔はこの家の前か後ろを通過していた道を、峠を往来する人々が通行していたのでしょう。


宝地峠では、峠のヘアピンカーブ区間以外にこれといった遺構は見つけられませんでしたが、追加で山の中を歩いて多少は気分が晴れました。
Posted at 2024/05/05 15:47:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 豊根村 廃道 | 日記
2024年04月25日 イイね!

【豊根村】富山漆島から始まる霧石峠への峠道を下見しました

2024年2月18日日曜日、北設楽郡豊根村にある霧石峠へと至る峠道のうち、豊根村富山漆島側からの峠道を下見しに行ってきました。

ところで、昨年12月9日に奈良県の立合川右岸の木馬道の探索を行って以降、廃道探索をしばらくサボっていました。「これでは体がなまってしまう。」ということで、1月27日に過去に探索したことがある新城市の本宮山の廃林道を「散歩」はしました。




とにかく2か月以上サボったので、「もういい加減そろそろ廃道探索を再開しないといけないなぁ。」と思い、だいぶ前から目的地として候補にしていながら、「遠くて面倒くさそうな場所」ということでずっと放置していたこの峠を探索することに決め、取りあえず下見しようとやって来たわけです。

さて、霧石峠は豊根村内にある峠ですが、2005年(平成17年)までは豊根村と旧富山村の境界となっていました。その山深さゆえに、旧富山村へと赴任する者が峠で辞職を申し出たという「辞職峠」の異名を持っています。

こちらは戦前の地形図に記載されている霧石峠と富山漆島側の峠道です。漆島は旧富山村の西側の出入口となる集落で、村の中心地はさらに東に進んだ河内でした。ちなみに現在の河内は、佐久間ダムのダム湖に沈んでいます。

※「ひなたGIS」より引用。

こちらは現在の地形図。霧石峠は記載されていますが、峠と富山漆島を結んでいた峠道は抹消されています。現在の峠道である愛知県道426号は、峠から北方4~5kmにある霧石トンネルまで迂回して山を越えています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらが霧石トンネルです。開通は1974年(昭和49年)10月。それまでは霧石峠を自動車で往来することはできませんでした(前述のとおりトンネルは霧石峠から離れた場所にあります。)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まずは漆島までやって来ました。同じ愛知県内なのに、自宅のある安城市からここまで3時間半ほどかかりました(休憩含む)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

正面に見えている山に峠道が通っていました。


昔々、旧富山村から豊根村にかけては「熊谷氏」という一族が勢力を誇っていたようで、駐車場所の横にもこのような説明板が立っていました。


それでは、峠道が通っていた山へと進んでいきます。




戦前の地形図と山を見比べながら歩いていくと、怪しい場所がありました。入り込んでみます。


さっそく峠道に当たったようです。


「幸先良いな。」と思ったのも束の間、すぐに林道に削られてしまっていました…。


一旦林道へと下りて、登りやすそうな場所を探します。


ここからなら何とか斜面を登っていけそうです。


石垣が現れたので「峠道か?」と思いましたが、どうやら田畑跡のようでした。




もうしばらく斜面を登っていくと、ようやく峠道の続きに遭遇しました。


道筋を辿っていったところ、程なくして沢に突き当たり、見失ってしまいました。




ちょっと手前に戻り、斜面を見上げてみると何となく道らしき筋が見えます。ご覧のとおり丸太や落ち葉が散乱している状況で、どうせ正確には辿れません。「それらしい雰囲気」を頼りにして、さらに登っていきます。


所々、道筋がわかる部分があるので、その部分を頭の中でつなげながら少しづつ進んでいきます。


炭焼き窯の跡。


斜面の上部まで来て、ようやく道筋が安定してきました。こうなってくればひとまず安心です。








稜線に出て、折り返して進みます。この時点で13時半を回ったので、14時を目途にして進むことにします。




ふたたび斜面を横断して進んでいきます。




峠道が崩落している場所に遭遇しました。谷側は下まで20mくらい急傾斜で崩れていて、山側も急斜面で踏み跡もない状態。今回はここで引き返すことにしました。


今回下見したルート図です。霧石峠までの距離を考えると全然序盤ですが、ひとまず峠道へと取り付けることがわかっただけでも良しとします。次回探索時は、まずこの小崩落地を越えられるかがポイントですね。
Posted at 2024/04/25 00:05:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 豊根村 廃道 | 日記
2024年04月21日 イイね!

「新城ラリー大感謝祭」へ行ってきました

2024年2月11日日曜日、新城市の桜淵公園で開催された「新城ラリー大感謝祭」へ弟と行ってきました。

この感謝祭が開催されると知った時には、すでに会場駐車場のチケットは売り切れ。仕方がないので、会場からは離れていますがJR新城駅前のコインパーキングに車を停めて、30分あまり歩いて桜淵公園へとやって来ました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

「雨の新城ラリー」とよく言われたものですが、爽やかな好天となりました。




こちらは岡崎市から新城ラリーへのメッセージですかね。


開始時間前に到着したので、会場内はまだ閑散としています。


今回の目玉であるモリゾウ選手のデモラン用のGRヤリスRally1。2024年バージョンのカラーリングになっています。


新城ラリーへの寄せ書き。地元密着型で長年開催してきたので、愛着を持っている方は多いでしょうね。


練習走行が終了して砂まみれになったインプレッサを洗車中。


開催時間になると一気に観客が増えてきました。この公園がラリー会場だった頃を思い出します。


デモランが終了すると、デモ車は外周を回って観客とハイタッチ。最近では安全確保のためか、こういった光景はあまり見られなくなってしまいました。


デモラン前に時間が空いたとのことで、急きょモリゾウ・小林可夢偉・中嶋一貴の3名によるトークショーが開催。地方都市で開催されていた国内ラリーの閉幕イベントとしては実に豪華な顔ぶれです(笑)。


モリゾウ選手によるデモラン。写真はデモラン後の外周走行のものですけどね。中学生を同乗させた時は多少緩めに走るのかと思って見ていたら、いつも通りに激走していて笑ってしまいました。




デモラン終了後、そのままグラウンドに展示されたラリーカーを撮影。






最後は大会関係者一同からお礼のあいさつがあり、餅投げをしてイベント終了となりました。


会場で同乗抽選券と一緒に販売されていた「新城ラリー開催記念誌」。同乗抽選には外れましたけど、冊子は良い記念になりました。


開催翌日の中日新聞地方版ページに開催記事が掲載されました。


私がラリーに興味を持ったのは1994年からですが、長らく身近で本物を観戦する機会は無くて、2001年・2002年に群馬県で開催されたアルペンラリーや、岐阜県高山市で開催の全日本戦のラリーハイランドマスターズを観戦したくらい。あとは本や映像を見るだけでした。

それが地元愛知県内で地方戦ながら新城ラリーが新たに開催されることになり、弟に誘われる形で観戦するようになりました。やがて全日本戦へ格上げになり、多くのチームが参戦するようになったのに比例して、観客もどんどんと増えていき、全日本戦では最も観客動員数が多いラリーとなりました。

そんな中で、2013年から2015年は併催だったTRDラリーチャレンジへ弟と組んで出場し、一部とはいえ全日本戦と同じSSコースを走り、観客のみなさんから声援を受けたりハイタッチされたりなど、参加選手側での貴重な体験も味わえました。

これからは蒲郡市を開催地とするラリー三河湾へと移行するわけですが、どうなっていくのかな。期待半分、不安半分。新城ラリーの良い部分をさらに伸ばしてもらえると嬉しいですね。
Posted at 2024/04/21 21:31:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新城ラリー | 日記
2024年03月23日 イイね!

【奈良県宇陀市】室生寺へ行ってきました

2024年1月6日土曜日、弟の誘いで奈良県宇陀市にある室生寺へ行ってきました。室生寺は昔から何度も訪れているお寺ですね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

仁王門をくぐり、境内へと入ってきます。




金堂。平安時代初期の建立で、国宝に指定されています。




弥勒堂。鎌倉時代の建立で、重要文化財に指定されています。


本堂。鎌倉時代の延慶元年(1308年)の建立で、国宝に指定されています。


五重塔。平安時代初期である延暦19年頃(800年頃)の建立で、国宝に指定されています。屋外に立つ五重塔では国内最小で、総高は16.1mだそうです。平成10年(1998年)の台風により倒木が直撃して大きな被害を受けましたが、2年がかりで修復されました。


さて、ここからさらに奥にある奥之院へと歩いていくことにします。




巨木に囲まれた参道を進んでいきます。




赤い橋を渡ると急斜面を登っていく石段が現れます。


傾斜が急で、一段一段の幅も狭いので、のんびりゆっくりと登っていきます。






石段を見下ろしています。登るのはキツイですが、下る方がより危ないですし、膝に来ますからね(笑)。無事に戻れることを祈ります。


奥之院までもう一息です。


常燈堂の懸造り部分の横を通り抜けます。


奥之院に着きました。こちらが常燈堂(位牌堂)。


右側の建物は御影堂。室町時代前期の建立で、重要文化財に指定されています。


境内と奥之院を巡った後は寶物殿に立ち寄り、仏像などを見学。ちょうどお昼になったので、門前の飲食店でそばと吉野葛餅をいただきました。


これで今回の予定は終了。我が家の習慣として、元来た道で素直に帰らずに、ぐるりと大回りして帰ることにします(笑)。

室生寺から南方向へと向かい、国道368号まで出たら東方向へと走行します。以前、この辺りで旧伊勢本街道の明治時代の新道にあったトンネルを探索したことがあります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

国道368号をひたすら東方向へと走行。少しだけ国道から離れてJR名松線の伊勢奥津駅前と奥津の集落内を素通り。すぐに国道に戻り、飼坂トンネルを通過して、上多気の道の駅で飲み物を購入。上多気からは県道を北上していきます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

飼坂トンネルの周辺も、以前に荷車道と思われる廃道を探索したり、北畠氏館跡庭園を訪れたりしました。

上多気からの県道をのんびり走行して君ヶ野ダムへ。特に寄り道するつもりはなかったのですが、どうにも眠気が酷くてここで仮眠してました(笑)。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ひと眠りした後、眠気覚ましにダム周辺を歩きつつ写真撮影。






この後は津市久居へと出て、伊勢道久居ICから高速道路に乗って帰宅しました。
Posted at 2024/03/23 00:03:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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「旧倉吉線廃線跡と倉吉白壁土蔵群を訪れました http://cvw.jp/b/1796277/48784301/
何シテル?   11/24 21:37
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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