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小林あにのブログ一覧

2023年11月11日 イイね!

【十津川村・北山村】立合川木馬道を探索する(1)

2023年10月14日土曜日、奈良県吉野郡十津川村と和歌山県東牟婁郡北山村の境を流れる立合川の渓谷に残る立合川木馬道を探索してきました。

この道を探索することにしたきっかけですが、宇連橋から始まる木馬道跡を探索後、何気に木馬道のことをネットで検索していたら、検索語句の中に「立合川木馬道」の表示があったことでした。

どんな木馬道なのかと検索してみたところ、歩いた内容についてのブログや動画、山行記録が数件あり、読んでみるとなかなかハードな場所を通るルートに興味を惹かれました。

その内の1件は最奥部まで歩き通した方のものでしたが(この方は、付近の山へ登るアプローチ路として木馬道を利用してみただけで、歩き通すことが目的ではなかった。)、その最奥部は通過するのに相当な覚悟を要する有様だったようです。

私がそんな場所まで入り込むことは120%無理ですが(笑)、木馬道の途中までの行程を撮影した動画を観た限りでは、少なくとも撮影された範囲ならば私でも十分楽しめそうでした。そこで「そのうちに訪れてみよう。」と予定していたわけです。

探索当日は自宅を4時半前に出発。出発地点となる国道169号東野トンネルの東側坑口前に8時35分頃到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

東野トンネルの東側坑口を出ると、ものすごく高い橋が架かっています。


橋の名前は「立合川橋」。川の名前の読み仮名は「たちあいがわ」とありますが、地元の方々は、「たちあごう」、「たちあご」、「たっちゃご」、「たちゃんご」などと呼ぶようです。


橋の上から立合川を覗き込みます。腰が引けて、目もくらみそうです…。立合川の流れは、木々に覆われてしまい全く見えません。


そして立合川の上流を眺めます。今からこの深い渓谷に残る木馬道を遡っていくわけです。


立合川橋を渡り、対岸にある有蔵トンネルの前に来ました。


トンネルの前から立合川木馬道へとつながる連絡路を下っていきます。


立合川橋を振り返ります。この深い渓谷のため、架橋工事の際は相当苦労したそうです。


入口にある案内板。


「大滝」と「立合川渓谷(木馬道)」の案内があります。「大滝」は立合川大滝とも呼ばれています。「立合川」と検索すると、検索結果のほとんどがここを流れる立合川の遡行記録ですが、その中でも立合川大滝は、立合川の沢登りの大きな目的地としてよく知られた存在のようです。


ちなみに、立合川木馬道を利用して「大滝」へ向かうことは困難なようです。理由は、木馬道と立合川の間の高低差があり過ぎることと、その間の地形が険しすぎるためだとか。滝を見るためには、やはり立合川を遡行していくしかないようです。

連絡路の急な階段を下りていきます。


階段から立合川橋の真下を眺めています。橋の下に通路が確保されていますが、これは近畿自然歩道として使われていた木馬道のための措置でしょう。


立合川木馬道へと下りてきました。いよいよこの場所から上流へと木馬道を歩いていきます。


この木馬道の歴史については、ネット上では資料が見当たらないため、よくわかりません。立合川木馬道の動画を撮影した方によると、明治40年(1907年)に木材を運搬するための「トロッコ道」として造られた道だそうです。

木馬を使用する「木馬道」だったのか、トロッコを使用する「トロッコ道」だったのか。今のところ真相は不明ですが、「木馬道」ということでこのまま進めていきます。そのうち、新宮市の図書館へ行って、「北山村史」でも読んでみますかね。

スタートしてしばらくは、今までによく歩いてきたような雰囲気の道筋が続いています。




表土が薄いのか、根っこを網目状に這わせています。


ガレ場と化した沢を渡っていきます。地形図で見ると、この辺りで奈良県十津川村から和歌山県北山村へと変わるようです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

路肩の石垣がしっかりと残っています。


岩の切り取り工で木馬道が造られています。


「はま松滝」の入口。谷側を見下ろしてもはっきりとした道は見えませんが、この辺りから立合川へと下りていくことができるようです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

鉄パイプと木製の踏み板で造られた桟道が現れました。「大滝」までの区間は、かつて近畿自然歩道だったおかげで、このような桟道が取り付けられています。最近、地元の方によりボロボロだった踏み板が取り替えられたそうで、もしも桟道が渡れなかったら、この地点で引き返す羽目になっていたでしょう。


沢との交差部分に大量の石が流れ込んでいますが、この状況でも路肩の石垣はしっかりしています。危ない部分は、ガレ場の中へと高巻きして通過します。




渡ってきた桟道を振り返っています。現役当時は木製の桟道が架けられていたはずですが、鉄パイプであれ材木であれ、よくも架けたものです。


また桟道がありました。この後もひっきりなしに桟道が現れることになります。


ずっと切り取り工で造られた道が続いています。


また桟道を渡っていきます(頻繁に現れるので、早くもコメントが思いつかない(笑)。)


「立合川渓谷(なべ滝へ)」とあります。斜面を下るように案内板は示していますが、やはり道らしきものはありません。「自分で歩きやすい場所を探して下ってね。」ということでしょう。


路面が欠けたのか、一部分だけに踏み板があてがってあります。


この辺りも、桟道が無くなったら迂回が不可能な地形ですよ。最初に施工した人達が一番すごいですけど、再建した人達も命がけですよね。そのおかげでこうして安心して通れるわけで、ありがたいことです。




「堺面の滝」に来ました。「堺面」、どんな意味なのでしょうか。ここの滝は木馬道と交差しています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

おそらく、これが「堺面の滝」でしょう。「お面」と言うのなら人の顔に見えなくもないですね。水量が少ないので貧相に見えますが、水量が多いと迫力ある感じに見えるのですかね。


木馬道の谷側も滝となって流れ落ちていきます。


次から次へと桟道が現れます。ほとんどの桟道は、踏み板が二枚重ねで敷かれているので、乗っても大きくたわむことはありませんでした。






人一人がやっと歩けるだけの道幅しかありません。これが展望の良すぎる絶壁だったら恐怖しかありませんが、谷側に木が鬱蒼と生えているおかげで、高度感をあまり感じずにすみます。


桟道をよく見ると、鉄パイプを執拗に組み合わせてあります。力学的に効果を発揮するような組み方なのかはわかりませんが、「とにかくしっかり組み上げよう。」という心意気は素人でも感じられます(笑)。




この急峻な地形でも石垣がよく残っています。土砂崩れや岩崩れがあっても、路面から谷側へとうまく流れ落ちてくれれば、直接的に破壊力が掛からずにすむのかもしれません。


桟道はしっかりしているし、道幅もこれだけ残っていれば楽しい山歩きです。






大きな落石が連続で現れました。今はヘルメットをかぶってから廃道へ赴くことがすっかり習慣になりましたが、現実的にはこぶし大の落石が直撃しただけでも、どれほどの負傷をするのか見当もつきません。もちろん、かぶらないという選択肢はありませんけどね(かぶっている方が便利な時も多いですしね。)。




ここは頭上の岩が緩い片洞門のように削られています。


綺麗な弧を描く石垣。良いですね(笑)。


岩場を切り取った狭い崖道が続きます。でも大丈夫、怖くはありません。




ここは頭上にも鉄パイプが組んであります。


ここは坂道になった桟道。踏み板がしなります。


沢に蓋をするように高く積まれた石垣が見えてきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

これは素晴らしいですね。側面が整っているので、単純に石を沢へと投げ入れて積んだわけではなく、きちんと足場を組んで積み上げていったのでしょう。


岩壁を荒々しく削り取って造られた道が、まだ先へと続いています。


石で埋まる沢に登り、この場所の全景を撮ります。地形に沿ってきれいな馬蹄型を描く木馬道。かつては材木を積んだ木馬が、もしくはトロッコが、この細い崖道を四苦八苦しながら下っていったわけです。今の光景からはとても想像できません…。


本当に良い場所です。ここに座ってずっとこの景色を眺めていても、飽きることは全然ないでしょう(笑)。

この木馬道の動画を見ていて「ゾクッ」とした場所。路面が3分の1ほど抉れています。実際にこの場所へ来てみたら、それほどの感覚はなく、普通に素通りできました。


前方が明るくなってきました。


立合川へと落ちていく稜線の一つに出てきたようです。




そして、この場所に「大滝」の案内板が立っていました。有蔵トンネルの前からこの場所まで、55分ほどかかりました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

突端へと立って、立合川の下流方向を眺めています。この場所からでも、谷底を流れる立合川の流れは全く見えません。


立合川橋が見えています。ずいぶんと山深い場所まで入り込んだ気になっていましたが、直線距離で見れば橋からあんまり離れた場所ではないことがよくわかります。


さて、ここまでは一応現役の道と言えましたが、ここから先は紛れもない廃道区間。当然、今までの桟道のように、地元の方々が補修や維持管理を一切していない区間となります。

まあ無理はせずに、進めるところまで歩いていってみましょう。


※(2)へ続く。
Posted at 2023/11/11 20:34:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 立合川木馬道 | 日記
2023年11月10日 イイね!

【高島市・小浜市】おにゅう峠を訪れました

2023年10月8日日曜日、滋賀県と福井県の県境にある峠「おにゅう峠」を訪れました。弟から「眺めが良い峠があるみたいだから行ってみよう。」と誘われ、姉も一緒に3人で出かけました。

現地へは、伊勢湾岸道・新名神高速道路・名神高速道路・国道161号湖西道路・国道477号・国道367号・滋賀県道781号と経由していきます。

こちらは、新名神高速道路の甲南PA。忍者で知られる甲賀の地にあるので、忍者のアピールが激しいです(笑)。


さらに進んで、こちらは滋賀県高島市朽木中牧の針畑橋。少し離れた場所にある「源流の駅 山帰来」という所に車を停めて休憩してます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

近くに神社があったので行ってみました。大宮神社というそうです。


境内は杉などの巨木が立ち並び、昔から大切にされてきた場所であることが窺えます。






針畑橋の交差点に立っていた観光案内板。今から向かう「おにゅう峠」も載っています。






「おにゅう峠」の名前の由来になったと思われる小入谷(おにゅうだに)の集落から峠へ向かう林道小入谷線に入り、思っていたよりも整備されたクネクネ道をどんどん登っていきます。


自宅を出て約5時間後の10時35分、「おにゅう峠」に到着しました。


場所はこちら。


昔からある峠ではなく、林道を建設した時に新たに切り開かれた峠のようです。


あいにくの曇り空で、あまり遠くまでは見えませんが、なかなか良い眺めです。


さて、「おにゅう峠」の東側には、鯖街道の愛称で呼ばれる若狭街道(針畑越え)の根来坂峠があるそうで、せっかくなので徒歩で向かうことにします。


根来坂峠へと歩いていく尾根は、高島市内にある中央分水嶺を結ぶ「高島トレイル」のルートになっています。




「おにゅう峠」から15分ほどで根来坂峠に着きました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠には案内板、お地蔵様、大乗妙典一石一字塔がありました。






峠から京都方面へ下る道と小浜方面へ下る道を見ています。峠付近の街道を見る限りでは、駄馬(荷を背負った馬)が通れるほどの道ではない感じなので、人が荷物を担いで往来していたのでしょう。




根来坂峠から車に戻り、そのまま「おにゅう峠」から福井県側へと下っていきます。福井県側の林道は滋賀県側よりも急坂で、ガードレールが設置されていない場所も多いので、山道に自信が無い方は滋賀県側から訪れたほうが良いかもしれません。

ちなみに、昔、GC8のシルバーのインプレッサに乗っていた頃、林道を福井県側から入り込んだことがありました。当時はまだ「おにゅう峠」までつながっていなくて、路面も未舗装でした。車をガッタンゴットンいわせながら登りましたね(笑)。

お昼を食べようと道の駅「若狭おばま」まで来ましたが、レストランが混んでいたので断念。


結局、ネットで検索した小浜市街地の小さな食堂でお昼御飯となりました。私は鯖の醤油漬けの焼き物と塩焼きの定食。さすが地の物だけあって美味しくいただきました(笑)。


食事後、姉が「最後に気比神宮へ行こう。」と言い出したので、舞鶴若狭道で敦賀市まで移動。

小雨がぱらつく中でしたが、のんびり境内を見物しました。




帰り道は、名神高速道路の一宮付近の渋滞を避けるため、敦賀から木之本・関ヶ原を経由して東海環状道大安ICまで下道で迂回。大安ICから高速道路に乗ることに。

伊勢湾岸道 湾岸長島PAで晩御飯を食べてから、帰宅しました。
Posted at 2023/11/10 23:07:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2023年11月09日 イイね!

長野県道8号「大平街道」をドライブしてきました

2023年9月30日土曜日、長野県の県道8号「大平街道」をドライブしてきました。

この日はそもそも、万古集落のことを何か調べられないかと思い、ドライブがてら飯田市立中央図書館へとやって来ました。ところが、残念なことに図書館はシステム更新の作業のため長期臨時休館中でした…。

せっかくなので長姫神社など周辺を少し散策。こちらは図書館の横にある「赤門」。旧飯田城(長姫城)の遺構だそうです。




これは昔の図書館の門柱でしょうか。「赤門」の横に立っていました。


図書館の場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、すでに時間はお昼を回っています。この時間から別の場所へ出かけるあても無かったので、久しぶりに長野県道8号「大平街道」を通ってみることにします。

ウィキペディアによると、大平街道は宝暦4年(1754年)に飯田藩によって開削された、飯田の街と中山道妻籠宿を結ぶ街道です。明治42年(1909年)に中央本線が名古屋駅から妻籠宿の最寄りとなる三留野駅(現:南木曽駅)まで開通したことにより、飯田の街と中央本線を連絡する大平街道の利用は最盛期を迎えたようです。

しかし、大正12年(1923年)に飯田線の前身である伊那電気鉄道が、中央本線の接続駅である辰野駅から飯田駅まで開通したことにより、大平街道の利用者は減少に向かいます。さらに昭和30年代に清内路峠を通過する国道256号が開通して整備されるに従い、2か所の急峻な峠越えを要し、冬期通行止めもある大平街道の利用は寂れていきました。

さて、飯田市街地側から一つ目の峠「飯田峠」に着きました。ここまでの道中、久しぶりに走ってみるとやっぱり道が狭い。カーブもきつい。走り応えはありますが大変な道です。そして、こんな山道でも自転車で走る方々が何人もいて、素直にすごいと思います。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

飯田峠に立っている大平街道の石碑。この石碑の側面には、明治32年(1899年)から明治38年(1905年)まで街道改修が行われたことと、石碑の設置場所から街道始点と街道終点までの距離が彫られています。


飯田峠の案内標識。


飯田峠を下っていくと、かつての宿場である大平宿があるのですが、駐車できる場所が空いておらず、今回はそのまま通過。

二つ目の峠である大平峠までやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この峠にも大平街道の石碑が立っています。


石碑の下には、馬頭観音碑と名号碑。


峠にあるスノーシェッドを見ます。スノーシェッドの上部には大平峠の別名である木曽峠の銘板がはめ込まれています。


南木曽町側の眺め。


スノーシェッドの中を歩いていきます。


飯田市側の坑口です。


スノーシェッドから飯田市側へ少し歩いていくと、大平峠の案内標識が立っています。大平峠が標高1,358m、最初の飯田峠が標高1,235mとかなり高い場所を通過している街道であることがわかります。


向かい側を見ると、石垣で固められた小さな沢がありました。


さらに下った場所に立つ県道標識。「8」という一桁の番号が付されているところは、大平街道の歴史的な意義に基づいた付番だとは思いますが、現在の利用状況では全線二車線化や峠部分のトンネル化などの改修がされることは今後も無いでしょう。


石碑まで戻ってきました。


南木曽町側の県道標識。


最後に立ち寄ったのは、旧国道256号に架かる本谷橋。ここもかつての大平街道になります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

本谷橋の架橋は昭和34年(1959年)3月。橋の型式は、長野県下でよく見られるコンクリート製ローゼ橋です。




この後もしばらく旧国道を進んでから現国道へと合流。「妻籠宿入口」交差点から国道19号に入り、帰路につきました。
Posted at 2023/11/09 20:35:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2023年11月09日 イイね!

【2023年】TGRラリーチャレンジinびわ湖高島戦へ参戦しました

2023年9月24日日曜日、滋賀県高島市で開催されたTGRラリーチャレンジinびわ湖高島戦へ参戦してきました。

今回もラリー前日の9月23日土曜日に現地入り。


レキ(下見走行)、参加受付、車検と済ませて土曜日の予定は終了。宿泊先へと移動します。


昨年の同ラリーでは近隣で宿が取れず、福井県小浜市で宿泊しましたが、今回は高島市内の旅館での宿泊となりました。部屋は昔懐かしい感じの和室。


晩御飯は毎戦恒例の「前夜祭」ということで、地元の食べ物が美味しそうな居酒屋などを探して、JR湖西線今津駅方面へと歩いていったのですが、19時頃にも関わらず、開いている店が全然見当たりません…。

たまたま開いていた小さな中華料理店を見つけ、ドライバーやすい氏「どうする?小林君がいいなら、この店でもいいよ。」と言うので、もう歩くのも疲れたので、そのまま中華料理店へと入りました。

メニューが定食メインだったので、定食と餃子と瓶ビールを注文。手酌でビールを飲みつつ、ささやかに「前夜祭」をしました。


ラリー本番の9月24日日曜日。サービスパーク会場は高島市内の今津総合運動公園。自分たちのサービススペースの設営をします。


開会式では、昨年に引き続き、車好きを熱弁する高島市長のあいさつを拝聴いたしました(笑)。

ドライバーズミーティングでは、最近強く注意喚起されている移動区間での速度制限順守・騒音防止について周知がありました。特に速度制限については、トラッキングアプリで監視していること、移動区間の国道で40km/h規制の箇所があり、取り締まりが予定されていることが強調されました。

今回はスタート地点でセレモニアルスタートを実施。毎回、本当に大勢の人たちが沿道に並んで応援していて、ありがたい限りです。こちらも応えるように手を振りまくっています(笑)。


さて、今回のSSコースの内容は、
SS1・4「MISAKA」:0.82km。今回新たに設定されたSS。旧国道の峠道で舗装路。後半が幅広い高速コースになります。
SS2・5「VILLAGEDEST」:3.29km。今回新たに設定されたSSで、昨年は逆方向でリエゾン(移動区間)として使われていた上りの屈曲路。
SS3・6「STADIUM」:0.22km。今回新たに設定されたSS。昨年は今津総合運動公園駐車場でのジムカーナコースでしたが、今年は公園の外周路の一部を使用したショートコースとなりました。
SS距離の合計は8.60kmとなります。

それでは走行タイムと簡単なラリーの内容について。今回、私たちの参戦するE-4クラスは13台。そのうちGRヤリスが7台、GR86が2台となっていて、まずこの時点で上位進出は極めて厳しいものとなっています…。

SS1:0分41秒8(70.6km/h)。クラス11位。
「E-4」のトップから7.1秒差。
ルート後半の全開区間にあるクレスト(上り坂の頂点のこと。)で、ドライバーやすい氏「怖くてアクセル少し戻した…。」とのこと。

ペースノートでは、「100(m) クレスト左6下り から 右6 100」とある区間。ブラインドとなるクレストからすぐに全開の左コーナーの後、またすぐに右の全開コーナーという高速スラロームです。


SS2:3分06秒3(63.5km/h)。クラス11位。
「E-4」のトップから20.0秒差。
TGRラリーでよく登場する、道幅が狭く・上り坂で・コーナーがひたすら連続するコース。ペースノートには、連続するコーナーを読み間違えないように、自分用の書き込みもしてあります。(×2)とか(右2のロングコーナー)というのがそうです。


コーナーがひたすら連続するコースというのは、ドライバーにとってはリズムに乗って走ることができれば楽しいコースだそうですが(それは私もよくわかります。)、私のようなへっぽこコドライバーからすると、読み間違いとか、最悪どの地点を走っていたのかを見失ってしまうこともあるで、より緊張を強いられます。

ちなみに、このSSでは毎度のごとく「ノートを読むのが遅い。」と言われました。合わせようとすると「遅い」、早めにしようとすると「早い」。いつまで経っても永遠の課題です…。

SS3:0分13秒1(60.4km/h)。クラス7位。
「E-4」のトップから1.2秒差。
スタートからゴールの間までに、左コーナーが一つあるだけの単調なSS。

ここまで目立ったトラブルもなくきたと思っていましたが、ドライバーやすい氏「アクセルを踏み込んだ分だけのパワーが出ていない気がする。サービスに戻ったらアクセルの調整をしてみるから、本部へ申請に行ってきて。」とのこと。

規則書に記載のない整備項目を競技中に行う場合は、整備申告書による申請と許可が必要ですが、ラリーへ参戦して初めて技術本部へ整備申告書を提出しに行きました。

ドライバーやすい氏と応援で来ていたツールボックスのスタッフさんとで調整を行ったあと、ようやく一息つきます。


午後のループに入ります。

SS4:0分39秒6(74.5km/h)。クラス11位。
「E-4」のトップから5.1秒差。
SS1から2.2秒短縮。
タイムアップしましたが、「やっぱりパワーが出ていない。」とのこと。
ちなみに、昼のサービスタイムの時に86に乗るクルーの雑談で「MISAKA」のSSで「180km/h以上出た。」という話が聞こえてきたので、SS後半の高速区間でスピードメーターを横目でチラッと見たところ、150km/h以上出ていたのは確認しました。

SS5:3分03秒2(64.6km/h)。クラス9位。
「E-4」のトップから18.2秒差。
SS2から3.1秒短縮。
道路の真ん中にフロントバンパーが落ちていて、二人揃って驚く(笑)。前走車の誰かがぶつけて落としたのだと思いますが、SSスタートでは情報提供は無かったなぁ。そして、ゴール後は「やっぱりノートを読むのが遅いなぁ…。」とのご意見が…。

さて、SSフィニッシュ後、リエゾン区間へ入っていくと、101号車が路肩に停まっていました。どうやらバンパーを落としたのは101号車だったようで、車のチェックをしているようです。

あちらは101号車で、私たちは111号車。次のタイムコントロールでのチェックインの時刻は101号車の方が10分早いため、追い抜かずに後ろで停車して、しばらく様子を見ていたところ、「先に行ってくれ。」と合図を出されたので先行していったら、程なくしてすぐ真後ろに付けてくるじゃないですか(笑)。

このリエゾン区間、道幅が狭くて譲ることができる場所がほとんどありません。「タイムアウトになるかもしれない!」と、猛然と追い立てられても、譲ることができる場所がないんです…。どうして私たちを先行させたんですか…。

「もうここしかない!」という鋭角の交差点で大回りして、何とか抜いてもらいました。そして、101号車はあっという間に見えなくなりました。

ラリー終了後、車両保管所の前で「ありがとうございました。おかげで間に合いました(笑)。」とお礼を言われましたけどね。

SS6前のTCにて。


SS6:0分13秒0(60.9km/h)。クラス6位。
「E-4」のトップから0.7秒差。
SS2から0.1秒短縮。

最終結果は、トータルタイム7分57秒0、クラス11位・総合28位でした。


今回は4か月ぶりのラリーでしたが、ドライバーやすい氏としてはエンジンパワーの不調で不満の残る結果となってしまいました。この不調が修理できるものなのか、車そのものの経年劣化などで修理不能なものなのか。

「原因を突き止めて不調が改善できないなら、ラリーはお終いかなぁ。」というような事も言っていましたが、ひとまず最終戦の豊田戦は出るつもりのようです。
Posted at 2023/11/09 00:10:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | TGRラリーチャレンジ | 日記
2023年11月04日 イイね!

高山市街・安房峠へドライブしました

2023年9月17日日曜日、母・姉・弟・私の家族4人で高山市街と安房峠へドライブしてきました。元々は弟が「安房峠へ行こう。」と誘ってきて、「せっかく行くなら、高山でちょっと観光でもしようか。」ということで、高山市街にも立ち寄ることにしました。

当日は朝5時に自宅を出発。東海北陸道 美濃加茂ICで高速道路を下りて、そこからは国道41号で高山市街を目指しました。

9時過ぎに高山陣屋へ到着。高山観光でどこへ行こうかと考えて、「取りあえずはここかな。」と思いついたのが高山陣屋だったわけです。


高山陣屋は、元禄5年(1692年)に飛騨高山藩主だった金森氏が国替えとなって、飛騨国が幕府直轄領となったことに伴い、江戸幕府が飛騨国支配のために設置した役所です。

金森氏は織田・豊臣政権の頃から飛騨国の領主でした。その金森氏を江戸幕府が国替えさせて直轄領とした明確な理由は不明ですが、飛騨国の豊富な山林資源や鉱山資源を手に入れるためだと言われています。

高山陣屋は全国で唯一、江戸時代の主要建物群が現存している陣屋施設だそうです。
















こちらは「御蔵」。年貢米を収納する蔵として利用されたそうで、元禄8年(1695年)に高山城から移築されたそうです。高山城に建てられた時期は慶長年間(1600年前後)と考えられ、現存する江戸時代の米蔵として最古・最大級を誇ります。




この「御蔵」の中に展示されていた飛騨国の歴代の代官・郡代の説明文の中に、「大原騒動」というものがありました。今まで全然知りませんでしたが、なかなかに酷い内容で、少々書き出してみます。

この「騒動」のきっかけとなった大原氏は、親子二代で飛騨国の代官・郡代を補任していました。

代官として着任した大原(親)は、飛騨国内で苛烈な山林政策、検地・年貢政策を断行。地域の総代や名主、百姓中らが改善のためにたびたび江戸方へ直訴に及んだり、百姓一揆を勃発させる事態になったそうです。

それでも、大原(親)は直轄地内の石高加増の功績を評価され、代官から郡代へと昇進しています。

苛烈な政策を実行した親も大概ですが、その親の功績により郡代を世襲した大原(子)は、それはまあ時代劇に出てくるような悪役人で(笑)、年貢の過納金を返却せず私する、天明の大飢饉のために免除となった分の年貢を私する、飛騨国内の村々へ6,000両の借金を強要する、江戸幕府が天明の大飢饉に対する措置として飛騨国へ下付した1,600両の金銭を私する、などなど悪行三昧。

最後は八丈島へ流罪となり、親子二代、18年間に及ぶ飛騨国内の騒動はようやく落ち着いたそうです。

高山陣屋を見物した後は、古い街並みを散策しました。




その後は、本来の目的地である岐阜・長野県境の国道158号 安房峠へ。


平湯温泉郷から安房峠へと向かいましたが、温泉郷から「あかんだな」駐車場への分岐点まではガチガチの渋滞にはまってしまい難儀しました。駐車場が上高地観光へ向かうための乗り換え場所であるからでしょう。

こちらは峠に祀られているお地蔵様。光背に「昭和十三年 道路竣成」と彫られています。安房峠に自動車道が開通したのは昭和13年(1938年)のこと。これを記念して祀られたものなのでしょう。


安房峠から眺めた穂高連峰。雲が出てきていたので心配でしたが、何とか見ることができました。


この後は長野県側へと下り、奈川渡ダムから長野県道26号へと入り、木祖村から国道19号で帰路につきました。
Posted at 2023/11/04 15:08:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

プロフィール

「旧倉吉線廃線跡と倉吉白壁土蔵群を訪れました http://cvw.jp/b/1796277/48784301/
何シテル?   11/24 21:37
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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