本日ついにアナログ放送が(被災3県を除き)停波した。
私の住むマンションはケーブルテレビ(CNC)なので、当面はデジアナ変換での再送信が受けられるが、千葉であるせいかtvk(テレビ神奈川)だけはアナログのまま再送信していた。そのため、本日正午からブルースクリーンとなった。
どーでもいいショップチャンネルとかはあいかわらず映っているが。
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近いうちに、まとめたことを書きたいと思っていながらなかなか果たせないでいるが、科学についてひとこと。
科学は間違いやミスを含んでいる可能性があるが、それは他の研究によって徐々に排除されてより正しさがましていくもの。
宗教やニセ科学は絶対に曲げることができない宗教上の教義なり目的なり信念があり、目先を変えたとしても主張の中身は絶対に変わることがないもの。
科学は方法論であり、その方法論によって得られた知見が蓄積していくもの。間違っても知識そのものを科学などと考えてはいけない。
知っているか知っていないかではなく、正しいものの考え方ができるかできないかである。
はじめての事態に、どう考えればそれに対処していけるか調べたり考えるというのが科学的な態度で、誰を信じればいいかを考えるのは科学とは無関係な態度である。
科学的態度を持っていれば、あらゆる手段を駆使する。玉石混淆のネットからも正しい玉を選び出せる。そもそも科学人はかなり早い段階からインターネットを情報共有手段として活用してきた。一般の我々でもアクセス可能であるものも多い。
与えられた知識や権威に頼って生きてきた人間には残念ながらそういうことができない。属性は社会的保証を与えることがあるが本当の能力とは関係が薄いことが多い。
18歳までの成績で人生のお墨付きを与えるシステムは、その後の人間の知識や能力を保証しない。そこを勘違いした人間は、自分で選び分析することができず与えられた知識や権威にしか頼れないことが往々にしてある。
(当然ながら、学歴が低いことを肯定するものではない。学歴とは関係なく、能力を高める努力をしてきたものが評価されるべき。)
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反原発を主張する人たちも多様であるが、目的のためには嘘や大げさな表現をいとわない人たちがいる。原発をなくすこと(あるいはそう主張することで信頼なり何らかの対価を得ること)を目的として、それが正しいならば何をしてもかまわないというようにみえる。そういう人たちは正しいこともいうがおかしげなことも言う。
そういう人たちのいうことを聞いていて、これは一種の宗教だと思う。
宗教は信念の一種なので、簡単に曲げることはないだろう。絶対的な信念は変わらず、目的が正しいならば、それに至る過程は肯定されるべきだと考えているし、それに反するものを批判・否定し排除しようとする。都合のいいものは絶対的に肯定し賞賛する。
原発の被害を針小棒大に訴えることで支持を受け、目的に達しようとするか、あるいは信念の正しさの確信を得ようとする。
だから、現状に問題がない、あるいはあまり問題がないなどという安全情報は正しかろうが邪魔なだけなので、それを否定しようとする。悪魔の手先のような扱いすらする。
現状がいかに嘘と陰謀に満ちあふれているかを受け入れ主張する者こそが正しいと思っている。
なかなか恐ろしい状況ができあがっている
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情報の受け手の方も、わからないことには常に疑念がつきまとい、特に大企業や政府、マスコミに対する根源的な不信感があるところにミスや情報隠しをしたので信用されにくい。
事実が見えにくい状況があり、今回はごく一部の専門家だけの領域であったため、情報を伝えるべき側がまったくわからないまま正しい情報を出せなかったことがいっそうの不信感を高めた。
一方、ネットなり人的ネットワークによる「裏情報」なるものに求められるものは、表には出てこないと考えられる情報であって、それは多く「嘘に隠された真実」「陰謀論」として求められる。
だから、そうしたものをわかりやすく吹聴する煽動者が出てくる。
科学的態度を持っている人間なら、「裏情報」など求めるわけがない。科学的に証明された事実に基づいて考える。それにあわないことがあれば原因を徹底的に探ろうとする。
裏情報を無批判に受け入れるか、あくまで自分で考え続けるか。
この差は大きい。
科学リテラシーはできる限り多くの人が持つことを期待するが、すくなくとも日本の教育制度では科学的態度を養う教育はほとんど行われていないし、理系の出身者であったからといってからずしも身につけているものではない。中には学歴や所属でしか判断できない非科学的な態度を持つものもいる。
科学的思考と知識、科学リテラシーを身につけてこなかった人が、何が正しいかを見分けるのは容易ではない。
ただ、「人」に依存した判断は避けるべきだとは言っておきたい。
○○が言うことだから信じると言った思考停止は、決定的に間違える可能性を含んでいる。
科学的コミュニティーの中なら、科学的判断に基づいて間違いがあれば否定されるが、それ以外では間違いであっても信念であってそれを間違いと認めることはなかなかないからだ。
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原発が事故を起こしたのは運用の問題であって、科学の問題ではない。原発を利用しようとしたのは政治である。しかし、科学的知見に基づく技術であるために科学を否定するような言論がなされることがあるのはまるで問題を取り違えている。
科学的態度がなければ問題を乗り越えることができない。状況を把握し、問題を解決するには科学の知見と考え方がなくてはならない。
ここはとても重要な点だから強調しておきたい。
科学的態度がなければ問題を分析し乗り越えることができない。
大切なことなので二度書いてみた。
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Posted at
2011/07/24 14:57:18