
世間はシルバーウィークだが、私はこの時期、お勉強していることが多い。
毎年参加しているのが「京都大学霊長類研究所 東京公開講座」。税金で運営される独立行政法人の説明責任の一環として行われているのだが、霊長類研の研究者が先端の研究成果を(なるべくわかりやすく)話してくれる。
そして、年2回程度行われている「自然科学研究機構シンポジウム」にも今のところ毎回行っている。こちらは立花隆プロデュースで、その時々のテーマに沿って、生物学・天文学・物理学・化学の最先端の研究者がその研究内容を(なるべくわかりやすく)話してくれる。
プレゼンターである研究者の個性によって、どの程度かみ砕けるかも違うし、研究テーマがそもそもかみ砕きようがないこともある。全般的には一般人である聴衆にはかなり消化不良気味になる。しかし、それでも最先端の研究の一端に触れる機会をもてるだけでもよい機会と言えるだろう。
偶然、今回は霊長類研所長の松沢哲郎先生が両方でお話しをされていた。私が尊敬する研究者のお一人である。
ちょっとした面白い話を聞かせて頂いた。チンパンジーとヒトの世界のとらえ方の違いだ。
ヒトは絶望するがチンパンジーは絶望しないという。
松沢先生はチンパンジーの「アイ」での学習や発達研究でよく知られている。テレビなどでご覧になった方も多いことだろう。そのアイの息子、アユムだが、画面に表示される一瞬見ただけの9個の数字を記憶し、順番にその位置を示すことができる。ヒトの能力をはるかに上回る(霊長類研のHPにビデオクリップあり)。
一方、研究所にいたチンパンジーのレオが半身不随になり、研究所のスタッフがボランティアで24時間介護をしていた。その間レオは全くめげた様子がなかったという。
ヒトであればそのような境遇にあれば将来を考え、悲観し、絶望したりすらするだろう。だが、チンパンジーはそんな様子がまったくない。痛みを感じ、不自由な体であってもなにも変わらないのだという。
「顔の輪郭だけの絵を見て、チンパンジーはなぞるだけで欠けているものを補う行動はしないが、ヒトの赤ん坊は欠けているものを想像し補おうとする」例も示しながら、「チンパンジーは、見えているものだけを見る。ヒトはそこにないものを考える」という。「今」のことだけを見ているから、その分「非常に高い一瞬の記憶力を持つ」が、ヒトはそこにないことへも思いをめぐらすチンパンジーにはない能力を持つというのだ。ヒトとチンパンジーは遺伝子の98%以上を共有し、共通性の多い極めて近縁の種だが、脳の発達から来た違いがそこにある。
「想像する」「未来を考える」というのはヒト特有の機能であるらしい。
確かに、うちのインコも、何かの時に不注意で痛みを味わわせてしまってもケロリとしている。嫌われてしまったかと思うような時でも、そんなことなどなかったかのようだ。インコ同士で噛んだりしても相手を怒ったり怨むこともない。
ヒトなら、相手についてなんらかの感情の動きがあり、態度を変えたりするものだが。一度のことで関係が壊れることもしばしばだ。
以前テレビ番組で後足を交通事故で失ったイヌが下半身に車輪をつけて元気にしていて、まわりのイヌもごく普通に接している。これをみたある人物はは「イヌは仲間を差別することがない。ヒトは差別的な動物だ」と言っていたが、これには違和感を感じていた。これも「イヌは目の前のものしか認識しておらず、過去からの変化などは考えていない。」ことが主な理由だろう。まわりのイヌは車輪が付いていることに気づいていないかも知れない。臭いで個体識別しているだけだろう。
ヒトとは複雑な感情を持ち、発達させた前頭葉による働きで「想像」し「創造」も行う独特な存在なのだなあと改めて思った。
Posted at 2009/09/23 22:42:45 | |
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