福島の放射線被害をめぐっては、一般の人や作家、ジャーナリスト、サイエンティストなどを含め、2つの勢力が対立してきた。
一つは、放射線の影響を過大に評価し、福島を含め日本中が汚染されており、食品などの汚染もひどいが、国はそれを隠し、安全だというデマを吹聴しているという類のもの。基本的に事実に基づかない(事実を事実として認めない)陰謀論者によるものだ。反原発の過激な主張をする者が多い。
サイエンティストなど、現状に危険性は低いなどとするものに対して御用学者などとレッテルを貼り、攻撃をしてきた。
また、過剰な被害を訴え危機意識を煽り、著作の印税、ラジオやテレビ等の出演料、家庭用ガイガーカウンターの監修などで利益を得るものもいた。
もう一つは、科学的データやアンケート調査、社会調査などのデータを元に「正しい現状」を主張する者たちだ。サイエンティストや教育家をふくめて良識的な主張が多いように感じられる。良識派とでも呼んでおこう。しかし、この主張はやればやるほど反原発勢力の攻撃を受ける。
これが震災直後から見られた構図であった。
単純な一時の利益を求めていたものは既に撤退しているように思える。残っているのは過激な反原発派で、信念でやっているので説得は通じない。
実際に御用学者と言うべき主張をしていたものはいる。しかし、それとは別に、データや科学的知見を元にしたサイエンスの良識派たちは、安全デマだ、御用学者云々と攻撃を受けながらも地道に調査や啓蒙活動をしてきた。
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しかし、先日気付いたのは、科学者でも何でも無い、まったくちがう立場の人たちが良識派の中に紛れ込んでいることだ。
「福島発の真実」として現状とするものを情報発信している人たちが、そこから利益を得ているのだ。
先日の開沼寛という社会学の研究者(福島大 臨時研究員)の、自らの著作の紹介を兼ねた記事を見て、そのことを確信した。
追記:
これは言いすぎかも知れないが、少なくとも学者の立場で出すものとしては内容がよくない。知りあいの元ジャーナリストからすると、原稿料がもらえるレベルではないと一蹴するレベル。
追記終わり
本は読んでいないが、Web記事(週刊新潮の記事らしい)を読む限り、社会統計データから福島がかなり回復していると読ませるものである。
しかし、データの分析は一切しない。何故数字が改善したのか、今後の可能性はどうなのかには一切言及しない。無邪気によい数字を見せて、「福島は回復しているんだよ、これが真実なんだよ」と言っているだけのものだった。
他のテーマでこんなものを出したらまず相手にされないだろう。学生のレポートなら分析のない生データの提示だけでは及第点はもらえまい。おそらくデータの追加と分析を要求される。
しかし、福島問題であるからこそ、「明るい福島像」は一般の福島支援者に好意的に受け取られる。
これは意図を持った一種の安全デマと言っていいだろう。データからは本当にそうかどうか言えないのだから。
彼らはサイエンティストなどの良識的な活動勢力と仲良くしているらしい。互いによく知った間柄になっているようだ。
Yahooの記事(新潮の記事)できになったのは、社会統計データを見せることが、サイエンスの人たちが積み重ねている科学的なデータの集積や分析と同等だと誤認させているように見えることである。
データを見れば確かによい数字が増えたが、社会統計はトレンドでものを言い、短期の増減にはとらわれないようにするが常識だ。政権や政権の意向を受けたマスコミなどがわずかな上昇を政策の成果として誇るが、あれは単なる宣伝、パフォーマンスに過ぎない。
取り上げられたデータはあきらかに一時的な変化としかとらえられないものばかりで、本来であればそれだけでは何も引き出せない。
「数字がよくなりましたね。でもこれはただの反動ですね。その後はどうなるか注意しないといけないし、ここで一時の数字の良さに安心しては、むしろ状況を悪化させかねませんね。治りかけが肝心です。お大事に。」
社会統計を扱うなら、本来、補足データを踏まえ、詳細な分析が伴うべきものである。しかし分析をすれば一見よい数字が仮のものでしかない可能性を指摘しなくてはならなくなり、「明るい福島像」の提示ができなくなる。
データをならべあたかも科学的なフリをしているが、裏付けの独自調査を行うわけでもなく、統計データに対する論理的な考察などもない。単純に数字だけを見せ、イメージを植え付けることに徹している。
これは「明るく見せる」ことを目的にしているようにしか見えない。
書籍の方には少しは分析があるのだろうか。しかし分析を加えれば一時の変化でしかなく将来を考えるには材料が大幅に不足していること、受けたインパクトに対する数字の増減が統計的なアヤであることを述べざるを得なくなる。詳細に分析をしているならばあの記事自体が著作を踏まえない都合のいいことばかりを並べた宣伝記事になってしまう。しかし、書籍の方でも詳細に分析を行っているとは考えがたい。
反原発派の言う安全デマとは、捏造データを元に放射線の影響はないと主張するもののことを言う。しかし、これはそれとは異なる形で、あたかも福島の正しい姿を伝えているという様態を取りながら分析のない生データを垂れ流し、そこから本来引き出すことができない安全・回復をイメージ付け、しかも自らの利益を伴う形で広めている。
内容を検討すれば、そこかしこに似非科学のような恣意的なイメージ操作がある。都合のいい生データだけを提示し、データがあれば科学的と思い込ませるような、研究者とは思いがたい姑息な方法をとっている。
要するに、サイエンスの人たちが反原発勢力の攻撃を受けながらもデータを元に頑張ってやってきたことを、「データで見る」とすることで、ちゃっかりその手法のイメージだけを利用しているのだ。
サイエンスの人たちは社会学は門外漢なので、その方面の研究者である以上当然正しい処理がなされているものを単純に思い込んでいるように見える。
こんな形で、新しい形の安全デマが振りまかれるようになっているらしい。
背景分析の伴わない社会統計など無意味だ。それをあえてやる目的は、福島に好意的な人たちに認められやすい「福島の真実」という虚像を広報することで支持を大きくすること、それによって名を売り、印税を稼ぐこと、次の職を得るための実績とすることなのだろう。
こんな似非科学の手法が通用するのなら、社会学の領域はそう言う世界なのだろう。
追記:
学者・研究者であるだけに厳しくみている。
これだけデータの取り扱い方に疑問があるものが、極めて好意的に紹介されていることに、一種の危機感を抱いたのが本稿の執筆理由である。少々厳しめの表現もさせて頂いた。
本人がどのように意図されているのかは分からないが、分析のない社会統計データは、少なくとも読み手に誤解を与える可能性が高いし、その可能性を考えていないのならそれはそれで問題。
これがごく一般の市民から出てきたのであれば、それはそれとして微笑ましい【頑張っています】というアピールとして見られるのだけれど。
学者という立場で出しているので、データの扱い方についてそれなりの批判は覚悟しているものだと考えたいが、そうではないのだろうか。
論点は下にまとまっている。
https://minkara.carview.co.jp/userid/441462/blog/37189320/
追記:2016/10/27
上記記事にも追記したが、そもそも日本の社会学というのが、データを恣意的に扱い、事実を歪めて自分の「論」と称するものに都合よく話を組み立て耳目を集めるエンターテインメントに過ぎないということが分かった。こんなものは似非学問に過ぎない。
道理で、似非科学手法だらけな訳である。これにころりとだまされる一部の似非科学批判の人たちは、つける薬がない。