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Yuh_Fazioliのブログ一覧

2016年01月28日 イイね!

無際限のファントム・ワールドと夢で見た本当の家族


 先ほど、深夜アニメ

無彩限のファントム・ワールド 第4話「模造家族」


を見た。

 このアニメは、本来見えなかったはずのファントムというこの世のものならざる存在が見えるようになってしまった世界のお話。

21世紀初め、遺伝子組み換え施設を襲った爆破テロにより特殊なウイルスが流出する事件が発生。その結果、人の脳構造が突然変異し、『ファントム』と呼ばれる幽霊や妖怪を認識できるようになった、そして子供たちの中には、ファントムに対抗できる特殊な力を持つ能力者も現れた。
Wikipedia より引用


 その第4話は、家庭に問題のある女子が、ファントムに魅入られて別の世界に理想の家族を持ってしまうと言うもの。

 ググれば、動画が見つかるだろう。


 見ていて、なんか妙な郷愁というか、不思議な感覚に襲われた。

 このエピソードのように、自分は子供の頃、現実とは違う「本当の家族」に夢で出会ったことがあるのだ。

 細かいことはほとんど覚えていないが、優しく暖かい家族に接して、なんとも言えない幸せな気持ちを感じた記憶がある。これが本当の家族なんだと思った。

 時折近所の友達の、とても仲良く暖かい家族の中で過ごした頃だったような気もする。

 多分、現実を打ち消したい想いが作り出した夢だったのだろうけれど。

 そんなかつて見た夢に似たお話しだなと思った。


 **

 自分は、夢で現実の場所、現実の事物をみることはきわめてレアだ。過去の想い出を夢で見ることもない。人によっては子供時代の夢とか、テストや受験で苦しんだ夢とかを見るというのだが、あまりそうした夢は見たことがない。

 夢で会う人もほとんどが初めて会った人だ。

 そう言う夢で会った人に、とても温かい気持ちを感じたらしいことが何度かある。それは大人になってもだ。
 いつもはっきりとは覚えていないのだが、とても幸せな気持ちで目覚めたことが何度かあり、なんとなく誰かの記憶が残っているのだ。

 強烈に記憶として残ったこともある。
 子供の頃、ものすごくリアルな夢(現実に近い場所が舞台)の中で、ある少女と出会い、一日一緒に出かけて過ごし、夢の中でその少女に恋をした。

 夢から覚め、夢であったことが分かるとなんとかにもう一度寝て夢の続きを見ようと思ったが果たせず。その夢の中の一連の出来事をメモに残し、忘れまいとした。小学校1~2年生ぐらいのことだったと思う。

 今考えれば、その少女には自分の親しかった何人かの女の子の要素の合成があったように思われるので、自分が作り出した少女だったのだろうとは思う。
 ただ、ごく普通の少女なのに、妖精のように感じて、一緒にいてとても幸せだった。

 **

 もしかしたら、この世界とは別の世界があって、そちらが本来の世界なのではないか。夢で出会うとても暖かい人々が、本当の自分をとりまく人々なのではないか。

 なんかそんなことを考えた子供時代のことも思い出した。

 もしそうだったら、本当の幸せが向こう側に待っているのかも知れない。

 もしかしたら、私を励ましに、夢に出てきてくれているのかも知れない。

 




 
2016年01月26日 イイね!

今日の昼飯は値段の割りにうまかった


 いつも、隣の敷地にある同じ学園の大学食堂に行って昼飯を食べている。

 学食にしては量はいまいちで値段もそれほど安くはないが、輸入物価上昇で外食はことごとく値上がりしたし、近所に外食できるところがないし、暖かいものが食べられるので重宝している。

 今日は「父母会協賛」とかで、学生の親の組織が補助をして、普段より少しいい中身の食事を出していた。

 今回は三元豚のカツで、揚げたてでとても美味しかった。ロールケーキもついて450円はお得。

 同様の企画で、カレーライスが少し安くなったりすることもある。

 揚げ物は普段は冷めかけたものばかりだし、カツ丼のカツなど集成肉のようだし。

 いつもと比べると随分まともだった。


 それにしても、最初は大学に「父母会」なるものがあること自体にたまげたが。

Posted at 2016/01/26 04:55:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ひとりごと | 日記
2016年01月25日 イイね!

今回の寒波は記録的だった


 西日本に訪れた強い寒波の影響は強烈だった。

 何しろ、沖縄本島に観測史上初の降雪(みぞれ)を観測したのだ。

 奄美大島は115年ぶり2回目。
 久米島は39年ぶりという2回目。

 沖縄と言えば亜熱帯。


 台湾でも雪でハイになっているし。

 
http://www.taiwannohannou.com/archives/53303934.html
より


 今回の寒波は北上してしまうので、しばらくは再度の大雪にはならなさそう。

 いずれ関東・東日本でも大雪の機会があるのかも。

Posted at 2016/01/25 22:19:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 気象 | 日記
2016年01月24日 イイね!

福島問題における新しい形の安全デマ


 福島の放射線被害をめぐっては、一般の人や作家、ジャーナリスト、サイエンティストなどを含め、2つの勢力が対立してきた。

 一つは、放射線の影響を過大に評価し、福島を含め日本中が汚染されており、食品などの汚染もひどいが、国はそれを隠し、安全だというデマを吹聴しているという類のもの。基本的に事実に基づかない(事実を事実として認めない)陰謀論者によるものだ。反原発の過激な主張をする者が多い。
 サイエンティストなど、現状に危険性は低いなどとするものに対して御用学者などとレッテルを貼り、攻撃をしてきた。
 また、過剰な被害を訴え危機意識を煽り、著作の印税、ラジオやテレビ等の出演料、家庭用ガイガーカウンターの監修などで利益を得るものもいた。


 もう一つは、科学的データやアンケート調査、社会調査などのデータを元に「正しい現状」を主張する者たちだ。サイエンティストや教育家をふくめて良識的な主張が多いように感じられる。良識派とでも呼んでおこう。しかし、この主張はやればやるほど反原発勢力の攻撃を受ける。


 これが震災直後から見られた構図であった。


 単純な一時の利益を求めていたものは既に撤退しているように思える。残っているのは過激な反原発派で、信念でやっているので説得は通じない。


 実際に御用学者と言うべき主張をしていたものはいる。しかし、それとは別に、データや科学的知見を元にしたサイエンスの良識派たちは、安全デマだ、御用学者云々と攻撃を受けながらも地道に調査や啓蒙活動をしてきた。

 **

 しかし、先日気付いたのは、科学者でも何でも無い、まったくちがう立場の人たちが良識派の中に紛れ込んでいることだ。
 「福島発の真実」として現状とするものを情報発信している人たちが、そこから利益を得ているのだ。

 先日の開沼寛という社会学の研究者(福島大 臨時研究員)の、自らの著作の紹介を兼ねた記事を見て、そのことを確信した。
追記:
 これは言いすぎかも知れないが、少なくとも学者の立場で出すものとしては内容がよくない。知りあいの元ジャーナリストからすると、原稿料がもらえるレベルではないと一蹴するレベル。
追記終わり


 本は読んでいないが、Web記事(週刊新潮の記事らしい)を読む限り、社会統計データから福島がかなり回復していると読ませるものである。
 しかし、データの分析は一切しない。何故数字が改善したのか、今後の可能性はどうなのかには一切言及しない。無邪気によい数字を見せて、「福島は回復しているんだよ、これが真実なんだよ」と言っているだけのものだった。

 他のテーマでこんなものを出したらまず相手にされないだろう。学生のレポートなら分析のない生データの提示だけでは及第点はもらえまい。おそらくデータの追加と分析を要求される。

 しかし、福島問題であるからこそ、「明るい福島像」は一般の福島支援者に好意的に受け取られる。
 これは意図を持った一種の安全デマと言っていいだろう。データからは本当にそうかどうか言えないのだから。

 彼らはサイエンティストなどの良識的な活動勢力と仲良くしているらしい。互いによく知った間柄になっているようだ。

 Yahooの記事(新潮の記事)できになったのは、社会統計データを見せることが、サイエンスの人たちが積み重ねている科学的なデータの集積や分析と同等だと誤認させているように見えることである。

 データを見れば確かによい数字が増えたが、社会統計はトレンドでものを言い、短期の増減にはとらわれないようにするが常識だ。政権や政権の意向を受けたマスコミなどがわずかな上昇を政策の成果として誇るが、あれは単なる宣伝、パフォーマンスに過ぎない。

 取り上げられたデータはあきらかに一時的な変化としかとらえられないものばかりで、本来であればそれだけでは何も引き出せない。

「数字がよくなりましたね。でもこれはただの反動ですね。その後はどうなるか注意しないといけないし、ここで一時の数字の良さに安心しては、むしろ状況を悪化させかねませんね。治りかけが肝心です。お大事に。」

 社会統計を扱うなら、本来、補足データを踏まえ、詳細な分析が伴うべきものである。しかし分析をすれば一見よい数字が仮のものでしかない可能性を指摘しなくてはならなくなり、「明るい福島像」の提示ができなくなる。

 データをならべあたかも科学的なフリをしているが、裏付けの独自調査を行うわけでもなく、統計データに対する論理的な考察などもない。単純に数字だけを見せ、イメージを植え付けることに徹している。

 これは「明るく見せる」ことを目的にしているようにしか見えない。

 書籍の方には少しは分析があるのだろうか。しかし分析を加えれば一時の変化でしかなく将来を考えるには材料が大幅に不足していること、受けたインパクトに対する数字の増減が統計的なアヤであることを述べざるを得なくなる。詳細に分析をしているならばあの記事自体が著作を踏まえない都合のいいことばかりを並べた宣伝記事になってしまう。しかし、書籍の方でも詳細に分析を行っているとは考えがたい。

 反原発派の言う安全デマとは、捏造データを元に放射線の影響はないと主張するもののことを言う。しかし、これはそれとは異なる形で、あたかも福島の正しい姿を伝えているという様態を取りながら分析のない生データを垂れ流し、そこから本来引き出すことができない安全・回復をイメージ付け、しかも自らの利益を伴う形で広めている。

 内容を検討すれば、そこかしこに似非科学のような恣意的なイメージ操作がある。都合のいい生データだけを提示し、データがあれば科学的と思い込ませるような、研究者とは思いがたい姑息な方法をとっている。

 要するに、サイエンスの人たちが反原発勢力の攻撃を受けながらもデータを元に頑張ってやってきたことを、「データで見る」とすることで、ちゃっかりその手法のイメージだけを利用しているのだ。
 サイエンスの人たちは社会学は門外漢なので、その方面の研究者である以上当然正しい処理がなされているものを単純に思い込んでいるように見える。


 こんな形で、新しい形の安全デマが振りまかれるようになっているらしい。


 背景分析の伴わない社会統計など無意味だ。それをあえてやる目的は、福島に好意的な人たちに認められやすい「福島の真実」という虚像を広報することで支持を大きくすること、それによって名を売り、印税を稼ぐこと、次の職を得るための実績とすることなのだろう。

 こんな似非科学の手法が通用するのなら、社会学の領域はそう言う世界なのだろう。
 

追記:

 学者・研究者であるだけに厳しくみている。
 これだけデータの取り扱い方に疑問があるものが、極めて好意的に紹介されていることに、一種の危機感を抱いたのが本稿の執筆理由である。少々厳しめの表現もさせて頂いた。

 本人がどのように意図されているのかは分からないが、分析のない社会統計データは、少なくとも読み手に誤解を与える可能性が高いし、その可能性を考えていないのならそれはそれで問題。
 これがごく一般の市民から出てきたのであれば、それはそれとして微笑ましい【頑張っています】というアピールとして見られるのだけれど。
 学者という立場で出しているので、データの扱い方についてそれなりの批判は覚悟しているものだと考えたいが、そうではないのだろうか。

 論点は下にまとまっている。

https://minkara.carview.co.jp/userid/441462/blog/37189320/


追記:2016/10/27
 上記記事にも追記したが、そもそも日本の社会学というのが、データを恣意的に扱い、事実を歪めて自分の「論」と称するものに都合よく話を組み立て耳目を集めるエンターテインメントに過ぎないということが分かった。こんなものは似非学問に過ぎない。
 道理で、似非科学手法だらけな訳である。これにころりとだまされる一部の似非科学批判の人たちは、つける薬がない。


Posted at 2016/01/24 12:59:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 震災関連 | 日記
2016年01月24日 イイね!

【トヨタディーラー】ナビが古いので更新できません


 実家はしばらく前に中古のプログレを買った。後期型でトヨタらしい高級車の演出に溢れたよくできた車である。サイズが手頃で住宅街の中でも扱いやすい。

 父親がディーラーに行ってナビの地図更新について尋ねたという。しかし、

「車が古いので、多分更新できませんよ」

と言われたとか。

 本当にできないのかと相談されたのだ。


 おいおい、プログレ後期モデルは2007年まで販売していたんだぞ。実家のも最終年式。天下のトヨタ車のナビが10年経っていないのに更新ができないなんてあり得んだろ。

 ネットでググってみると、実家と全く同じモデルで更新DVDを購入したという話が出てきた。そのうちの一つは昨年12月、つまり1ヶ月経っていなかった。

 プログレはコンセプトが受け入れられずトヨタとしては不人気車で、10年間作り続けられた。しかし改良は続けられ、装備は充実した。

 後期モデルのナビはその当時の最新のタイプに変更されている。

 商品知識がなく、調べもせず無責任なことを平気で言うディーラーの人間に呆れる。


 もっとも、父親もいい加減な人なので、このやり取りが正確かどうかも分からないのだが。


 **

 以下はかなり個人的な話。読み飛ばしていただいて一向に構わない。

 相談を受けてその場で車のマニュアルやらネット情報やらといろいろと調べ、ごく最近の実例もあるので更新はできるはずだと価格も含めて父親に伝えた。

 しかし、どうでも良さそうな顔をしていた。その後父親が地図更新をした様子はない。
 更新できると伝えたときも、まるで【くだらないことを調べたな】とでも言うような馬鹿にした対応だった。

 相談までしておいて、最初から更新する気がないのか。

 相談を受け、いろいろと労力をかけて調べ上げて回答してもほとんど無視されるような対応は過去何度もある。

 **

 何をしてやってもいつもこんな調子だ。

 私にアドバイスを求めても、アドバイスを無視して結果として間違った選択をすることは珍しくない。

 重要なアドバイスをしても、私の言うことはメモすら残さない。例えメモを残させても、同じことを言うのは3度目であっても【そんなことは聞いていない。はじめて聞いた】と平気で曰う。ひどいときは【なんでそんな大事なことを言わなかったんだ】とも。

 ぼけているわけではない。この傾向は特に父親がひどいが、父親にしても母親にしても、昔から私の言うことなど最初から聞く気がない。完全に馬鹿にしてかかっている。どんなすごいことをやってのけても当たり前としか受け取らない。

 昔から、私に対する両親の対応はこんなもんだ。小さな頃から他の子どもやその親がうらやむような実績を残しても褒められたためしがない。つねに年長者や大人と比較して駄目だダメだと否定され続けた。
 
 現役入学した国立大にも旧帝大ではないと低く扱われて負い目を感じながら通い、サラリーマンの平均を充分に上回る仕事にも【(バブル期の金融機関と比較して)給与が安い】と言われ続け負い目を感じてきた。
 国立大合格時に中学の友人の母親がわざわざ訪ねてきてお祝いを言って帰ったが、母親は「なんか勘違いしているんじゃないの?」と言ってのけた。それほどまでに私の進学先を見下げていた。

 兄には節目ごとに高価なお祝い品を与えても自分には何もないような兄弟間差別も含め、ここに書けない多くの理不尽をうけながら育ってきた。自尊心を持たさないように育てられたと言っても実態として間違いない。

 実家が家を建てたとき、なぜか私の部屋にはテレビ端子がなく、兄の部屋にはテレビ端子がつけられてた。他の居室にはすべてついていた。私の部屋にだけなかったのだ。設計の段階ではそうはなっていなかった。これに気付いて抗議すると、もう一つ増やすと機器代が高くなるからだと言ったが、それは差別対応をする理由の答えにはなっていない。そもそも家全体に対して分配機の価格差などないに等しい。なにしろ数百円、せいぜい千円程度の差だ。それをケチらねばならない経済的理由はない。子ども部屋にはつけないという理由でもない(つけたからと言ってテレビがなければ何の役にも立たない)。残るは私の部屋にはつけないという意思しかない。

 兄が親と喧嘩し、怒りにまかせて自分の部屋の壁を殴り開けた穴は即座に業者を呼んで修理したが、私がたまたま足をぶつけて凹んだ部分は父親が「俺の家を傷つけやがって」と怒り狂い、石膏ボードの割れ目を手で引きはがし、大きな穴にして私の部屋中に石膏ボードの破片をまき散らした。その後その壁の大穴はポスターで隠しただけで補修されることはなかった。


 最近ではこんなこともあった。
 テレビのチャンネルをめぐって罵り合う両親のために、実家に高価なテレビ機能付き超高機能マルチディスプレイを貸したことがある。ところが、アナログ放送終了だからと、まだ終了もしていないうちに何の相談もなく労力とコストをかけてわざわざ廃棄してしまった。
 その一方で、兄が後から持ち込んだ、アナログ放送終了と共にただのゴミになる安物アナログテレビを使うわけでもなく後生大事にとっていた。

 問い詰めて曰く、どっちかを捨てるならこっちを残しておくべきだと思ったという。
 アナログ放送終了への対応なら両方廃棄という選択肢しかない。二者択一になる理由はかけらもない。

 まだ使い道があるので貸すだけだと念を押したにもかかわらず、両親共に私からもうすぐ使えなくなるゴミを押しつけられたという被害妄想を持っていた。しかし、驚くべきことに兄が持ちこんだものについてはまもなく完全なゴミになる安物にもかかわらず大切に保管しておくべき対象と考えていたのだ。

 両親が自分の子供たちをどう位置づけているのかがよく分かる事件だった。

 これでも、これから老いていく両親の面倒を、近所に住んでいる結婚もしていない低学歴で低収入な私が見なくてはいけないらしい。



 私が中学生の頃から六法全書を引いてアルバイトする方法を調べたり、大学院への進学を考えず、能力を生かせるかどうか疑問な職業でも一刻も早く経済的に自活することを望んだのは、ひとえにこの家庭環境による。




 


Posted at 2016/01/24 08:18:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 日記

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