
1.起 <AT車の進化は素晴らしい>
2.承 <納得できないクリープ現象>
3.転 <クルマを支配しているのは運転手である>
4.結 <安全は運転者の意識によってもたらされる>
<1.AT車の進化は素晴らしい>
ここ数年間のAT車の進化はめざましい。私は普段はMT車(レガシィ)に乗っているが、家のクルマ(セカンドカー)はこれまでAT車を乗り継いでおり、そのたびにATの進化を感じ取っている(ヴィヴィオGX-T → プレオRM → インプレッサWRX。正確に言うとヴィヴィオとプレオはCVT車だが、これも広義のAT車として考える)。ヴィヴィオは
電磁クラッチ式のCVT で微速発進や縁石乗り上げが苦手だったが、プレオでは
トルコン式のCVT に改められて走行性が改善された。現在使っているGDA-Cインプレッサは、これら軽自動車とは車格もATのメカニズムも異なるが、少なくとも、姉が以前乗っていた初代インプレッサ(GFの最初期型。シフトスケジュールが実情に合わず燃費が悪かった)のATに較べると、遙かに
造り込まれた ものになっている。
そうした我が家の個人的なAT事情だけでなく、広く世の中のATの動向にも目を向けると、ハード的にはギヤの多段化(5AT→6AT、7AT)を初めとして、トルコン本体の効率アップ、多板クラッチの材質向上、ATFの低フリクション化など、燃費と走行性の両立だけでなく耐久性も向上させる改良が相次いだ。制御面でもスリップロックアップ(トヨタで言うところのフレックスロックアップ)の作動領域拡大や
アダプティブ制御 ・
登降坂変速制御 (下り坂でブレーキONと同時に自動ダウンシフト、登り坂でのビジーシフト回避etc.)の採用など、日進月歩で技術の向上が図られていると感じる。
<2.納得できないクリープ現象>
さてそんな進化のめざましいAT車であるが、長年、トルコン式ATに関してどうしても納得できないことが1点だけある。それはクリープ現象だ。「クリープ現象」とは、「D(またはR)レンジのとき、アクセルを踏み込んでいなくても車両が微速前進する現象」を言う。渋滞時のノロノロ運転などでは、この現象を重宝がる人々も多いと思う。だが私の個人的な意見を述べさせていただくと、このクリープ現象には大きな疑問を抱かざるを得ない。
これは私の持論であるが、クルマというのは、運転者が「さぁ、これからクルマを動かすぞ」という
意志を持って 何らかの運転操作(例えば、アクセルの踏み込み)を加えたときに
初めて動き出すべきもの だと思っている。しかるに、AT車はD(またはR)レンジにセレクトされているというだけで、運転手がアクセルを踏み込む操作を加えていないにもかかわらず、車両自体が勝手に動こうとするのだ。これは大変
危険 なのではないか?
もちろん、セレクトレバーを「Dレンジにセレクトする」という操作自体をもって、運転手が車両を動かすという意志の現れだと捉(とら)えることもできる。だがしかし、ATというのはその名の通り「オートマチック」で、一度Dレンジにセレクトすれば、基本的にはその後のギヤチェンジが不要な乗り物である。路上で一時停止するたびごとに、あるいは交差点で赤信号待ちするたびごとに、あるいは渋滞でGO-STOPを繰り返すたびごとに、いちいちDレンジ←→Nレンジのシフト操作を繰り返すドライバーは、今やほとんどいないと言ってよいだろう。AT車は走行中はDレンジに入れたままの状態であることを前提としているのだ。
とすると「クリープ現象」は、ドライバーの「さぁ、これからクルマを動かすぞ」という意志とはまったく無関係に、クルマが勝手に動き出すという危険な状態が作り出されてしまっていることを意味する。クルマが勝手に動き出さないようにするためには、逆に、運転手の方で常にブレーキ操作を加えておかなければならないのだ。これを危険と言わずして何と言おうか。
<3.クルマを支配しているのは運転手である>
クルマは「走り、曲がり、止まる」。だがそれは、運転手あってのことだ。運転手がクルマを「走らせ、曲がらせ、止めさせて」いるに過ぎない。クルマ自身が自らの意志により、そのように行動しているワケではない(注:ナイトライダーに登場する
ナイト2000とKARR を除く)。だから、
安全性 を考慮すれば、運転手の意志とは無関係にクルマが勝手に動き出してしまう「AT車のクリープ現象」は、
排除されるべき だと私は強く思っている。もちろんこれには反対意見もあるだろう。物事にはメリットもあればデメリットもあるわけで、クリープ現象が無くなることによるデメリットも考えられるからだ。
だが、考えてもみて下さい。渋滞のノロノロ運転に対しては、たとえばノロノロ運転のペースに合わせて単にアクセルを踏めば良いだけのことであるし、坂道発進にしても、もともとクラッチペダルの無い2ペダルであるから、左足で軽くブレーキを踏みながらアクセルを踏み増ししていけば、後ずさりすることなく容易に発進ができるだろう(もちろんMT車のごとく、手動でサイドブレーキを引きながらの発進でも良い)。「クリープ現象が無ければクルマの運転が
成り立たない 」なんてシーンは、まず
無い のだ。だから、運転手の意志とは無関係に勝手にクルマが動き出すという挙動を排除することの方が、安全上からも意義が大きいと私は考えている。運転手がクルマの動きに規制されるのではなく、クルマの挙動を支配するべきは運転手なのである。
<4.安全は運転者の意識によってもたらされる>
アクセルを踏んでいないのに勝手に動き出そうとするAT車は、その時点ですでに、
走る凶器 となる恐れがある。私はAT車を運転するときには、常にそのことを強く意識しながら運転している。(異論はあるかもしれないが)左足ブレーキも使っている。信号待ちのときにはセレクトレバーを操作し、なるべく「Dレンジ+フットブレーキ」ではなく「Nレンジ+フットブレーキ」にする。もともとMT車に乗っているので、それくらいの操作はまったく苦にならない。むしろ、「信号待ちでブレーキを踏んでいるつもりだったのに、徐々にその力が弱まっていた」とか「ブレーキを軽く踏んでいたら、エアコンのコンプレッサーの作動とともにエンジン回転速度[rpm]がアイドルアップしてしまい、思いがけずクルマが進んで前のクルマにぶつかりそうになった」などという懸念を排除できることの方が大きいと思う。
安全は、そのクルマの持つ装備(ABS、エアバッグ、衝突安全ボディなど)によって安全が保証されるワケではない。あくまでも、それを運転するドライバー一人一人の認識によって成り立っていると理解しておいた方が良いのでは?と思っている。今後も我が家のセカンドカーはAT車になる見込みが大きいが、AT車のそういった欠点も利点も丸ごと含めて十分理解した上で、安全運転に一層注意したいと考えている。
なお補足すると、最近では自動ニュートラル制御・・・すなわち、「Dレンジで車速ゼロ(停止状態)+ブレーキ」状態が一定時間継続すると、TCU(トランスミッションコントロールユニット、車載AT制御コンピュータ)がAT内部の多版クラッチ油圧をコントロールし、擬似的なニュートラル状態を作り出し、ドラッグトルク(引きずり抵抗;とどのつまりがクリープ現象のクリープ力)を低減する仕組みを採用する機種が増えてきた。坂道で後ずさりしないギリギリまでクリープ力を低減(≒確保)するチューニングがされている車種もあると聞く。燃費向上だけでなく、安全面からも、個人的には好ましい制御だと考えている。
<参考>
◎Nコントロール機構
→
http://www.subaru.co.jp/forester/mechanism/03/index.html
→
http://www.subaru.co.jp/impreza/wrx/mechanism/10/index.html
◎ニュートラル制御・減速時ダウンシフト制御・ロックアップ領域拡大
→
http://www.toyota.co.jp/jp/tech/new_cars/crown/powertrain/transmission.html
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毒吐き・主張 | クルマ
Posted at
2005/06/04 00:50:54