2023年6月24日土曜日、新城市只持から新城市海老へと至る古道「只持海老道」を探索してきました。「只持海老道」という名称は、旧鳳来町発行の「鳳来町誌 交通史編」によります。そのため、この道が地元の人々からはどのように呼ばれていたのかは不明です。
「鳳来町誌 交通史編」によると、昭和の初め頃まで、只持は東側の山地を挟んで海老川沿いの谷にある海老や玖老勢との交流が盛んであったそうです。その中で「只持海老道」は名前のごとく、只持と付近の物流・商業の中心地であった海老の街を結ぶ道でした。
※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年測図)・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行
※5万分の1地形図「三河大野」:明治23年(1890年測図)・大正6年(1917年)修正測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行
また、この道は、海老にあった郵便局が只持での郵便物の集配を行う際にも利用していたようで、明治40年(1907年)の「海老局市外集配路線図」によると、海老局→須山→山中→湯島→只持→小松→只持→海老局の順路を徒歩で周回していたことがわかります。
さて、探索のために新城市只持へとやって来ました。国道257号から林道松峯線へと入り込み、地元の墓地の前にある広場へ駐車させてもらいます。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
さっそく準備を整えて、まずは林道を歩き始めます。広場から先の林道は、ご覧のとおり獣害防止用の門が設けられているため、門を開けて進入していきます。
100mも歩かない所で、右側の斜面へと入り込みます。林道の右側の尾根筋を古道が通っているだろうと予測したからです。
予想どおり古道がありました。ここからは古道を歩いていきます。
深い堀割りがあります。掘削に労力を要する深い堀割りを見つけると、やはりそれなりの往来があった道なのかなと感じます。
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堀割りを通り抜けると谷側の路肩が急斜面になります。けっこう高い場所を通過しています。
山と山とをつなぐ尾根筋に盛土道がありました。細い尾根で渡る場所によく見かけます。
古道が二股に分かれているように見えます。左側の道の方が人の手で造られた感じがするので、左側へと進みます。
薮が邪魔ですね。
程なくして薮を抜けました。
右側から別の古道が合流してきました。
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そして、この場所に石仏がありました。これは馬頭観音ですね。
光背には「文久三 亥三月」の文字が読み取れます。文久3年は1863年。今から160年前です。干支が「癸亥」(みずのとい)なので、「亥」とあるわけです。
石仏からさらに進んでいくと、間もなく林道へと出てきました。
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この場所でふたたび林道から外れます。
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少しだけ林道の下を並行してから左側へと曲がっていきます。
左へ曲がると長い上り坂が始まります。
また古道が二股に分けれています。右側はショートカットの道(もしくは下り用の道。)でしょうが、その分急坂になるので、左側の道を進んでいきます。
二股道の坂の頂上で折り返していきます。
一本に戻った道をさらに登っていくと、頭上に林道が見えてきました。
古道は林道に寸断されていたので、法面を登って林道へと出てきました。
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林道を10m~20mほどだけ歩き、今度は右側へと逸れていきます。
この区間は薮が多くて、あまりいい状態ではありませんね。
薮は抜けましたが、道の雰囲気がいまいち。
ようやく真っ当な感じの古道に戻りました。
と思ったら、林道に削られて古道が無くなっていました。
斜面を滑り降りて、林道へと合流します。
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路肩に据え付けられていた林道松峯線の銘板。
古道の分岐点に来ました。左側の木々の間へと入っていきます。
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この場所に来て、初めは草地の中に古道が通っているのかと思って踏み込みましたが、道らしきものが見当たらず、引き返して右側の急坂を登っていきます。
いくら古道でも急坂過ぎます。疑問に感じつつもひとまずは坂を登り、状況を確かめることにします。
急坂を登ると右側から合流してくる道がありました。どうやら、本来は合流してくる道が古道だったようです。合流してきた道へ様子を見に入ってみましたが、すぐに林道の高い法面に寸断されていました。
先程の急坂よりは幾分緩いですが、なおも急坂が続いていきます。
古道の路肩に短く切られた丸太が並べられています。どういう目的で並べたものなのでしょうか。
深い堀割りです。前方には尾根が見えています。
堀割りを登り切ると、古道は折り返して尾根を進んでいきます。
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右側のピークを避けるように古道は進んでいきます。
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※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ここでちょっと寄り道。右側のピークにある三角点へと登ってみます。
三角点と「建設省国土地理院」の標柱が立っています。
標石を覗いてみると「三等三角點」とあります。「基準点成果等閲覧サービス」で閲覧してみると、基準点名は山の名前ではなく「只持村」。標高は408.28m。「点の記」には、選点が明治20年(1887年)7月21日とあり、当時の村名から付けられたのでしょう。選点時にこの山には名前が無かった証しとも言えますね。
古道へと戻り、先へと進んでいきます。
三角点がある山から下っていきます。
山からどんどん一気に下っていきます。
林道へと出てきました。
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合流地点の先で、林道の舗装区間が終了しました。ここが林道松峯線の終点のようです。
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※その(2)へ続く。