2023年7月29日土曜日、飯田市南信濃南和田の万古集落跡から谷京峠への峠道を探索しました。先週の7月22日土曜日は、飯田市南信濃南和田の飯島から谷京峠までの峠道を探索しましたが、今回はその続きの探索となります。
前回は、JR飯田線為栗駅から万古集落跡まで進み、集落跡の廃屋や建物を見て回りました。
ところで、戦前の旧版地形図を見てみると、谷京峠への峠道は集落の中から分岐しています。集落跡を見て回っている間、谷京峠への峠道の入口を探していましたが、結局、それらしい場所を見つけることはできませんでした。

※5万分の1地形図「満島」:明治41年(1908年)測図、昭和8年(1933年)要部修正測図。
ひとまず、集落跡の中央付近にあった段々地から登っていって様子を見ることにします。
段々地の最上段へ出ても道筋らしきものが見い出せません。峠道へと取り付けないか、そのまま斜面を登っていってみます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
稜線へと出ました。さらに上へと登っていきます。
峠道と思しき道筋が見つかりました。入口を確認するために道筋を下り始めましたが、すぐに崩落地と遭遇し、進めなくなってしまいました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
今回は入口を確認することはあきらめて、谷京峠方面へと向かうことにします。
歩き始めて間もなく、難所が現れました。硬く引き締まった急斜面に付いた細い踏み跡を慎重に歩いていきます。
ホッとしたのも束の間、また同じような難所が現れました。難易度はさらに高く、この場で引き返そうかと思ったくらいでした。
何とか無事に渡ることができました。こんな斜面で足を踏み外したら、谷底まで吸い込まれるように滑り落ちていってしまいます。
ようやくまともな道幅になってきました。しかし、序盤からこうも難所が現れると、この先も大丈夫かと不安になってしまいます。
折り返しが現れました。ここから一気に尾根を目指して高度を上げていくのでしょうか。
植林地へ入るとつづら折りとなり、何度も折り返しながら斜面を登っていきます。植林地の中の地面も硬く引き締まっていて、時折現れる谷側に傾いた細い踏み跡では、足が滑りそうになります。
跨ぐのもくぐるのも難しい半端な高さで倒木が倒れています。高巻きが大変そうだったので、谷側の低い位置で倒木を跨ぎましたが、これはこれで倒木ごと滑り落ちやしないかと気を揉みます。
ようやく尾根が見えてきました。そして、こんな高い場所に石垣があります。
2~3段の石垣が見えています。耕作地があったのか、茶屋の跡なのか。全然わかりません。
短い尾根を渡っていきます。
ピークを避けるように右側の斜面へと入って、通過していきます。
また尾根を渡っていきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
何度も現れる尾根道をどんどん進んでいきます。尾根に出るまでの細く危険だった道筋と違い、尾根の上の道は道幅もしっかり残っていて、安心して歩くことができます。
尾根筋は、右側が緩い斜面(それでも急ですが。)、左側は崖のような急斜面となっています。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
またピークを避けて、右側の斜面へと入り込んでいきます。
右側の谷筋が終わり、山の頂上に向けて扇状の緩斜面(と言ってもやはり急。)へと変化していくと、道筋はその斜面の中を行ったり来たりしながら、つづら折りで登っていきます。
最後の折り返しです。
結局、尾根に出てからは厳しい難所が現れることはなく、無事に為栗駅から登ってくる峠道と合流出来ました。
合流した場所は見覚えのある場所でしたが、あったはずの馬頭観音が見当たりません。と思ったらうつ伏せに倒れていました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ちなみに、旧版地形図と実際に登ってきたルート(赤線。ルートはおおよそ。)と見比べると、実際に登ってきたルートは直線的に合流してきていることがわかります。

※5万分の1地形図「満島」:明治41年(1908年)測図、昭和8年(1933年)要部修正測図。
うつ伏せになった馬頭観音をそのままにしておくわけにもいかないので、地面を均して転ばないようにしてから置き直しました。
馬頭観音の光背には、文化四卯年(1807年)と為栗村の文字が彫られています。
この場所に馬頭観音が置かれたのは、危険な峠道の道中の安全祈願のためでしょうが、あとはこの場所が分岐点だということも理由にあると思います。
なんだかんだで、馬頭観音の前で45分程休憩していました。この先、谷京峠まで進むか悩みましたが、先週に遠山谷側から峠まで登っているので、今回はこのまま為栗駅へと下っていくことにしました。
万古集落跡からの峠道と同様に、尾根道で下っていきます。
尾根が落ち込んでいく場所に立っている飯伊森林組合のテント。マツタケ等の盗掘防止のための監視用だと思われますが、ご覧の通りボロボロで、現在は使用しているようには見えません。
水田跡へと出てきました。為栗駅まではまだまだ下りていきます。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この尾根道から外れて、斜面をつづら折りで下りだすと為栗駅も近いです。
為栗駅の上方にある深いすすきの薮。前回このルートで来た時が11月だったので、こんなに濃い茂みになる場所だとは予想外でした。
すすきの薮をかき分けて、為栗駅へと出てきました。ここまで来ればもう安心です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
そして、天竜橋を渡り、車へと戻ってきました。
今回探索したルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
前回にも書きましたが、今回、為栗駅から万古集落跡まで行くだけで、あれだけ手こずってしまうとは予想外の出来事でした。あとは、万古集落跡から峠道への入口が見つからなかったことと、序盤の難所群の通過が大変でした。
とにかく、これで谷京峠へと至る峠道を三方向(為栗駅、飯島、万古集落跡。)から確認することができました。いずれの方向からも峠越えする人には優しくない道でしたが、地形的にこのようなルートしか取れなかったのだと言えるのかもしれません。
次回は、泰阜村我科の万古隧道から万古集落跡へ徒歩道で向かい、万古集落跡周辺の「秋葉道(中道)」をもう少し探索してみます。