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小林あにのブログ一覧

2024年11月10日 イイね!

旧挙母街道「御前石道」を探索しました(2)

2024年5月11日土曜日、旧新城市と旧作手村の境界にある山脈「雁峰山」を峠越えする旧挙母街道「御前石道」を探索してきました。

今回探索した道は、現代の「挙母街道」である国道301号の和田峠から東方にある御前石峠を越えるルートで、地元では「御前石道」と呼ばれていました。和田峠越えのルートがメインルートとして利用される以前は、御前石峠越えの道が新城と作手を結ぶメインルートだったそうです。

さて、前回(1)では、雁峰山の中腹を通過する雁峰林道までやって来ました。




ここからさらに山を下って、新城側の新・旧挙母街道の分岐点を目指します。


雁峰林道から分岐した付近では深い掘割道となっていましたが、程なくして平坦な道筋へと変化しました。


しかし、平坦な道筋はほんの束の間で、ふたたび掘割道へと戻ります。


ここはちょっと高低差がありますね。


道筋が酷く洗掘されています。昨今の集中豪雨・大雨の影響によるものでしょう。


ここまで酷い有り様だと忠実に道筋を辿ることができず、やや離れた場所を並行して進むしかありません。




一番酷く抉れている場所へ下りてみました。高低差は2~3mくらいはありそうで、とても街道の跡だとは思えません。どんな豪雨が降るとこんな酷い抉れ方になるのでしょうか…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

洗掘されてしまった区間はまだまだ続くようです。






もう1か所、底へと下りてみました。もはや狭い回廊になっています。そして、土質はサラサラ・ボロボロな感じ。地面に大量の豪雨が当たったり、強い雨水が流れると容易に削れてしまいそうです。


溝のように抉れた洗掘部分を右へ左へと跨ぎながら進んでいきます。


ようやく洗掘区間を脱したようです。


またも怪しげな感じが…。


倒木だけで済みました。


道の分岐点に出てきました。御前石道は直進します。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

またしても洗掘です…。




獣害防止用の柵に突き当たりました。門が付いていましたが、全然動きません。仕方ないので柵を登って越えていきます。


柵を乗り越えてから振り返ると、門が動かなかった理由がわかりました。山側から流れてきた大量の土砂によって門が圧迫されています。土砂の高さを黄色の線で表示しましたが、私の腰くらいの高さがありました。


目の前の草むらを避けて、右側の杉林の中を進みます。


掘割道を下っていきます。


視界がパッと開けると、ようやく新城側の麓の集落が見えてきました。




「これで鬱蒼とした林の中を歩かずに済むなぁ。」と思っていたら、道筋は林の中へと入り込み、また掘割道です…。


そんなに掘割道を歩くこともなく舗装路へと出てきました。


国道301号と御前石道の分岐点へ到着しました。交差点には道標や案内板があるわけでもなく、見た目には単に国道から路地が分岐しているだけです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

休憩も兼ねて、この場所に鎮座する竹生神社へお参り。




さて、この時点で時刻は15時を回っており、日が暮れる前に駐車場所まで戻らねばなりません。ふたたび御前石道を登り返していきます。


帰り道は忠実に御前石道を戻るのではなく、時間短縮のため地形図に直線的に記されている別の破線道を進むことにします。






途中まではそこそこ道筋が付いていたのですが、緩斜面に出てきたら道がわからなくなってしまいました…。登山アプリで地形図を確認しつつ、斜面を直登していきます。




いかにも古そうな掘割道へ出てきました。地形図を確認してみると、新城市の徳定地区から登ってきた道のようです。この道を歩き、まずは雁峰林道を目指します。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

しっかりとした道筋が続いています。






見覚えのある場所へ出てきました。往路は掘割道の底を通りました。ここからすぐに石仏が祀られている場所へ出るはずです。


石仏が祀られている場所へと出てきました。ここからはふたたび御前石道を登っていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

往路で御前石峠を通過後にルートを見失い、ふたたび御前石道へと再合流した地点まで登ってきました。この先は、往路では通過しなかったルートとなります。








この辺りもオフロードバイクの轍が付いていますね。安全に通行するのは構わないですけど、道跡を破壊するような走らせ方はしないでほしいですよね。他の古道では、盛土道をバンク代わりにして原形がとどめないほどに崩してしまった例も見てますし…。無名の古道も大事な史跡ですから。


雁峰山の尾根を通る林道の一つへと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

御前石峠を通過します。


17時15分、無事に日が暮れる前に駐車場所へと戻ってきました。




登山アプリによる今回の探索距離は8.8km。活動時間は5時間03分でした。今回の探索ルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

比較用に戦前発行の地形図です。

※ひなたGISより引用・加工。

今回の探索では、昔の峠道が自然災害で徹底的に破壊された姿を目の当たりにしました。今まで行った場所にも崩落して通行不能になっているような場所は多々ありましたが、今回のような「洗掘」でここまで酷いケースは見たことがない気がします。

まあ、史跡・文化財でもなく、登山道として利用されているわけでもなく、ましてや日常の生活の道でもない「御前石道」が復旧されることは無いわけで、この道も近い将来、消滅の憂き目に遭うことになるのでしょうね。
Posted at 2024/11/10 16:41:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧挙母街道 | 日記
2024年10月17日 イイね!

旧挙母街道「御前石道」を探索しました(1)

2024年5月11日土曜日、旧新城市と旧作手村の境界にある山脈「雁峰山」を峠越えする旧挙母街道「御前石道」を探索してきました。

今回探索した道は、現代の「挙母街道」である国道301号の和田峠から東方にある御前石峠を越えるルートで、地元では「御前石道」と呼ばれていました。和田峠越えのルートがメインルートとして利用される以前は、御前石峠越えの道が新城と作手を結ぶメインルートだったそうです。

和田峠を越えるルートが車道改修工事(馬車道改修)されたのは大正年間ですが、それ以前は遠回りとなる和田峠経由よりも、短距離で新城と作手を結ぶ御前石峠越えのルートが利用されていたのでしょう。

※ひなたGISより引用・加工。

さて、今回の探索の出発地点へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まずはこの地点から分岐していく林道へと入り込んでいきます。




日常的に利用されていない林道なのか、路面が深く抉れたままになっています。


地形図で林道から徒歩道が分岐している地点へ着きました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

大岩の横に立って前方を眺めると、確かに徒歩道が続いています。ここからは、この徒歩道を進んでいきます。


ひとまずは明瞭に道筋が残っていますね。


緩やかな谷地形に入ってきましたが、谷底部分の幅が狭くなるのに伴い、道筋が土石にかく乱されてしまい、どこを通っていたのかわからなくなってしまいました。


「忘れられた街道」という本に写真が載っていた祠を見つけました。道筋はわかりませんが、御前石峠へと向かうルートで間違いないようです。


もう全然道筋がわかりません…。登山アプリで地形図を確認しながら、御前石峠へ向かうことだけ考えて進みます。




ようやく道筋らしい窪みを見つけました。


と思ったら、程なくして林道へ出ました。このまま御前石峠へと向かいます。


どうやらここが御前石峠のようです。何の案内板もありませんが、位置的には間違いないでしょう。林道が交差しているだけの味も素っ気もない峠で、少しがっかりです。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戦前の地形図に従って、峠の交差点を直進していきます。




林道の右側斜面の上に平場が続いているのに気が付いて、上へと登ってみました。


半信半疑でしたが、そのまま進んでいったところ、道筋が現れました。




間もなく林道へと吸収されてしまいました。


しばらくは林道を歩いていきます。


戦前の地形図ではこの辺りから直線的に斜面を下っていっているので、林道から斜面へと下っていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

踏み跡程度の細い道が続いていたので、ひとまずは跡を辿っていきます。




地形図をチェックしたら、「御前石道」が通っていたと思われる稜線と位置がずれてきたため、左方向へと斜面を横断して道筋を探します。




先ほど下っていた細道よりも明瞭な徒歩道を見つけたので、麓側へと進んでみます。


さらに違う道の上へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

2~3mほどの段差がありましたが、何とか下を通る道へと下りました。この道幅からして、この道が「御前石道」のようです。


ひとまずは麓側へ向かうことを優先します。


ヘアピンカーブが連続します。そして路面にはバイクの轍。林道を歩いていた時にエンジン音がこだましていて、その時は「山仕事でもしているのかな。」と思っていましたが、どうやらオフロードバイクが登ってきていたようです。








一直線に下っていきます。


深い掘割道。旧挙母街道を歩いているとよく見かけます。


倒木が連続していてトンネルのようです。


倒木で道筋が塞がれてしまいました。ここは右側へと迂回します。


道筋部分が深く抉れてしまっています。最近の大雨・豪雨の影響でしょうか。


雨が降ると、掘割道の形状からどうしても雨水の流路になってしまいますからね。


ここで「御前石道」は左側へと逸れていきます。掘割道が雨水等による洗掘で深くなりすぎて道を造り直したものなのか、どうなんでしょうね?


急坂を下っていきます。


舗装林道へと出てきました。新城ラリーのSSコースに使用されていた雁峰林道です。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

林道を横断すると「御前石道」の続きがありました。


ここで「確か石仏があった気がする。」と思い出し、林道を少し進んでいくと現れました。


この石仏は千手観音像ですかね。


そして、この場所に「御前石道」の案内板が立っていました。QRコードを読み取ると「御前石道」の説明を見ることができます。


麓を目指してさらに進んでいきます。


※その2へ続く。
Posted at 2024/10/17 22:05:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧挙母街道 | 日記
2024年09月29日 イイね!

白河ラーメンと大宮の鉄道博物館

2024年5月3日と4日の2日間、ゴールデンウィークの連休を利用して、弟と長距離ドライブへと出かけてきました。

自宅を3日午前0時に出発。東名高速、首都高、東北道と乗り継いで福島県白河市を目指しましたが、鹿沼ICから先が長い断続渋滞との表示があったため、都賀西方PAで東北道を下ります。ここからは、国道293号、国道4号、国道461号、国道294号と経由して白河市へと向かいました。

目的地である「白河ラーメン 岩松」さんに到着。自宅から10時間45分かかりました。


こちらは、春日部市のショップ「プロトタイプ」さんつながりの方が脱サラして始めたラーメン店。駐車場には店長さんのラリーレプリカ車が駐車。


ラーメン店を始めたとの話を聞いた時はビックリしましたが、遠方なのでなかなか訪れる機会もなく、ようやくおじゃました次第です。


トッピングを追加したらボリュームがあり過ぎて、内心「ちょっと失敗したかな。」と思いましたが、何とか完食いたしました(笑)。ちなみに写真右側のラーメンが私が食した分です。




食事後、店内が落ち着いたところでしばし店長さんと雑談。「また来ますね。」とお別れしました。

これで初日の予定は終了。まずは白河市内で姉に頼まれていたお菓子「ままどおる」を確保。

その後、栃木県那須烏山市にある「那珂川清流鉄道」を目指して移動。ところが、訪れた「那珂川清流鉄道」には人の気配がなく、どうも休業中の様子。仕方がないので、今晩の宿泊先である埼玉県春日部市へと向かうことに。

「プロトタイプ」さんへ顔を出してご挨拶した後、宿泊先のホテルへチェックイン。夜はいつものメンバーでの飲み会となりました。これもすっかり恒例行事化していますね(笑)。

翌4日。この日は、弟と私に加えてためぞう君の3人で大宮の鉄道博物館を訪れました。久しぶりに来ましたね。


ゴールデンウィーク中とあって、多くの家族連れを含めて入館者の行列ができていましたが、思っていたよりもスムーズに入館できました。




入館後はひたすらグルグル館内を回って写真を撮っていました(笑)。








































お昼御飯はチキン弁当。すでに13時近くになっていたので売り場の商品がすっかり品薄になり、無難なものにしておきました。




20系ブルートレイン。この丸みを帯びた造形がいいですなぁ。


鉄道博物館の見物を終えて、ためぞう君とはここでお別れ。私たちは大宮から国道17号上尾道路を北上して、圏央道、東名高速と乗り継いて帰宅しました。

東名高速下り線 鮎沢PAにて。


東名高速下り線 由比PAにて。
Posted at 2024/09/29 01:07:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2024年09月17日 イイね!

【豊根村】粟世~山内~霧石峠~大立の峠道を探索する(2)

2024年4月28日日曜日、北設楽郡豊根村三沢粟世から山内~霧石峠~大立とつながる峠道を探索してきました。

前回「その1」では山内の集落を通り抜けて、愛知県道426号まで来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この時点で時刻は10時30分過ぎ。まだ時間に余裕があるので、今回の予定の第二段階である山内から霧石峠への探索に向かうことにします。

戦前の地形図にある山内から霧石峠への峠道を赤線で示してみました。

※ひなたGISより引用。

山内~霧石峠間の峠道の見た目での直線的な距離は、粟世~山内間とあまり変わりないように感じます。標高差も粟世~山内間の約180mに対して、山内~霧石峠間が約230mと若干高い程度。

しかし、霧石峠への峠道は、粟世~山内間と比較して地形の険しい場所を細かく屈曲しながら登っていくことが気になります。

さて、霧石峠への昔の峠道が始まるだろうと予想した地点へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

バス停の横から斜面へと取り付いてみると徒歩道が上方へと続いていました。


やがて掘割道となりました。どうやらこの道で正解のようです。




ただ、程なくしてこの上部にある字茶尾の家々に向かう車道の斜面に埋もれてしまいました。


この時点で霧石峠への峠道がわからなくなってしまいました。ひとまず字茶尾から分岐していく林道を歩いて、途絶してしまった峠道を探してみることにします。




結局、この林道では峠道の続きを見つけることはできませんでした。というか、どこまで行っても林道の霧石峠側の法面が高い場所までコンクリートで固められていて、どうしようもなくなり引き返してきたというのが本当のところです。

字茶尾の小さな集落の下まで戻ってきました。


ここで一旦小休止して戦前の地形図を眺めていて、「昔の峠道なら家々の間を通っているかも。」と思い直し、林道から家々へと向かう踏み跡へと分け入り、小さな集落まで登ることにします。

とある家の下にある畑跡へと出たところ、地元の人と遭遇しました。見た目60歳代から70歳代くらいの男性です。よもやこんな場所に人がいるとは思わず、ちょっとびっくりしましたが、「こんにちは。」とあいさつします。

ここからしばらく男性との会話を記します。

男性:俺は身内が休みで帰ってくるから、ここで山菜を取ってたんだけど、アンタはこんな所で何してるの?
私:霧石峠まで行きたくて歩いていました。
男性:それなら、そこの林道(私が先ほど歩いていた林道。)を歩いていけばいい。峠まで続いている。
私:いえ、昔の峠道で行けないものかと道を探していました。林道は斜面が高い所まで固められていて取り付けなかったので、ここまで戻ってきました。
男性:ああ、土砂崩れが酷くて工事したからな。あんなことしてもどうしようもないのになぁ。
私:それで、昔の道なら家の前を通っていないかと思って、ここまで登ってきたんです。
男性:確かにこの上に見えている家の前の道が昔の霧石峠へ行く「赤線」(いわゆる里道のこと。)だった。峠から漆島まで下りていくんだよ。
私:漆島から霧石峠へは以前に登ったので、今度は山内から登れないかと思いまして。
男性:漆島からは登ったのか。あの道はきつくて「十三曲がり」と呼んでいたわ。

こんな会話をした後で、男性から次のように言われます。

男性:俺は猟をするからここら辺の山はよく知ってるし、峠道がどこを通っていたのかも知っているから霧石峠まで行けるけど…。上の家の先にある廃屋の所から道があったんだけど、どうかなぁ…。道跡が薄く残っている場所もあるけど…。

どうにも歯切れが悪い…。同じような内容の話を繰り返し言われます。どうやら昔の峠道で霧石峠へと向かうのは困難なようです…。

それ以外にも雑談をして、以下のような話を聞かせてもらえました。
・昔はこんな所に誰も来なかったけど、今はいろんな奴が入ってくる。アンタのような山登りする奴はいいけど、空き家を狙ってくる奴もいるから困ったもんだよ。
・子どもの頃は毎日40分くらいかけて峠道を歩いて、粟世の小学校(旧三沢小学校)まで通っていたよ。
・この辺りの山は、昔は蒲郡の竹本油脂が持っていたんだよ。今は違う会社の所有になってしまったがね。
・電車に乗る時は日が出る前から出かけて、霧石峠まで登ってから漆島へ下りて、カワカミヤ(川上屋?)の所に出て、大嵐(大嵐駅)から豊橋へ行ったりしたもんだよ。この辺りから電車に乗るなら大嵐が近いからね。

今回歩いてきた粟世から山内の峠道を通学路として毎日歩いていたとか、電車に乗るために標高900mの霧石峠を上り下りして、さらに飯田線大嵐駅まで歩いて電車に乗っていたとか、昔の人のタフネス振りには本当に驚かされます。しかもこの方、今も猟で山の中を歩き回っているわけですし(笑)。

霧石峠を徒歩で越えて大嵐駅まで行っていたのは、おそらくマイカー時代が到来する昭和40年代以前の話でしょうけどね(ちなみに峠の北方4〜5kmに霧石トンネルが開通したのは、ようやく昭和49年(1974年)のこと。)。

残念な事に、徒歩での峠越えが昭和何年頃までの話なのか、尋ね忘れたんですよね…。戦前の地形図に当てはめると、山内から大嵐駅までこんなルートで歩いていたはずです。

※ひなたGISより引用。

あとは、飯田線大嵐駅は旧富山村の玄関駅というイメージが強かったですが、霧石峠を越えて豊根村域からの利用もあったというのは目からウロコでした。

生まれてこの方、車社会が当たり前の私では、長距離の移動手段として「徒歩」もあるということが、頭の中に存在していないんだなと実感しました。

それから、漆島から霧石峠までの峠道が「十三曲がり」と呼ばれていたことは、地誌類で読んだことがなく、やはり地元の人に話を聞くといろんな情報が手に入りますね。

さて、「取りあえず霧石峠へ向かってみます。」と男性とお別れして、言われたとおりに家の前を進んでいってみます。


男性が言っていたとおり、家を通り過ぎてからは道筋が全く見い出せません…。






岩肌剥き出しの沢へと出てきました。さすがにこれを渡ることは困難です。峠道と交差することを期待して、ここから直登していきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

どれだけ斜面を直登しても道と思しき平場と交差することはありませんでした。ここはもう割り切って、尾根を通る林道まで一気に登ることにします。


林道へと出てきました。ここからは林道の下側を眺めて峠道の痕跡を探しつつ進みます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠道の痕跡を見つけることなく林道の分岐点へと出てきました。ここで霧石峠方面となる赤矢印の方向へと進みます。


この分岐点には無縁碑が立っていました。


この林道は山内~霧石峠間の峠道をなぞるルートのようですが、これといった遺構は見つけられませんでした。


林道豊富線へと出てきました。ここからは舗装林道を霧石峠まで歩いていきます。


場所はこちら。


林道豊富線を歩くこと8分ほど、霧石峠に到着です。結局、山内~霧石峠間の峠道については、ほとんどその痕跡を見い出すことができず、消化不良な感じに終わりました…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ともあれ、これにて今回予定していた探索は終了。ここからどうやって駐車場所へと戻るか、あらためて考えます(山内~霧石峠の峠道が明瞭に残っていれば、そのまま引き返すつもりだった。)。

結論としては、最短で古真立川沿いを通る県道429号へ出ることができる霧石峠~大立間の峠道を通ることにしました。県道まで出ることができれば、距離はあろうとも後は舗装路を歩くのみです。

戦前の地形図内、赤線で記した道となります。

※ひなたGISより引用。

ここから大立へと下っていきます。現在の地形図でもこの斜面を下っていく破線道(徒歩道)が記されていますが、実際には細い踏み跡がかろうじて付いているだけです。




まだそこそこの距離しか歩いていないのに、恐れていた事態が発生しました。道筋の消失です…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢沿いを進むのが困難なため、山側の斜面を登り、植林地内を迂回していきます。

ただ、迂回ルートにした植林地もどこを向いても急傾斜地ばかり…。いざ山を下る段になり、あっちの杉、こっちの杉へと幹にしがみ付きながら慎重に慎重に下りますが、足元の斜面の先がどうなっているのか見えない状況が続きます…。


「最悪、この斜面を引き返すのか…。」とも想像しましたが、何とか無事に沢へと降り立つことができました。ヤレヤレです…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢の中を歩いて進んでいくと、ようやく真っ当な道筋が現れました(それでも所々、ヤバ目な場所もありましたが…。)。






「これで県道に出るまで道筋を辿っていけるかな。」と淡い期待が出てきました。


残念ながら、まだまだ楽には進ませてはくれないようです…。


道筋が消失しているうえに、大量の倒木が折り重なっています。昨今の豪雨・大雨の影響でしょうか。


沢を挟んで、右岸・左岸を右往左往しつつ、倒木を避けたり跨いだりしながら少しづつ前進してきます。


倒木地帯を過ぎたら、次は放置された間伐材が待ち構えています…。


岩陰でちょっと一息。


まだまだ仕打ちが続きます(笑)。


ようやく、多少まともな道になってきました(細いですけどね。)。


そう思えたのも束の間、崩落箇所に遭遇…。「ここまで進ませておいて引き返させるの…?」と嘆きたくなりましたが、かろうじて両足幅の迂回路が付けられていたので(それも大概な場所にでしたが…。)突破できました。


引き続いてガレた枯れ沢を横断。これくらいなら全然マシです(笑)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

もはや踏み跡も怪しい中、植林地を進んでいくと眼下に県道429号が見えてきました。これでようやく無事に帰れる算段が付きました。




おまけで、歩いてきた峠道の終端がどうなっているかを確認。よくあるパターンで、県道に削られて終わっていました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

県道を少し逆戻りして、大立不動滝を写真に撮ります。


この後も気になる場所へ寄り道しましたが、目立った成果は無かったので省略。

県道429号と426号の交差点まで来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここで偶然、立ち話をした男性が軽四でやって来て鉢合わせ。

男性:峠道はわかったかい?
私:いやぁ、全然わからなかったので、上を通る林道まで直接登りました。
男性:霧石峠へは行けたのかい?
私:ええ。峠まで行って、そこから大立へと下りてきました。
男性:そうか。粟世まで気を付けていけよ。

「えっ、粟世まで送ってくれる展開じゃないの?(笑)」と思いつつ、もうひと踏ん張りと黙々歩いていきました。

17時25分、やっと駐車場所へと戻ってくることができました。


それでは、今回の探索ルート図と比較用の戦前の地形図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※ひなたGISより引用。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※ひなたGISより引用。

登山用アプリによると、移動距離は15.2km、所要時間は9時間12分と、今までの探索の中では最長の距離・時間となりました。もっとも、大立から粟世までの「帰り道」は県道を歩いただけなので、実質はもっと少ないわけですけどね。

これでひとまず、霧石峠とその周辺の峠道にかかる探索は一区切りといったところです。豊根村内で探索できそうな道はまだまだありそうですが、また違う場所へ目を移したい気分といったところですかね。
Posted at 2024/09/17 23:44:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 豊根村 廃道 | 日記
2024年09月16日 イイね!

【豊根村】粟世~山内~霧石峠~大立の峠道を探索する(1)

2024年4月28日日曜日、北設楽郡豊根村三沢粟世から山内~霧石峠~大立とつながる峠道を探索してきました。

スタート地点となる豊根村三沢粟世へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この時点での予定としては、まず粟世から山内へと至る峠道を探索し、時間に余裕があるようだったら、さらに山内から霧石峠へと至る峠道を探索してみます。

こちらは戦前の地形図。赤線が粟世と山内を結ぶ峠道となります。

※「ひなたGIS」より引用。

豊根村誌によると、伊那街道上津具宿(設楽町津具)から分岐し、霧石峠を越えて豊根村富山の河合(旧富山村のかつての中心地。佐久間ダムに水没。)とを結んだ「津具・粟世・河合道」と呼ばれる街道の一部にあたります。

それでは探索に向かいます。駐車場所から旧三沢小学校の前まで愛知県道74号を歩き、ここから路地へと入り込みます。


集落内の川を渡ります(河川名は不明。)。橋の名称は「粟世橋」。


正直、今回探索する峠道が粟世のどこから分岐しているのか明確にわからず、取りあえず、川に橋が架かっていたこの道を選んだだけでした。

この程度の橋だと銘板無しでも当たり前なのですが、それがわざわざ取り付けてあるということは、「もしかしたら相応の由来を持つ道かも。ここで正解だったのかな?」と勝手に想像してます(笑)。


廃屋の横から山の中と入り込んでいきます。


作業道よりはやや狭い感じの道が奥へと続いています。


もはや山仕事には利用されていない道なのか、荒れ放題となっています。




車が通れるような砂利道との離合もありましたが、気にせずにそのまま同じ沢筋を詰めていったところ、行き止まりとなってしまいました。

周囲を見渡しても斜面を登るような道筋は見い出せず、仕方がないのでこのまま直登していきます。


斜面の上部を通る車道へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この場所から分岐していく豊根村道梨畑山内線へと進みます。おそらく山内へと向かう昔の峠道を由来とする村道でしょう。


普通の車でも走行できそうなフラットダートの村道を歩いていきます。




草地になっている場所から、斜め左側へと下っていく細道へと入り込みます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

想像していたよりもきれいな道筋が一直線に下っていっています。


左側はこの沢筋の源頭地になっているようで、湿地帯になっています。




このまま沢筋を進んでいくものかと思っていたら、いきなり沢筋を離れて、急斜面の只中を進んでいきます。






道筋が無くなってしまいました。ここで流れの無い沢を渡り対岸へと折り返して進みます。






場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

緩いヘアピンカーブを曲がっていきます。


ヘアピンカーブを曲がった先で、樫谷下(かしやげ)へと向かう峠道が右側へ分岐していきます。


戦前の地形図では、この地点の分岐になります。

※5万分の1地形図「根羽」:明治41年(1908年)測図・昭和8年(1933年)要部修正測図。

分岐を通り過ぎるとすぐ折り返しがあります。


砂防ダムの上へと出てきました。斜面が軽く崩れているので、通過に気を遣います。


ボロボロになった小橋を避け、小さな沢を跨いで越えていきます。




この辺りから先は、砂防ダムの建設工事によるものか道幅が拡がっています。ただし、所々薮になっていたり、路面も悪くなっています。




道を下っていくうちに、頭上に並行して平場が続いていることに気が付きました。少し戻って、平場へと登ってみます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

やはり、道のような平場が続いています。




凹地へと出てしまい、この場所で平場は途切れてしまいました。


凹地の中を眺めてみると、木材が突っ立っています。おそらく、かつてはこの場所に桟道が架かっていたのでしょう。


平場の幅の狭さや斜面の険しい場所を通過している点からみて、この平場は峠道の旧道ではなさそうです(そもそも、もっと低い沢沿いを進めるため。)。おそらくは、木材搬出のための木馬道の跡ではないかと思われます。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さらに下っていくと、斜面の上部に石垣が続いていました。やはり木馬道の跡である可能性が高そうです。


この分岐で左側へ進めば、先ほどの石垣の先へと行けそうでしたが、今回の本題ではないので、山内の集落へとそのまま下っていきます。


山内の集落へと出てきました。駐車場所を出発してから峠越えをして、2時間余りの行程でした。


そのまま集落内を進み、古真立川の橋を渡って県道426号へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この時点で時刻は10時30分過ぎ。まだ十分時間があるので、このまま次の予定である山内~霧石峠の峠道を探索することにします。

※その2へ続く。
Posted at 2024/09/16 15:08:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | 豊根村 廃道 | 日記

プロフィール

「新車「エブリィワゴン」でドライブしてきました(2) http://cvw.jp/b/1796277/48744226/
何シテル?   11/02 20:24
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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