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小林あにのブログ一覧

2023年05月22日 イイね!

【尾鷲市】弓山林道から矢ノ川峠旧道までの古道を探索する(3)

2023年4月9日(日)、三重県尾鷲市賀田町にある弓山林道から国道42号の矢ノ川峠旧道へとつながる古道を探索してきました。

前回(2)の最後で弓山林道の最上部にある無名の橋まで戻ってきました。


往路でこの橋の付近に来た時に古道が残っているのを確認して、上部側へと歩いています。


今度は下部側へと辿ってみることにします。


こちら側も道跡はまずまず残っています。


路肩の石積みが残っていました。


傍らには炭焼き窯の跡も。


路肩の石積みは、石を整形せず、そのまま積み上げていく野面積みです。


道跡が段々とあいまいになってきました。


また炭焼き窯の跡がありました。


下を通る弓山林道とはまだ大きな高低差があるのに、道跡がわからなくなってしまいました。この前方に小さな沢があるのですが、その先の斜面に続くだろう道跡が見い出せません。


結局、沢伝いに林道へと戻ってきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

林道へと下りて来た場所は、往路で川を渡って林道へと取り付いた場所に近いので、もしかしたら古道はこの辺りまで斜面を通り、この場所からつづら折りで川へと下りていたのかもしれません。


ここからは素直に弓山林道を歩いていきます。

往路では川沿いの斜面を通ったために渡らなかった中山橋。




程なく国道42号へと出て、駐車場所まで戻りました。






今回探索したルート図です。赤色が往路、青色は復路だけ通ったルートです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

今回探索してみて、原型を留めていない箇所が多いのは当然としても、想像していたよりもしっかりと造られた道だったことがわかりました。

歴史的には無名な、地元のための道のようですが、いろいろと資料を引き出したり現地を歩いたことで、現在に残る状態の道となった経緯もおおよそ推測できましたし、なかなか面白味のある探索となりました。
Posted at 2023/05/22 21:49:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 矢ノ川峠 | 日記
2023年05月07日 イイね!

【尾鷲市】弓山林道から矢ノ川峠旧道までの古道を探索する(2)

2023年4月9日(日)、三重県尾鷲市賀田町にある弓山林道から国道42号の矢ノ川峠旧道へとつながる古道を探索してきました。

さて、伐採地を横断して、古道はふたたび森の中へと入っていきます。


森の中に入ると、伐採地と違って道跡がしっかりと残っていました。路肩には石積みの擁壁もあります。


大量の岩が転がる沢に遭遇しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢の直前で路面が消失していましたが、対岸を眺めると石垣が見え、古道は続いているようです。


沢の中へと下りて、岩の間を通り抜けていきます。


対岸へと取り付きました。先ほど眺めたとおり、路肩の石垣がしっかり残っています。


ただ、この先は道跡の状態が悪そうですね。


崩落して道跡が消失しています。崩落した斜面はそんなにきつい傾斜ではないので、木々を頼りに横断していきます。


古道が復活しました。


前方の広い範囲が明るくなってきました。


どうやらこの場所で古道は折り返すようです。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

最初に折り返した地点から、地図読みで500mほど進んできています。どうしてすぐに折り返さずに、こんなに長い距離を移動してきたのか考えましたが、おそらくは牛馬が通行しやすいように勾配を緩くするためなのでしょう。

人が通行するだけなら、短距離でジグザグに折り返す「稲妻型」に道を造って、直線的に急勾配を登っていけば、距離が短く済みますし、時間も余分にかかりません。

しかし、体が大きくて、重い荷物を背負う牛馬を通行させるとなると、勾配を緩くする必要がありますし、それなりの道幅も確保しなければなりません。また、頻繁に方向転換するような道形も避けたかったでしょう。ベターなルートとして、このように大きく迂回するルートを取ったのだと思います。

折り返してからの古道も、今となっては所々で崩落して、往時の姿のままに残っている箇所はあまりありません。








至る所でしっかりした石積み擁壁を築いて、険しい地形ながらも徒歩道以上の道幅を確保しているところから見ても、賀田・茶ノ又と三重縣道熊野街道を結ぶ重要な運搬路・交通路として開削されたことが推測できます。


と言いつつ、また崩落箇所を通過。


路肩の外は沢へと落ちる崖です。


水量の少ない滑滝へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

沢の対岸には古道の続きが見えています。


滑滝を見上げながら、沢の中の岩場を横断していきます。


木々に囲まれているのであまり意識しないで済みますが、この辺りも路肩の外は崖地が続いています。




水抜きのためか、路肩の石垣に隙間が設けられています。


ここでまたしばらくは、道幅がしっかり残った古道へと戻ります。




道跡が軽く抉られた枯れ沢を通過。


枯れ沢を登ると路肩に大きな岩が転がっていました。割れた断面が滑らかな岩ですね。


背の高い石積み擁壁が続いています。


石積み擁壁のある区間を過ぎると道跡があいまいになってきましたが、間近に見えてきた尾根を目指して、一直線に進みます。


広場に出てきました。左側へと進みます。


ようやく切り通しに到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

比較する物がないので写真ではわかりにくいですが、これは確かに巨大な切り通しです。壁面の高さは20m~30mはあるでしょうか。




これだけの規模の切り通しを掘り下げるとなると、相当の資金と労働力を掛けたと思われますが、どうして「尾鷲市史」にこの切り通しの工事のことが記述されていないのでしょうか。南輪内村が発行した「南輪内村誌」にすら何もありませんでした。


南輪内村が村費もしくは有力林業者からの寄付金などで開削したにしろ、三重県へ陳情して補助金を受けたり、県が工事を実施したにしろ、何らかの記録がありそうなものです。本当に記録が残っていないのか、市史などに記述するほどの出来事ではないと無視されたのか。また機会があれば調べてみますかね。


国道42号矢ノ川峠旧道へと出てきました。こちらは矢ノ川峠方面。


こちらは熊野市飛鳥町大又方面。矢ノ川峠以西は林道的な使われ方もされなくなってしまい、廃道化が進んでいる区間です。


交差点に立つ道標。


せっかく矢ノ川峠旧道まで登ってきたので、比較的近い場所にありそうな水準点と橋を見るために大又方面へと進んでいきます。


警戒標識が転がっていました。支柱が四角なので古いものには間違いありません。国道当時のものでしょうか。


路肩には申し訳程度の駒止め。


路上にまで木が生えていて、もはや自動車での通行は無理ですね。




水準点を見つけました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

少し摩滅していますが、「水準點」と読み取れます。


裏面には番号が彫られていて、「四七八六号」だと思われます。現在、基準点成果等閲覧サービスでこの地点を検索しても水準点は無いことになっているので、廃点された水準点のようです。


ふたたび歩き出し、橋へとやって来ました。ご覧のとおり、橋桁は撤去されています。そして、橋台には穴が4つ開いていて、その真下には丸太が4本転がっています。方丈橋のように橋を支えていた丸太でしょうか。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

橋跡をぐるりと見渡します。




橋跡の先にも廃道は続いていますが、今回の目的ではないので、ここで引き返すことにします。


矢ノ川峠旧道を引き返して、一旦切り通しの前を通過。矢ノ川峠が見える場所まで来ました。


さすがにまだ遠いですね…。今回のところは峠もあきらめることにします。


切り通しへと戻ってきました。それでは車へと帰ることにします。


さて、ここで登ってくる途中で気が付いた別の古道へと入っていきます。もしかしたら、歩いてきた古道の旧道に当たる道かもしれません。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

登ってきた古道に比べると勾配は急ですが、所々、路肩に石積みがあったりして、道の造りはしっかりしています。




ところが、大岩を過ぎて折り返したところ、その先から道跡がプツリと消えてしまいました。おそらく崩落してしまったのでしょうが、全然見い出せなくなってしまいました。




仕方がないので、そこからは木々を頼りに斜面を急降下。伐採地近くの古道へと再合流しました。




いちいち古道を辿って戻るのももどかしいので、伐採地の中をショートカットして降りていきます。


斜面を下りていく途中に古道の名残りがありました。おそらく、正面の斜面を伝って緩やかに登ってきていたのでしょう。


弓山林道の終点付近にある橋まで戻ってきました。ここからもう少しだけ、おまけの探索を続けます。


※(3)へ続く。
Posted at 2023/05/07 21:08:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 矢ノ川峠 | 日記
2023年05月04日 イイね!

【尾鷲市】弓山林道から矢ノ川峠旧道までの古道を探索する(1)

2023年4月9日(日)、三重県尾鷲市賀田町にある弓山林道から国道42号の矢ノ川峠旧道へとつながる古道を探索してきました。

少々長くなりますが、今回この古道を探索することにしたきっかけを記しておきます。ある時、矢ノ川峠旧道を通行した方のブログに、「旧道に接続するように巨大な切り通しがあったが、その先に道は見当たらなかった。」という内容を見つけたからです。

この切り通しの場所はすぐに特定できたので、切り通しに関わる記事が他にもないか検索してみたところ、「切り通しには賀田(尾鷲市賀田町)からの杣道がつながっていた。」という記事がヒットしました。それ以外には、この杣道を歩いたとか切り通しの由来に関するような記事はヒットしませんでした。戦前発行の地形図を見てみると、切り通しから賀田方面へ直線的に徒歩道が表記されてはおり、一応、道が存在したことは間違いないようです。

それから、この古道について何かしらの記述がないかと「尾鷲市史」を調べてみましたが、直接該当しそうなものはありませんでした。

間接的な記事としては、鳥越林道の関係で「尾鷲市史」を調べた際に、南輪内村(現在の尾鷲市賀田町ほか)の記事で「高瀬山・茶ノ又方面からの天然林の伐採により、(木材輸送のため)港がある賀田から茶ノ又へ至る4.6kmの車道(荷車道)が明治31年(1898年)に竣工した。」というものがありました。

「南輪内村誌」にも同様の記事があり、「林産物の搬出の為めに字小濱の附近から、古川の右岸に沿って茶の又に至る四十二町程(約4.58km)の坦々たる車道が拓かれ、其れから飛鳥村大又に至る運搬路の掘鑿によって大に便利になった(以下略)。」とあります。

ここで興味を惹いたのが「飛鳥村大又に至る運搬路」の一文。年代が記されていないため、初めは単純に鳥越林道のことを指すのかと思いましたが、鳥越林道は南輪内村賀田と飛鳥村「小又」とを結ぶ道であり、同じ村内とは言え「大又」とは離れた場所です。巨大な切り通しがある場所は、現在の住所で言うと尾鷲市賀田町と熊野市飛鳥町大又の境。今回探索する古道を指している可能性大です。

さて、茶ノ又は賀田から古川沿いに4.6kmの距離にあるということで、おおよその位置は見当がつきますが、高瀬山は地形図に掲載がなく具体的にどの場所を指すのか不明でした。

そのため、尾鷲市内の山に関することをネット検索してみたところ、尾鷲市賀田町内の「ゲジョ山」への登山記録があり、その中に「タカセ山前峰」というピークを通過してゲジョ山へ向かうことが記されていました。登山記録をアップした方は、「タカセ山前峰」から北方にある847.4mの三角点表示がある無名のピークが「タカセ山」だろうと推測しています。

そこで、この「847.4m」の三角点について国土地理院の基準点成果等閲覧サービスで閲覧してみると、三角点名が「三頭」だとわかりました。残念ながら「タカセ山」もしくは「高瀬山」ではなかったのです。それでも念のため、さらに三角点の戸籍と言える「点の記」を閲覧してみました。すると、「三頭」の所在地が「三重縣紀伊国南牟婁郡飛鳥村大字大又字高瀬山」とあり、ここでようやく「高瀬山」という地名が出てきました。

三角点が設置されている土地の所有者も記されており、南輪内村村長となっていました。高瀬山の山林は南輪内村が所有しており(元和8年(1622年)に当時の賀田村が山林購入した際の売渡証書が残っている。)、三角点「三頭」がある山一帯が「尾鷲市史」にあった高瀬山で相違ないようです。

車道の終点である茶ノ又からは、木材を搬出するための木馬道が周囲の山々へと伸びていたそうなので、当然、高瀬山一帯にも伸びていたでしょう。それらの道の内の一つが整備され、南輪内村賀田と飛鳥村大又との境にある山の尾根を通過していた東紀州の主要街道「三重縣道 熊野街道」(矢ノ川峠旧道)に、木材や物資の運搬路として接続していてもおかしくありません。その接続場所が「巨大な切り通し」だと考えるのが妥当でしょう。

上記の内容に出てくる地名などについて表記した地図を載せておきます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、ようやく本題に入ります。やって来たのは、国道42号と三重県道70号との交差点付近。この辺りに車を停めて、古道探索へと向かいます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

交差点付近にある「賀田口」バス停。


バス停の先から道路が分岐していて、「弓山林道」と記された標柱が入口に立っています。まずはこの林道の終点まで進むことにします。




「古道の痕跡がないかなぁ。」と周囲の斜面を探しながら歩いていたところ、さっそく石積み橋台を見つけました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

両側の橋台ともしっかり残っています。道幅は荷車道よりは狭く感じますが、牛馬の通行ができるくらいはありそうです。




ご覧のとおり、林道からほんの少しだけ上流側に寄せて残っていました。少しでも川幅の狭い所に橋を渡そうとしたのでしょう。


その後はしばらく痕跡はなく、淡々と林道を歩いていきますが、橋の手前で左側の斜面へと入り込みます。林道の橋が架かっている場所は川面までの高さがけっこうあったので、まだ川を渡らずに進んだのではないかと考えたからです。


凹んだ場所に間伐材が埋もれていて、それが奥へと続いていっているので、道跡のような気がします。




人為的に積まれたものと思われる石積みがありました。


しかし、急流の沢沿いを通っているためか一面に岩や倒木が転がっていて、明確に「道跡だ!」と言えるようなものが見い出せなくなってきました。


これ以上時間を取るのももったいないので、沢を渡り、対岸を通る林道へと戻りました。






無名の橋が現れました。


場所はこちら。


そして、この場所で右側の斜面を見ると石垣が奥へと続いていっています。さすがにこのまま見逃すわけにはいきません。


石垣の上へと登ってみると一定の幅のある平場が続いています。石積み橋台からの古道の続きのようです。


歩き始めてすぐに古道の向きが川へと直交しました。ここに橋があったようです。


対岸にも路肩を石で組まれた道形が続いています。


平らな場所なので、わざわざ道幅分だけ嵩上げする必要もないと思うのですが、なぜでしょう。川の増水を考えるならもっと高くする必要があるでしょうし。




木の根元に祠があります。


祠の中には何もありません。他の場所へと移されたのでしょう。


祠の先で古道は林道に削り取られていました。


弓山林道の終点に着きました。そして、この光景を見て愕然としました…。古道が通っていた谷の木々が皆伐されています。この状態では、古道は破壊されているかもしれません…。


場所はこちら。


コンクリート舗装された作業道が谷の上部へと続いているので、ここは割り切って進めるだけ進むことにします


今度は大きな砂防ダムが見えてきました。新しそうなものが3か所設置されています。近年の豪雨などでこの谷全体が痛めつけられた証拠です。ますます不安になってきます…。


砂防ダムの銘板を見るとやはり新しいものばかりでした。






「こんな大きな砂防ダム、越えていけるかなぁ…。」と心配でしたが、幸い、通路が設けられていたり、堰堤横の斜面が緩やかだったりしたので、割と容易に通過できました。




前方に皆伐地の頂上部が見えてきました。頂上部にある大きな木を目標に、何とかあの場所まで取り付くことにします。


伐採された際に切り落とされて大量に折り重なった枝葉の中を乗り越えて、大きな木の下までやって来ました。


場所はこちら。


ここからは、幅が狭まった沢筋の斜面に残っているであろう古道を探すことになります。岩の間から染み出ていた沢水で汗まみれの顔や汚れた手を洗って、さらに奥へと進んでいきます。


戦前の地形図によると、徒歩道は沢筋の左側の斜面に記されていたので、そのとおりに左側の斜面へと取り付きますが、全然古道が見つけられず、急斜面に行く手を阻まれてしまいます。


取りあえず、足場となる岩が大量に転がる沢の中を進み、古道の痕跡を見つけたら斜面へと取り付くことにします。


程なくして、左側の斜面に一筋に連なる石垣を発見しました。




場所はこちら。


路肩の石垣がしっかりと残っていますね。




所々で崩れてはいたものの、道筋を見失うことなく上流側へと進んでいったところ、突然、古道は切り通しのある尾根とは真逆の方向へと折り返していきます。




「地形図と違う…。でも、真っ直ぐに道跡らしきものは無いし、あるとおりに進むしかないか。」と逆方向となる古道をさらに進んでいきます。


折り返した後も、古道はしっかりとした幅のある道筋が残っていて、路肩には石垣もあります。地形図はどうあれ、この方角が古道の本来のルートのようです。




伐採地の上部へと出てきました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

いい眺めです。でも、個人的に急斜面の伐採地は怖いんですよね…。日光を浴びて地面はカリカリに硬く乾いてグリップが悪く、小石や枝葉、切り株など転びやすい材料が一面にあって、危険極まりないのです。


足元に十分注意しながら伐採地を横断していきます。ここを古道が通っていたのだから、嫌であっても仕方がないのです…。






こんな場所にも古道の証拠である路肩の石垣がちょっとづつ残っています。下まで遮るものがないので、高い場所が苦手な私には困ってしまいます…。


ようやく伐採地を横断しました。この先はふたたび林の中を通るようです。まあ、木々が生えているからと言って、道跡が残っているわけではないですが(笑)。




※(2)へ続く。
Posted at 2023/05/04 17:26:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 矢ノ川峠 | 日記
2021年11月23日 イイね!

【三重県尾鷲市】矢ノ川峠「明治道」を歩く(3)

2021年10月23日土曜日、三重県尾鷲市と熊野市の境にある矢ノ川峠(標高:807m)を越えるルートのうち、通称「矢ノ川峠明治道」と呼ばれる廃道を歩いてきました。

今回歩いた推定ルート図はこちら。赤線が明治道になります。ちなみに黒線が昭和道になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

※その2からの続きになります。

坂を登り詰めるとヘアピンカーブに突き当たりました。


正面には高く積み上げられた石積み擁壁が見えています。


ヘアピンカーブの頂点まで進んでから振り返ります。ここは2つの連続ヘアピンカーブで一気に高度を稼ぐようです。進む先の山側にも石積み擁壁が見えています。


連続ヘアピンカーブで上っていくような場面は、当然今までにもいろいろな場所で見てきましたが、けっこう薮や草むらに覆われてしまい、全体像がはっきりしないケースが多く、これだけ鮮明に道跡や石積み擁壁を含めた連続ヘアピンカーブの景色を拝めるのは、廃道好きとしてはちょっとした興奮を覚えますね(笑)。

中段の道跡を進んでいきます。


中段の道跡の山側に残る石積み擁壁。ここまで石垣の類は苔むしたものがほとんどでしたが、なぜかここの石垣はあまり苔むしていません。


今歩いている中段の道跡を支えている石積み擁壁は、積み方が野面積みですが、上段の道跡を支えている石積み擁壁は谷積みになっています。


野面積みは自然石(整形していない石)を積み上げていく方法で、谷積みは整形した石を斜めにして積み上げていく方法です。道路沿いや鉄道沿いの古い時代の土留め擁壁は、野面積み・布積み(整形した石を目地が揃うように積み上げる方法。)から谷積みへと変化しているようです。

なので、ここの谷積みの擁壁は、明治道の拡幅工事の際に野面積みから積み直されたものかもしれません(あくまで想像ですが。)

もう一つのヘアピンカーブで振り返っての写真です。


この連続ヘアピンカーブ区間にやって来て、最初に見上げていた高い石積み擁壁です。こちらの石垣は全体が苔むしています。


この地点から左手の山側を見上げると、高い場所に野面積みの石積み擁壁が見えています。これからあの場所を通っていくわけです。


ヘアピンカーブを挟んでうねりながら上ってくる道跡を見下ろしています。羊腸の道というには距離が短過ぎますが、この場所も明治道のハイライトの一つと言えるでしょう。


ただ、明治道の紹介記事を上げているのは登山者の方々が多いのですが、この場所については誰も取り上げられてはいなくて、そこはやはり興味を覚える視点の違いを感じますね…(そりゃ当然だ。)。

連続ヘアピン区間からさらに進むと、ほどなくしてまたヘアピンカーブが現れます。


このカーブの外側にも水準点の標石が残されています。ここも国土地理院の管理からは外れているようです。


ここからは短い距離ですが、尾根道になります。


谷積みの石積み擁壁で路盤をかさ上げしてあります。


尾根道区間が終わり、左へと屈折してふたたび山腹に取り付きます。


今までのうっそうとした植林地や雑木林の中を通っていた時とは雰囲気が変わってきました。


先ほど、下から見上げていた石積み擁壁です。見てのとおり粗い積み方ですが、路盤はしっかり残っています。


石造暗渠を発見。沢があるわけではないので、水抜きのためでしょう。






廃道を歩いているといちいち石造暗渠を取り上げていますが、特に暗渠マニアという訳ではありません(笑)。めぼしい遺構が少ない廃道歩きでは、どうしても石造物に目が行ってしまうだけなのです。

瓦礫は多いですが、快適な廃道が続きます。


前方の道跡が怪しくなってきました。


道跡は残っていますが、全面に岩が流れ込んでいます。そんなに大きくはないので、足元に気を付けて通過します。


橋跡を越えていきます。


何か見覚えのある景色になりました。


明治道の紹介記事の写真にあった路上に根を這わせている木ですね。


梅雨時に来ると木々や苔の緑がもっと色鮮やかでフォトジェニックになりそうです。

斜面から岩が道跡へとあふれ出しています。すべて苔むしているので、相当以前に流れ込んだのでしょう。


鋭角なヘアピンカーブです。乗合自動車は何度も切り返して上り下りしていたのでしょうかね。


少し歩くとまたヘアピンカーブです。この辺りが「七曲がり」と呼ばれた難所のようです。


この場所で3つ目のヘアピンカーブです。カーブは鋭角で道幅も狭いし、自動車にとってこれは難所ですね。


ヘアピンカーブの奥側から振り返って撮っています。道跡が荒れすぎていて、写真を見るだけでは一瞬何のために撮ったのかわかりません(笑)。


前方が巨岩群で埋もれていますね…。


乗り越えた先は、また平穏な道跡に戻りました。




ずいぶんと標高を稼いできました。国道42号のロックシェッドが真下に見えています。


またヘアピンカーブです。


土砂崩れに道が埋もれてしまったりと、道跡の状況が悪くなってきています。








炭焼き窯の跡ですね。円形に積まれた石垣の土台が残っています。


またヘアピンカーブです。あまり急坂にならないように繰り返しヘアピンカーブを設けて、ジグザグに山を上っていきます。


巨石が転がる風景もすっかり当たり前の光景になりました(笑)。


谷側は切り立った崖になっています。


石畳がありました。


岩壁と木立ちで回廊のようになっています。


橋跡を通過します。


倒木が折り重なっていて、通り抜けるのが厄介ですね。


路肩の石積み擁壁。このようなアングルで撮るために路肩から身を乗り出しています。ちゃんと岩や太い木を足場にしていますから。


山側は岩盤を削り込み、谷側へは石垣を積んで造られた狭い道跡を進んでいきます。




道跡を眺めていると、山肌が凹んでいる場所や斜面が急な場所には石垣の積み上げて路盤を確保してあり、急峻な地形にどうやって幅のある緩やかな道を通すか相当苦心したことが見て取れます。






少し落ち着いた雰囲気になってきました。


見覚えのある石垣がある場所へ出てきました。どうやら、矢ノ川峠昭和道を歩いた時に安全索道小坪駅跡へ行こうとやって来た場所に着いたようです。


もう少し先へと進みます。


単なる斜面にしか見えませんが、ここが明治道(左側)と安全索道小坪駅跡へと向かう道跡(右側)の分岐点です。


このように書きましたが、実はこの時点でも右側の道跡を進むと安全索道小坪駅跡へ行けるとはわかっていません。

まずは昭和道訪問時に確認していなかったこの道跡の先が、どのようになっているのかをあらためて確認するつもりで進み始めました。


ちょっとした広場を通り過ぎます。


おそらくは、この場所にロープウェイと木本(現:熊野市)とを結ぶ乗合自動車の発着場があったのでしょう。

これといった案内も見当たらないまま道跡を進んでいきます。


平場へと出たら、奥にコンクリートのブロックのようなものが見えています。「ここに小坪駅跡があったのか…。」とちょっと気が抜けました。


駅跡と言っても、建物の跡らしきものは見当たらず、ロープウェイのゴンドラを巻き上げる機械が設置されていたコンクリートの土台が残るのみです(機械が設置されていた当時の絵葉書が検索できます。)。






これで矢ノ川峠明治道を踏破しました。厳密に言うなら、前回昭和道を歩いた時についでに探索した部分も踏破するべきでしょうが、リスクが高いだけで結論はわかっているので(八十谷林道に吸収されつつ、矢ノ川隧道付近で昭和道と合流する。)、これで終わりとします。

さて、帰り道は「比較的」道の良い昭和道を通っていこうかとも思いましたが、明治道に対して迂回する距離が長すぎるので、やっぱり距離の短い明治道を戻って帰ることにしました。

12時40分過ぎ、安全索道小坪駅跡を出発。


13時50分、矢ノ川峠明治道入口を通過。


14時15分、国道42号葛篭谷橋の駐車帯に停めた車へと帰ってきました。


行きは写真を撮りながらだったので3時間20分くらい掛かりましたが、帰りも多少は写真を撮っていましたが、基本は早歩きだったので1時間35分ほどでした。時間差から考えると、2時間近く写真を撮るのに費やしたという訳ですね(笑)。実際、写真はカメラとスマホを合わせて600枚以上撮っていますからねぇ。人様から見るとこれが多いのか少ないのかは見当つきませんが。

これで矢ノ川峠の昭和道と明治道の踏査は終了。比較的情報量の多い昭和道に対して、情報の乏しい明治道は自分の目で確かめたい気持ちが強かったので、ひとまず満足といったところです。

個人的には明治道の魅力は後半部分がより強いですかね。森林の山道よりは、険しくて岩盤を剝き出しにした場所を通過するような廃道が好みですし、石造物も山の上へと進むほど豊富になってきますからね。

さて、この周辺でほかに歩ける廃道・古道だと、「八鬼山越え」など江戸時代以前の街道跡である熊野古道の各峠の道といったところでしょうか。これは自分が一応のターゲットとする「明治期荷車道以降の廃道」という範疇からは外れてくるので、これで矢ノ川峠周辺を訪れることは当面ないかと思います。

と言いつつも、明治期荷車道以前の峠道でインターネット上で紹介されていないマイナー案件のルート探索にも、「来たついでに。」と手を出したりはしているので(ごく最近では長野県平谷村の三州街道治部坂峠道とか岐阜県高山市荘川町の郡上・白川街道軽岡峠道とか。どっちも笹や篠竹が密生していて、ひどい目に遭いました(笑)。そのうち載せるつもりです。)、熊野古道を歩きに来てみるのも良いかもしれませんね。
Posted at 2021/11/23 12:39:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 矢ノ川峠 | 日記
2021年11月21日 イイね!

【三重県尾鷲市】矢ノ川峠「明治道」を歩く(2)

2021年10月23日土曜日、三重県尾鷲市と熊野市の境にある矢ノ川峠(標高:807m)を越えるルートのうち、通称「矢ノ川峠明治道」と呼ばれる廃道を歩いてきました。

今回歩いた推定ルート図はこちら。赤線が明治道になります。ちなみに黒線が昭和道になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

※その1からの続きになります。

杉か檜か(葉っぱを見ると素人でも見分けがつくそうです。)、岩壁からすごい生え方をしています。釣り針みたいな形。


路盤が崩落して道幅が3分の1になっています。歩く分には十分幅があるので、気にせず通過します。




道の形がはっきりと残っていて良いですね。この辺りの山は表土が薄い岩山のようで、木が路面に根を這わせている場面が多いです。


苔むした落石。路肩の石積みも苔むしています。


路上に土石があふれ出しています。


前方が明るくなってきました。


距離はだいぶ離れましたが、国道42号千仭橋がまだ見えています。矢ノ川峠周辺の山深さがよくわかります。


路肩の石積み擁壁。


ここも土石が流れ込んで、道跡が荒れていますね。


谷の最奥まで来て、ここで沢を渡ります。橋台は残っていないようですが、前後の路面の高さから橋が架かっていたはずです。


対岸に渡った所にボロボロになった罠用の檻が放置されていました。


谷の対岸の山腹へと回り込んでいきます。


土石の山を越えた先、道跡の真ん中にも木がたくさん生えています。


これは暗渠ですね。気が付かないとうっかり穴へ落ちてしまいそうです。


緩いヘアピンカーブ。


荒れたり崩落した道跡を歩き進めていきます。




ようやくお目当ての場所の一つに到着しました。道跡に苔むした石板が並んでいる場所です。


アングルを変えながら写真を撮ります。苔の鮮やかな緑色が映えます。






矢ノ川峠明治道を紹介していた記事の中にあった写真で見た時は、石橋なのかと思っていましたが、実際は暗渠の蓋でした。


ここまで歩いてきた中で見た暗渠では一番大きく、整形した石材で組まれたきちんとした造りの暗渠です。


暗渠の中の写真も撮っておきます。


暗渠の脇には、岩の上にすごい根の這わせ方をした木が2本生えています。


軽ワンボックスより一回り小さいくらいのサイズの巨岩。こんなものが落ちてくる時は、どんな音が轟くんでしょうかね。


道跡が途切れています。


小さな橋が架かっていたようです。両岸に石組みの橋台が残っています。


平穏な風景になりました。


道跡内へ突出した岩。これも落石なんでしょうね。道跡の様子を見る限り、岩を迂回している形跡は無いですし。


落石がゴロゴロ。


前方にすごいものが見えてきました。


たくさんの岩が雪崩のように崩れてきたんでしょうね。


なかなかの巨木です。しかも、とても太い根を路肩に沿って這わせています。


こちらも巨木です。この道が現役の頃から生えているのでしょう。


また落石などで荒れ気味です。


石積み擁壁がきれいに残っています。


道跡がS字を描いて奥へと進んでいきます。


また路肩の両側に石積みがあります。


道跡に這えた木と倒木。その先はいくつもの大きな落石が道跡を遮っています。




ここも細かい落石や木々でゴチャゴチャしています。


お目当ての場所の2つ目に到着です。ここは路面が完全に崩落しています。


明治道の紹介記事の中に、この場所を岩に這った木の根を頼りに渡っていく写真があります。一応ロープも張られていますが、何となく頼りないので、やはりしっかりと根付いた木の根の方が安心でしょう。


けっこうスリリングな場所かと思っていましたが、特に危険を感じるようなことはありませんでした。

また橋台が現れました。






橋が渡る沢の中は石畳を敷き詰めてあります。洗掘防止のためでしょう。


道跡がグイグイと坂を上り始めました。




ヘアピンカーブに突き当たったようです。




※その3へつづく。
Posted at 2021/11/21 14:35:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 矢ノ川峠 | 日記

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