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小林あにのブログ一覧

2022年12月04日 イイね!

JR城端駅・下小鳥ダム・安房峠・奈川渡ダム

2022年11月3日木曜日、祝日で仕事がお休みだったので長距離ドライブへと出かけてきました。

しかし、そもそもこの日はブラブラと長距離ドライブへ行こうとしていたわけではなく、岐阜県大野郡白川村の国道156号新内ヶ戸トンネルの旧道を訪れようと家を出発していました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ところが、新内ヶ戸トンネルまで来たところトンネル内設備の工事中。その工事の関係車両が旧道出入口付近に駐車されていたため、旧道に接近することができず訪問を断念。そのまま富山県方面へと素通りした結果、長距離ドライブになっただけです(笑)。

国道156号をそのまま走行し、富山県南砺市下梨からは国道304号へと入り、梨谷トンネル・五箇山トンネルを通過して、南砺市のJR城端線の終端駅である城端駅へとやって来ました。「城端」は「じょうはな」と読みます。

場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

駅裏の駐車場へと車を停めて、駅構内を眺めます。ホームにはちょうどキハ40系が停車中です。




近くで写真を撮ろうと駅舎前を通って反対側へと向かっていたところ、高岡駅からやって来た列車が到着。てっきり停車中の列車が折り返し発車するものと思っていたら、思いがけず2本並んでの写真が撮れました(笑)。




城端駅の駅舎。木造の古そうな建物で、懐かしい感じがします。


ふたたび駅裏の駐車場側へと回っているうちに高岡行きが出発していき、先ほど城端駅に到着した列車だけが残っていました。40分ほどで折り返し出発するので、ディーゼルエンジンはかけっ放しのままです。


転車台の跡。1969年(昭和44年)まで使用されていたそうです。


駅敷地の終端部。


ネットで城端駅からさらに先へと延伸する計画があったのか検索してみましたが、それらしい記事はヒットしませんでした。城端線自体は、もともと南砺地方の米を富山県西部の中心地である高岡へと輸送することを目的とした路線だったようなので、城端の街の南側に聳える険しい山々をわざわざ越えて五箇山へと延伸するような計画は立てられなかったのかもしれません。

城端駅を一通り見て回り、これで帰ろうかと東海北陸道福光ICから高速に乗り、一度は帰路へとつきました。

飛騨清見ICまで来たところで、ふと東海北陸道が飛騨トンネルから飛騨清見IC間で通過している小鳥川の渓谷を通ってみたくなり、高速を下りて、小鳥川沿いの岐阜県道478号を走っていくことにします。帰宅する方向とは逆向きになります(笑)。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

川沿いの1~1.5車線ほどの県道を走っていきます。時期的には終わりに近づいている周囲の山々の紅葉を眺めながらのドライブです。


大きな鋼橋が現れたので停車。栗ヶ谷橋とあります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

栗ヶ谷橋からの眺め。もう1~2週間早ければ鮮やかな紅葉を見ることができたかもしれません。




下小鳥ダムの堰堤を通過して、県道478号と県道75号の交差点へとやって来ました。飛騨古川へと出たかったので、黄色い線のように進んで稲越方面へ向かいます。


下小鳥ダムです。








場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ダム湖を離れて、稲越へと向かう保峠の峠道を登っていきます。道幅がインプレッサではギリギリで、ガードレールもないのでゆっくり登っていきます。


道中、対向車が1台しか来なかったので無事に通過できました(なぜか浜松ナンバーの車でしたが。)。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この後は、飛騨古川から高山市街を通り抜けて国道158号へ。平湯温泉郷から安房峠へ行くルートへと進んでみたら、通行止めにはなっていなかったのでそのまま進行。

何年ぶりか忘れましたが、久しぶりに安房峠へと登ってきました。もう夕暮れ時なので、少々寒いです。この場所は峠のまだ少し手前になります。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

乗鞍岳方面を眺めます。


安房峠です。標高は1790m。岐阜県と長野県の県境であり、高山市と松本市の市境でもあります。


現在地はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

安房峠からの穂高連峰の眺め。


そのまま峠を下って、次に停まったのは奈川渡ダム。ここから長野県道26号へと入り、木祖村へと抜けていきます。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

日が沈み、ダムの周りが夕闇に包まれてきましたが、国道は多くの車が通過していきます。




帰宅したのは22時50分。国道156号の廃道へ行けなかったばっかりに、とんだ大回りの長距離ドライブになってしまいました(笑)。
Posted at 2022/12/04 14:18:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年11月05日 イイね!

大室山と伊豆シャボテン動物公園へ行ってきました

2022年10月8日土曜日、姉の誘いにより家族4人で静岡県伊東市の大室山へ行ってきました。姉が大室山へ行きたいと言い出した理由は、また「ブラタモリ」らしいです(笑)。

当日は自宅を5時20分頃出発。東名高速で沼津ICまで行き、そこからは伊豆縦貫道で大仁中央ICへと進み、亀石峠を越えて伊東市宇佐美へと出て、国道135号を南下。大室山へと至りました。

10時20分頃、大室山に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

大室山について少々説明します(ウィキペディアからの引用です。)。

大室山は標高580mの火山です。伊豆東部火山群の活動の一つとして約4000年前に噴火した単成火山のスコリア丘だそうです。「単成火山」は一回の噴火だけで形成された火山のこと、「スコリア丘」はスコリア(岩滓。マグマが吹き上げられて飛散冷却してできる岩塊で、多孔質で黒っぽいもの)が放出され、火口の周りに積もって崖錐斜面をつくり、円錐台形の山を成したものを指します。

大室山はこの整った姿と保存状態から、日本におけるスコリア丘の代表例の一つとして紹介されることも多く、2010年(平成22年)8月5日には、単成火山の典型例として、国の天然記念物に指定されました。なお、再び大室山が噴火に至る可能性は、単成火山群の特性からして否定されているようです。

それでは大室山へと登っていきます。かつては徒歩での登山もできたようですが、現在はリフトを利用しての登山のみが許されているようです。




こちらは噴火口の跡。現在はアーチェリー場として利用されているようです。


それでは、噴火口の周りを一周していきます。周回路には急峻な場所は無く、いたって緩やかなので(坂がきついと思われる方はいるでしょうが(笑)。)、幼児や年配の方でも気軽に歩くことができます。




















のんびり30分ほどで一周。リフトで麓へと降りていきます。




次は母の要望で、隣接する伊豆シャボテン動物公園へと立ち寄ります。何でも若い時に一度来たことがあるようで、覗いてみたいとのことでした。


園内からは大室山の全景がよく見えます。


以下、園内や動物の写真です。
























レッサーパンダ。同じルートをひたすらグルグルと歩き続けていて全然止まってくれないので、ピンボケの写真しか撮れませんでした(笑)。




動物園は本当に久しぶりでした。カピバラとレッサーパンダは動画を見るばかりで直接見たのは初めてでしたが(笑)、のんびりじっくり見ることができて良かったです。ただ、カピバラについて弟は「ただの大きいネズミじゃん。」といまいち好きになれないようでしたが。

最後に立ち寄ったのは、沼津御用邸記念公園。皇族好き(ファンみたいなもの。)の母にはいい場所だろうと、帰り道に寄ってみました。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ただ、残念なことに着いた時間が遅くて、建物内部の見学時間はすでに終了。園内の見学だけでしたが、母は満足できたようでした。










園内にあった防空壕。説明板によると昭和20年(1945年)の沼津大空襲で本邸が消失する被害に遭っているそうです。防空壕が実際に使われたこともあったのでしょう。




Posted at 2022/11/05 10:40:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年10月24日 イイね!

井倉洞・備中松山城跡・備中高松城跡へ行きました

2022年9月10日土曜日、弟に誘われて岡山県新見市の井倉洞、同県高梁市の備中松山城跡へと行ってきました。備中高松城跡は、帰り道のおまけでの立ち寄りです。

当日は自宅を午前3時に出発。国道23号知立バイパス・伊勢湾岸道・新名神と進んでいきましたが、新名神を走行中に情報掲示板で走行ルートに予定していた名神草津JCT~高槻JCTの一部区間が夜間通行止めになっていることがわかり、急遽、京滋バイパス→第二京阪道路→近畿道→中国道へと変更。やや大回りする羽目になりました。

その後は中国道を北房ICまで進み、高速を降りてからはナビの案内に従って国道313号→岡山県道58号→県道50号と経由。ところどころ、道が狭い箇所もあって心配になることもありましたが、10時15分頃、無事に井倉洞の駐車場へと到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

それでは駐車場から井倉洞の入口へと歩いていきます。

こちらは付近を通るJR伯備線をかつて走行していたD51蒸気機関車。


お召列車をけん引したこともある機関車だそうで、デフレクター(除煙板)に鳳凰のプレートが残されています。


井倉洞を訪れるのは相当久しぶりになりますが(少なくとも「みんカラ」を始めた2013年以降は訪れていない。)、その当時は立ち並んでいた土産物店がきれさっぱり無くなっています。駐車場も閑散としていましたし、これも時代の流れなのでしょうか。


井倉洞の入口へとつながる橋が見えてきました。


橋の近くに立てられている説明板と井倉洞の銘が彫られた石碑。




入洞料1,000円を支払い、高梁川に架かる橋を渡っていきます。


こちらが井倉洞の入口です。こんなに小さかったですかね?昔は長距離ドライブの目的地として何度も訪れた場所ですが、すっかり忘れてしまっています。




それでは、しばし洞内の写真をお楽しみください(笑)。洞内をけっこう登っていくので、途中に1か所だけエスケープ路が設置されています。






























洞内をずっと登ってきますので、見物を終えると結構高い場所に出ます。そこから橋までは急な通路を下っていくことになります。


ここでちょうどお昼になったので、橋のたもとにある食堂で昼御飯を食べて、次の目的地である高梁市の備中松山城跡へと向かいます。

井倉洞から高梁川沿いに国道180号を進み、備中松山城跡へとやって来ました。場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

案内板に従って国道から狭い路地へと入り込み、お城の麓の駐車場に車を停めてシャトルバスに乗り換え。山の中腹にある小さな駐車場までバスで上がったら、そこからは徒歩で山上の天守を目指します。






大手門跡に着きました。中に入ると三の丸になります。


しかし、天守がある本丸はこの三の丸の石垣群のさらに上にあります。もうしばらくは頑張って階段を登っていきます。




麓の高梁市街地からだいぶ登ってきました。


二の丸に到着です。ここでようやく天守の姿が見えました。


さっそく本丸へと入っていきます。


こちらは猫城主の「さんじゅーろー」。ちとお疲れの様子。鼻先に指を近づけても匂いを嗅いでくれず無反応でした。


天守です。2層2階の構造で、現在の姿になったのは天和元年(1681年)から3年かけて行われた当時の藩主である水谷氏による城郭の大改修によるものとみられていますが、創建年に関しては確定的な資料が無いようです。


城は明治6年(1873年)の廃城令により売却されましたが、不便な山上にあるため解体を免れました。しかし、その後は放置され荒れるに任せる状態となり、昭和初期に地元の教師が調査した頃には天守などの建物はあばら家と化し、崩壊してしまった櫓もありました(その当時の写真が残っています。)。

その後、地元の高梁町(当時)で修復の機運が高まり、二重櫓、天守などが修復され、昭和16年(1941年)に国宝(現在の重要文化財に相当。)に指定されました。


天守1階。


天守2階。


天守を出て裏側に回り、二重櫓を眺めます。


二重櫓側から見上げた天守。


それでは本丸を出て、さらに北側にある後曲輪へと移動します。


後曲輪から見上げた二重櫓。剥き出しの岩山にさらに石垣を積み上げて聳え立つ姿が良いですね。天守よりも気に入りました(笑)。




さて、最後に訪れたのは、岡山市北区高松に残る備中高松城跡。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この城は、天正10年(1582年)の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)による「高松城の水攻め」で有名です。

高松城は低湿地の中に築かれており、容易に攻めることのできない「沼城」でした。織田軍対毛利軍の最前線であるこの城を攻めあぐねた秀吉は、高松城の三方が山に囲まれていて、一方だけが平野に開けている地形を逆手に取って長大な堤防を築き、付近を流れる足守川の水を引き入れて、城の周囲を水没させました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こうして高松城の補給線を遮断。急報を受けて高松城方の援軍としてやって来た毛利輝元・吉川元春・小早川隆景率いる毛利軍も、城を囲む湖のために手出しができない状況に陥りました。

こうして秀吉と毛利方が休戦・領土割譲交渉を進めている最中に織田信長が明智光秀に襲撃される「本能寺の変」が勃発。秀吉の「中国大返し」へとつながるわけです。

そんな歴史上の大事件の現場だった高松城。今も城跡を田んぼが取り囲んでいて、「沼城」の面影をわずかに残しています。






城跡に立てられている水攻めの説明板。


帰路は岡山総社ICから高速に乗り、山陽道から中国道へと出て、大阪からは往路の逆順のルートで帰りました。
Posted at 2022/10/24 20:37:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年10月02日 イイね!

気賀関所・竜ヶ岩洞へ行ってきました

2022年8月14日日曜日、弟の誘いで静岡県浜松市北区細江町気賀にある気賀関所へ行ってきました。


気賀関所は、当地を通っていた東海道の脇街道である本坂通(通称:姫街道)の通行を監視する役所として1601年(慶長6年)頃に設置され(各種の説があるようです。)、1869年(明治2年)に関所廃止令により廃止となりました。

現在の気賀関所は1990年(平成2年)に復元されたもので、本来の場所とは違う場所に建てられています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

関所内の写真です。






これで弟としては今回のドライブの目的は果たしたので、「あとは適当にドライブして。」という感じ(笑)。まずは気賀関所の近所で最近全然行っていない場所へ行くかと思い立ち、浜松市北区引佐町田畑にある鍾乳洞「竜ヶ岩洞」へ向かうことにしました。

こちらが竜ヶ岩洞です。前に訪れたのは20年代半ばだった気がするので(職場の若手グループでの小旅行で訪れて以来。)、30年近く前になりますかね。


その当時のことを思いつつ、「今はコロナのこともあるし、そんなには混んでないだろう。」と来てみたら、この混雑ぶり(笑)。浜松の街から近くて手頃ですし、鍾乳洞はひんやりと涼しいですからね。

場所はこちらです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

スマホで何枚か写真を撮ってみましたが、当たり前ながら洞内は暗いので手ブレ・ピンボケなものばかり…。写真では岩の洞窟にしか見えませんが、ちゃんと鍾乳洞の部分もありますよ。




竜ヶ岩洞を見物した後は、北上して愛知県新城市方面へとぶらぶらドライブ。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

走行しているうちに、「前に道がわからなかった峠の古道の反対側の下調べをしておくか。」と新城市海老の山奥へと向かいます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

パジェロミニなのをこれ幸いに砂利道林道まで入り込みましたが、割とすぐに一般車通行止めになってしまい、大した情報も得られないまま引き返す羽目になりました…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

新城市海老まで引き返す途中にあった双体道祖神。愛知県内の山の中では初めて見ましたが、鳳来町誌を読むとそこそこ点在しているようです。


この後は国道420号を経由して岡崎方面へと抜けて帰っていきました。

こちらはその国道420号沿いに残っている森林鉄道段戸山線・田峯鰻沢線の跡。国道の拡幅工事のために木が伐採されて、姿が見えるようになっていました。そのうち斜面が削り取られて無くなってしまうかもしれません…。


場所はこちら。


帰宅後、晩御飯は弟と弟の友人の三人で焼肉。こうしてお盆の日曜日は終わりました(ちなみに私はお盆休みが無いのです…。)。
Posted at 2022/10/02 06:26:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2022年08月17日 イイね!

日中線記念館(旧熱塩駅)に立ち寄りました

2022年7月16日土曜日、福島県福島市飯坂町中野の旧国道13号「萬世大路」に残る「二ツ小屋隧道」と「烏川橋」を訪れ、その足で「二ツ小屋隧道」から「新沢橋」へと至る廃道区間を歩いてきました。

廃道を歩き終えて、東栗子トンネル前の駐車帯へと戻って来たのが16時15分。


当初の予定としては、このまま国道13号で米沢市へと出て、南陽市から国道113号に入って新潟県方面へと進みつつ、小国町の「綱取橋」にも立ち寄ろうかと考えていました。

しかし、この時間からでは小国町に着く頃には夕闇が迫り、廃道に入り込むのにはよろしくない状況になりそうです。

ということで、「綱取橋」を訪れることはあきらめて、国道121号で会津若松へと出て、磐越道で新潟県へと向かうことにしました(新潟県へ向かうことはあきらめていない(笑)。)。

国道13号で東栗子トンネル・西栗子トンネルを通過し、米沢市街からは国道121号へと進み、山形・福島県境にある大峠トンネル前の駐車帯までやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらが大峠トンネルです。


トンネルの銘板によると、竣工は1985年(昭和60年)9月。トンネル延長は3940mです。


少し余談です。現在の国道121号である大峠道路は、平成4年(1992年)8月に一部区間の供用が開始され、山形・福島県境を往来できるようになりました(大峠トンネルの竣工から大峠道路の一部供用が開始されるまで、さらに7年が経過していることに、トンネル前後の道路建設に相当苦労したことが想像されます。)。

それまでの国道121号は、大峠トンネルからさらに南東側にある「大峠」を越えるルートを取っていました。この峠道は狭隘の屈曲路であり、冬季通行止めが5か月間も続く難所でもありました。現在は事実上の廃道となっています。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

大峠から福島県側に入った、特に屈曲している区間の戦前の地形図。

5万分の1地形図「熱塩」:大正2年(1913年)測図・昭和6年(1931年)要部修正測図及び同修正縮図。

この峠道は、福島県側からは米沢街道と呼ばれていました。旧来は大塩峠・蘭峠・檜原峠という3つの峠越えをして会津若松と米沢を結んでいましたが、「会津三方道路」事業により、米沢街道を大峠経由ルートへと付け替えるべく明治15年(1882年)に着工。明治17年(1884年)に完成しました。工事には住民が延べ73万4千人動員され、文字通り住民の血と汗と涙の苦労の末に出来上がった道路だそうです。

ちなみに大峠から山形県側の峠道は明治17年に着工し、明治19年(1886年)に完成。これにより牛馬車での峠越えが可能となったそうです。

その後、不景気対策の一環として行われた「農村振興土木事業」により、昭和7年(1932年)〜9年(1934年)にかけて自動車道へと改修されました。

同じく大峠から福島県側の屈曲路区間。こちらは現在の地形図に旧国道を青線で表示したものです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、国道121号大峠トンネルを通過し、ふたたび福島県へ。時刻はもう18時30分を回っていますが、まだ空は明るく、最後にもう1か所立ち寄ることにしました。

やって来たのは、福島県喜多方市熱塩加納町にある日中線記念館。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

日中線記念館は、旧国鉄日中線の終端駅であった旧熱塩駅を保存した施設です。もうすぐ19時になろうかという時刻なので、施設にはすでに誰もいませんでした。
























この後は会津若松まで国道121号を走行し、会津若松ICから磐越道に乗って新潟県方面へ。新潟中央JCTから北陸道に入りましたが、ここでどうにも眠気が酷くなり黒埼PAにて仮眠。目が覚めたら3時間経っていて、日付けが変わってしまいました。
Posted at 2022/08/17 22:48:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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「【富山県】黒部ダムへ出かけてきました http://cvw.jp/b/1796277/48759927/
何シテル?   11/11 01:11
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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