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小林あにのブログ一覧

2021年01月17日 イイね!

東栄町御園と豊根村古真立を結ぶ古道を探索する

(「別所街道 望月峠道を歩いてきました」からのつづきになります。)

2021年1月16日土曜日、北設楽郡東栄町御園と豊根村古真立を結ぶ古道を探索してきました。

望月峠を越えて、峠の南側にある眞地集落までやって来ました。


ここまで歩いてきたルートはこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この時点で時刻は11時。このまま望月峠へと峠道を引き返してもよかったのですが、時間的には余裕があったので、「ついでに熊野神社前から東側へ別れていく古道を偵察がてらに歩いて、愛知県道74号の御園トンネルの上から望月峠へ出ればいいや。」と違う道で戻ることにしました。

熊野神社の参道脇の木のすぐ右側に古道の入口があります。


踏み込んでいくと、すぐにはっきりとした古道が現れます。


この道は旧園村御園と豊根村古真立を結んでいた里道(聯路)の跡です。戦前の地形図中の青線の道になります。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行

まずは笹原をかき分けて進みます。


分岐点に来ました。わかりにくいですが、右側直進方向に進む道があります。が、左側に見える切り通しの方が明らかに古そうなので、左側を選択します。


切り通しを通過します。


抜けたところで、古道は急坂の堀割り道で斜面にアタック開始です(笑)。「またか…。」という気分ですが、これも古道の味わいの一つということで。


小さい切り通しを抜けます。


下に県道74号が見えています。ここは斜面が少し崩れていますが、通行に支障はありません。


細い道が続きます。


また小さな切り通しを抜けます。


通り抜けたところで古道が無くなってしまいました。斜面が崩落したようです。


仕方がないので県道脇まで降りて、落石防護柵に沿って進んでいきます。


結局、古道は復活しないまま県道74号の御園トンネルに出てきました。


望月峠につながる林道はトンネル上の尾根を通っているので、そこまでは登らないといけません。

トンネル前で振り返り、左側へと登っていく林道へ入ります。


林道へ入ってすぐ左側に古道を発見。林道ではなく、こちらで尾根まで登っていくことにします。


わかっていましたが急坂です…。




古道が崩れています。山側に寄って通り抜けます。


密集した枯れ笹が現れました。かき分けて進めますが、何気にうっとうしい…。へし折りながら先へと進んでいきます。




前方が明るくなってきました。


先ほど別れた林道と再合流です。


すぐ左手に分岐点があり、左側へ進めば望月峠へと向かうことができます。


時刻は11時30分。「もう少し古道を追ってみるかな。」と望月峠へは向かわず、林道を横断して、再度、古道へと取り付きます。


ちゃんと古道が残っていました。


また枯れ笹です…。へし折りながら進みます。


笹原へと出てきました。写真中央が古道のようです。


間もなく、古道は林道へと吸収されてしまいました。


ここからは林道を歩いていきます。


中部電力が設置した電波反射板。


林道の小さな切り通しの脇に、さらに小さい切り通しが残っています。写真左側の切り通しが古道のものでしょう。


山の斜面に広い草原が現れました。木を伐採した跡ですかね。


この草原の斜面の下で道が分岐しているのを見つけました。


林道の左側に分岐していく道は山の上へと向かうようです。さらに左側の道は、いかにも古道のような道です。


入り込んで覗いてみると、斜面を下っていく古道がありました。どうやらここから山の麓にある豊根村古真立へと向かうようです。


場所は星印の地点になります。熊野神社前からここまで1.5kmほどです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

時刻は11時50分。「少しだけ下ってみるかな。」と下り坂へと入り込んでいきます。ある意味、悪い方に嵌まる行動パターンですね(笑)。


少し進むと崩落箇所がありましたが、橋が架かっています。この道自体が高圧線鉄塔の巡視路として使われているようなので、整備したのでしょう。


ここに橋が架かっていなければ引き返したかもしれません。いや、橋が無くても右側の倒木を頼りに渡っていったでしょうね(笑)。

橋を渡った先も両足幅くらいの踏み跡を進んでいきます。左側はけっこうな急斜面ですが、足場を容易に作れるくらいの柔らかい地面だったので、あまり気にすることなく通過しました。


ガレた沢を通過します。


歩き進めていくと、直進方向に道が無い地点に来ました。


どうやら左へ折れて、斜面を真っ直ぐ下っていくようです。


どこまで下っていくのか、はっきりとした道跡が無く不安でしたが、幸い、道跡によく付く凹地を見つけ、さらに左へと折れていきます。


写真は逆方向から撮っているので、写真左上部から下ってきて、右方向へと折り返す形になります。

緩斜面の端まで来たら、また折り返します。


最後にまた折り返して、この緩斜面から離れていきます。


また道が細くなっています。瓦礫がたくさん転がっているので、足を取られて転ばないように注意して進みます。


またガレた沢に出会いました。手前の倒木を手すり代わりにして、沢を横断していきます。


幅が広い部分に出てきました。やはり、谷側の路肩に木が植わっている場所は路盤が安定していて、道がしっかりと残っています。


「やれやれ一安心。」と思っていたら、道が崩れてしまった岩場へと出てきました。


「ここで終わりか…。」と思いましたが、よく見ると岩場に積もった土の上に踏み跡が続いています。「これなら行けるわ。」ということで、ここも越えていきます。

すぐに瓦礫で埋め尽くされた沢へと出ました。古道と河原に若干高低差がありましたが、木の根がいい具合に手すり代わりになり、沢へと降りて先へと進んでいきます。


沢を渡った先も細い道が続きます。手入れされなくなった急傾斜地の古道を進んでいくので、これは仕方ありません。


こういう場所でリラックス。


ガレ沢です。この古道で出会う沢の全ては岩で埋め尽くされていて、水が流れている沢がありません。


この辺りで時刻を気にしだしています。この沢の時点で12時20分。すでに30分はこの古道を下ってきています。この古道の行く先は現在は新豊根ダムのダム湖になっており、しかも対岸へ渡る手段はないので、また登り返さないといけません。

下りで30分の道程、疲れた足での登りならどれだけ時間がかかるのか。このまま進むのもキリもないので、12時30分まで歩いて引き返すことに決めました。

沢の先へと進みます。依然、快適とはとても言えない状況が続きます。まあ、当然ですが。


切り通しというほどではないですが、両側に岩のあるポイント。こういう所も目印にしやすいです。


古道はまだまだ先へと続いています。制限時間までにダム湖畔へは出られないか…。


先ほど決めた制限時間の12時30分を過ぎてしまいました。ここで引き返すことにします。


この場所にあった炭焼き窯の跡。今は見渡す限り杉林ですが、昔は炭焼きに最適な広葉樹の森が広がっていたのですかね。


実は、この炭焼き窯の跡の上に乗ろうとしたところ、枯れ枝に足をロックされて盛大にコケてしまい、危うくカメラのレンズを割ってしまうところでした。

さて、ここまで歩いてきて口惜しいところですが、2か所目で無理しても仕方がないので、また気が向いたら出直すことにします(でも、もう多分来ないかな。)。

最後にこの先へと続く古道を撮り、12時40分、元来た道へと引き返していきます。


13時16分、橋まで戻ってきました。ここまでくれば林道までもう一息です。


13時20分、林道へと戻ってきました。


引き返した地点から40分で登り返してきました。13時30分までに林道へ戻れればと考えていましたから上等ですね。

青線の部分が今回歩いたルートになります。ピンク線は未踏査部分になります(もちろんダム湖部分は無理ですが(笑)。)。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ずっと杉林の中で眺望が効かず、写真に写っていた地形と地形図を見比べながら作ったので、本当に青線の末端部まで行ったのかはわかりませんけどね。

しかし、この古道、現役の頃でもどれくらいの人通りがあったのでしょうか。豊根村古真立やその奥の集落の人々が、この近隣で一番大きい街である本郷(東栄町本郷)やさらにその先の新城・豊橋と行き来するための大切な道ではあったのでしょうけど、行き来するたびに山深いこの坂道を通るわけですよ。ちょっと想像つきませんね。

さあ、あとは望月峠へと出て、別所街道の峠道を下り、車へと戻ります。

(次稿へつづく。)
Posted at 2021/01/17 22:09:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年01月17日 イイね!

別所街道 望月峠道を歩いてきました

2021年1月16日土曜日、愛知県北設楽郡豊根村にある別所街道望月峠までの峠道を歩いてきました。

ここ望月峠は、愛知県内の山登りをされる方や自転車乗りの方のブログなどに出てくる峠であり、また昔から東三河と信州を結ぶ街道の峠でもあったことから、峠の名前にまつわる古い伝承もあります。

ただ、この峠を訪れる人は、たいていは北設楽郡東栄町御園側から登るようで、豊根村側から旧街道を登って訪れたという記事は見かけませんでした。

周辺の地形図はこちら。地形図上部の星印からスタートして、地形図下部の望月峠を目指します。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

しかし、ご覧のとおり、現在の地形図では、スタート地点と望月峠を結ぶ道は記載されていません。

次に戦前の地形図です。こちらには赤線で印をしたように、豊根村と望月峠を結ぶ道が里道(聯路)として記載されています(青線は別稿になりますので、今回は無視してください。)。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行

ちなみに、本稿の表題では「別所街道」望月峠としていますが、この地形図が測図された時点での「別所街道」はルートが変更されており、望月峠を通過しない図中左側の緑線ルートになります。これは現在の国道151号ルートに相当します。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行

※余談:豊根村から長野県境にかけても、現在の国道151号と違うルートを通っていた時代があり、望月峠の峠道の途中から豊根村下黒川を経由し、小田峠を越えて長野県境の新野峠へ向かうルートだったようです(赤線から右側へと別れて、図中中央上側へと至る黄線。)。

「愛知の歴史街道」によると、新ルートの建設(おそらくは旧来からの道の大規模改修工事。)は明治27年(1894年)に起工され、北設楽郡東栄町本郷を起点に太和金峠を越えて豊根村上黒川までが明治30年(1897年)に開通しました。この新ルートが開通した時点をもって、別所街道は望月峠経由から太和金峠経由へ変更されたわけです。

あらためて現在の地形図上に整理すると以下のようになります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

前置きが長くなりましたが、望月峠への峠道を歩いていくことにします。

やって来たのは、豊根小・中学校前の道路。


ここの路肩に車を停めて峠へと向かうことにします。周囲は思ったよりも雪が残っていたので、雪中やぬかるみでの歩行を想定して、長靴を履いていくことにします。

ここが望月峠への峠道の入口になります。


地形図に記載のない古道の取り付き口というのは、探すのに手間取ることがままありますが、今回は「ここしかないだろう。」というくらい、あっけなくわかりました(笑)。

林の中へ入ると初っ端から急坂です。これでは、明治時代に入って車道(馬車道・荷車道としての車道。)としては使えず、新道が建設されるのも当然です。


いきなり息切れしてしまいますが(笑)、急坂の頂上が見えてきました。


しかし、頂上の先を右へとカーブすると、坂の勾配がさらにきつくなっています…。


山側の斜面を削って、わざと道を蛇行させています。少しでも迂回させて距離を長く取ることで、勾配を緩くするためでしょう。


坂道の勾配が緩くなってきました。


前方に堀割り道が見えてきました。間もなく尾根の上へと出るのでしょう。


すぐに尾根へと出ると思ったら、けっこう奥行きがあります。


尾根へと出たら左へと曲がり進みます。地形図を見ていてわかっていましたが、まだまだ急坂が続くようです…。




ここからは、次の尾根に出るまで堀割り道のつづら折りを登っていきます。急坂の路面には小石や枯れ枝が無数に散らばっていて、着実に足腰へとダメージを与えてくれます(笑)。










この区間での最後のつづら折りを抜け、尾根へ向かい真っすぐに登っていきます。


細尾根の土手道に出ました。土手道といっても、今までに見たことがある無名の道跡のものとは違い、道幅は十分にとられています。さすが県道に指定されていた道だけのことはありますね。


※「別所街道」は明治9年(1876年)に「三等県道」として指定・命名されたもの。それ以前の街道名はよくわかりませんが、信州側からは遠州街道や金指道(金指は浜松市北区引佐町金指のこと。)と呼ばれていたようで、信州と東三河を結ぶ街道というよりは、遠州とを結ぶ街道だという認識だったのかもしれません。

両脇の路肩に切り株が並んでいます。並木のように見えますが、幹が細いので、街道として利用されていた当時のものではないでしょう。


一息つく間もなく、また急坂が始まります。




この辺りは崩落地形のようで、道跡は残っているとはいえ幅がだいぶ削られてしまい、歩きにくくなっています。




何とか通り抜けたところでまた倒木です。しかも枝打ちされていないので、容易に跨げません…。枝にしがみつき、幹に馬乗りになって乗り越えます。


ふたたび尾根が近づいてきました。


ここも細尾根の土手道になっています。


土手道を渡った先で道が二股に分かれているようです。尾根の上を通る道跡は帰りに通るとして、右側の道跡を辿っていきます。


大きい倒木が重なっていますが、幹を切り取ってくれてあるので、難なく通過します。


直線的な坂を進んでいきます。




唐突に作業道へと出ました。


緩い傾斜地の中を進みます。今まで歩いてきた峠道から真っ直ぐつながっていますし、周囲にほかの道跡も見られないので、これが峠道でしょう。


路上に雪が現れました。ぬかるんでもいるようです。


長靴で来て正解でした。


林道望月峠線へ合流しました。ここからは峠まで林道で歩いていきます。


通行止めの注意看板が立っています。もしかしたら人くらいは通れるかもしれないので、ひとまず進むことにします。


長い急坂の直線です。つらい!(笑)。脇にそれる小道があり、歩きながら上から眺めていましたが、どうやら作業道のようでした。


ここが通行止めの箇所のようですが、道は通れるようになっています。車の轍も続いているので、そのまま通過します。


5cmほどの積雪ですが、ここまで登ってきて疲れた足には大きな負担です。


登り始めてから1時間10分ほど。望月峠に到着しました。標高は837m(地理院地図の標高データより。)。スタート地点が505mなので、標高差332mでした。


峠は開削されて四方向に林道が伸びており、街道の峠という雰囲気は全くなく味気がありません。峠名を知らせる案内板等は無く、峠が北設楽郡豊根村と東栄町の境界になっていますが、町村名を表示する標識もありません。

峠の南側から分岐する林道の路肩、生い茂っている笹の間にすき間が見えます。


覗いてみると道が下っていっています。別所街道でしょう。


本当は峠で引き返すつもりでしたが、見えてしまったものは仕方ありません(笑)。峠下の集落まで辿ることにします。


どんどん下っていきます。帰りが大変そうだ…。




石仏と思しきものがあります。


しかし、正面へと回ってみたら、どうやら自然石のようでした。台座があるので、何らかの理由(損壊か盗難か。)で代わりに据えられたものでしょう。

道はまだまだ下っていきます。




最後の折り返し。


ここに望月峠への道標がありました。「熊注意」もあります。山深いですからね。


簡易水道の施設のようです。


脇を抜けると道路へと出ました。


左側には神社(熊野神社)があります。峠の南側の集落に出たようです。


熊野神社の参道。


神社から少し下ると集落に出ました。地名は「眞地(まっち)」だそうです。


歩いてきた望月峠の峠道のルートがこちらになります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

旧の別所街道はこの先もいくつか峠越えをして、北設楽郡東栄町本郷へと向かっています。そのルートは現在の愛知県道74号が相当しますが、車で走るのもなかなか大変な山道です。

さて、眞地集落に出たら、もう一度峠道を登り直して帰るつもりでしたが、時間に少々余裕があったので、この付近でもう一つ探索しようと思っていた古道へ足を伸ばしてみることにします。

(次稿へつづく)
Posted at 2021/01/17 12:34:31 | コメント(2) | トラックバック(0) | 別所街道・国道151号 | 日記

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「【山形県鶴岡市】出羽三山神社へ行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48505820/
何シテル?   06/24 00:25
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