(「別所街道 望月峠道を歩いてきました」からのつづきになります。)
2021年1月16日土曜日、北設楽郡東栄町御園と豊根村古真立を結ぶ古道を探索してきました。
望月峠を越えて、峠の南側にある眞地集落までやって来ました。
ここまで歩いてきたルートはこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この時点で時刻は11時。このまま望月峠へと峠道を引き返してもよかったのですが、時間的には余裕があったので、「ついでに熊野神社前から東側へ別れていく古道を偵察がてらに歩いて、愛知県道74号の御園トンネルの上から望月峠へ出ればいいや。」と違う道で戻ることにしました。
熊野神社の参道脇の木のすぐ右側に古道の入口があります。
踏み込んでいくと、すぐにはっきりとした古道が現れます。
この道は旧園村御園と豊根村古真立を結んでいた里道(聯路)の跡です。戦前の地形図中の青線の道になります。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行
まずは笹原をかき分けて進みます。
分岐点に来ました。わかりにくいですが、右側直進方向に進む道があります。が、左側に見える切り通しの方が明らかに古そうなので、左側を選択します。
切り通しを通過します。
抜けたところで、古道は急坂の堀割り道で斜面にアタック開始です(笑)。「またか…。」という気分ですが、これも古道の味わいの一つということで。
小さい切り通しを抜けます。
下に県道74号が見えています。ここは斜面が少し崩れていますが、通行に支障はありません。
細い道が続きます。
また小さな切り通しを抜けます。
通り抜けたところで古道が無くなってしまいました。斜面が崩落したようです。
仕方がないので県道脇まで降りて、落石防護柵に沿って進んでいきます。
結局、古道は復活しないまま県道74号の御園トンネルに出てきました。
望月峠につながる林道はトンネル上の尾根を通っているので、そこまでは登らないといけません。
トンネル前で振り返り、左側へと登っていく林道へ入ります。
林道へ入ってすぐ左側に古道を発見。林道ではなく、こちらで尾根まで登っていくことにします。
わかっていましたが急坂です…。
古道が崩れています。山側に寄って通り抜けます。
密集した枯れ笹が現れました。かき分けて進めますが、何気にうっとうしい…。へし折りながら先へと進んでいきます。
前方が明るくなってきました。
先ほど別れた林道と再合流です。
すぐ左手に分岐点があり、左側へ進めば望月峠へと向かうことができます。
時刻は11時30分。「もう少し古道を追ってみるかな。」と望月峠へは向かわず、林道を横断して、再度、古道へと取り付きます。
ちゃんと古道が残っていました。
また枯れ笹です…。へし折りながら進みます。
笹原へと出てきました。写真中央が古道のようです。
間もなく、古道は林道へと吸収されてしまいました。
ここからは林道を歩いていきます。
中部電力が設置した電波反射板。
林道の小さな切り通しの脇に、さらに小さい切り通しが残っています。写真左側の切り通しが古道のものでしょう。
山の斜面に広い草原が現れました。木を伐採した跡ですかね。
この草原の斜面の下で道が分岐しているのを見つけました。
林道の左側に分岐していく道は山の上へと向かうようです。さらに左側の道は、いかにも古道のような道です。
入り込んで覗いてみると、斜面を下っていく古道がありました。どうやらここから山の麓にある豊根村古真立へと向かうようです。
場所は星印の地点になります。熊野神社前からここまで1.5kmほどです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
時刻は11時50分。「少しだけ下ってみるかな。」と下り坂へと入り込んでいきます。ある意味、悪い方に嵌まる行動パターンですね(笑)。
少し進むと崩落箇所がありましたが、橋が架かっています。この道自体が高圧線鉄塔の巡視路として使われているようなので、整備したのでしょう。
ここに橋が架かっていなければ引き返したかもしれません。いや、橋が無くても右側の倒木を頼りに渡っていったでしょうね(笑)。
橋を渡った先も両足幅くらいの踏み跡を進んでいきます。左側はけっこうな急斜面ですが、足場を容易に作れるくらいの柔らかい地面だったので、あまり気にすることなく通過しました。
ガレた沢を通過します。
歩き進めていくと、直進方向に道が無い地点に来ました。
どうやら左へ折れて、斜面を真っ直ぐ下っていくようです。
どこまで下っていくのか、はっきりとした道跡が無く不安でしたが、幸い、道跡によく付く凹地を見つけ、さらに左へと折れていきます。
写真は逆方向から撮っているので、写真左上部から下ってきて、右方向へと折り返す形になります。
緩斜面の端まで来たら、また折り返します。
最後にまた折り返して、この緩斜面から離れていきます。
また道が細くなっています。瓦礫がたくさん転がっているので、足を取られて転ばないように注意して進みます。
またガレた沢に出会いました。手前の倒木を手すり代わりにして、沢を横断していきます。
幅が広い部分に出てきました。やはり、谷側の路肩に木が植わっている場所は路盤が安定していて、道がしっかりと残っています。
「やれやれ一安心。」と思っていたら、道が崩れてしまった岩場へと出てきました。
「ここで終わりか…。」と思いましたが、よく見ると岩場に積もった土の上に踏み跡が続いています。「これなら行けるわ。」ということで、ここも越えていきます。
すぐに瓦礫で埋め尽くされた沢へと出ました。古道と河原に若干高低差がありましたが、木の根がいい具合に手すり代わりになり、沢へと降りて先へと進んでいきます。
沢を渡った先も細い道が続きます。手入れされなくなった急傾斜地の古道を進んでいくので、これは仕方ありません。
こういう場所でリラックス。
ガレ沢です。この古道で出会う沢の全ては岩で埋め尽くされていて、水が流れている沢がありません。
この辺りで時刻を気にしだしています。この沢の時点で12時20分。すでに30分はこの古道を下ってきています。この古道の行く先は現在は新豊根ダムのダム湖になっており、しかも対岸へ渡る手段はないので、また登り返さないといけません。
下りで30分の道程、疲れた足での登りならどれだけ時間がかかるのか。このまま進むのもキリもないので、12時30分まで歩いて引き返すことに決めました。
沢の先へと進みます。依然、快適とはとても言えない状況が続きます。まあ、当然ですが。
切り通しというほどではないですが、両側に岩のあるポイント。こういう所も目印にしやすいです。
古道はまだまだ先へと続いています。制限時間までにダム湖畔へは出られないか…。
先ほど決めた制限時間の12時30分を過ぎてしまいました。ここで引き返すことにします。
この場所にあった炭焼き窯の跡。今は見渡す限り杉林ですが、昔は炭焼きに最適な広葉樹の森が広がっていたのですかね。
実は、この炭焼き窯の跡の上に乗ろうとしたところ、枯れ枝に足をロックされて盛大にコケてしまい、危うくカメラのレンズを割ってしまうところでした。
さて、ここまで歩いてきて口惜しいところですが、2か所目で無理しても仕方がないので、また気が向いたら出直すことにします(でも、もう多分来ないかな。)。
最後にこの先へと続く古道を撮り、12時40分、元来た道へと引き返していきます。
13時16分、橋まで戻ってきました。ここまでくれば林道までもう一息です。
13時20分、林道へと戻ってきました。
引き返した地点から40分で登り返してきました。13時30分までに林道へ戻れればと考えていましたから上等ですね。
青線の部分が今回歩いたルートになります。ピンク線は未踏査部分になります(もちろんダム湖部分は無理ですが(笑)。)。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
ずっと杉林の中で眺望が効かず、写真に写っていた地形と地形図を見比べながら作ったので、本当に青線の末端部まで行ったのかはわかりませんけどね。
しかし、この古道、現役の頃でもどれくらいの人通りがあったのでしょうか。豊根村古真立やその奥の集落の人々が、この近隣で一番大きい街である本郷(東栄町本郷)やさらにその先の新城・豊橋と行き来するための大切な道ではあったのでしょうけど、行き来するたびに山深いこの坂道を通るわけですよ。ちょっと想像つきませんね。
さあ、あとは望月峠へと出て、別所街道の峠道を下り、車へと戻ります。
(次稿へつづく。)