2021年1月24日日曜日、あいにくの雨模様でしたがドライブへと出かけてきました。本当は一人でブラブラとドライブしようかと思っていましたが、母が同行することになりました。
特に目的地を決めないまま自宅を出発し、額田郡幸田町を経由して新東名岡崎東ICから高速へ。次の新城ICで下りて、国道257号から県道32号を進みます。
新城市海老の県道389号稲目トンネルの手前から与良木峠を通る旧県道(伊那街道)を走っているところで、「田峯観音へ行ってみるか。」と思い立ち、北設楽郡設楽町清崎へ出たところで国道257号へと右折。清嶺トンネルを通り抜けて橋を渡ったら、すぐに右折・左折をして、田峯の集落へと向かう坂道を進んでいきます。
という訳で、田峯観音へとやって来ました。訪れるのは2回目だったかな。
田峯観音と田峯城の周辺の地形図です。青線ルートでやって来ました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
境内へと階段を登っていきます。
境内です。
こちらは歌舞伎舞台。文久3年(1863年)の竣工だそうで、愛知県の有形民俗文化財に指定されています。毎年2月に奉納歌舞伎が行われるそうです。
こちらは拝殿・本堂です。
額殿の格天井に描かれている花鳥風月画。旧振草村(現在の北設楽郡東栄町)の住民が奉納したものだそうです。
お参りを済ませて車へと戻ります。
次は、同じ集落内にある田峯城へと来ました。
バキバキに割れてしまった案内板ですが、何となく城の形状はわかります。
田峯城は標高387mの独立丘陵に築かれた山城で、文明2年(1470年)に菅沼定信により築城されました。その後、天正11年(1583年)に城主である菅沼氏が転出し、以降廃城となったそうです。
駐車場側からの城内の眺めです。
曲輪として成形された地形がはっきりと見えていますね。「竪状畝堀とかあるのかなぁ。」とほかの場所も探してみましたが、そういうものはありませんでした…。
本丸に推定復元された御殿。
この地域の有力国人領主の城とはいえ、これだけ立派な御殿が建っていたのかなぁ。それを言っちゃうとロマンもへったくれもありませんが(笑)。
御殿の前にある舞台?と建物内の部屋です。
こちらは大手門。「大手門」とありますが、実際の大手門跡は、私たちが登ってきた駐車場側にあったようで、本来は搦手門(裏口の門)の場所なのでしょう。
こちらは物見台。
物見台は上部へと登ることができます。階段というより「はしご」にしがみ付いてよじ登るかたちですが(笑)。
物見台からの景色。城の真下を流れる寒狭川からの標高差は170mほど(地理院地図による。)あるので、遠方まで眺めは良好です。晴れていればもっと良かったのですが。
霧に遮られていますが、谷底に寒狭川と国道257号を薄っすらと眺めることができます。
田峯城と田峯の集落。
さて、田峯城の役割はどんなものだったのでしょうか。「領主の城」であることは当然として、付近を通過する重要な街道である伊那街道(三州と信州伊那谷を結ぶ街道。)の監視もその役割だったのかもしれません。

※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行
ドライブからだいぶ話がそれましたが、なかなか良い暇つぶしになりました。母も気分転換になったようで良かったです。
Posted at 2021/01/24 21:46:40 | |
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