2021年1月30日土曜日、岡崎市東部山間地の千万町(ぜまんぢょう)町と岡崎市街地を結んでいた古道「千万町街道」を歩いてきました。私が住む安城市にも今冬初の積雪があり(2~3cmほど)、「雪景色の山道でも歩きに行くかな。」と思い立った次第です。
本稿は「雪の千万町街道を歩いてきました(1)」のつづきです。
古道の急坂を登り詰めていったところ、かつて峠があった場所には大きな築堤が築かれていました。
現在地は星印になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
林道へと出てきました。かつての風景と様相が全く変わっています。
持ってきたタブレットで地形図を確認しましたが、この林道はまだ記載されていませんでした。図中には黒線で加筆してあります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
登ってきた古道の正面に当たる場所に切り通しだけが残っていました。
本来は峠に出たところで右へと曲がり、さらに尾根伝いに進んでいくのですが、かつての面影が全く見い出せません…。
しばらくこの辺りを行ったり来たりして、周辺の様子を眺めていましたが、林道に出てきた場所から左側の山の斜面に古道があるのに気が付きました。
多分、祠の前で二手に分かれた中腹を通る古道だと思います。逆戻りすることになり時間のロスになりますが、ここが峠の跡であることを確認するためにも歩いていくことにします。
やはり祠の下にある分岐点へと出てきました。
地形図中の青線のルートで引き返してきました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
先ほど林道へと出て来た場所が峠の跡と確信できたので、もう一度戻って林道をさらに先へと進んでみることにします。
ふたたび峠跡へと戻ってきました。
峠跡の先は林道をそのまま進まずに、古道探しのために山の上を歩いていってみます。
堀割りの道が少しだけ残っていました。
さらに50mほど進むと、今度は左側に切り通しが見えています。
中に入ると堀割りの道が残っていました。
しかし、左へとカーブしてきた林道により古道は削り取られていました。ただ、その先に古道の続きが見えていたので、一旦引き返します。
ようやく千万町街道のつづきに戻れます。
見覚えのある倒木です。ということは、4年前からそのままということですね。おかげでこの道が千万町街道であると確認できたわけですが(笑)。
倒木の上で切り通しを越えていきます。
湿地帯(沼地?)の横を通り過ぎます。
分岐点に来ました。千万町街道を通る人には知られた分岐点だと思います。ここも直進ではなく右手へと逸れていく道が正解。私が初めて来た時は逆方向から歩いてきたので、迷わずにすみました。
現在地は星印になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
右手へと登り、先へと進んでいきます。
尾根の上を進んでいきます。
目の前に標高342mのピークが見えてきました。古道は右側へと山を取り巻くように迂回していきます。
またV字に掘り込まれた道が現れました。歩きづらいためか、道の右横に新しい踏み跡が付いてしまっています。
道が二つに分かれています。多分、右側が古い道だと思います。右側の道は、以前来た時は枯れ枝などで埋もれて通りにくくなっていましたが、人が通るようになったのか、きれいに無くなっていました。
鞍部の交差点に出てきました。ここは逆方向から来ると千万町街道から逸れてしまう方向へ迷いやすい場所です。
現在地は星印になります。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この時点で時刻は14時になりました。実は、歯医者の予約を16時30分に取っていたので(奥歯の冠が取れました(笑)。)、間に合うように帰る必要があります。
15時には車まで戻らないといけないので、ここで引き返すことにしました。
まずは15分ほどで林道まで戻ってきました。
林道の銘板を見つけました。林道古部夏山線とあります。平成30年度ということは、やはり最後に訪れた後に施工されたわけですね。
これだけの林道を造れば景色もすっかり変わるわけですよね。
峠跡の手前でもう一つ銘板を見つけました。こちらは令和元年度とあります。
この林道、気になるのが古部「夏山」線ということ。夏山はこの場所からだと国道473号を越えた南東方向にあります。この先のルートもおそらく千万町街道が通る尾根と同じ尾根を辿ると思われるので、将来的にはもっと寸断されてしまうかもしれませんね…。
峠跡まで戻ってきました。
こちらは2016年10月に訪れた時の同地点の写真です。写真左側の斜面を埋め立てて林道を造成したわけですね。あまりにも景色が違い過ぎます…。
あんまり休憩しているわけにもいかないので、どんどん歩いていきます。
行きに鋭角で左折した先にあった急坂です。この坂さえ登り切れば、あとは車まで体力的にきつい場所はありません。
15時過ぎ、予定どおりに車まで戻ってくることができました。
今回歩いた区間の全体図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
千万町街道は尾根を巧みに利用して、できる限り最短距離で岡崎の街と千万町やその手前側の村々(さらには千万町よりも奥の作手地区など。)とを往来する道としてはるか昔から利用されてきたそうです。
その本来の役目を終えてから随分と時間は経っていますが(昭和戦前期から車道改修が進み、トラック・バスの利用が徐々に浸透していくにつれて、利用が廃れていったようです。)、今はこの街道の存在を知る人たちが、ハイキングや自転車・バイクのオフロード走行などレジャーの側面で利用することで、価値をつないでいると言えるでしょう。
ただ、途中にも書きましたが、林道開発が今後どのように影響を及ぼしていくのかが心配の種ですね。