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小林あにのブログ一覧

2018年11月25日 イイね!

奥羽本線赤岩-板谷間の廃線跡を歩きました(1)第一天狗山・第二大日向隧道

2018年11月24日土曜日、奥羽本線赤岩-板谷間の環金トンネル付近に残る廃線跡を歩いてきました。

前日金曜日は碓氷峠の廃線跡をちょこっと歩き、そのまま上信越道、北関東道、東北道と時々仮眠を取りつつ進み、土曜日早朝、福島市へとやって来ました。

しかし、目的地へ行く前にまた寄り道。福島市内の奥羽本線庭坂駅付近にある築堤です。


今回、この築堤に4か所ある煉瓦暗渠の名称を確認して、「同業者」の方へお知らせすることがオマケの目的。疲れる前に済ませておくわけです。

その方が今夏に訪れて薮で見えなかったものも含めて、4か所とも銘板で名称を確認できたので、その方の掲示板に名称を書き込み再出発です。

ひとまず国道13号で奥羽本線板谷駅を目指しますが、またまた寄り道。廃村になっていますが万世大路の大滝宿へ行ってみます。

行ってみたところ、廃屋が点在しているだけ。飯田市の大平宿みたいなものを想像していましたが、そこよりも荒れていました。

集落の奥へと進んでみたところ、昭和11年架橋のコンクリート橋を発見。胡桃橋という名称。




万世大路を自動車道として改修した時期のものでしょうか。今は林道同然となってしまってます。


再び国道13号に戻り、雪が積もる東栗子トンネルを通過。トンネルを抜けた所で左折し、山形県米沢市板谷へとやって来ました。

集落を通り抜けて、車を県道154号の板谷橋のたもとに駐車。ここから廃線跡までの2~3kmを徒歩で向かいます。


時折、頭上から雪の塊が落ちてくる中、一人林道を下っていきます。


付近を流れる松川を渡り、奥羽本線が通る山腹へと斜面を登り、ようやく廃線跡に到着です。

第一天狗山隧道。板谷駅側坑門です。




実は、下調べして到着を予定していたトンネルとは違いました。まあ、廃線跡に到着したことには間違いないので、探索を始めることにします。

トンネル内に入っての印象は、「側壁の石積みが高いなぁ。」というものでした。


天井の煉瓦が抜け落ちています。


損傷がひどかったのか、コンクリートブロックに積み換えられています。


退避坑の周りを環状に石積みしないで、側壁の石をカットしただけのものは初めて見た気がします。


コンクリートブロックが抜け落ちているトンネルも初めて見た気が。




反対側へと通り抜けました。


第一天狗山隧道の赤岩駅側坑門です。日当たりが良いためか明るい印象です。




少し離れた場所から坑門を振り返ります。右側のコンクリート擁壁は多分雪崩留めでしょうか。山の斜面との間に大きく空間が取られています。


赤岩駅側へと廃線跡を進みます。この辺りは薄く積雪していたにもかかわらず、鮮明に踏み跡が残っていました。


築堤の先にトンネルが見えてきました。


第二大日向隧道です。


トンネル前の長いロックシェッド。あらゆるところにひびが入りボロボロです。






このトンネルも側壁の石積みが高いです。


数字が書かれた板がぶら下がっています。


天井部分に元々の煉瓦アーチと改修後のコンクリートアーチで段差があります。


退避坑に石が詰め込まれています。


閉塞地点が見えてきました。新しい環金トンネルを建設した際に埋められたそうです。


壁面が割れたのか、わざと割ったのかよくわかりません。


天井まで土砂が詰め込まれています。


天井にぶら下がって冬眠中のコウモリさん。


板谷駅側の坑口まで戻ってきました。


ロックシェッドの外観です。


ここからは第二大日向隧道を迂回する川沿いの道を進み、現行線の環金トンネル(下り線用)の赤岩駅側坑門へ向かいます。道の右手側は、はるか下を流れる松川まで崖になってます。




現行線の環金トンネル(下り線用)の赤岩駅側坑門まで来ました。このトンネルは1970年(昭和45年)の開通。坑門部分の一部に石積みがありますが、第二大日向隧道の赤岩駅側坑門を転用したためだそうです。




このプレートを見て、初めて「かんかね」と読むことを知りました。


この2,082mのトンネルで、旧線にあった第二大日向、第一天狗山、環金、戸澤の4か所のトンネルと戸澤橋梁を回避しています。

第二大日向隧道から第一天狗山隧道へと戻る途中、カモシカと遭遇。50mくらい離れていたためか、逃げもせずにこちらをジッと見つめていました。


戻ってきた第一天狗山隧道の板谷駅側坑口から、この駅間最長の旧環金隧道を望みます。


※その2へ続きます。
2018年07月15日 イイね!

奥羽本線赤岩駅周辺の廃隧道群へ行く

2018年7月14日土曜日、福島県福島市の西部、奥羽本線赤岩駅の周辺に残る廃隧道群へと行ってきました。訪問はこれで4回目となります。

何度も行っているので目新しいものがあるわけではありませんが、この三連休でどこか遠出したいなと思っていましたし、ここ1か月あまり「山歩き」もしていなかったので、昨年行く機会が無かった「ここ」へ行こうと決めた次第です。

自宅を朝5時半頃に出発(本当はもっと早く出るつもりだったのが、仕事疲れで寝入ってしまいました(笑)。)。赤岩駅付近に到着したのは13時45分頃。

いつもの場所に車を停め、そそくさと用意を済ませて、すぐに出発します。今回は斜面の直下降は止めて、赤岩駅への道の途中から分岐して目指してみます。


赤岩駅へと下る「駅前通り」。軽トラかジムニーの類でないと通行はキツイですね。


右へ曲がるのが赤岩駅への道。私はそのまま真っ直ぐに進みます。


途中で道から反れて、山の斜面に残されている道跡と思しきところを探して辿っていきます。沢とか倒木とかでその跡も曖昧になりますが、あとは今までの「経験」で見当をつけて、廃線跡へとやって来ました。

旧奥羽本線第7号隧道の側壁に到着。今回は一応狙ってこの場所に来ました(笑)。


側壁の写真です。








それでは、いつも通りにこの穴からトンネル内へと入っていきます。


第7号隧道内の写真です。














羊歯の陰にインバート(トンネル下部のアーチ状の構造物)がチラリと見えてます。


坑門上部の「7」のプレートは健在です。


第7号隧道の福島側坑門です。


第7号隧道をあとにし、薮を通り抜けると次は第6号隧道が現れます。


米沢側の坑門になります。


第6号隧道内の写真です。










福島側の坑門へと出てきました。


次の遺構、初代松川橋梁跡の方向を見ています。ここまでの区間、ずっと緑が濃いです。


第6号隧道から100mも歩かないうちに初代松川橋梁跡の橋台が見えてきます。


2連の煉瓦アーチで構成されていたそうですが、その名残りですね。


2番目の橋脚から橋台を見上げたところ。


3番目の橋脚です。










一番下段となる石造物の傍らから、松川を眺めたところ。


石造物は橋脚を支える土台といったところでしょうか。


松川の河原へと下りてきました。ここで対岸に渡り、次は二代目第5号隧道へと向かいます。


薄く土が被ったガレ場を慎重に登ってきました。


二代目第5号隧道。米沢側の坑門です。






二代目第5号隧道内の写真です。












反対側へと出てきました。


福島側の坑門です。




蝮沢橋梁跡を挟んで、対岸にある第4号隧道を眺めています。




一昨年来た時もそうでしたが、手前の沢は私ではとても渡れる代物ではないので、第4号隧道はここから眺めるのみです。

蝮沢橋梁跡の橋台。


二代目第5号隧道の福島側の側壁です。








側壁の横を進んでいくと初代の第5号隧道があります。福島側の坑門です。


初代第5号隧道内の写真です。








米沢側の坑口にきました。木立ちの先は松川への奈落となっております。


米沢側坑門です。トンネル前のスペースが狭いので、全景の写真が撮れません。


前回訪れた時は坑門の左上部に「5」のプレートが付いていましたが、その後、脱落してしまったそうです。


落ちたという場所を眺めてみましたが、プレートは見当たりませんでした。風雨でさらに下へと落ちていったのか、誰かが回収したのか…。

トンネル内の側壁は、赤煉瓦と焼過煉瓦で模様が付けられています。


トンネルの真ん前にある初代松川橋梁の福島側橋台です。




これで私の山歩きの技量レベルで巡ることができる箇所は回りました。あとは速やかに車まで戻ります。

こちらは二代目第5号隧道米沢側坑門の前にある長谷橋梁跡の橋台。






二代目第6号隧道へと続く長谷橋梁跡の橋脚。


この長谷橋梁跡から二代目第6号隧道の区間も私の技量では突破不能です…。

さて今回、最後に撮った写真。二代目第5号隧道を見上げるこの構図は、なかなか気に入っています(前に同じ場所から撮った写真を壁紙にしてます。)。


このあとは松川を渡り、初代松川橋梁跡、第6号隧道、第7号隧道、昔の道跡(今は獣道程度。)と来た時のルートをだいたい逆に辿りながら戻っていきました。

今までは帰還時に車を停めた場所まで急斜面を直登していたことを思えば、一番体力を消耗せずに戻れたかもしれません。それでも、やはり急坂で何度もえずきながらでしたが(笑)。
2016年10月10日 イイね!

奥羽本線赤岩駅周辺の廃線跡を歩く

10月9日の日曜日、福島市西部の奥羽本線(山形新幹線)赤岩駅周辺に残る廃線跡を歩いてきました。昨年9月と10月の連休にも訪れているので、これで3度目となります。

当日は天候が不順で昼過ぎまでは雨から曇りの予想となっていたため、空が明るくなるのを待って13時半過ぎの遅い出発となりました。

今回は2代目松川橋梁の橋脚を見物するため、赤岩駅へと向かう砂利道を下っていきます。



坂の途中で分岐する道へとそれて、さらに下っていくと松川橋梁の上に出ました。



ここから橋梁脇の急斜面を右往左往しながら慎重に下り、何とか無事に松川のほとりへと降り立ちました。



左右のコンクリート橋脚が現行の山形新幹線のもの、真ん中の四角い橋脚が2代目松川橋梁のものです。堂々と聳え立っております。実に巨大です。







この時点で結構気力・体力を使ってしまって、すでにお疲れモード(笑)。橋脚見物はそこそこにして松川の渓谷を下流へと向かっていきます。



最近は雨天の日も多くて川の水量が気になっていましたが、長靴でも十分両岸を行き来できる程度で助かりました。



途中には錆びたレールが1本転がっておりました。



真上の廃線跡から転がってきたのか、上流から流れてきたものなのか…。

このまま河原を歩いて初代松川橋梁へと行こうかと思っていましたが、あと少しというところで切り立った岩壁と深い淵に行く手を阻まれてしまいました。





やむなく少し上流へと引き返し、第7号隧道の坑口前へと斜面を登ることにします。



※急斜面を登っているので、地面ばかり写ってます。あと息切れの音がうるさいです。

激しく息を切らせながら何とか廃線跡まで上がってきました。第7号隧道です。



すっかり疲れ果ててしまい、「第6号隧道だけは行っておくか。」と先に進むことにします。

第6号隧道

















こちらも動画を添付しておきます。



この先、草むらや周囲を警戒しながら先へと進む気力がなかったので引き返しました。

ふたたび第7号隧道へ戻ってきました。





今度は中へと入っていきます。







こちらのトンネルは内部崩落を起こしています。廃線となった原因です。



坑口を振り返ってから、横坑で外へ。





第7号隧道の側壁です。











ここから一気にトンネル上の尾根を登り、車へと戻っていきました。

※約20分間、ひたすら急斜面を登ってます。

1本目の映像は途中で音声が途絶えます。登り始めてすぐに一度側壁へと引き返していますが、前方に猿がいるのを見つけたからです。





最後に同じ福島市内の「あづま温泉」へ。熱い温泉に浸かり汗を流しました。


2015年10月11日 イイね!

再訪 旧奥羽本線 赤岩廃隧道群

10日土曜日、再び福島市西部、松川の渓谷沿いに残る廃隧道群を訪れました。前回、9月の5連休の時、第5号隧道を前に引き返すことになりましたが、どうにも気が治まらず、この10月の3連休に再訪することをすぐに決めていました。

さて、福島市の天気を週間予報でチェックしてみると、どうも日曜日は雨天の様子。体力的に厳しいですが、土曜日を移動日に当てるのはやめて、到着後すぐにアタックすることにします。

自宅を午前2時に出発。東京までは快調でしたが、東北道川口ICから栃木ICまで断続渋滞が続いた影響で、現地への到着が昼の12時になってしまいました。また、予報では晴天だった天気が徐々に曇天になってきているのも気がかりです。

大平地区の林道に車を停めて、前回戻って来た場所から雑木林へと入り込み、廃線跡へと続く急な斜面を下っていきます。





本当は少しでも距離が短くなるよう、第6号隧道の前に出るつもりで尾根を下っていましたが、逆に第7号隧道の側壁の上に出てきてしまいました。やはり土地勘のない山は難しいです。





また登り直すのも面倒だったので、側壁にある横坑にリックサックを放り込んで、四つん這いになってトンネルの中に入り込みます。いきなりの訪問者にコウモリの大群はまたも大混乱です。



外に出てきました。



さらに第6号隧道を通過します。



初代松川橋梁跡へとやって来ました。



松川の河原へ降りるため、橋脚のたもとを縫いながら斜面を下っていきます。2回ほど、土に隠れた煉瓦の塊に足を滑らせ、尻餅を搗いてしまいました。



河原から遥か上にある初代松川橋梁跡の福島側橋台を見上げます。



松川の水量は前回来た時よりも減っています。今回は橋跡から下流側へと進んで第5号隧道へとアプローチできそうです。

河原を下流側へと歩き、比較的取り付きやすそうな斜面から登り始めます。河原からけっこうな高さを登ると、ようやく第5号隧道へ続くと思われる平場へと出ました。何となく道らしきものが奥へと続いているのが見て取れるかと思います。



ついに初代第5号隧道の米沢側坑口へとやって来ました。







トンネル前のスペースは初代松川橋梁跡の橋台があるだけで、全体像の撮影ができるだけの余裕はありません。



これは初代第5号隧道の前にある橋台を側面から撮ったものです。前は切り立つ断崖です。





第5号隧道を表す「5」のプレートがかろうじて壁面にくっついています。



前回辿ろうとした斜面を見下ろします。ここを登ってきた人たちもいるわけですが、私にはやはり無理ですね。



トンネル坑口付近の内壁は焼過煉瓦による線条模様が施されています。



初代第5号隧道米沢側の坑口を後にします。



初代第5号隧道福島側の坑口に戻ってきました。



初代第5号隧道福島側坑口
この写真の右手側斜面から登ってきました。「比較的」登りやすいルートとはいえ、滑落の危険がある箇所もあるので気は抜けません。





福島側へと線路跡を歩いていくと二代目第5号隧道の側壁が現れます。



二代目第5号隧道福島側坑口





二代目第5号隧道は、初代第5号隧道から第7号隧道を通るルートが明治44年に放棄されることに伴い、新たに建設されたルートのトンネルとなります。

二代目第5号隧道の側壁の奥に初代第5号隧道がチラリと見えます。



二代目第5号隧道福島側坑口の先には、蝮沢橋梁跡と第4号隧道が見えています。



手前の深く鋭い沢はとても容易に渡れるものではなく、この先に進むことは素直にやめました。

蝮沢橋梁跡の米沢側橋台



さて、今度は二代目第5号隧道をくぐって米沢側坑口へと向かいます。



ゆるく長い左カーブの先に坑口がありました。



二代目第5号隧道米沢側坑口



上部の煉瓦が剥落しかかっています。



第5号隧道を表す「5」のペイントが施されています。



この先に続く長谷橋梁跡の橋台です。



橋台の脇を慎重に下り、長谷橋梁跡の次の橋脚へと向かいます。



長谷橋梁跡橋台・橋脚







長谷橋梁跡の橋脚を伝ってこの先に進んでいくと二代目第6号隧道がありますが、こちら側も深く鋭い沢が行く手を阻んでおり、この写真を撮影した地点で引き返すことにしました。

一旦、福島側の橋台のたもとまで戻り、時刻を確認。すでに14時を回っていたため、これで探索を終了することとしました。



二代目第5号隧道と長谷橋梁跡の橋脚を見上げながら、直接、松川の河原へと下ることにします。





万一、滑り落ちても木で止まるようなルートを取りながら、一歩一歩降りていきます。



無事に河原へとたどり着きました。ここでアンパンをほおばって一息つきます。



川を渡り、最後に初代第5号隧道のある橋台を見上げます。さっきまであの上に居たわけですね。





ここから後ははひたすら登るだけ。まずは初代松川橋梁跡の橋脚脇をよじ登ります。



第6号隧道を通り抜けて、再び第7号隧道の前にやって来ました。



帰るためには、ここから高低差100m強の急斜面を直登していくことになります。初めは第7号隧道の上にあった道跡と思しきものを辿って上の林道へと戻ろうとしましたが、間もなくわからなくなってしまい、「やはり直登するしかないのか・・・・。」と腹をくくり、急斜面の最後の辺りは足元がフラフラになりながらも気力だけで登っていきました。第7号隧道から約20分、車に着いた時にはまたしても吐き気をもよおす程に息が上がっておりました。

危険箇所が多いこともさることながら、最後の最後に体力勝負となるこの廃線跡はなかなかキビシイ場所でした・・・・。

2015年09月23日 イイね!

福島市西部松川渓谷 赤岩廃隧道群へ行く

碓氷峠を17時に出発して、国道18号→関越道→北関東道と経由し、ようやく東北道に入ります。入って間もなく、栃木ICから鹿沼ICの間で前が見えないほどの豪雨に遭いましたが、幸い事故もなく無事通過。その後は休憩を取りつつ淡々と東北道を北へと走ります。

安達太良SAで遅い晩御飯を食べて、福島市内にある吾妻PAに着いたのは23時。入ってすぐの所に空きスペースを見つけてすかさず駐車。今晩はここで一夜を明かします。

日付が変わって20日日曜日。夜が明けても駐車場は満車状態のまま。7時を回ってからようやく起き出し、PA内のコンビニで朝食と行動食を購入。今回の本命、数ある廃線跡の中でも難関と謳われる赤岩廃隧道群へと出発します。

福島飯坂ICで降りて国道13号→県道5号と進み、松川の谷沿いの狭い道をひたすら奥へ。ちょっとした開墾地に出れば大平地区。赤岩駅へと下る砂利道の路肩に車を停めます。



辺りの斜面の様子を伺ってから、リックサックに飲食物とライト類を詰め込んでさっそく出発します。まずは車を停めた道とは反対側の道を進みます。そこから谷のある右側の雑木林へと踏み込んでいきます。



具体的に廃線跡へのルートを掲載しているサイトやブログはありません(そもそも道などないし、危険な場所だからとあいまいにしているケースがほとんど。)。少しでも下りやすい場所を選んで、木を頼りに急傾斜の林の中を谷へと降りていきます。傾斜は30度以上はある感じで、転べばそのまま下まで転がり落ちていきそうです。

写真を撮ることなどすっかり忘れて、急斜面を左右にトラバースしながら降りていくこと約20分。木々の向こうに平場と角張ったものが見えてきました。

第7号隧道



福島駅から7番目のトンネルという意味です。

正直、「ああっ、一発で見つかって良かったぁ!」というのが本音でした。それくらい運動不足の私には厳しい地形でした。

さて、私がやって来たこの廃線区間、明治32年に開通しましたが、目の前にあるこの第7号隧道の内部変状と崩落が原因で、明治44年に放棄されたものです。

近づいてもう少し周りを見てみます。





トンネル上部の「7」のプレートも健在でよく見えます。



せっかくなので、中に入ってみました。ピンボケに写ってますが、天井部分に通路と同一方向に亀裂が入ってます。



そのうち、東海道本線旧石部隧道みたいに真っ二つに割れ落ちるのかもしれません。

さらに奥へと進んでいくと「キーキー」と鳴き声がしてきて、そのうち大量のコウモリが頭上を大乱舞。何度も目の前をかすめていきますが、あまり気にせずに進んでいくと、やがて天井から大量の土砂が噴き出している場所で行き止まりとなりました。

ここで左壁面にある横坑へ四つん這いになって潜り込んでみます。



外側のトンネル外壁に出ました。この辺りもサイトなどでよく見た光景と変わりありません。









再び横坑に潜り直してトンネル坑口へと戻ってきました。



この林の先に第6号隧道がありますが、木々に遮られて全く見えません。



かつての線路跡を歩くこと数分で第6号隧道に着きます。





反対側へと通り抜けるため、中に入っていきます。





こちらのトンネルは第7号隧道と違い、煉瓦が剥がれ落ちているところもありますが、おおむねきれいな状態を留めています。

福島側坑口へと出てきました。





煉瓦の目地に山目地が施されています。



かつて「6」のプレートが付いていたであろう金具だけが残っています。



これで第6号隧道を後にします。



この先の線路跡も草木に覆われています。



100mほど歩いた線路跡に煉瓦の台座が残っていました。



目の前が初代松川橋梁跡です。



かつてアーチだった部分の痕跡が残っています。



松川左岸側に煉瓦橋台・橋脚がボロボロになりながらも残っています。









一番川寄りの橋脚の土台は高い石積みとなってました。



橋脚の脇の急斜面を下り、松川の河原へと降りました。巨石がごろごろしています。

上流側



下流側



続く第5号隧道は、下流側写真右手の崖上にあります。このまま正面からアタックするのは困難と言われてますが、まずは試しにと石伝いに何とか対岸に渡り、土を被ったガレ場と岩場を慎重によじ登っていきます。

何とか第5号隧道の真下まで来ました。



あと10mも登れば到達という所です。ルートになりそうな段差も見えてますが、この先をうまく登り切る自信がどうしても持てません。眼下の河原まですでに20m以上の高さがあり、もし踏み外したら一巻の終わりです。

数分思案しましたがここは無理をせず撤退。バランスを崩さないよう一歩一歩足場を確認しながらゆっくりと降ります。

河原に降りたところでひと休憩。今度は登りやすいルートがあるという下流側へ河原沿いに歩いていきます。しかし、行く手を淵と巨石に阻まれてこちらのルートも断念。ここでいったん初代松川橋梁跡の上まで戻り、中腹から河原へ行けそうな場所がないか下流側へと探していきます。

目の前に滝が現れて進めなくなったところで、今度はあたりの草むらから動物が動いたような草音が何度もしました。小走りで一気に第6号隧道まで引き返します。

こうなっては居る居ないにかかわらず安全第一なので、周囲を警戒しつつトンネルを抜け、吐き気がするほど息を切らせて急斜面を這い登り、車へと戻りました。



今回、最低限見ておきたいと思っていた遺構をこの目で見られたので良かったですが、人跡まれな場所に行く以上、いろいろと危険があることを再認識させられた廃線歩きとなりました。

プロフィール

「草津志賀高原ルート「雪の回廊」を見に行ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48482706/
何シテル?   06/12 23:30
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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