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小林あにのブログ一覧

2023年03月15日 イイね!

新城ラリーを見物してきました(1)

2023年3月4日(土)・5日(日)の両日、愛知県新城市の新城総合公園をイベント会場・サービスパークとして開催された新城ラリーを見物してきました。近年は新型コロナの影響で無観客開催が続いていましたが、今年は4年ぶりに観客を入れてのイベントとなりました。


4日(土)は時折雲がかかるも穏やかな天気で、多くの人出となりました。


ワタクシ的に今回のメインの目的は、WRCに出場しているGRヤリスRally1と新城ラリーが全日本ラリーデビュー戦となるGRヤリスRally2をじっくりと見ることです。


まずは展示されているGRヤリスRally1を見物。昨年のラリージャパンでも見てはいますが、さすがにこんなに間近では見られませんでしたからね。








グラベル仕様になっているので、車高は高くなっていますね。


展示しているだけの時は気楽に見物できるくらい誰もいませんでしたが、デモランの準備のためにエンジンをかけた途端、一気に人が集まってきました。


一足先にデモランを開始するセリカST165。ドライバーは、TOYOTA GAZOO Racing WRTのヤリ-マティ・ラトバラ代表。


デモラン待機中の勝田選手。


デモラン終了後のラトバラ代表。


セリカST165。ラトバラ代表の所有車ですね。




デモランを見物した後は、サービスパークへと戻ってくるラリー車を見ようと、テクニカルゾーン前のTCへと移動。結局、TCへ到着した全車を撮っていました(笑)。ピンボケだったりフレームから外れたりしているものもありますが、撮影順に載せていきます。


1号車 コバライネン・北川組(シュコダ・ファビア R5)


2号車 福永・齊田組(シュコダ・ファビア R5)


3号車 新井・保井組(スバル・WRX)


4号車 鎌田・松本組(スバル・WRX)


5号車 眞貝・安藤組(トヨタ・GRヤリス)


6号車 松岡・北田組(トヨタ・GRカローラ)


7号車 新井・金岡組(プジョー・208Rally4)


8号車 小濱・竹下組(トヨタ・GRヤリス)


10号車 奴田原・東組(トヨタ・GRヤリス)


11号車 三枝・船木組(スバル・WRX)


13号車 石川・大倉組(トヨタ・GRヤリス)


14号車 HYOMA・伊藤組(トヨタ・GRヤリス)


16号車 村田・梅本組(トヨタ・GRヤリス)


17号車 山田・藤井組(トヨタ・GRヤリス)


18号車 山本・立久井組(トヨタ・GR86)


19号車 加納・横手組(スバル・BRZ)


20号車 長﨑・大矢組(トヨタ・GR86)


21号車 曽根・石田組(トヨタ・GR86)


22号車 上原・漆戸組(トヨタ・86)


23号車 山口・丸山組(トヨタ・GR86)


24号車 上坂・山下組(トヨタ・86)


25号車 若井・藪本組(トヨタ・86)


27号車 西川・本橋組(スズキ・スイフトスポーツ)


28号車 岡田・石田組(スズキ・スイフトスポーツ)


29号車 筒井・古川組(スズキ・スイフトスポーツ)


30号車 東・藤澤組(スズキ・スイフトスポーツ)


31号車 内藤・大高組(スズキ・スイフトスポーツ)


32号車 廣嶋・廣嶋組(トヨタ・セリカ)


33号車 兼松・槻島組(スズキ・スイフトスポーツ)


34号車 前田・勝瀬組(スズキ・スイフトスポーツ)


35号車 佐藤・河西組(スズキ・スイフトスポーツ)


36号車 大倉・豊田組(トヨタ・GRヤリスRS)


37号車 鎌野・坂井組(トヨタ・ヤリス)


39号車 Ito・松浦組(マツダ・デミオ)


40号車 冨本・里中組(トヨタ・ヤリス)


41号車 河本・柴田組(マツダ・デミオ)


45号車 天野・井上組(トヨタ・アクア)


46号車 海老原・蔭山(ホンダ・フィット)


9号車 金岡・朴木組(シュコダ・ファビアR5)


42号車 島根・濱田組(トヨタ・ヤリス)


43号車 吉田・高田組(トヨタ・ヴィッツ)


44号車 木内・藤田組(トヨタ・ヤリス)


47号車 鷲尾・鈴木組(ホンダ・CRZ)


48号車 中西・山村組(ホンダ・CRZ)


49号車 奥田・阿部組(トヨタ・ヤリス)


50号車 清水・山本組(トヨタ・ヤリス)


51号車 福島・新井組(トヨタ・アクア)


26号車 内田・石垣組(トヨタ・86)


60号車 勝田・木村組(トヨタ・GRヤリスRally2)


今回は市販ガソリンが使用できない仕様のために、選手権クラスではなく、オープンクラスでの出場になったのだとか。


車の周りには外国人のエンジニア?も何名か見受けられました。サポートのためにTGR-WRTの本拠地であるフィンランドから来たのでしょうかね。


あまりはっきりとは見えませんが、車内の様子。


足回り前後。




リアビュー。


(2)へ続きます。
Posted at 2023/03/16 00:36:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新城ラリー | 日記
2023年03月12日 イイね!

【掛川市佐夜鹿】「中山新道」跡を歩いてきました

2023年2月23日木曜日、静岡県掛川市佐夜鹿に残る国道1号の前身道「中山新道」の跡を歩いてきました。

やって来たのは国道1号小夜の中山トンネル付近。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

国道1号小夜の中山トンネル付近の戦前の地形図です。

※2万5千分の1地形図「掛川」:大正5年(1916年)測図。

ちょっと長いですが、ここで「中山新道」の歴史を記しておきます。

かつて、金谷宿(現:島田市金谷)から日坂宿(現:掛川市日坂)の間の東海道は、現在の国道1号のルートとは違う場所を通過していました。金谷坂・菊川坂という急坂に加えて、特に間の宿である菊川宿から日坂宿の区間は、わざわざ小夜の中山峠へと登って長い尾根を縦走して日坂宿へと至るルートを取っていました。

金谷坂・菊川坂・小夜の中山峠と標高差150mほどのアップダウンを繰り返すこの牧ノ原台地越えのルートは、箱根や大井川のように有名ではないにせよ、東海道の大変な難所に変わりありませんでした。

明治時代に入り、牧ノ原台地で茶園の開墾を手掛けていた杉原権蔵という方が、茶園の開墾をより一層進めるためには金谷-日坂間の荷車道の整備が必要と考えました。これが「中山新道」建設のきっかけとなります。

杉原氏は出資者を募って明治11年(1878年)に静岡県へ新道開削を出願。これを受けて明治12年(1879年)8月に明治政府内で「中山峠新道開鑿之儀付伺」が提出され、明治12年9月に工事許可。10月に国の助成金を受けて工事を開始し、明治13年(1880年)5月に開通式が行われました。

さて、この「中山新道」、出願時に「国から金7,000円を借用して工事を行い、完成後31年間は通行料を徴収して返済に充てる。」という申し出をしています。工事費用の計画は総額で32,100円40銭。国からの7,000円は助成金として支出されたので、残額25,100円40銭を通行料徴収により26年間で返済する計画となりました。要するに「中山新道」は有料道路として開通したわけです。

開通後、道路利用は順調だったようですが、明治22年(1889年)4月16日、「中山新道」へ大きなダメージを与える出来事が起きます。東海道本線 静岡−浜松間の開通です。当時はまだ自動車はなく、陸路は徒歩や牛馬車が主力。それまで鉄道空白区間であったことにより平穏に利益を享受できていた「中山新道」は、東海道本線の開通によりスピードも輸送力も圧倒的な「鉄道」の猛烈な脅威に晒されることとなり、利用者を根こそぎ奪われてしまいました。

このため出資金の返済計画はとん挫し、明治35年(1902年)に「中山新道」は公道となり、明治38年(1905年)に国道となりました。

現在、当時の道路の面影を残しているのは、国道1号小夜の中山トンネルの真上の区間。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戦前の地形図では赤線の区間に該当します。

※2万5千分の1地形図「掛川」:大正5年(1916年)測図。

それでは現地へと向かうことにします。

まずは国道1号小夜の中山トンネル。


旧道トンネルの扁額。旧道と言っても現在も国道指定はされているようです。


バイパストンネルの扁額。このバイパストンネルは、元となるトンネルが昭和7年(1932年)に開通し、昭和29年(1954年)に改修。さらに昭和47年(1972年)にバイパス建設に伴い拡幅改修を受けています。


「中山新道」跡の出入口へと来ました。さっそく入り込んでみます。




切り通し区間が昔のまま残っているようです。古い方の小夜の中山トンネルが昭和7年(1932年)に開通しているので、切り通し区間が早い時期に国道指定を外されて廃道となり、そのおかげで往時のまま残ったのでしょう。








「この先行き止まり」の看板が立っています。「掛川市」とあるので、現在は市道なのかもしれません。




電柱が立っています。古い街道の跡には、昔からの電話線が通っていることがままありますが、この電話線の由来もそうなのでしょうか。




路面に丸石が散らばっています。石畳だったわけではなく、地面に埋もれていた丸石が長年の洗掘により姿を現したものでしょう。


この部分は往時の道幅がそのまま残っているようです。


小夜の中山トンネルの金谷側坑口の真上に出てきました。




道は右側へと進んで国道1号へと下っていきます。往時の道もこのような取り回しになっていたのかはわかりませんが、無理矢理な感じはまったくありません。




ヘアピンカーブの下側の斜面にあった低い石垣。「中山新道」に関わるものなのでしょうか。


国道1号へと出ました。本来は国道を斜めに横断して、向かい側にある道へと進んでいきますが、ここで引き返します。




もと来た道を戻っていきます。






入ってきた側の出入口に戻ってきました。


「中山新道」跡は以上となります。地図読み200mほどの短い廃道ですが、昔から随時改良されている国道1号で、明治時代の面影がそのまま残っている廃道は非常に珍しいと思われるので、貴重な場所です。

ここからはオマケです。思ったよりもあっけなく探索が終わってしまったので、峠から分岐していた古道をちょっと追ってみました。

※2万5千分の1地形図「掛川」:大正5年(1916年)測図。















Posted at 2023/03/12 21:29:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2023年03月09日 イイね!

愛知県道382号の岡崎市側の終端部を見に行ってきました

2023年2月18日土曜日、午後の暇つぶしに愛知県岡崎市雨山町にある愛知県道382号の終端部を見に行ってきました。

やって来たのは、岡崎市雨山町の雨山ダム。




周辺の地形図はこちら。県道382号は岡崎・豊川市境の風越峠を挟み、指定区間の空白があり、ルートがつながっていません。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

雨山ダムに車を駐車して、県道382号の岡崎市側終端部へ徒歩で向かいます。


ダム湖の上流部まで来ると行き止まりの注意看板があります。


そして道幅が2車線から1車線へと細くなり、「この先車両通行止」の看板と虎柵により通行止めとなっていました。






徒歩通行は関係ないので、そのまま奥へと進んでいきます。




分岐点が現れました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

地形図によると県道は右へとカーブしていくので、そのとおりに進みます。


2か所目の分岐点が現れました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

この分岐点は左カーブ。そして、ここから砂利道となります。




3か所目の分岐点です。風越峠へと向かう道は左へとカーブしていきますが、地形図によると県道は直進となるので、真っ直ぐ進んでいきます。


けっこうな急坂を登っていきます。


分岐点から5分ほど歩くと終端部が見えてきました。


そして県道はバッサリと終わってしまいました。分岐点からここまでの道は作業道そのものでしたが、なんで県道に指定したのでしょうかね。雨山ダムの2車線区間が終わった地点までの指定でも良かったような気が(笑)。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

終端部から登ってきた県道を見下ろしています。結局、車両通行止め地点から終端部まで、県道を示す標識類は全然見当たりませんでした。


さて、ここまで来たのなら風越峠まで行きたいと思い、この上部を通る林道まで斜面を登ることにします。


5分ほど斜面を登ると細い林道へと出ました。


この林道、路面にはオフロードバイクのタイヤ跡が付いているのみ。植林地の管理には長らく使われていないようです。


「西蔵」という山への登山道の分岐点に来ました。ついでなので、山頂へ行ってみることにします。


息を切らしながら細い登山道を登っていきます。


林道から分岐して登ること10分。西蔵の山頂に着きました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

山頂にある三等三角点「風越峠」。標高は482.50mです。


山頂からの眺め。眼下に新東名高速道路が見えます。


西蔵から尾根伝いに風越峠へと向かいます。




西蔵山頂から15分ほどで風越峠に到着しました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠なので石仏などが残っていないか周囲を探してみましたが、それらしいものは見つかりませんでした。




次に峠の古道が残っていないか探してみたところ、林道よりも下段に道跡が残っていました。


車へと帰るついでに古道を辿っていきます。




5分も歩かないうちに古道は作業道へと吸収されてしまいました。地形が険しい豊川市側の方が、古道は残っているかもしれませんね。


暇つぶしのミニ探索だったので、特にこれといった成果はありませんでしたが、山を歩いて汗をかき、良い気分転換になりました。


Posted at 2023/03/09 22:57:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2023年03月07日 イイね!

宇津谷隧道・やまだいち・旧東海道本線 石部隧道

2023年2月12日日曜日、弟の誘いで静岡市駿河区登呂にある安倍川もち屋「やまだいち」へと行ってきました。訪れるのは2018年2月以来、5年ぶりになります。2020年9月にもお店へ行きましたが、この時は新型コロナの影響で休業中でしたからね。

お店へと向かう前に1か所寄り道。宇津谷隧道へとやって来ました。


丸子側の坑門。何度も訪れているトンネルなので、もう特筆すべき事柄はありませんけどね。


坑門がどんどん苔に浸食されています。きれいに剥がしたくなりますが、これはこれで風情と言えなくもない。


内部は、側壁部分が焼過煉瓦、アーチ部分が赤煉瓦で積まれています。


雰囲気を壊さないよう、暗めの照明が灯っています。






岡部側の坑門。




土留めの石垣。


こちらはトンネルの西側にある案内板。






引き続いて、旧東海道の宇津ノ谷峠を登ります。




多少埋もれているのかもしれませんが、天下の東海道とは思えない道幅の狭さです。この狭隘・急坂な峠道では、明治になって早々にトンネルを掘削しようとしたのも頷けます。


峠の東側にある地蔵堂跡。




雁山の墓。案内板によると、俳人だった雁山は旅先で音信不通になり、駿河の文人仲間が墓碑を建てたが、実際は生存していて82歳で亡くなったとあります。生きていたのがわかってからも墓碑を撤去しなかったのは、ちょっとした酔狂だったのでしょうかね。




ただの山道にしか見えない旧東海道を下っていきます。




宇津ノ谷集落側の峠道の入口付近にある馬頭観音。


こちらは光背に嘉永五年(1852年)の年号があります。


こちらは大正五年(1916年)の年号。すでに宇津谷隧道がある時代ですが、大正当時からこの場所に立っていたのでしょうか。


旧東海道(明治期車道)へと出てきました。左側が宇津ノ谷集落、直進が宇津谷隧道へと向かいます。




宇津ノ谷集落の眺め。峠直下の集落ということで休憩場所として栄えたそうです。


この後は「やまだいち」へと移動。長らく休業していたせいか、お店は順番待ちするほどの混雑。周りの会話を聞いていると、関西方面からのお客さんもいるようでした。

ちなみに私はお雑煮を食べました。冬にこのお店へ来ると決まってお雑煮を食べています。


弟としてはこれで今回の目的は達成。あとは私の勝手で、もう1か所寄り道しました。


やって来たのは、これまた何度も訪れている旧東海道本線 石部隧道。一時は手入れをしている人がいたようですが、この篠竹の繁茂ぶりから見て、また放置されている状態に戻ったようです。


トンネル内のガラクタもそのまま。


トンネル付近の海岸の様子です。












































風雨や波の力により破壊され続けている遺構ですが、今のところはまだまだ巨大な残骸が海岸のあちらこちらに無造作に転がっています。あと何年、何十年残り続けるのかわかりませんが、今後も様子を見に時折訪れたいと思っています。弟はもう飽きたようですが(笑)。




出入口となる水路を登り、「駐車場」へと戻ってきたら、入れ違いにジムニーがやって来ました。車から降りてきたのは「つなぎ」を着た若い女性の二人組。その服装や靴、装備から見て、廃線・廃道趣味の人達だったのかな。


Posted at 2023/03/07 14:03:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・廃道・廃線跡 | 日記
2023年02月26日 イイね!

岡崎市夏山町の古道を歩いてきました

2023年2月11日土曜日、愛知県岡崎市夏山町にある古道を歩いてきました。現在、現地を愛知県道333号が通過していますが、この県道の前身の道に当たると考えられる古道です。

当日は、ドライバーやすい氏と新しい表記でのペースノートの作成練習を付近の林道で行い、そこからの帰り道に立ち寄りました。矢印の方向へと進入していきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちなみに付近の戦前の地形図はこちら。現在の県道は勾配を緩和するためか、標高413mの山の南側中腹へと迂回していますが、昔の道は沢沿いにそのまま直進していました。この道を辿ってみようという訳です。

※2万5千分の1地形図「龜穴」:大正7年(1918年)測図。

さて、進入してみると古道と言うよりは廃作業道といった風情です。取りあえず、奥へとどんどん進んでみることにします。




棚田の跡と思われる石垣の段が残っています。


ようやく道の雰囲気が作業道から古道らしい感じになってきました。






小さな滝の脇を通り抜けていきます。


滝を通り抜けた先で古道が消えてしまいました。ひとまず、沢の対岸へと渡り、先へと進んで古道の続きを探してみます。




古道の続きを発見。先へと進んでいきます。




古道が沢に削られて消失しています。一旦、右側へと迂回し、高巻きして進むことにします。






沢沿いの道はどうしても増水時に削られたりするので、道跡が残っていてもボロボロなケースが多いですね。


この付近も、沢を挟んだ対岸には棚田の跡がずっと続いています。植林されている木(杉か檜?)の太さを見ても、相当以前に耕作放棄されたのでしょう。




また崩落箇所が現れたので、高巻きして迂回。この辺りから、上を通る県道から捨てられたのか、斜面のあちらこちらにゴミが散乱しています。


天気が悪かったのと沢沿いで湿気があるためかジメジメした雰囲気。ゴミも散乱しているので、小さな滝から先の古道はあまり好ましい感じではありませんね…。


そして、正面を塞ぐような高い盛土が現れて、行く手を阻まれてしまいました。古道はこの先で県道が通るルートと重なるはずなので、ここで探索を終了しました。


帰りは古道の崩落箇所を嫌って、沢の対岸にあった棚田の跡を進むことにしました。

棚田跡の山側に半円形の石積みで囲まれた窪みを発見。






炭焼き窯の跡かと思いましたが、山側に開いていた穴を見て、湧き水を利用した水場の跡だった可能性もあるかなと想像しています。






だいぶ日が傾いてきたので、先を急ぐことにします。


車へと戻ってきました。1時間弱のミニ探索でしたが、これでまた1つ、県道の前身道の確認が完了しました。


今回歩いたルート図はこちらです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
Posted at 2023/02/26 12:31:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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「大井川鐡道の駅をいくつか巡ってきました http://cvw.jp/b/1796277/48626253/
何シテル?   08/30 00:20
「小林あに」と申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、廃道となった旧道や峠の古道を歩いてみたり(煉瓦製のトンネルや暗渠も好物ですが、最近は...
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