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小林あにのブログ一覧

2023年01月09日 イイね!

旧国道52号 下山隧道と榧ノ木隧道を訪れました

2023年1月8日日曜日、山梨県南巨摩郡身延町にある廃トンネルなど3か所を巡ってきました。まずは旧国道52号のトンネル「下山隧道」と「榧ノ木隧道」の訪問記録を記します。「下山隧道」は廃トンネルで、著名な廃道系サイトでも紹介されています。「榧ノ木隧道」は、現在は身延町道の現役トンネルになります。

下山隧道の最寄りとなる国道52号の駐車帯へとやって来ました。廃道探索目的で山梨県を訪れるのは今回が初めてです。


場所はこちら。駐車場所から600mほど国道を歩いて、下山隧道への進入ポイントへと向かいます。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは下山隧道付近の戦前の地形図です。

※2万5千分の1地形図「身延」:昭和3年(1928年)測図。

さて、駐車場所から現地へは歩いて向かう訳ですが、この付近の国道52号は歩道が設置されておらず、わずかな幅の路肩に身を寄せて、車に注意しながら進むことになります。中部横断道が全線開通したおかげか、昔を思うと交通量が減っているのは幸いです。


国道からの富士川の眺め。谷あい全体を大量の土砂で埋め尽くして流れる富士川の影響で、国道は山の中腹を通過しています。路肩から真下の河原を見下ろすと、「ゾクッ」とするほどの高さがあります。


歩くこと10分、下山隧道への進入ポイントに到着です。前方に見えているのは、国道の古屋敷洞門。下山隧道への目印となる物件ですね。


かつての旧道へと入り込みました。ただ、この場所は盛り土がされており、本来の旧道の路面よりも高い位置になっています。


100mほど歩くと、沢を挟んだ眼下に下山隧道が見えました。写真では非常に見えにくいですが、丸印の中央部に写っています。


あらためて下山隧道です。竣工は大正12年(1923年)12月。延長は234m。昭和43年(1968年)に古屋敷洞門を通過する現在のルートへと改修工事が完成したことにより廃止されたそうです。




坑門の意匠には凝った要素は何もありませんが、その中で際立つ特徴は頭上に掲げられている巨大な扁額です。




トンネルの坑口には全面に金網が張られていますが、経年劣化によるものか、何者かの仕業によるものか、相当以前から穴が開いております。失礼して、中へと入らせていただきます。


トンネル内部は全面コンクリート覆工されていますが、路面は未舗装のままです。


一部分だけコンクリート覆工が厚めに巻かれています。ひび割れか水漏れが酷かったのでしょうか。


案の定と言うべきか、トラックの荷台や荷物に繰り返し削られた生々しい傷跡が残っています。あまりに削られて、コンクリート覆工の芯に入れられていた木材(支保工?)が露出しています。


坑口からしばらくの区間は漏水が酷いようで、アーチ部分にシミが多く、路面にも水溜りが続いています。




路面が乾いてくると、この先は特に記述するような目立った痕跡や特徴も無くなり、ただただきれいに覆工され、のっぺりとした白いトンネルが続いています。白くて、面が滑らかなためか、カメラのピントが全然合わず、写真を撮るのになかなか手こずりました。






側溝のふたは今もよく見かけるタイプのもの。昭和40年代前半にはこの形状になっていたのですかね。


アーチ部分に凹みを発見。当然、水抜き穴ではないし、トンネル変状などの検査用の穴にも思えませんし、一体何のための凹みなんですかね。


コンクリートが剥落しています。それでも、ここまで見る限りではきれいに保たれている廃トンネルです。


ここまででもチラホラと廃棄物が転がっていましたが、大物であるタイヤやその残骸と思われる物も転がっています。金網を張った時に片付けしなかったのですね。




反対側の坑口へとやって来ました。




側壁部分のコンクリートが両側とも剥落しています。




こちら側も金網が張られていますが、這い出ることができる程度の穴が開いているので、地面に四つん這いになって外へと出ます。

反対側の坑門です。デザイン的には進入した側の坑門と変わりありません。




唯一違うのは、「下山隧道」の文言の下部に小さく竣工年月が記されていることです。


こちらの坑門の前はスペースがなく、どうやっても坑門全体を1枚の写真に収めることができません。


理由は、坑門の直前を流れている沢が深く抉れているため。5mくらいの崖になっているので、気を付けないと足を踏み外して転落してしまいます。そして、その先には旧道が見えています。




長居したくなるような目ぼしい物もないので、これで引き上げることにします。






いやぁ、天井がゴリゴリ削られていますね。私の地元だと国道153号の伊勢神トンネルが古くて高さ制限3.5mなので、トラックの幌の角が壁面に擦れて、無数の線状の傷が付いていますね。


進入してきた側の坑口へと戻ってきました。


前述したようにトンネルの正面は盛り土になっているので、トンネル前への出入りには盛り土の斜面を行き来しなければなりません。土が脆いので、少々気を遣います。




もう一度坑門を撮ってみましたが、強くなってきた日射しをもろに受けて陰影が濃くなり、思うようにきれいには撮れませんでした…。


坑門横の翼壁を登り、頭頂部の裏側へと回ってみました。裏側の壁面は玉砂利が剥き出しのままの状態。人目の付かない所には化粧を施さなかったようです。昔はセメントも高かったでしょうからね。


トンネルの前を見下ろします。ボックスカルバートの橋が架かっていますが、現役当時のものなのかは不明のようです。確かにトンネルに対して、橋の幅が狭いようには感じます。




これで下山隧道も見納めです。


こんな場所から国道へひょこっと姿を現すと、通りがかった車の人は「あいつ何してるんだ?」と疑問に思うでしょうね(笑)。


下山隧道の位置図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

続いて2か所目となる榧ノ木隧道へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

あらためて榧ノ木隧道です。昭和16年(1941年)3月に内務省土木試験所より発行された「本邦道路隧道輯覧」によると、起工は昭和6年(1931年)12月15日、竣工は昭和7年(1932年)6月30日で、延長は206mです。


トンネル開通以前、身延町大野から南部町中野の区間では、富士川沿いを通過していた府縣道甲府静岡線(国道52号の前身道。)。昭和6年(1931年)に自動車道への改修工事が提起された際(身延町誌では「昭和6年に縣道改修問題が起きる。」としか記述していないが、時代的に馬車道から自動車道への改修の問題だと思われる。)、通行上も保守上も問題の多かった富士川沿いから、榧ノ木峠越えへとルート変更が決定され、これに伴い建設されたのが榧ノ木隧道です。

※2万5千分の1地形図「南部」:昭和3年(1928年)測図。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

坑門には、石アーチや頭頂部のティンディル(歯飾り)、石積み調の文様などが装飾されており、このトンネルへ込めた期待度が見て取れます。


一方で、こじんまりとしたサイズの扁額。竣工年月の記載はありません。


トンネル内部はコルゲート材ですべて覆われているため、かつては素掘りだったのか、それともコンクリートなどで覆工されていたのか確認できませんが、「本邦道路隧道輯覧」によれば、場所打ちコンクリートにより全面覆工されていたようです。


反対側の坑門・扁額も同一のデザインです。




車へと戻ってきました。


それでは3か所目の目的地へと移動します。目的地はこの地形図の中にあるのですが、たどり着くまでにものすごく苦労しました…。

※2万5千分の1地形図「南部」:昭和3年(1928年)測図。
Posted at 2023/01/09 21:25:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2023年01月09日 イイね!

浜名湖から鳳来寺山へとドライブしました

2023年1月2日月曜日、母・弟・私の3人で浜名湖から鳳来寺山へとドライブしてきました。

自宅を出発して、幸田町を通過し岡崎市内へと出てから国道1号を豊橋市内まで走行。そこからは普段は全然通らない県道4号へ入り、多米トンネルを通り抜けて浜名湖湖岸を通る国道301号へ。走りっぱなしだったので、以前に訪れた気賀関所でトイレ休憩しました。

道中はほぼ私が運転していたことと、浜名湖湖岸を走行している時には停車しなかったので(停まれるような広い路肩がない。)、その辺りの写真は無し。

気賀関所からは国道257号へと出て新城市方面へ。鳳来寺へ行ってみるかという話になり、鳳来寺山パークウェイで山の上まで登ってきました。思っていたよりも参拝客が多くて、駐車場入り口でちょっと渋滞してました。


せっかくなので、鳳来寺東照宮で初詣。


古そうな狛犬。よく見かける形式的な狛犬と違って、古い狛犬は独特なデザインのものが多くて、なかなか興味深くて好きですね。


鳳来寺本堂。


本堂の裏手にあるお堂まで登ってみます。






かつての宿坊と思われる建物。参拝客や宿泊客で賑わっていた時代の名残りです。こちら側から眺めると立派な建物ですけど、傷みが激しくて、遠からずあばら家になってしまうでしょう。


鳳来寺山パークウェイを下りて、鳳来寺の表参道入口である門谷地区で見つけた小さな古い橋。この橋もかつての参詣路です。




この後は新城市街から作手地区と経由し帰宅しました。
Posted at 2023/01/09 13:10:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2023年01月06日 イイね!

トヨタ博物館へ行ってきました

2022年12月18日日曜日、弟の誘いで弟の友人の杉浦くんと私の3人で、愛知県長久手市のトヨタ博物館へ行ってきました。


まあ、あえてコメントするようなことも無いので、撮ってきた写真をたくさん貼り付けます。館内を巡っていて退屈することはありませんが歩き疲れます(笑)。






























































そして今回、弟がトヨタ博物館へ行こうと誘ってきたのは、企画展「WRC 日本車挑戦の軌跡 再び!」(2023年4月16日まで)でラリーカーが展示されていたからでしょう。

以下は、展示されていたラリーカーの写真です。展示スペースが窮屈で車がすし詰め状態。その点がちょっと残念でしたね。






























最後は玄関わきに展示されているボンネットバス。


入場制限はありませんでしたが、特に混雑もなく、最後までゆったりと見学できました。

見学後は地元まで戻り、行きつけの中華料理店で3人揃って晩御飯を食べました。
Posted at 2023/01/06 21:44:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2023年01月03日 イイね!

旧国道156号 内ヶ戸第二号隧道へ立ち寄りました

2022年12月3日土曜日、旧北陸本線 若水隧道を探索後、岐阜県大野郡白川村内ヶ戸に残る旧国道156号 内ヶ戸第二号隧道へ立ち寄りました。

場所はこちら。国道156号新内ヶ戸トンネルの旧道区間にあり、内ヶ戸第一号・第二号の2つのトンネルが存在しています。過去にこの旧道区間を探索した方のレポートを読むと、内ヶ戸第二号隧道から先、第一号隧道へと向かう区間が崩落斜面の連続地帯となっており、踏破するのが著しく困難な廃道のようです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

内ヶ戸第二号隧道へつながる旧道区間の入口となる、国道156号 椿原橋のたもとへとやって来ました。時刻は15時25分。周囲はすっかり夕暮れ時の雰囲気になっています。


椿原橋と新内ヶ戸トンネル。東海北陸道が開通するまではなかなかの交通量があったこの付近の国道156号ですが、現在は時折通過する車があるだけで、すっかり閑散とした様子になっています。




新内ヶ戸トンネルの銘板。銘板によると昭和55年(1980年)1月の完成とあります。しかし、隣接する椿原橋を含め、白川村から富山県側との間の国道156号の道路改良は昭和54年(1979年)内には全線完成したようす。なぜ時期がずれているのか理由はわかりません。


それでは旧道区間へと入っていきます。


ダム湖を挟んで眺める東海北陸道椿原橋と椿原ダム。


ネットを検索すると2009年と2010年にこの旧道区間を探索したレポートが見つけることができますが、どちらも椿原橋から内ヶ戸第二号隧道までは容易に辿り付けたと記述しています。今のところは、その記述のとおりの平穏な様子です。




あれ?トンネルにまだ着いていないのに豪快に崩落してますね。まあ、2010年から12年も経過していますからね。こんなこともあるでしょう。


様子を見るために崩落斜面の上に登ってみます。これは…。行けそうな気がしないでもないですが、なんか嫌な雰囲気です…。


崩落斜面上からの写真を撮影した時刻から「34分後」、斜面の反対側へとようやく通過しました。


ここからの写真は、トンネルから車へと戻る際に撮影したものですが、どのようにこの崩落斜面を越えたのかという説明を少しいたします。

最初にそのまま真っ直ぐ斜面へと入り込んでみると、土や石が全然引き締まっておらず、体重をかけるとすぐに崩れてくること、かつての路面からダム湖側が一気に落ち込んでいることからくる高度感に、一度はそのまま横断することを断念。すこしでも余裕がある場所でと、崩落斜面上部での高巻きを試みました。

しかし、斜面上部も脆い状態に変わりがなく、横断する前に反対側の状態が確認できないことと、さらに高い場所でダム湖まで一直線に見える状況に恐怖を感じ、結局、高巻きも断念。

最初に踏み込んだ場所から崩落斜面を横断するルートを造ることに決め、靴と枯れ木で地道に斜面を削り、踏み固めて前進することにしました。




両足を置けるように階段状にルートを造って、なんとか斜面の中央部まで前進。




この先がまた難所で、絡み合う倒木をどのようにして通過しようかと何パターンも思案。最初の倒木は跨いで、その次の倒木は幹と幹との間をくぐって通過することに決めました。




身を任せることになる最初の倒木に何度も思い切り体重をかけて、簡単に揺れるような動きをしないことを確認。とは言っても、全体重をかけた途端に倒木が抜け落ちる可能性もあります。そこは揺さぶって確かめている間に次の足場をしっかり確認したうえで行動をシミュレート。

最初の倒木を馬乗りに跨ぎ、つづいて二股の倒木の間をくぐります。そして、その先の斜面へと足を掛けて、「よしっ、やった。」と思った瞬間、足を置いた斜面がいきなり崩落。体を思い切り前のめりにして駆け足で路面へと着地。冷や汗ものでしたが通過できました。


この時、ダム湖へと土と石が「ザーッ…、ドボン、ドボン、ドボン」と落ちていく音を聞きながら、しばらく体が震えていました…。

「帰りも無事に通過できるかな…。どこか迂回路がないかな…。」などと考えながらも、気を取り直して廃道を進んでいきます。




トンネルが見えてきました。


内ヶ戸第二号隧道です。延長は56mで、竣工は昭和23年(1948年)とのこと。その当時からコンクリートトンネルだったのかは不明です。




扁額です。


トンネル内へと入っていきます。2009年・2010年の探索レポート内の写真にも写っている資材がそのまま残されています。もはや運び出すことは不可能ですが。






トンネルの先から内ヶ戸第一号隧道へと続く崩落区間。こちらは逆に12年の歳月を経たことで、安定してきているようには見えます。慎重に進めばある程度の距離は進めそうな雰囲気ですが、時間的にも精神的にもそのような気分にはなれませんでした…。


反対側の坑門と扁額です。




それではふたたびトンネルを通って、車へと戻ることにします。






トンネルからこの崩落斜面までの道中、迂回路は見い出せませんでした。帰るためにはあの斜面を越えていくしかありません。

まずは崩落した部分を確認。もろい表層部が崩れたことで、しっかりした面が表に現れて、かえって良い足場になっています。往路と逆の手順で倒木を通過していきます。


6~7分ほどかかって難所を通過。これで無傷のまま帰れる見込みが立ちました。


新内ヶ戸トンネル前に駐車している車まで戻ってきましたが、そのまま国道を横断して、その先へと続く旧道区間へと進んでいきます。


この先に架かっている廃橋 馬狩橋を見るためです。


馬狩橋も国道156号の旧道。銘板には昭和27年(1952年)に岐阜県により建造されたものとあり、親柱にある銘板では、竣工は昭和28年(1953年)とあります。その後、椿原橋が開通する昭和54年(1979年)まで利用されたわけです。






16時40分、ようやく探索が終了しました。気楽な廃トンネル訪問のつもりが、崩落斜面の登場でとんだ事になってしまいました。あらためて、無茶をしないよう見極めが大事ですね…。
Posted at 2023/01/03 13:16:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年12月31日 イイね!

旧北陸本線 若水隧道を探索しました(2)

2022年12月3日土曜日、新潟県糸魚川市の親不知海岸に残る旧北陸本線 若水隧道を探索しました。と言っても、すでに先週の11月26日土曜日に訪問・探索して、トンネルの閉塞部分まで往復済みの物件。

再訪した理由は前回最後に書いたとおりで、今回はきちんとLED懐中電灯を持参し、トンネル内の写真をしっかり撮ることがメインの目的となります。

自宅を3時45分に出発。先週から冷え込みが厳しくなり始めていて、東海北陸道最高地点の松ノ木峠PAの気温は朝7時でもマイナス5℃。気温は低くなりましたが、危惧していた積雪・凍結はなくて一安心です。


9時55分、若水隧道の最寄りとなる国道8号天険トンネル前の駐車場に到着しました。


それでは、若水隧道へと向かいます。


途中、若いカモシカと遭遇し、5分ほどにらみ合い(笑)。




駐車場から歩くこと約30分、若水隧道へと到着しました。






さっそくトンネル内へと入っていきます。


わざわざ写真を撮り直しに来たとは言うものの、トンネル内の風景自体は単調そのもの。先に言ってしまえば、特に目立つ新たな発見があったという訳でもありませんので、悪しからずご了承ください(笑)。

1か所目の退避坑。煉瓦トンネルへ行くと、最近は必ず全ての退避坑を撮影しています。トンネル内でデザインに違いがあるわけではないのですが、何となく(笑)。


ちなみに、私は「退避坑」と書いてますが、ちょっと調べてみたところ、法令上は「待避所」だそうです。現行法令では、少なくとも50mごとに設置することが義務付けされています。

2か所目の退避坑。


灰色の世界が続いています…。このトンネル、そんなに急勾配には感じないのですが(縦断面図や勾配表を見たわけではありませんが。)、なんでこんなにこってりと煤が付着しているのでしょうか。




3か所目の退避坑。


ボロボロになっていますが、たぶん距離標でしょうね。


4か所目の退避坑。


付着している煤がさらに分厚くなってきたような…。


見えにくいですが、おそらく通信線を掛けていたのであろうフックが側壁に連続して残されています。


5か所目の退避坑。


天井に付着している煤。たくさんの白点が見えますが、光を当てるとキラキラと光ってきれいです。


6か所目の退避坑。


大型の退避坑としては1か所目。コンクリート製なので、後年に安全基準の変更により追加設置されたものでしょう。


アーチ部分ではコウモリが冬眠中。


7か所目の退避坑。


久しぶりに煉瓦が顔を出しました。側壁から漏水があるようで、煤が流されたのでしょう。


電話機などの機器類の設置台でしょうか。


8か所目の退避坑。


9か所目の退避坑。


10か所目の退避坑。


ここの天井は煉瓦の上からコンクリート覆工されているようです。ところどころめくれて剥離しています。


11か所目の退避坑。


12か所目の退避坑。大型退避坑としては2か所目です。


ここの大型退避坑は煉瓦造りなので、開通当時から設置されているものでしょう。




アーチ部分は煉瓦5重巻きとなっています。


そして、1か所目の大型退避坑よりもたくさんのコウモリがぶら下がっています。煉瓦の目地に沿ってきれいに並んでいますね(笑)。




こちらわかりにくいですが、形状からしておそらく丙号距離標でしょう。


ここまでは天井部が明るい灰色、側壁部が暗い灰色の煤が付着していましたが、この辺りからは天井部が暗い灰色、側壁部が明るい灰色と逆転しています。理由はわかりませんが。


13か所目の退避坑。


14か所目の退避坑。


15か所目の退避坑。


枕木と思われる木材が転がっています。


16か所目の退避坑。


暗闇の中、まだまだ灰色の世界が続いています。


17か所目の退避坑。大型退避坑としては3か所目。


18か所目の退避坑。


付着する煤がだいぶ薄くなってきました。


19か所目の退避坑が見えてきました。ここまで退避坑は右側だけでしたが、ほぼ同位置の左側にも退避坑があります。


19か所目の退避坑。


左側の退避坑。実際には退避坑ではなく、何らかの機器を設置するための場所だと思われます。


20か所目の退避坑。


漏水が多くて路盤に水溜りができ、周りも湿っています。


21か所目の退避坑。


そして、21か所目の退避坑から先が水没していました…。11月26日に来た時には全然そんなことはなかったのですが、先週は天気が悪い日が多かったので、雨水が浸透して水が溜まってしまったようです。


実は今履いている長靴、左足の脛の高さに切り傷があって水が漏るんですよね(笑)。水深が深くならないことを祈って、少しづつ前進します。


結局、長靴の切り傷付近まで水かさが上がってきたので、一旦21か所目の退避坑まで撤退。ジーパンの裾をめくり上げ、左足の靴下を脱いで、濡れるのを承知で再度水没区間へと進入していきます(笑)。

22か所目の退避坑。私が歩いているので水面が波打っています。


閉塞地点まであとわずかなんで、何とかたどり着きたい…。


左足の長靴には冷水が充満してきています。気持ちを固めているので、濡れるのはどうでもいいのですが、水の冷たさが辛い…。


この地点でついにギブアップ。これ以上は水かさが長靴の高さを越えてしまいます。閉塞地点は先週たどり着いているので、今さら右足まで濡らす気にはなれませんでした…。


振り返っての写真。はるか彼方に坑口からの光の点が見えています。


長靴が水をかぶらないよう慎重な足取りで21か所目の退避坑まで下がってきました。ここで長靴をひっくり返して溜まっていた水を出し、坑口へと戻ることにします。


坑口へと戻ってきました。閉塞地点へ再度たどり着けなかったのはちょっと残念でしたが、あらためて多くの写真を撮影できたので、今回の目的は達することができました。


せっかくなので、坑口から親不知海岸へと向かうことにします。


海岸沿いの岸壁まで下り、若水隧道を見上げています。さらにその上部に国道8号のロックシェッドが見えています。




親不知海岸を糸魚川方面へと歩いていくと、バラバラに崩れた巨大な擁壁がありました。旧北陸本線の路盤を日本海の荒波による浸食から守るための施設でしよう。しかし、路線の切り替えにより役目を終えて放置されています。


丸石の転がる浜辺の終端です。今までにも紹介していますが、かつてはこの海岸が北陸道そのものでした。今は浸食のため人が歩ける海岸は消失してしまいましたが、昔はこの先の海岸を命がけで通過していたのです。
Posted at 2022/12/31 12:33:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記

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