徳川宗家「第19代目」が参院選に出馬 自民党ではなく立憲民主党を選んだ理由
2019年6月13日 6時0分
デイリー新潮
(以下部分引用)
――改めて、なぜ出馬を決心されたんですか?
徳川家広氏(以下、徳川):私は19代ですが、16代の徳川家達(1863~1940)は1898(明治31)年に東京市長選に担ぎ出されそうになりました。そこで勝海舟(1823~1899)に相談へ行ったんですね。
すると勝から「徳川家の人間なのだから、よほどのことがない限り、政治に関わってはならない」とアドバイスされたそうです。
家達は1884(明治17)年の華族令で侯爵となり、90(明治23)年に帝国議会が開設されると貴族院議員となりました。
1903(明治36)年から33(昭和8)年までは貴族院議長を務めました。貴族院に選挙はありません。人選は内閣が行い、陛下のご下命で就任いたします。(註:正確には満25歳に達した伯爵・子爵・男爵に叙されている者の同じ爵位の華族による互選で選ばれた)
その後、家達は「よほどのこと」が起こり、国際政治の表舞台に立ちました。1922(大正11)年に、世界初の軍縮会議となったワシントン軍縮会議で全権を務めたのです。
会議では保有艦の総排水量比率を、米と英が5に対して日本は3と定められました。更に日英同盟が失効し、米・英・仏・日の四カ国条約を結びました。会議の結果に反発する世論も少なくなかったわけですが、だからこそ家達しかできない仕事だったのではないかと思っております。
私も、今の日本では「よほどのこと」が起きていると判断して立候補を決断いたしました。今年4月に行われた北海道知事選に出馬するか検討していた際も、同じ問題意識を持っていました。
なかなか興味深い。
Posted at 2019/07/12 22:10:43 | |
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