
ども、
えー、本日も、カラクリが楽しい、古(いにしえ)の電動ブリキ玩具と行ってみましょー、、
ヾ( ̄  ̄ )、どもども、、
というわけで、電動走行の大型レシプロエアライナー、
DC-7C(通称セブンシーズ)であります。
メーカーは野村トーイですが、製造元はこの手のエアライナー玩具の得意な
日光玩具工業、発売時期は1960年代となります。
全長50センチはあろうかと云う巨大な機体はすべてブリキ製で、胴体下面とエンジンナセルなどがプラ製となります。
日本航空の二代目旧カラーが美しいプリントで再現され、紺のラインに日の丸の国旗を描いた垂直尾翼のデザインがとても懐かしいですよねー
( ̄▽ ̄)b
機体前部に鶴丸マークが入っておりますので、鶴丸制定後の1965年頃の姿となると思います。
主翼の登録ナンバーは
「JA-6305」となっておりますので、
「City of Hong Kong号」となるバスなのですが、なぜか機首には
「City of Tokyo号」とプリントされております。
これだと、正確には東京オリンピックの聖火も運んだ、日航の
DC-6Bとなってしまうのですが、ま、そのへんはご愛嬌と云うことで
w( ̄ー ̄)σ
いずれにしても、1950年代の古き良き時代のレシプロエアライナーを見事に再現しておりますねー
アクションとして、単一電池2本で電動走行いたしますが、特筆なのは、例によって、その素晴らしいカラクリであります。
まず、内側の2番と3番のエンジンが始動、しばらくして外側の1番と4番のエンジンが始動し走行を開始、今度は逆の順番でプロペラの回転か停止し、機体はストップと、この繰り返しとなります。
いやいや素晴らしいカラクリですねー、玩具の詳細は、別途
コチラ にアップしましたが、当時のブリキ職人さんの巧み技、ほんと脱帽であります。
(⌒∇⌒)ノ♪
さて、DC-7Cは、日航が、新型ジェット旅客機DC-8の就航までの、云わば“つなぎ”として導入した国際線用の旅客機でした。
一番機の
JA-6301「City of San Francisco号」は、1957年暮れに到着、国内でお披露目飛行を行ったのち、1958年2月から国際線に就航いたしました。
ただ、当時は日本人の海外旅行など夢の時代で、また、米国人は「カミカゼパイロット」のイメージが強く、日本の航空会社には乗りたがらなかったそうで、乗客が数人などと云うこともあったそうです。
そして、1960年7月には待望のDC-8一番機の
JA-8001「FUJI号」 が就航し、たった2年で国際線からはずれてしまいました。
その後は、国内線や貨物機として使用され、結局、1965年までに全機が売却されてしまいました。
最後のレシプロエアライナーと云われたDC-7型機、郷愁ソソルそのスタイルに、未だにファンが多いのも理解できますねー
ささ、ということで、なんとか出勤しておりますが、やっと金曜日です。
ま、ぼちぼち行ってみましょー
でわでわ
※写真は全てクリックで拡大します。( ̄ー ̄)σ
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Posted at
2012/01/19 17:53:06